uparupapapa 日記

今の日本の政治が嫌いです。
だからblogで訴えます。


こりゃ!退助!!~自由死すとも退助死せず~(43)

2021-04-05 02:53:36 | 日記












このイラストは私のblogの読者様であり、
イラストレーターでもあられる
snowdrop様に描いていただいた作品です。


#13イラストのリクエスト〜『板垣退助』 - snow drop~ 喜怒哀楽 そこから見えてくるもの…
 (snowdrop様のblogリンク先)

Snowdrop様
素晴らしいイラストをありがとうございました。
心から感謝いたします。










   第43話  結婚攻防戦

 「・・・・なんで?」
予想外の答えに唖然とし、
呆けた顔の退助が聞く。

 「だって、旦那様は伯爵様ではないですか。
旦那様と結婚すると云う事は、
私は『伯爵夫人』になると云う事ですよ。
 私が伯爵夫人?
 恐れ多いでしょ?
 可笑しいでしょ?

 私を知る者は皆、
『臍で茶を沸かす』と云って笑うでしょ!
 私を笑うと云う事は、
私を妻にする旦那様も笑われると云う事。
 貴族の作法も知らぬ私が、
どうして伯爵夫人になれるでしょうか?」


 「何ぁ~んだ、そんな理由か?
それなら・・・」
退助が言い終わらない間に
絹子が口を挟む。
 「それだけではありませぬ。
旦那様は変なオジサンだし、
(象二郎たち家に来てバカ騒ぎする)
お仲間も変だし、
お金持ちなはずなのに、
いつもピーピー言ってるし、
女癖が悪そうだし、
オナラが臭いし、
時々「クソ!クソ!クソ!」って
地団駄踏んでるし・・・」
「ああ、分かった、分かった。
もういい。」
得意の気まずい顔の退助が遮る。
「でもな、絹さん、
鉾太郎の事はどう思ってる?
今のままで良いと申すか?」
「鉾太郎お坊ちゃまを引き合いに出すなんて、
旦那様は卑怯でございます。」
「卑怯?
卑怯とは何んだ!
自分の分が悪いとなったら、
相手の弱点を突くのは定石ぞ!」

 「旦那様・・・ハァ、 (*´Д`)
それって、男としてと云うより、
人間として如何なものかと思いますよ。」

 「そうか?」
 「そうです!
 確かに私は鉾太郎お坊ちゃまが大好きです。
 でもその事と私と旦那様が結婚するのは
別の問題でしょう?
 え?違いますか?」
 「いや、違わぬ。
 お絹さんがワシの息子が好きと云うなら、
その父であるワシも
好きと云う事じゃないか?」
 「その論理の飛躍は、
何処からきたのです?
 鉾太郎お坊ちゃまと旦那様は
別人格でございましょう?」

 頑として退助の誘いを断る絹子であった。

 どうやら退助は絹子の想いを
勘違いしていたようだ。

 ワシャ、自意識過剰だったか?

 でも粘り腰部門では百戦錬磨の退助。
 決して諦めず、日々の生活の中、
波状攻撃に打って出る。

 「なあ、絹さん、
鉾太郎もあなたに
母親代わりになって欲しいと
云うとるぞ。」
 「なあ、お絹さん、
伯爵夫人になると
ソフィアローレンのようになれるぞ。」

(『伯爵夫人』1967年
チャップリン最後の映画。
女優ソフィアローレンが主人公。
伯爵夫人を演じた)

「なあ、お絹さん、
今度文明堂のカステラを買ぉてやるか?」

「旦那様は私をお菓子で釣るのですか?
情けない。」
「じゃぁ、ルイヴィトンのバッグも
付けてやるぞ。」
「ルイヴィトン?
・・・・・。」
少し心が動いた絹子。
ブルブルブルと冠(かむり)を振り、
「だから・・・、物で釣るのですか?
バカにしないでくだされ!」
と険悪な顔になり睨む。

(ルイヴィトン=退助洋行時、
当人が買ったカバン。現存する製品で、
日本人が所有する最古の現物。)

 絹子の剣幕に怯み
項垂(うなだ)れる退助。
 流石に背中にオヤジの哀愁を漂わせ、
自分の部屋に引きこもる。

(『よろしく哀愁』郷ひろみの歌が流れる。
 ・・・知らない人は要検索)

 そんなある日のこと、
絹子はさりげない日常に
弱者に対する退助のやさしさと、
『徳』を見た。

 会津戦争で罹災した
農民の代表と称する者たちが
数十年ぶりに退助邸を訪れる。

 彼らはあの時退助が示した温情に感謝し、
今の力強く生きている姿を見て欲しいと
陳情のため上京した折に
ワザワザ訪ねたのだ。
 その中には、幼い子を連れた者もいる。

 彼らは民権運動では
大した活躍はできなかったが、
皆応援していると云う。

 退助は絹子の前では
一度も見せた事がない優しい笑顔で
ひとりひとりの手を取り何度も頷く。
「あの時は、いくさに巻き込み
誠に済まぬ事をした。
 それなのに、こうして来てくれた事、
とても嬉しく思うぞ。
 だから感謝したいのはこっちの方じゃ。
 ワシはいつも皆の幸せを願っちょるぞ。
そのために今後も頑張るけん、
待っちょってくれ。」
 そう云って幼子の手をとり
頬ずりした。

 でも退助の髭が痛痒いと
その子は親の後ろに隠れた。

 その時見せた、
いつもの気まずい退助の顔。

 絹子は何故か、その姿と表情に、
親近感と愛おしさを覚えた。
 そしてとうとう
退助の波状攻撃の前に屈する。


「仕方ありませんねえ。」

 小躍りする退助。

 内輪だけの婚礼の日、
福岡孝弟はまた皮肉を言う。


 「随分待たされましたな。
あの時の口ぶりでは
すぐに式を挙げるのかと思いましたぞ。
絹子の承諾の確信も根拠もなく、
よくワシから先に申し出ましたな。
その自信は何処にあった?」
 
 「済まなかったな。
ちと同意を得るのに手こずっての。
 子爵の養子を引き受けてくれ、
数々の手配り、痛み要る。
 おかげで子爵令嬢として嫁すことに
絹子も喜んでおる。」


 ところで『お手伝い券』の事だけど・・・」
退助は恐る恐る聞いた。
「ああ、その件なら無事クリアじゃ。
 退助殿がグズグズしちょる間に
妻との喧嘩は治まっちまった。
 次の機会に使うけん、
大事に仕舞っとく。
 だから券は有難くいただくが、
使うのは後の話じゃ。
 その時まで待っちょってくれ。」
「何じゃ!夫婦喧嘩の仲裁か?
そんな事にワシを
巻き込もうとしておったのか?
 ワシャまた、
政争の裏工作の手伝いにでも
使うつもりかと思ったぞ。」
「ワシを見くびるでない。
ソチの手を借りんでも
道は自分で切り開くつもりぞ。
ワシを誰だと思っちょるか!」
「・・って、夫婦喧嘩の仲裁の方が
情けないと思うが?」
 「まあ、まあ、ここは祝いの席。
細かい事は気にせず、
絹子の事を祝おうぞ、
なあ、婿殿。」

(ゲッ!そうであった。
絹子を福岡家に養子に出したと云う事は、
孝弟は親になり、舅殿になると云う事。
それを失念しておった。)



 そんな基本的な立場の変化にも
思いが及ばない
信じられないほど何処か抜けた退助である。


 多分これ以降、
退助は孝弟に頭が上がらないかもしれない。
 
「父上、旦那様、
何をゴチャゴチャと話しているのです?
早うお席におつきください。
 鉾太郎(坊ちゃま)が
待ちくたびれていますよ。」

「そうだぞ、父上。」
と、鉾太郎。

 どうやら我が家には
新連合が形成されているようだ。





 板垣家の波乱とは別に、
世間でも大きな波乱があった。

 自由民権運動が政府の弾圧と
過激化による自滅から
組織がバラバラになった状況を立て直すため、
帝国議会開設を控え民権派が再び結集、
大同団結運動が始動した。
 しかしその運動も
路線と思惑の違いから再び分裂、
やむを得ず退助は初心に帰ることにし、
出発点であり強固な活動の拠点、
土佐に戻る。
 そして再び愛国公党を組織し直し
第一回衆議院議員選挙を迎えた。


 1890年(明治23)帝国議会開設。

後に退助は河野広中らと旧自由党各派
(愛国公党、自由党、大同倶楽部、九州同志会)
を統合し、立憲自由党を興す。
 翌91年、自由党に改称、
党総理(党首)に就任した。

注:退助は伯爵になったため、
華族の立場では衆議院議員にはなれない。
 それ故、意外なことに
生涯一度も衆議院議員の経験はない。
 また、貴族院議員にもなっていない。
 それは爵位を辞し、
明治天皇の詔勅を受け入れた手前、
華族の特権である貴族院議員にも
立候補する事は無かった。


 議員にならず、(なれず?)
常に党首として君臨する退助。



 この後、私生活で絹子との間に
出産ラッシュが続き、鉾太郎を含み、
合計10人の子だくさん家族を形成する。


 政党も子供も、
産むのが大好きな退助であった。



   つづく