uparupapapa 日記

今の日本の政治が嫌いです。
だからblogで訴えます。


時代背景(1)

2021-08-03 12:57:23 | 日記





私の書いた小説
(小説?おこがましい!!ただの作文であり日記です)は、
時代背景が幕末から
第二次世界大戦を舞台にしたものが多い。
(シベリアの異邦人、アッツ島・キスカ島戦記、
こりゃ!退助!!)

こんな私の拙作ですが、
歴史が不得意と仰(おっしゃ)る読者様からも
コメントやリアクションを多数いただき、
心から感謝しております。

私は少しでも多くの皆様に
伝えたい事を解っていただきたい。

 だから可能な限り難解な表現を避け、
分かり易くしてきたつもりです。

 でも、それでも難しい?

 歴史ってひとつひとつの事件だけに注目していると、
結局何も分からないままで終わってしまう。
そう思います。

 だから今回は、
今までの作文の時代背景を
私なりにひとつの『流れ』としてまとめてみました。

 私の歴史観は私独自のものであり、
「その見方には賛成できない。」
と感じる方も多くいらっしゃるでしょう。

でも、「こういう見方もあるのか」
と参考になさっていただけると幸いです。

           
 あらかじめ言っておきますが、
私は反米主義者ではありません。
 特に恨みもないし、
今の日本にとって最大且つ
有力な同盟国であると認識しています。
日本人の多くは対米感情も良好であり、
過去は過去。
未来志向をこれからも維持すべきと考えています。

それを踏まえてお読みください。




      国家の出会い




 日本とアメリカの出会いは最悪だった。

 日本の歴史上、
一番害を成した国はアメリカである。

 アジアの東の端っこにある、
まだ他国に植民地化されていない国、
『日本』を脅し、鎖国の扉を
武力でのこじ開け、一番乗りを果たした
アメリカ・ペリー艦隊。

 それは彼にとって名誉を勝ち取る行為であり、
名声を挙げ、歴史にその名を残す偉業である。

 彼らアメリカ人には、
「日本は未開で貧しく、遅れた文化しかない
劣等な黄色人種の国」
だと云う認識しかない。
 彼らは侮り、嘲りに満ちた姿勢で
理不尽な要求をしてきた。
 日本を含むアジアの民は、
アフリカ同様搾取の対象。
 自分たちの奴隷にしてもかまわない存在でしかない。

 ただ自分たちアメリカ人は『紳士』だから
今はそこまではしない。
今はお前たちを侵略しない代わりに
港と航海に必要な物資を差し出せ。
 それで許してやる。


「有難く思え。」

そしてアメリカに有利な条約を結べ。

そう要求してきた。





 その当時のアメリカの実情



 アヘン戦争(清国)(1840~42)
セポイの乱(インド)(1857~59)で
ヨーロッパの強国『大英帝国』に負けたインド・清国は
労働力という名の奴隷を差し出さなければならなかった。

これを苦力(クーリー、coolie)と云う。

一方アメリカでは1861~65のアメリカ南北戦争により
黒人の奴隷制度が廃止されると、
急激に労働力が不足した。
それはアメリカのみならず、ヨーロッパまで波及。

そうした時代背景の中、(アフリカ系奴隷制度の頓挫)
アジアに目をつけ、土地や資源、
労働力獲得競争が加速した。

そのような背景から、不足した労働力を補うため、
苦力(クーリー)は世界各地の白人社会に送られる。

しかしその実態はやはり奴隷である。

アメリカのラッセル商会、オリファント商会、
オーガスチン商会など実質の奴隷商人たちは、
普通の労働者の斡旋を装った。

 誘拐・姦計などの手段により集めた労働者を
表向き合法そうに見せかけ、
中南米諸国に供給するために。

 彼らは苦力の数を
例えば『500頭』などと表現、
一人二人ではなく、
1頭、2頭と呼び、契約書などに記した。
 まるで牛や豚、鶏などの家畜同様、
全く人間扱いをしていないのだ。

 アメリカ本土に供給する苦力(くーりー)は、
表向き雇用主に対し期限付きで奉公、
前借りを完済したら自由になれる
『契約移民』であったり、
アメリカまでの船賃を工面し、
金採掘を目的とした自由移民という形式をとり、
建前上、自由意思による移民という
形式を装っていた。

 そして彼らアメリカに送られた苦力たちは、
大陸横断鉄道建設の労働者などとして使われ、
主にカルフォルニア地方に、
10万人以上が送られた。



 そうした背景の中、
勢力拡大主義に走るアメリカは、
『ペリー率いる黒船艦隊』を派遣する。
 彼らは日本に対する
鎖国破り一番乗りの功績を得ようと、
1854年3月、武力による恫喝の末、
強引に日本に日米和親条約を結ばせた。

 こうして日本の鎖国体制に風穴を開け
1858年6月、跡を継いだハリスが
日米修好通商条約を強引に締結する。
それを見たヨーロッパの白人国家(蘭露英仏)は
血に飢えたハイエナのように押し寄せ、
同様の不平等な最恵国待遇の条約を結ばせた。


世に云う『安政の五ヵ国条約』である。


 永らく鎖国していた外交に疎い日本。

 幕府の交渉担当者は
対外条約締結など未経験に等しかった。
 それ故列強の言われるままに結んでしまった条約。

 だが次第にその不平等な内容と、
文言の真の意味を理解した。
 それはどれだけ屈辱に満ち、
不都合なものだったか。
 トラブルが多発するにつれ
身をもって理解し、後悔した。

 しかし総て後の祭りである。



 不平等の具体的な内容

1.片務的最恵国待遇
(通常、最恵国待遇を付与する場合、
条約を締結する双方が
一番の好条件を与え合う。
 しかし、この場合の片務的とは、
日本はアメリカに最上級の好条件を与えたが、
アメリカは日本に与えていない。)

2.関税自主権の欠如
 (通常、独立した国家は交易の際、
  国内産業保護を目的に、
物資等の過度な流入に対し、
自己防衛のため関税をかける。
 関税自主権を持たないと
国内の産業構造は破壊され、
国力低下を招く。
 また、自国資源流出に対しても
自主権を持たないため
国際レートとの相違から、金の流出を招いた。
結果莫大な損失を生んだ。
≪日本と国際相場での
金と銀の交換レートの相違≫
その他、国宝級の仏像や美術品なども
数多く流出している。)

3.治外法権
 (日本の警察、裁判所は、
外国人による犯罪行為に対し
逮捕・拘束の権利を持たない。
裁く権利を持たない。
 また、外国人が起こした事故などの
損害賠償の請求権も持たない。
故に泣き寝入り事案が多発した。)


 そんな時代、
移民として渡っていた中国人により
日本人女性が人身売買されアメリカに連行、
売春宿で働かされていたという事実まで発覚する。

 当時の列強は非情で、貪欲で、
自分勝手な民族差別主義が蔓延していた。
その筆頭がヨーロッパの列強の後から
進出しだした当のアメリカである。

 アメリカ人の認識は、
日本とはただの未開の国ではなく、
首狩り族や人喰い人種に等しい、
物騒な民が生息する野蛮な国であった。

 実際イギリスやフランスの何人もの異人たちが
尊王攘夷という大義によるテロの
犠牲になっている。

 だから彼らは尊大に構えながらも、
心の中では常に警戒を怠らなかった。

 しかしどれだけ警戒し、
懐に拳銃を忍ばせていても、
一旦武士に命を狙われたら
防ぐ手立てはない。

 危険を察知し
銃を抜く前のほんの一瞬に剣を振り下ろされ、
切り殺される。

彼らは武士を限りなく警戒し、
「拳銃は護身の役にはたたない。
武士の標的にされたら身を守る術はないのだ。
だから決して怒らせてはならない。」と
申し送りの記録が残っている。


 日本人のみならず、彼ら異人たちも同じく恐れ、
警戒していたのだった。

 身の危険を感じながらも貪欲と云える程、
日本に対する利権拡大を目指す列強。

 このままでは支配される。

 強い危機感から徳川幕府は倒され
明治新政府が成立した。

 明治新政府とは、
そうした国際社会に於ける極度な緊張感をもって
船出した政権である。

 また明治維新とは、
決して旧弊に対する不満が原因の
下層民の民主革命ではない。
 だが結果として近代的変革を成し遂げ、
封建時代から続いた身分制度を弱め、
国際競争に打ち勝つ構造を作り上げたと云える。


 ―明治新政府の至上命題―
それは条約改正、その一点にあった。

そのために
地租改正、版籍奉還、教育制度整備、
郵便・通信、鉄道・道路・橋梁整備、
富国強兵、殖産興業、
帝国議会創設、
明治憲法発布などと、
急激な近代国家建設を推進した。

 しかし、そこまで努力し、
何度条約改正の交渉を列強に打診しても、
不平等条約の既得権を手放さない。

 次第に焦り、追い詰められた明治政府は
とうとう大博打に打って出た。


 日清・日露戦争である。


 清国、ロシアは当時いづれも
日本との国力比
何と!10倍以上の差があった。


 どう考えても小国日本が立ち向かえる相手ではない。
 しかし無謀にも、それに挑戦した。

 それ程この国は侵略の危機に対する
緊張感が大きかったのだ。

 相当の時間をかけ準備し、計画し
日本は戦争に打ち勝った。

 だからと云って戦争を正当化する気はない。

 そうした悲しい時代だったとしか言えないだろう。
『のほほん』としていては、
侵略され、征服されるのだ。


 

だが驚いたことに、
そんな獣(けだもの)の国に
富みを求めて移民するという勇気ある(?)
日本人が相次いだ。
 貧しいが故に故国日本では生計が立たず、
新天地で富を得たいとの
切実な思いからの
やむを得ない選択であった。





 しかし日本人が移民として渡米しだすと、
次第にアメリカ人の日本人に対する
見る目と空気が変わってきた。





先に苦力(クーリー)として渡ったインド人や中国人は、
あくまで実質の奴隷であり、
自ら希望して渡米してきたわけではない。
従って労働意欲や未来に対する向上心は低く、
屈折した卑しさやモラルの低さが常につき纏う。
 しかも教育水準は極めて低い。
 文字も書けず、計算もできない。

 そうした苦力たちは
アメリカの支配層である白人の蔑みを呼び、
黄色人種はやっぱり能力が低く、
良心や意欲を持たない
低級人種なのだとの認識が定着する。

 奴らは奴隷の身分が相当なのだ。

 だから似たような顔をした
日本人も同様である。
アメリカの白人たちはそう信じていた。


しかし最初にハワイに渡った日本人は
全く様子が違った。

 低賃金なのに、寝る間を惜しんで一心不乱に働く。
サトウキビ畑や、綿花のプランテーションでの作業は
殺人的な重労働である。
 それなのに彼らの労働意欲は信じられないほど高い。
 手際が良く、丁寧な仕事ぶり。
 驚くほど低コスト高性能作業マシンなのだ。

 それも一人二人ではない。
集団渡航した日本人移民の全員がそうであった。

彼らには夢がある。
いずれは自分の農場を持ち、
豊かな生活をこの地で獲得したい。
 

 ―だから負けて日本に帰るー

そんな選択肢はない。
必死で働き、一日も早く自分の土地を持つ。
 そのためには今を、そして今日、明日に、
全力を尽す。 

それは日本人入植者全員の
共通認識であり、当然の決意であった。


年月の経過を重ねるにつれ、
日本人移民の数は増えてゆく。

 はじめはハワイ。
次にカリフォルニア。
段々西から東の内陸に範囲を広げる日系入植者たち。

 はじめ日本人を同じアジア人である中国人たちと
同じにみていたアメリカ支配層の白人たちは、
蟻のように際限なく働く日本人に
脅威を感じ始めた。

 しかも彼らは馬鹿ではない。
 文字を解し、計算もできる。

 まだ文盲(もんもう)が多数存在する
支配層のはずの白人社会。
  彼らは明らかに負けていた。
 そして劣等感に近い恐怖を日本人に感じ始めた。

 『忌々しい』
『仕事を日本人に奪われる。』
『奴らは自分たちのコミュニティーの中で
生活の全てを完結し、
私たちの社会に経済的貢献を果たさない。』

『憎たらしい』

 彼ら白人社会は日本人に対し
中国人たちへとは違った感情を持った。

 中国人たちに対しては蔑み、
日本人には憎悪の感情を持ったのだ。


 1907年、
カナダで日本人を対象にした排斥暴動が起きる。
次第に燻る不安と不満は各地で爆発し、
1913年、
カリフォルニア州排日土地法、
1924年、
アメリカ排日移民法が成立した。

 アメリカ人の日本人に対する感情は最悪だった。

 そんな日本人憎悪世代に
フランクリン・デラノ・ルーズベルトがいた。
 第32代アメリカ大統領。
 彼は筋金入りの人種差別主義者であり、
アフリカ系アメリカ人公民権運動への妨害を行い、
特に日本人に対しては異様なほどの憎悪を示した。

 戦時下、日系アメリカ人を強制収容所に送り、
財産権、公民権をはく奪、財産を没収したのも彼である。

  

    

 ルーズベルトは日本と戦争がしたい。

 でもアメリカ国民は先の第一次世界大戦に参戦し、
多大な犠牲を払い、
その割に得たものが何もなかった事実に
酷く後悔していた。


 アメリカ国民はドイツとの壮絶な戦いを今でも覚えている。
 誰も再びドイツと戦いたいとは思っていない。

 しかもヒトラー率いるナチスは強力だ。
 決して楽には勝てない。

 更にアメリカ国内にはナチス信奉者が多数いる。
 アメリカ人にとってナチスドイツは同じ白人国家であり
恨みの対象ではないのだ。

 そこに持ってきて、ルーズベルトは不戦を公約に掲げ
再選していた。
 だから憎き日本に対しても、自ら宣戦布告などできない。
 忸怩(じくじ)たる思いに居た。

多くのアメリカ人も日本人は忌々しい。
でも戦争は嫌だ。
 そう思っている。

ルーズベルトは
「国民がどう思おうと
日本はやっぱり目障りだ。」
そう思っていた。

憎(にっく)き日本は
日清・日露戦争で勝利し、
あれよあれよという間に中国大陸進出を進め、
満州国を造ってしまう。
その後も着々と足固めをし、
足場を構築し続けている。

それに対し植民地獲得競争に遅れたアメリカは
何とか中国大陸に利権を確立したい。

そうした理由から(本来侮蔑の対象ではあるが)
箸にも棒にもかからない存在の
中国人には比較的寛大であった。
中国人排斥法を廃止し、
日中戦争では蔣介石軍に対し、
多大な軍事援助を施した。


 こっちから戦争を仕掛けることはできないが、
経済を締め上げ、根を上げさせることはできる。

様々な圧力を日本にかけてきた。

 在米日本資産凍結。
 対日禁輸措置発動。

 兵糧を絶つ作戦に持ち込んだ。


 日本とアメリカの国力差は
色々な見方があるが、
およそ10対1以上である。
(ある分野に於いては数十倍以上)
石油などの工業資源に至っては、
アメリカに9割方依存していた。

 日本はこのまま何もしないでいると、
僅か1~2年で
蓄えていた国力は枯渇。
 日中戦争の継続もかなわず
滅び去るしかない。



 日本は国家存亡の危機の崖っ淵にいた。


 ルーズベルトは舌舐めずりをして
日本が拳を振り上げてくるのを待っている。
 戦争の口実さえくれれば
大手を振って日本を叩きのめせるから。

彼は大統領在任中の間に日本と戦争し、
決着をつけたいと思っていた。

 何故なら彼は不治の病に罹り、
余命幾許(いくばく)もなかったのだ。

だから
「さあ、早くやってこい!」
そう構えていた。


しかしそんな誘いに簡単に乗っかるほど、
日本は馬鹿ではない。


 日本がアメリカと戦争した場合、
勝てる見込みはあるのか?

 何度も何度もシミュレーションをした。



   つづく