在イタリア、ソムリエワインノートとイタリア映画評論、他つれづれ appunti di degustazione

ソムリエ 20年、イタリアワインのテイスティングノートと、なぜか突然のイタリア映画評論、日本酒、日本茶、突然アートも

イタリア映画の紹介 L'esodo di Ciro Formisano 「宙ぶらりん」

2018-02-01 19:45:55 | 何故か突然イタリア映画
L’esodo  宙ぶらりん(勝手に付けた邦題)
監督 チーロ・フォルミサーノ



esodoは、イタリア語では「流出」「大移動」という意味。
esodato(男性単数の場合)は、造語だそうだが、「流出した人」ということになる。

今年のゴールデン・グローブの候補作、今までの作品の中で(もちろん、見損ねたものもあるが)最も感慨深いものだった。

大泣きしてもいいくらい。

残念ながら仕事の都合で、監督のインタヴューは見ずに作品だけ見て失礼したが、いやー、本当に良かった。




2012年、モンティ政権(2011年に発足)による改革(フォルネロ改革)により、宙ぶらりん状態の人たちができてしまった。

年金生活に入る直前に年齢が引き上げられ、退職したのでお給料はない、仕事もない、年金もまだもらえない、という、無収入になってしまった人たち。
数字は訂正されたようだが、39万人。

フランチェスカはその一人。60代。

お給料もなく、年金もない。不況で満足な仕事もない。
十分な蓄えがあればまだ良いのだが、フランチェスカは、毎月の家賃、食費、電気、ガスなどの支払い、そして、16歳になった孫娘にお金がかかり、貯金が底をつく。

そして決心したのは、物乞いをすること。
必死の思い、決死の覚悟である。

ローマ郊外のアパートから中心へ出てきて、小さな缶を前に置き、レプブリカ広場の隅に座る。(テルミニ駅の近く)

お金を入れてくれた人に、ありがとう、と声をかける。
こんな状況でも、人間としての尊厳だけは失いたくない、と。
幾らかのお金が集まり、それが今晩の食費になる。

質素な格好でも、乞食には見えない、いかにも何か事情がありそうなフランチェスカに声をかけてくる人が一人、二人。。。

フランチェスカに興味を示し、匿名で記事を書く若いジャーナリスト。

素晴らしい友情を築くことになるドイツ人の男性。

いやー、彼の、最後にフランチェスカにあてた手紙には、涙〜涙〜

家を出て行った娘との葛藤、貧しさを恥ずかしく思い、理解したくない孫娘、真面目に一所懸命生きて行くフランチェスカ。
本当なら、今頃は、年金で、慎ましやかになら十分暮らしていけたはずなのに。

実話を基にした、まだ若いフォルミサーノ監督の処女作。

ちょうど上映会に行く前に、偶然まさにこの場所を通った。
フランチェスカが決心した広場のすみっこ。
よく通る場所だが、次に通ったら、フランチェスカのことをきっと思い出すに違いない。

また大泣き〜

日本でも上映されると嬉しいのだが。









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