四十七年前、米国の女子大の卒業式のスピーチで、こう語った学生がいた。
「私たちが挑むべきは、不可能にみえることを可能にする技としての政治の実践です」。
ヒラリー・クリントンさん(68)だ。
民主党の大統領候補になり、
女性が米国の大統領になるという夢にまた一歩近づいたが、
敗れたバーニー・サンダースさん(74)もまた
「不可能にみえることを可能にする政治力」を見せつけた。
米政界にあって異端の民主的社会主義者で、
自他ともに認める「はぐれ者」である。
大統領選への出馬を宣言した時、誰がここまで躍進すると思ったか。
だが、彼はこう語っていた。
「大多数のアメリカ人は今日、はぐれ者なのだ」。
経済や政治のありようを決める過程から疎外され、
貧困と無力感にさいなまれる人々。
そんな人々を結び付け、
自ら声を上げるようにする選挙運動をくり広げられれば、
「私たちが誰一人、もはやはぐれ者ではなくなるように、
一緒に政治と統治をつくりかえることができる」
(『バーニー・サンダース自伝』)。
学費が高く、学生ローンを借りるしかない。
そうして卒業しても、待っているのは低賃金の非正規労働…。
そんな若者らが彼の言葉に呼応し、大旋風を起こしたのだ。
サンダースさんは大統領選では敗れた。
しかし、「はぐれ者」旋風は米国のみならず世界に、新風を吹き込んだようである。
-東京新聞 2016年7月30日-
バーニー・サンダースさんは
日本ではあまり注目されてはいない。
多分「それって誰?」
と云う人が多いだろう。
ヒラリー・クリントン氏も大統領の最有力候補だが、
アメリカ国内では、決して評判は良くない。
この記事で引き合いに出されたふたりの人物は、
日本人の共感を得て結論に至るには、
決してふさわしいとは言えないのかもしれない。
この記事では触れられていないが、
実はトランプ支持者も「はぐれ者」だ。
アメリカに渦巻く不満。
それが「はぐれ者」をどんどん増やしているように見える。
日本はどうか?
多くの無党派層は「はぐれ者」と重なると思う。
旧社会党も、旧民主党も崩壊し、
支持政党を見失った有権者たち。
彼らもまた「はぐれ者」ではないか。
また、自民党のような巨大政党支持者の間にも
アメリカ共和党・トランプ支持者のような「はぐれ者」もいよう。
そして一番多い「はぐれ者」たちは無関心層。
政治にドップリ浸かることが良い事なのかどうかは分からないが、
自分の意見を持ち、無党派層であったり、
「はぐれ者」になるなど、
政治意識を保ちながら、一定の距離を保つ人は
自己責任で今後も生きてゆくのだろう。
しかし、自分から何も知ろうとせず、「私、わかんな~い」
などと政治に近づこうともしない人たちは救いようがない。
『学費が高く、学生ローンを借りるしかない。
そうして卒業しても、待っているのは低賃金の非正規労働…。』
そういう人たちは、そういう状況に永久に甘んじてしまっても仕方ない。
権利は自分の手で掴むもの。
何もせず、自ら声を上げない人は、
権力やカネの力という「声を上げる」者たちに押しつぶされるのが
自然の摂理なのだ。
そうして人類の歴史は積み上げられてきた。
「私たちが挑むべきは、不可能にみえることを可能にする技としての政治の実践です」
とは、一見『奇跡』を呼び起こすことを指しているように見えるが、そうではない。
自分たちによる、新たな理想の実現のために実践し、
新たな歴史を切り開くことを主張しているのだ。
歴史用語でそれを『革命』と呼ぶ。
『革命』とは、決して共産主義者など、左翼勢力の専売特許ではない。
まずは一人ひとりが意識を持ち、
自己責任で積極的な意思表示をし、行動を起こすことが
政治に革命を起こす原動力になる。
草の根の民意を反映し、確実に実践させる政治の仕組みづくり。
それが今の日本に求められている『革命』だと思うオヤジが一句。
そのために 勉強しても まだ未熟
お粗末。
「私たちが挑むべきは、不可能にみえることを可能にする技としての政治の実践です」。
ヒラリー・クリントンさん(68)だ。
民主党の大統領候補になり、
女性が米国の大統領になるという夢にまた一歩近づいたが、
敗れたバーニー・サンダースさん(74)もまた
「不可能にみえることを可能にする政治力」を見せつけた。
米政界にあって異端の民主的社会主義者で、
自他ともに認める「はぐれ者」である。
大統領選への出馬を宣言した時、誰がここまで躍進すると思ったか。
だが、彼はこう語っていた。
「大多数のアメリカ人は今日、はぐれ者なのだ」。
経済や政治のありようを決める過程から疎外され、
貧困と無力感にさいなまれる人々。
そんな人々を結び付け、
自ら声を上げるようにする選挙運動をくり広げられれば、
「私たちが誰一人、もはやはぐれ者ではなくなるように、
一緒に政治と統治をつくりかえることができる」
(『バーニー・サンダース自伝』)。
学費が高く、学生ローンを借りるしかない。
そうして卒業しても、待っているのは低賃金の非正規労働…。
そんな若者らが彼の言葉に呼応し、大旋風を起こしたのだ。
サンダースさんは大統領選では敗れた。
しかし、「はぐれ者」旋風は米国のみならず世界に、新風を吹き込んだようである。
-東京新聞 2016年7月30日-
バーニー・サンダースさんは
日本ではあまり注目されてはいない。
多分「それって誰?」
と云う人が多いだろう。
ヒラリー・クリントン氏も大統領の最有力候補だが、
アメリカ国内では、決して評判は良くない。
この記事で引き合いに出されたふたりの人物は、
日本人の共感を得て結論に至るには、
決してふさわしいとは言えないのかもしれない。
この記事では触れられていないが、
実はトランプ支持者も「はぐれ者」だ。
アメリカに渦巻く不満。
それが「はぐれ者」をどんどん増やしているように見える。
日本はどうか?
多くの無党派層は「はぐれ者」と重なると思う。
旧社会党も、旧民主党も崩壊し、
支持政党を見失った有権者たち。
彼らもまた「はぐれ者」ではないか。
また、自民党のような巨大政党支持者の間にも
アメリカ共和党・トランプ支持者のような「はぐれ者」もいよう。
そして一番多い「はぐれ者」たちは無関心層。
政治にドップリ浸かることが良い事なのかどうかは分からないが、
自分の意見を持ち、無党派層であったり、
「はぐれ者」になるなど、
政治意識を保ちながら、一定の距離を保つ人は
自己責任で今後も生きてゆくのだろう。
しかし、自分から何も知ろうとせず、「私、わかんな~い」
などと政治に近づこうともしない人たちは救いようがない。
『学費が高く、学生ローンを借りるしかない。
そうして卒業しても、待っているのは低賃金の非正規労働…。』
そういう人たちは、そういう状況に永久に甘んじてしまっても仕方ない。
権利は自分の手で掴むもの。
何もせず、自ら声を上げない人は、
権力やカネの力という「声を上げる」者たちに押しつぶされるのが
自然の摂理なのだ。
そうして人類の歴史は積み上げられてきた。
「私たちが挑むべきは、不可能にみえることを可能にする技としての政治の実践です」
とは、一見『奇跡』を呼び起こすことを指しているように見えるが、そうではない。
自分たちによる、新たな理想の実現のために実践し、
新たな歴史を切り開くことを主張しているのだ。
歴史用語でそれを『革命』と呼ぶ。
『革命』とは、決して共産主義者など、左翼勢力の専売特許ではない。
まずは一人ひとりが意識を持ち、
自己責任で積極的な意思表示をし、行動を起こすことが
政治に革命を起こす原動力になる。
草の根の民意を反映し、確実に実践させる政治の仕組みづくり。
それが今の日本に求められている『革命』だと思うオヤジが一句。
そのために 勉強しても まだ未熟
お粗末。