ロシアによるウクライナ侵略後、アルゼンチンに移住するロシア人が急増している。居住ビザ(査証)の取得者は昨年、侵略前の10倍に達した。戦火の不安から逃れたい人びとにとって、ビザなしで渡航でき、文化的にも親近感を覚えやすいアルゼンチンは、母国から1万キロ以上離れても、安住の地として魅力的に映るようだ。(ブエノスアイレス 大月美佳、写真も)
「リトルモスクワ」
ブエノスアイレス北部ではこの1年、キリル文字でサービス内容を書く美容室やロシアの菓子を楽しめるカフェ、ロシア式サウナのバーニャなどが次々とオープンした。ロシア正教会に訪れる人は倍増した。地元紙ナシオンは、ロシアの首都にちなみ、このエリアを「リトルモスクワ」と呼ぶ。
「ここは戦争がない。それが何より重要だ」。昨年7月にオープンしたレストランバーでウェーターとして働くロシア人男性(24)は、ロシア語なまりのスペイン語で話した。
2022年に侵略が始まり、同年秋には予備役が部分動員された。友人も戦地に赴き、「家族で真っ先に招集されるのは自分だ」と怖くなった。何度も話し合った末、両親や弟と昨年8月、出国した。モスクワ郊外の自宅と車は売り払った。侵略の是非について議論すらできない母国での生活は、我慢の限界に達していた。
アルゼンチン内務省によると、同国に入国したロシア人は、23年で約3万7700人。今年は3月末までで約1万3000人に及ぶ。ロシアの中南米での動向に詳しいイセシ大(コロンビア)のブラディミール・ロビンスキー教授は、「移住の当初の理由は戦争の忌避と動員逃れ」と指摘する。
侵略前の10倍
侵略後、欧米諸国などでロシア系移民受け入れが制限される中、侵略は非難しつつも対露制裁には参加せず、中立的な立場を維持する国が多い中南米は移住先として人気だ。各国政府の統計によると、23年に居住権を取得したロシア人はメキシコで21年の3倍、ブラジルで2倍に増えた。
とりわけアルゼンチンでは、10倍の3750人に及ぶ。ビザなし渡航が可能で、滞在延長も容易だ。イタリアやスペインなどの欧州系移民が97%を占め、中南米の中で最も高い。先の男性は、「ロシア人にとっては中南米で最高の国。移民を受け入れてきた歴史があるため、適応しやすい。肉などの食文化も魅力だ。白人が多く、見た目では外国人とも思われない」と説明する。
現地のロシア人がロシア語で情報交換するテレグラムグループには1万人以上が登録する。首都の天気や個別のビザ取得に関する情報が飛び交う。渡航したロシア人の多くは当初、適当なタイミングで帰国するつもりだったようだが、侵略が長期化する中で「定住志向に転じた」(ロビンスキー教授)という。多くは経済的に自立していることから、現地でも受け入れやすい面もありそうだ。
コミュニティーの場 続々と…週末教室やカフェ
昨年4月には、移住者が自然科学や数学をロシア語で教える週末教室も登場した。教室で学ぶ2〜10歳の25人のうち21人は侵略後に移り住んだ家族の子供たちで、教師10人も全て侵略後の移住組だ。
教室責任者のアナ・ボヒナさん(44)も22年11月に移住した。ロシア西部サンクトペテルブルクの学校に通っていた長女(16)が戦争を正当化する授業への参加を拒否したところ、学校側から脅され、出国を決めた。アルゼンチンで第4子を出産し、既に家族全員が永住権を取得した。
ロシア人実業家イゴール・コトリアロフさん(36)は昨年12月、ブエノスアイレスでカフェをオープンし、新たな移住者の相談に乗っている。母国で反政府活動に参加していたため身の危険を感じ、侵略開始直後、故郷を離れた。
先に移ったジョージアでは部屋を借りようとすると「ロシア人」とわかった途端に拒否され、アルゼンチンに渡った。反露感情が薄いアルゼンチンについて、「いずれ居場所を求めるロシア人たちの最大のコミュニティーになる」と話す。
とにかくつべこべ文句を言わず早急に停戦合意に漕ぎつけよう🐵
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