uparupapapa 日記

今の日本の政治が嫌いです。
だからblogで訴えます。


シベリアの異邦人~ポーランド孤児と日本~改訂版4 前編

2020-07-16 01:51:08 | 日記




#14 イラストのリクエスト〜『シベリアの異邦人〜』の小説から - snow drop~ 喜怒哀楽 そこから見えてくるもの…

大変ご無沙汰しております皆様お元気でしょうか?だいぶ暖かくなってきましたね〜場所によっては桜が咲いてるかな?まだ桜は早いかな?ニュースでは東京...

goo blog

 


シベリアへの道


 ポーランド中部ワルシャワから約600Km東
ミカシェビッヂ(現ベラルーシ領)という小さな町があった。
その小さな町の片隅にヨアンナ(5歳)
という女の子が住んでいる。
髪の色は薄い黒が混じったきれいなグレーで、
瞳もグレー。夢見るような子で、
想像なのか現実なのか
近所の遊び友達への不満や夢の中の友との会話を
大好きな母マリアに話していた。
ヨアンナは雨の日以外
家の裏にある野の花に囲まれるのが日課。
そこは彼女の聖域だった。
そこではいつも事件が起きている。
今朝着づらく苦手だった服を
やっぱり今日も上手く着られなくて
ボタンも段違いになってしまった事。
靴を左右あべこべに履いてしまい、
見かねた父アルベルトに直されたこと。
嫌いなニンジンをどうしても食べられず、
母にじっと見られた事。
それらの失敗を野の隅の主、
小僧の石像に告白するのだった。
ヨアンナにとって小僧はただの石像ではない。
精霊なのだ。そして無二の友達だった。
昨日は小僧との会話を通りかかりの初老の婦人に
怪訝な目で睨まれ、
少し嫌な気分になった事。
一件おいて右隣りの
ヤンチャな男の子ヤンが意地悪をしてくる事。
母は絶えず縫物や洗濯の手を休めることなく、
娘の切実なそれらの大問題や
周囲のささやかな喜びの世界を見守っている。
そして時々母は澄んだきれいな声で
得意な曲を歌い、
ヨアンナと大切なひと時を過ごすのだった。

父アルベルトはというと、
街の片隅でつつましく眼鏡や時計の修理業を営んでいる。
仕事用の丸眼鏡をして頭に作業用バイザー、
腕カバーと長い前かけに身を包むのがトレードマークだった。
温和な人だが仕事の時だけは細かい作業に集中する分、
真顔で近寄り難い。
でも仕事の時以外は誠実で思慮深く、
母とは違った優しさで接してくれる、
その笑顔と大きな手と背中が印象的な人である。

父の丸眼鏡はヨアンナの魔法の入り口。
父の隙を見てはかけてみるのだった。
どうしてかける前と後では
こんなに世界が違うのか?
ヨアンナには大きすぎるその眼鏡は
大のお気に入りである。

ある時ヨアンナは父に聞いた。
「どうしてお父さんはこの眼鏡をかけるの?」
「それはヨアンナをよく見たいからさ」
「でもお仕事の時にもかけてるわ」
「だってお父さんがお仕事をしているときにも
ヨアンナは部屋の隅で
お父さんをじっと見ているじゃないか。」
「え?知ってたの?でもお父さんは
仕事に夢中でちっとも私を見てくれないわ!」
「そんな事ないさ!
この眼鏡は横だって後ろだって見えるんだぞ!
ヨアンナが何処に隠れ何をしているかなんて、
全部お見通しさ。」
そんな訳でお父さんの眼鏡は魔法のアイテムなのだった。


近所の顔中髭だらけのウォルフおじさんは、
野で遊ぶヨアンナを見かけるといつも上機嫌で
「ヨアンナおじょうさん、ごきげんよう!」
と浮かれた調子で挨拶してくる。
遊びに夢中だった手を止め、
ヨアンナもそれに負けず満面の笑顔で
「ごきげんよう、おじさん!」
と返す事にしていた。
するとおじさんはポケットから菓子を出し、
「お嬢さんは良い子だから、これをあげよう。」
そう言ってヨアンナの小さな掌に握らせ、
去っていくのが日課になっていた。

それからお向に住むアガタおばさんは、
大きな白いエプロンが目印で、
いつも大家族の洗濯物を干していた。
時々ヨアンナは母マリアに連れられ
近所のお店に買い物に行くとき、
アガタおばさんが頬ずりするような仕草をし、
ヨアンナに
「今日もお母さんと一緒にお買い物かい?
美味しい晩御飯を造っておもらいよ。」
という。
「ウン!」と元気に返事をすると、
「お母さんも頑張り甲斐があるねぇ」と笑った。


 ヨアンナにとって日曜日は特別な日である。
何故ならお父さんの仕事が休みだから。
朝9時から始まる教会のミサに参加するため、
お父さんもお母さんも一張羅を着込み、
もちろんヨアンナは可愛いお人形さんのように着飾り、
教会のある街の中心部に向かって
いそいそと歩くのがとても楽しい。
両親に挟まれトコトコ歩くヨアンナには
至福の時間だった。
それが晴れの日、雨の日でもお構いなく
道すがら目にする家々の佇まいや
窓の下の小さな花壇の花々たち、
小鳥のさえずりや、道行く近所のよく見知った方々。
両親と一緒に歩いていると
それだけでウキウキした気持ちになり、
やがてミサが始まる教会の中の
荘厳な雰囲気に包まれても変わらなかった。
ヨアンナ一家はいつも決まった席に座る。
そこから良く見える
大きなステンドグラスが希望の光を放ち、
いつまで眺めていても決して飽きなかった。

髭の神父様が良く通るバリトンの声で祈りの言葉を捧げ、
ヨアンナには意味が分からなくても
心地良い歌のように響いてくる。
神父様はとてもやさしい。
ヨアンナにホスティア(薄いせんべい)をくれるもの。
そして祝福もしてくれる。
「慈愛に満ちたその目とお言葉で
語りかけられると、
幸せな気持ちになるの。」
ヨアンナの幼い言葉なりに打ち明けるのだった。

ミサが終わり家路につくと、
いつもお父さんは質問攻めにあう。

曰く、
「お父さん、神様って何処にいらっしゃるの?」
「神様って普段何をしているの?」
「神様はヨアンナをどう思っているのかな?
良い子?悪い子?」
「教会の窓のきれいな絵(ステンドグラス)って
神様なの?」
「神様っていつも私たちを守ってくださるの?」
「あのお花も、虫たちも、ワンちゃんも、猫ちゃんも
神様がお造りになったの?
だったらどうして近所のいたずらヤンは
あんなに憎たらしいの?
ヤンは神様とは関係ないの?」

次第に返答に困る質問になり、
父アルベルトは話題をはぐらかすのに苦労する。
横で母マリアは笑いを噛み絞め
夫が父として果たしてどんな答えを絞り出すか
助け船を出さずに
少し意地悪な静観を貫いた。


手に汗を感じたお父さんは、
話題を変えるために
天気の話や、お昼の過ごし方や、
唐突に歌を歌って誤魔化すのだった。
特に得意な『畑のポルカ』を。

あるよく晴れた平日の昼下がり、
母マリアが自慢のアップルパイを焼き上げ、
狭い裏庭のテラスで、
父アルベルトの仕事休憩の時間に
娘と共にティータイムを過ごした。

ヨアンナを真ん中に、父と母と娘の他愛ない会話。

「お母さん、このアップルパイ凄く美味しいね。」
「そ~ぉ?久しぶりに作ったのであまり自信なかったの。
そう言ってもらえるとお母さん嬉しいわ!」
「マリアの料理はいつも天下一品だと思うよ。
ねえヨアンナお嬢ちゃん?」
そう言って父アルベルトは受合った。
「お父さん、天下一品ってなあに?」
ヨアンナは不思議な顔で聞いた。
「そうだなぁ、天下一品って言うのは、
一番うまくできたってことさ。
この前ヨアンナが描いてくれた
お父さんの似顔絵も天下一品だったゾ。
お父さんとっても嬉しかったもの。」
「そうなの?絵ならいつでも描いてあげる。
ヨアンナ、お父さんもお母さんも大好きだもの。」
そう言ってコップのレモネードをゴクリと飲んだ。

それはささやかでありふれた日常。
でも贅沢でキラキラした時間として
幼いヨアンナの記憶として残った。

短い秋の訪れと共に家のうらの野の暮らしも
終わりに近づく。

今にも雨が降ってきそうな午前中、
いつものようにヨアンナが精霊小僧と会話をしていると、
いたずらヤンが背後からヨアンナに近づき、
集めた雑草の葉の束をパァ~っと頭から浴びせかけた。
驚いて振り返るヨアンナにヤンは、
はやし立てるように邪魔に入ってきた。
「やーい!ヨアンナは変な子!
石と話をして何が面白い?
頭がおかしいんじゃないか!」
ヨアンナは顔を真っ赤にして
「ヤンなんか嫌い!私の事はほっといて!
あっち行ってよ!馬鹿!」

ヤンはヨアンナの注意と関心を引きたいだけだった。
嫌われたいとの意図は勿論無い。
茫然と佇むヤン。
自分の行為が図らずも裏目の結果となり、
激しい後悔に襲われる。
なす術もなくその場に立ち尽くし、
間もなくヤンの心の中の雨が天を呼ぶ。
涙の雨はそこいら一面を濡らし、
ヨアンナは急いで家の中に去っていった。

ヤンの密かな想いが砕け散った瞬間。

そんな小さな大事件が際限なく繰り返される筈の
何気ない日常の暮らし。
だがヨアンナの小さな世界を超えた
大きな歴史のうねりはそれを許さなかった。
やがて戦争の暗雲が
ミカシェビッヂの街にも容赦なくやってくる。

ある日の日曜日。
いつものように一家で教会に行くと、
いつもより沈痛な面持ちで
神父様のミサが行われた。
それは押し迫る軍靴が近づく予兆だった。
異変を察知したミサの参加者たちは
その日を境に
いつもと違う真剣な祈りに変わり始める。
しかし神様へのそんな祈りの声は
とうとう届かなかった。

そして一家の平和で幸せな日々が
銃声の轟と共に無残に消え去った。
ロシア軍の足音がすぐそこまで迫る。
それまで攻勢だったポーランド軍は
体制を立て直したロシア軍を前に
退却するしかなかった。
ヨアンナの家もそんな災難から逃れられない。
逃げ惑う家の外の隣人たち。
やがて乱暴にドアを叩く音と共に
ロシア語のがなり立てる声が聞こえる。
ドアを蹴破りロシア兵がなだれ込み、
無人の部屋に火を放つ。
間一髪で難を逃れたが、
家を焼かれ取り残されたヨアンナ一家は
西へ向かうワルシャワへの避難路を絶たれた。
焦土と化した街はもう住み続けられない。

乱暴な大声で追い立てるロシア兵。
ロシア軍は逃げ遅れた街の残留ポーランド人を
いわば捕虜同然の扱いでシベリア地方開拓や
鉄道建設のため強制的に移動させた。


そこにヨアンナ一家も含まれ
過酷な運命へと引き込まれた。
幸せだった思い出の詰まる店舗兼住居を眼前で焼かれ
目に涙を流し、その地を立ち去る父と母。
両親の無念と絶望を胸に、
ヨアンナは両手を引かれ
東へ向かう列車に追い立てられながら乗った。

異動手段は鉄道は客車ではない。
異臭を放つ貨物車だ。
木製のそれは、隙間だらけで
合間から外の景色が見えるほどだった。
一日一度僅かな食料と水を与えられるだけで、
ひとりひとりがギリギリ座れる程度のスペースしかなかった。
極めて不衛生で脱走は不可能なほど
監視の目が行き届いてる。


列車の旅は混乱と不足と不安の渦巻く混沌の世界だった。
途中幾度となく異国の地で降ろされ、
休む間もなく父は強制労働に従事させられる。
開拓に必要なろくな装備もなく、
労働に適した作業着も無い。
食事は粗末で休憩も許されない。
更に徴用された彼らの多くは肉体労働未経験者で
全く仕事にならなかった。
いくつかの地をまわり試すが効率の悪さだけが際立った。
朝早く駆り出される父。
夜遅くに帰ってきても、
疲労困憊故のゆがんだ表情で
妻の用意した
具の無いスープに口をつけ、
直ぐに横になるのが日課になった。
いつもの朗らかな笑顔は消え去り、
全くの別人へと変容する。

ヨアンナも妻も、唯一の頼るべき大黒柱の
次第に窶(やつ)れ、
追い詰められる父アルベルトの身の心配と不安が
日増しに強くなってくる。
こんなことでは作業工期の目途も立たず、
開墾場所からの撤退続きで
上層部からの命令は遂行できない。
目論みが外れたロシア人担当たちは呆れ果て、
自らに課せられた使命を放棄する。
そして無責任にも徴用ポーランド人達を
見知らぬ地に何の手当もなく放逐した。

その地は当然未開のツンドラが広がる荒野。
木さえ生えない湿地帯が果てしなく続く草原の地。
残されたポートランド人たちは、
口々に不安を口にする。
今日これからどうすれば良いというのか?
自分は?家族は?
食料は?今夜の、明日の寝どころは?
議論を重ねるうち、
いくつかの方針と、
それに従うグループに分かれてきた。
この地に留まろうと主張する者、
戦乱続く西の祖国に帰ろうとする者、
いっそ、もっと東に向かおうとする者。

ヨアンナ一家も途方に暮れる中、
父アルベルトの決断で
安息の地を求めるグループに従い
同胞ポートランド人の住む東へ向かう決意をした。

しかし不足する食料。
宿泊に適さない環境。
先が見通せない不安。
次第に仲間内で荒れる空気不信と
エゴが先に立つようになる。


しかしその結果、ヨアンナを不安にさせてはならない。
父も母も務めてヨアンナに明るく振る舞おうとする。
一日一回、パン一切れの食事でも
ひもじさからヨアンナを泣かせてはならない。
食事の前の、
神様への祈りのその前に、
必ず元気づけに親子で歌を歌うようにしていた。
ヨアンナを楽しい気分にさせて
少しでも幸せを与えたい。
悲しい親心だった。

しかしとうとう脱出時持ち出した
商品用の金の懐中時計5個のうち、
最後の一個を生活費に充てるため
手放さなければならなくなった。
父はマリアに「これをお金に換え、食料の調達に行ってくる。
夕方までに帰る。」と云ったきり、
その日の夕方を過ぎ夜が明け、
次の日が過ぎても帰ってこない。

帰らぬアルベルトを待ち侘び、
不安と治安の悪さへの用心から、
眠れぬ夜が続いた。
「お母さん、お父さん帰ってこないね。」
「いつ帰るんだろうね。」
「ヨアンナ、このパンをお父さんのためにとっておくね。」
「きっとお腹を空かしているから。」
「今何処にいるのかな?」
「ヨアンナ、
神様にお父さんが早く帰ってくるようにお祈りするね。」
それらを黙って聞いていた母マリア。
不安の限界を過ぎた母は、
涙声を隠すように小さく震えた声で、
「そうね、一緒に祈りましょう。」
とだけ言った。

しかし残された妻と娘はそこに踏み留まり、
いつまでも待っているわけにはいかない。
飢えによる死はすぐそこに迫っているのだ。
彼女らがたどり着いたシベリア南部の原野は
短い夏になると意外にも気温30℃近くなることもあり
恐ろしいほどの蚊の大群が発生し
とても人がちょっとの間もいられない程の湿地帯が広がる。
そして短い夏は終わりいきなり冬が来る。
そこは人を寄せ付けない極寒の地。
気温マイナス40℃を下回る地であり、
人が暮らしていくには厳しすぎる生活環境である。
ただ、そんな過酷な場所にも人は住む。
流浪の民はその中に僅かに存在する
生活可能な場所を求め、
東行きを諦めた人々が、
集団を抜けバラバラに吸収されていく。

ヨアンナと母も父の帰還を諦める時が来た。
「おかあさん、お父さんはいつ帰ってくるの?」
母は悲しい表情でヨアンナを見つめる。
「お父さんはきっと早くヨアンナに会いたいと思って
お仕事を頑張っているのよ。
お母さんも早くお父さんに会いたいわ。
ヨアンナと一緒ね。」
そう言って力なく笑った。
それを聞いていた故国の仲間たち。
いたたまれない気持ちと差し迫った状況に促され、
明日の食料と居住できる場所を探し求め
直ちにポーランド同胞が多く住む
東のイルクーツクへ向かう決意をした。
この地に残っても、
ヨアンナとふたりでは
どう考えても定住は不可能と思えた。
後ろ髪をひかれながらその地を後にする。
父は帰らない。
待っても、待っても帰らない。
ヨアンナは立ち去るとき父の名を呼び、
母に泣いてすがった。
ここを去る、即ち父との今生の別れになることを
本能的に悟ったヨアンナは
到底その現実を受け入れられないのだ。
しかしヨアンナの心の中では
いくら泣いても無駄なことも分かっている。
自分に降りかかった悲劇が
自分だけではない事実を目撃してきたから。

少し前の冬のある日、
それまで行動を共にしていた集団の中に
ひとつ年下の娘がいた。
ヨアンナとはとても仲が良く
いつも一緒に遊んでいた子だ。
いつもコトコトと明るく笑い、
一緒にいるだけで辺りが明るくなる娘。
そんな幼い天使にも残酷な現実は襲いかかる。
あてどない旅の中、乏しい食料を娘に与え、
自らは何も口にしていない母がとうとう力尽き、
娘の明日を案じながら天に召された。
 残された娘は母にすがりつき、
決して離れようとしない。
そして次第に弱りその娘も数日後母の待つ天へと旅立った。
すっかり冷たくなった母の亡骸。
その遺体に重なり旅立つ娘の傷ましい姿。
そんな悲しく壮絶な光景を目の当たりにしても、
周りの大人たちは何もしてあげることはできない。
自分たちも明日は我が身だから。
せめて最後は人間らしく、
心を込めてできる限り手厚く埋葬した。

 ヨアンナは妹のように思っていたその娘の最後を
瞼に焼き付けるように見ていたが、涙は流さない。
ヨアンナにとって辛すぎるこの現実は、
暗黒の記憶として心を蝕んでいた。

 やがて悲しい運命の順番が自分に廻ってきた。
母マリアの死期が迫ってきたのだ。
最後の食事を口にしてから幾日立っただろう?
もう思い出すこともできないほど、昔に思えてくる。
次第に意識が遠のく母
 「ヨアンナ・・・、ヨアンナ・・・・、
私の大事な娘、子猫ちゃん・・・どうか生きて・・・。」
最後の言葉だった。
「神様。」
ヨアンナは心の中で呟いた。
心をそこに残しながらも
ヨアンナはそばにいた大人たちに引き離され、
先へ先へと手を引かれた。
どこまでも続く荒涼とした大地の中で。


数日後シベリアの中心地
バイカル湖のほとりイルクーツクにたどり着いた。
 そこは長く弾圧の続くポーランド人の流刑地だった。
ようやく同族の多く住む安息の地にたどり着いたと思ったら、
そこもたどり着くまでの行程と同様、苦難の連続だった。
 ロシア革命に続く内戦で食料の配給は滞りがち。
重労働と飢えと寒さは変わらず
死にゆくものたちは後を絶たない。
 実際当時の革命後建国間もない
ソビエト社会主義共和国連邦は
続く戦乱と無謀で無能な農業政策、
天候不順により極端な不作が続き、
餓死者2000万人とも云われるピンチを迎えていた。
更に追い打ちをかけるように、
共産勢力への警戒と敵視で列強は次々とシベリアへ出兵、
当然のように食料救援は拒否された。

国際的に孤立し何処からも救援を望めない
ロシア人自身が極めて危機的状況にあった。
そして懲りることなく始まる新たな戦争。
ポートランド・ソビエト戦争が破壊の牙をむいたのだ。
長い支配から独立を果たしたばかりのポーランド。
一方革命後の混乱でまとまりのないロシア。
いずれも経済が破滅状態で
国民生活が困窮を極める中での両者の争いだった。
その戦争がヨアンナ一家の悲劇を生んだのだった。
 
ロシア人から見て敵国人と罪人である以前から
徴用されていたポーランド独立運動の政治犯や
愛国者などの外国人に施しが行き届くわけがない。
更にヨアンナのような親と死別した難民孤児たちは悲惨で、
空腹で身を寄せる場所もなく、
ただちに救済しなければなないほど切迫していた。
ヨアンナたち一行はようやくたどり着いた
イルクーツクの地も安住の地とではない事が分かった。
街は難民で溢れかえり自分たちの居場所はどこにもない。
やむなくその周辺の地に分散し、
それぞれ自らが生き永らえる手立てを見つけるしかない。
しかしそんな中でもヨアンナ達孤児は
誰も親身に面倒をみてあげられず、
その日その日を生きるのがやっとだった。

路頭に迷うヨアンナ。
もう彼女に愛情を注ぐものは愚か、
今の、そして明日の心配をしてくれる者はいない。
僅かに道連れの同郷者が見かねて
ギリギリのところで助けてくれるだけだった。

その時ヨアンナは悲しい習性を身に着けた。
大人の顔色を窺い、
食べ物を分けて貰えるか
悲愴漂う表情でただ立ちすくみ
ひたすら待つのだ。
戦争孤児特有の悲しい習性の臭いだった。



そんな状況をみかねて大陸極東の最果て
ウラジオストクのポーランド人達が立ち上がった。
ウラジオストクはイルクーツクと並び、
シベリアでポーランド人が
古くから暮らす拠点都市となっていた。
シベリア鉄道の土木技師を夫に持ち
ウラジオストクに居住する
アンナ・ビルケヴィッチ女史が中心となって
『児童救済会』が組織され、
せめて孤児たちだけでも助け出したいと行動をおこした。
 と云っても当人たちも故国からロシア人に徴用され
シベリア鉄道建設に駆り出された者や、
流人として流されてきた者とその家族や子孫である身。
寄付を募っても孤児たちを救える額など集まるはずもない。
思い悩んで救済会が助けを求めた列強諸国は
誰も耳を閉ざし、助け舟を出さなかった。
 追い詰められた救済委員会。
最後に藁をも掴む想いですがったのが日本だった。

でも彼女たち救済委員会のメンバーにとって日本とは、
ずっと昔キリシタン信徒を磔にした
非情で残忍な国との印象しかない。
そんな国に助けを求めるのは無駄と思われた。
その彼女たちを説き伏せたのは、
若い医師ヤクブケヴィッチ副会長だった。
シベリア流刑囚の息子である彼は
「私は日露戦争に従事した同胞を数多く知っています。
でもその中で日本や日本人を悪く言う人は誰一人としていません。
今年の春にわが軍のチューマ司令達を助け、
船を用意し窮地を脱することができたのは
日本軍のお陰だったと皆さんもご存じじゃないですか。」 
そう発言し、メンバーの婦人たちを説得した。

委員会のメンバーは
説得を受け入れるしかなかった。
他に方法はない。
まず彼女らはウラジオストクの日本領事を訪ねた。
その建物の構えは彼女に冷たく、
よそよそしく思われる。
それはそうだろう、日本にとって
故国ポーランドの困窮した民や孤児を
救うべき理由など何処にもない。
彼女が救いを求めたそれまでの各国の対応は
冷徹な門前払いだったことを思えばなおさらだ。
それまですがった国は彼女たちにとって総て
欧米の白人国家という遠い同族意識の
微かな可能性に訴える事ができたが、
地球の反対側の全く異質な黄色人種の国に
そんな連帯意識を求めるのは無理な相談だ。
いわば絶望に近い望みであった。


 日本への道

勇気を振り絞り
大きく重いドアをゆっくり開けた。

受付の堅苦しそうな係官に要件を告げる。
彼は東洋人によくありがちな
端正だが若干の細く吊り上がった目。
髪をきれいに7・3に分け、
落ち着いたとりすました佇まいで事務的な対応をした。

彼女は最悪、領事に会えず門前払いされる事を
覚悟していた。
3日後に若干の時間を割いてくれるとの回答を得た時、
皮一枚で運命の糸が繋がったと感じた。
そしてヤクブケヴィッチ副会長の言葉が蘇った。
「もしかして希望が持てる?」

それは、要件を聞かれ
必死でポーランド難民の、
とりわけ孤児の身に起きている悲劇を
訴えかけた彼女が係官の胸を打ったから
取り次いでもらう事ができたのだ。
感情を表に出さない係官からの
同情と賛同に気づけないでいた。
彼女の言葉には目的の重要な尊さと、
人の心を動かす強い説得力があることにも。

それは奇跡であり、
神から与えられた当然の結果でもある。


3日後の約束の時間、
アンナ女史は領事の執務室に通され、
分厚く敷き詰められた絨毯の奥にある
重厚な机の主(あるじ)に
自らの請願の内容を訴えた。
領事は整えられた短い髪、
鼻の下に少しだけ髭がある。
温厚そうな涼しそうな目元から
優しさをたたえじっと聞いていた。

彼女は語り始める。
「親愛なる日本の領事様、
私のような縁も所縁も利害関係もない
見ず知らずの外国人に目通りしていただき、
貴重なお時間をいただいたこと、
誠にありがたく存じます。
閣下のご厚意に心から感謝いたします。」
緊張な面持ちで、
しかしまっすぐな目で相手の眼を見据えながら話した。
領事はそれに笑顔で、
「ここに来るまでにさぞ勇気がいった事でしょう。
私の方こそ貴女のような崇高なご婦人とお会いでき
心から喜んでおります。」
そう言い終わると、控えの間から
熱いコーヒーが運ばれ出された。

その後彼女の口から熱心にシベリアでの同胞の苦難と
ここに至るまでの他の列強諸国から受けた
冷徹な扱いを聞き、
ここが最後の望みである事を
涙ながらに訴えた。
もし貴国に断られたら
シベリアで無残な死を迎えるしかない
哀れな孤児の運命を強く語る。

深い同情と正義感と慈愛の心、
人の上に立つ武士道精神の心得を持つ領事は、
「私には貴方達の
不幸な同胞の救済を決定する権限はありません。
しかし私にもできる事はあります。」
そう言うと机に向かい
引き出しの中から1通の書状を取り出し、
「これをお持ちなさい。」
そう言いアンナ女史に渡した。
「これを持って日本の外務省にお行きなさい。
きっと貴方達の助けになります。」

その時彼女の天を見上げ
喜びの表情で何かを呟くのを
そこに居合わした職員たちは目撃した。

今は一刻を争うとき。
救済委員会のアンナ女史たち一行は急ぎ渡航した。
領事館の紹介状と
極東ポーランド赤十字社からの紹介状を携えて。

1920年6月18日東京の外務省を訪れた。
対応した外務省の担当係官の助言により、
アンナ女史は翌日フランス語の
嘆願書及び状況報告書を携え再び外務省を訪れた。

アンナ女史は
在ウラジオストク領事館の時と同様
涙ながらに必死で訴えた。
 勿論ポーランド人の孤児など遠く離れた日本に
人として国家としてこの窮状を知り、
見殺しにしても良いものか?
女史の訴えに深く同情し、
「アジアの盟主を目指す国家」
としてこうあるべきとの
指針と野心を持った日本。
どうすべきか決断と行動は早かった。
外務省は日本赤十字社に救済事業の立ち上げを要請、
ウラジオストクを拠点に同年7月救済活動を始動した。

アンナ女史の救済要請から17日後の事だった。
当時日本は、
シベリア出兵で列強最大の兵力を展開。
他の列強が撤退した後も、駐留を続けていた。
彼ら駐留日本軍は
アンナ女史の請願を許諾した日本政府の命を受け、
イルクーツクとその周辺に点在する
ポーランド人とその孤児たちを
軍の組織の総力を挙げ粘り強く捜索した。


その頃ヨアンナは
前年までのロシア革命後の混乱と
当時の革命ロシアの有力政治勢力である
ボリシェヴィキ、メンシェヴィキ間の政争やその後の
反革命軍(白軍)との闘争で
無人と化し荒れた農場の無人小屋に
ヨアンナを世話してきた2家族6人と
身を寄せていた。
その家族はヨアンナの父の最後を目撃し
助ける事も出来ず、
結果見殺しにしてしまった罪の意識から
残されたヨアンナを成り行き上、連れ歩いたのだった。

そんなある日の午後、
一脚の馬車が小屋の前で止まった。
少しの間、何やら話す声が聞こえ、
粗末なドアがノックされた。

部屋の中の誰もが固唾を呑んだ。
もう一度強めのノックに
勇気を出して返事をした。
「ここにポーランドからの孤児がいると聞いてやってきた。
もし居るのなら助けに来たのでドアを開けてほしい!」
ロシア語ではなくポートランド語が聞こえた。
助けとの言葉に反応し、
急いでドアを開けると、
ふたりの男が立っていた。
ひとりはポーランド人、ひとりは軍服を着た東洋人。
ポーランド人は極東救済委員会のメンバーで、
孤児の捜索と通訳を兼ね同行していた。
彼が手短にここに来た事情を伝え、
ヨアンナを連れ出すのを納得させた。
残る家族に当面の食料と金を残し
納得させた上で。

ヨアンナの目は不安で一杯だった。
私に用なの?
何処に連れて行くの?
お母さん、お父さん助けて!!
心の中で叫んだ。

東洋の軍人さんは怖そうだったが、
救済委員会の人は跪きヨアンナに優しく語りかけた。
「お嬢さんの名前はヨアンナって言うんだね?
おじさんはロベルト。
ヨアンナを助けに来たんだ。
もう大丈夫。
何も心配は要らないからね。
おじさんたちと一緒に
食べ物の心配のいらない所に行こう。
可愛そうに。
お腹が空いているだろう?
いつから食べていないの?」
「昨日のお昼。」
「じゃあ、昨日の夜も、今日の朝も
何も食べていないんだね?」
ウンと頷いた。
軍人さんがヨアンナを馬車に乗せると
用意してあったパンとミルクを与えた。
馬車が走り出し、
次第に小屋から遠ざかる。

とうとうヨアンナにとって
知っている人が誰もいない
孤独な旅が始まった。

数日かけイルクーツクの日本軍の駐屯所、
ウラジオストクの救済委員会が手配した
宿泊所などに泊まる。
数日後次第に集結した孤児たちで賑やかさが増すと、
日本行きの船の出航の準備が整った。

そこでヨアンナは近所の家にいた「いたずらヤン」と再会した。
彼はヨアンナを見つけると、
嬉しそうな表情になった。
しかし彼は重いチフスに罹り
床に伏している。
彼には渡航は無理であるのが一目瞭然だった。
彼は力なく言った。
「ヨアンナ、ごめんよ。僕・・・。
ヨアンナにまた会えてうれしいよ。
元気になったら、僕、ヨアンナと遊びたいな。
ごめんね、いつも意地悪ばかりして。」
ヨアンナはあの日までの嫌なことを一瞬で忘れた。
そして今、
唯一よく知っていた人に会えたことを素直に喜んで、
「また会えてよかったわ。
ヤン、一緒にお船に乗れるのね。」
だがそれは叶わなかった。
ヤンにとってウラジオストクが
短い人生最後の地となった。
それを知らないヨアンナは日本行きの船に乗る。


 1920年(大正9年)7月下旬以降
第一回救済事業で375人が
陸軍輸送船「筑前丸」で東京へ。
しかも言葉や習慣の違う孤児たちの世話と
意思疎通の窓口に同じポーランド人が良いだろうと、
合計65人の大人のポーランド人を
付添人として一緒に招いた。
 ポーランド人孤児たち一行を迎えるにあたり、
日本は国家の威信をかけ、
驚くべき短期間に総力を挙げて
迎える万全の準備をした。
 寄港先の敦賀港では
多大な便宜が図られ港に到着後すぐに
長旅でボロボロになった着衣が煮沸消毒され、
代わりに真新しい浴衣を着させられた。
袂(たもと)いっぱいに飴や菓子を入れてもらい、
更に玩具や絵葉書などが差し入れられ子供たちを慰めた。
休憩、宿泊所に滞在したのは
1日という短期間だったが、
心のこもったもてなしを受け、
子供たちの心に強く残った。

 ヨアンナは到着した敦賀港から
宿泊施設に向かう道すがら、
思わず吸い込まれてしまいそうな美しい花と
のどかな民家が見えた。
照りつく真夏の太陽、
初めて聞くうるさいぐらいの蝉の鳴き声。
ヨアンナにはそれらの音が何なのか理解できない。
彼女にとって異郷の地は珍しさで溢れていた。
 この地に降り立った瞬間、
ここが今まで過ごした自分たちの世界とは
異なる場所だと感じた。
でも何故だか心地よい。
ここの人々の優しい眼差し、
何やら話しかけてくるが理解できない言葉の意味。
 今まで口にしたことのない甘いお菓子!
「おとぎの国?」
そう、ヨアンナが
平和で幸せな家庭の中で
何不自由なく暮らせていた幼い記憶が残っていたら
夜ベッドで優しい母が読んでくれる、
グリム童話やアンデルセンの童話の絵本の中の
不思議なおとぎの国を思い出しただろう。


ヨアンナの父と母がまだ生きていた頃、
母はヨアンナの事を
「私の大事な子猫ちゃん。」
といつも呼んでいた。
あまりいつもそう呼ぶので
ヨアンナは
「私はヨアンナ!子猫ちゃんじゃない!」
ふくれて応えた。
でも母から笑顔が消えることはなく、
「そうねぇ、可愛い、可愛い大事な
ヨアンナ子猫ちゃんよねぇ。」
というので、それ以上反論するのを辞めた。
また父は、ヨアンナを天使のように扱い、
仕事の時以外ヨアンナが父のまとわりつくのを
咎めたり、煩そうな素振りを見せなかった。
そしていつも楽しそうにポーランド民謡の
『はたけのポルカ』を歌って聴かせた。
母同様、父も歌は上手だった。

ヨアンナにとって大切な両親の記憶。

思い出しながらも、
流れる景色と
道を曲がった先に咲き誇る草花が目に入り
ヨアンナは思った。
「まあ!なんてきれい!!きれい!!!きれい!!!!」
長かった辛い旅路にすっかり凍りついていたヨアンナの心。
 たどり着いた日本の気候と
風習が作り上げた景色が、柔らかく、温かく、
心地よくほぐしてくれているのを無意識に感じた。
ヨアンナ一行は桃や当時日本でも珍しかったバナナなど、
目にしたことのない果物を食べ、
地元の子供たちと遊び、尋常高等小学校を訪れ、
夢のような楽しい時間を過ごした。


一日が経ち手配された列車に乗り、
揺れる車内で夢を見た。
「お母さん!ああ、お父さんも!!」
大粒の涙が流れ、声にならない声を出し、
両手を広げ駆け寄った。
「おお!ヨアンナ!待っていたよ、
よくここまで来ることができたね!偉い、偉い!」
「よく顔を見せてごらん。」
ヨアンナは父と母の間で顔を埋め、
いつまでもいつまでも甘えながら泣いていた。
 朝になり・・・・
相変わらずの規則的なレールを走る音と揺れ。
「・・・・夢だった・・・。」
でもひとつ、これだけは現実である。
ヨアンナの顔に残る涙の跡と腫れた目元は。

 列車の旅も終盤に差し掛かり、
車窓の外は連なる家、家、家・・・。
そして大きな駅にたどり着き、
「目的地に着きました、皆さん降りるように。」
と告げられた。
そして駅から歩くこと数分。
見た事の無い着物を着た
おびただしい人、人、人!
目前に奇妙なアーチがそびえ
その先にぶら下がる
幾列にも並んだガス灯と、
時折目にする店先の日本提灯。
異国の不思議な文字の看板たち。
人力車や大八車がところ狭しと
人と人の間を器用に縫い、行き交う表通り。
家の狭い庭先にささやかに植えられた鉢植えの草花。
船から降りた所とは全く異なる賑わいと
活気と喧騒に包まれていた。

 


   福田会の生活


そしてとうとう東京渋谷の
「福田会(ふくでんかい)育児所」の門の前まで来た。
福田会は仏教系組織が立ち上げた施設。
受け入れの中心となった日赤本社の病院に隣接、
構内には運動場や庭園などの設備も整い、
子供たちに最適な環境の場所だった。
 福田会育児所に到着すると、
受け入れ関係者や役人たちが待ち受け、
門の外には大々的な報道で知った
地元民たちが大勢歓迎の言葉と笑顔で出迎えた。
 すでに全国から援助物資やお菓子、
義援金などが続々送り届けられている。
その総額は驚くほどで、
孤児たちの滞在費を賄って余りあるほどだった。


 下は4歳から上は16歳まで
様々な年齢層の孤児たちは、
到着して間もなく医師の健康診断を受けた。
まず病気や栄養失調で弱っている子から。

長い苦難の放浪の結果、栄養失調や凍傷、
チフスなど様々な症状を抱える子。
 ひとりひとりが死線を潜り抜けてきたのだ。
担当した医師の診断が終わると
要入院治療の子と一般宿舎の子に分けられ
新調された衣服と靴などが与えられた。
そして環境の整えられた部屋と食事、
担当した保母や看護師、医師の献身的扱いから
ようやく安息の地にたどり着けた事を本能的に感じ取った。
それまで抱いていた
親を失った寂しさ・孤独など
心の氷と闇からようやく解放されつつあるのを、
子供たちの輝いた
水色の笑顔が示していた。
 

診察が終わり、比較的健康で
一般宿舎での暮らしに耐えられる子たちは
付き添いの大人たちから
部屋割りを教えられ、それぞれの部屋へ。
もうすぐ6歳になるヨアンナの部屋は、
9歳のエディッタと7歳のハンナが同室だった。
エディッタはおちついたお姉さん口調で
もったいぶる癖があった。
ヨアンナと同室と分かると
「よろしくね、お嬢ちゃん!」と済まし声で言った。
また「私と一緒の部屋に居たいのだったら、
良い子でいる事よ。
私は煩くする子はキライですからね。」
彼女は孤児になる前、
特に母親の影響が強かったようだ。
彼女の口調はどこにでもいる、
口うるさい母親のそれである。
9歳にして年を取ったおばさんだったのだ。

ヨアンナは鼻持ちならないその雰囲気に
(少し感じ悪!)と心の中で思った。
ハンナはその逆で、
ヨアンナに対し満面の笑みを浮かべ
優しくハグをしながら、
「私はハンナ。ヨアンナちゃんの事,なんて呼んだらいい?
あとで一緒に庭にいってみましょ!
お夕食の前に!
あ~ぁ、少し疲れたけど、すぐにでも
ここを探検してみたいの。
あそこに池が見えたでしょ?
あの池に、お魚がいるか知りたいの!
だって何か泳いでいそうじゃない?
ヨアンナちゃんはどう思う?
そうそう、私たちの面倒をみてくれる舎監のレフさんって
何だかお魚のような顔してない?
私、心の中で笑っちゃった!
でも優しそうな人で良かった!
もし怖い人だったり、厳しい人だったら
毎日が楽しくないもん。
そうでしょ?ヨアンナちゃん。
ねえ、ヨアンナちゃんと呼んでよかった?」
マシンガン・ガールズトークでそうまくし立てた。
年上のお姉さんだし、少しその勢いに気おくれしたが、
「ええ、ヨアンナでいい、よろしく。」
とだけ言えた。
内心ヨアンナはここに辿り着くまでに仲良くなった
同年の友エヴァと
同室になれなかったことを残念に思った。

今日は長旅で疲れたでしょうから、
明日はゆっくり寝ていても良いと
舎監のレフさんに言われている。
ヨアンナ達は心にゆとりができ、
これから過ごすこの施設での暮らしに
期待と希望で胸が高鳴り、
興奮気味なのは仕方なかった。
部屋の様子は、
飾り気のない白い壁の8畳ほどの洋室にベッドが3つ。
カーテンは無地の薄い青色の予定だったが、
孤児たちの不安な気持ちを考え、
花柄に変更されていた。
そして人数分の机と椅子と箪笥。

そして窓辺には花瓶に心づくしの花が添えられている。
ベッドはパーテーションで仕切られ、
最低限のプライバシーは守られている。

窓の外には高い塀があったが、
ヨアンナの2階の部屋からは、
庭の中にあるごくありふれた一本の木が見える。
しかしその木は
春には大そうきれいに咲き誇るであろう桜であった。
それと桜の隣に小さく浅い池が見えた。

塀の外の家並みが
そこでの生活の匂いがしてくるような
異国の、しかし安心感のある佇まいを感じた。
部屋の少女たちは、ヨアンナを含め、
直ぐにそれぞれの気の合った友のところに行き、
自分たちの環境や様子の違いなどを確かめ合い、
やがて施設内の探検が始まった。
当然ヨアンナも友エヴァの元に。
しかしエヴァは栄養失調で治療が必要と判断され
ベッドでの療養生活を告げられていた。
彼女に限らず、孤児たちの多くは
身体に様々な問題を抱えていたので、
元気に動き回るわけにはいかなかった。

彼女ら孤児たちは
一番最初に心の回復を見せ、
一生完全に回復できないのも心だった。


「ここはお母さんの待っていてくれているところとは違う。」
ヨアンナは思った。
「でも、もういい。」
「だってあの夢を見た日からずっと、お母さんとお父さんが、
私のそばで見ていてくれているのが分るもの。」
「だからもう平気!お母さん、お父さん、これからも、
いつまでもずっとヨアンナの事見ていてね!きっとよ!!」
消灯の時間になり、ベッドに入ると
ヨアンナはいつも父と母と神様に「お休み」を言ってから
眠るのが日課となった。


 エヴァは翌日ヨアンナの来訪をとても喜び、
その後ふくれた口調で訴えた。
「ねえ聞いて!
昨日お医者先生が私に特別にくれた栄養剤のお薬をね、
毎日1錠ずつ飲むようにとくれたの。
とてもおいしかったわ。
だけどそれを見ていたエミルとヤンにが
あっという間に私から取り上げ
昨日の晩のうちに残り全部を
食べちゃったのよ!
悔しいったらありゃしない!
あれはお菓子じゃなくお薬なのよ!
信じられない!!」
ヨアンナは深く同情したが、
内心「そんなにおいしいのなら
自分も食べてみたかった」と思った。
でも彼女の前では絶対口にはできない。

 来日した孤児たちへの関心と同情は日ごとに高まり、
個人で直接慰問品や義援金を持ち寄る人、
無料で歯の治療や理髪を申し出る人、
学生音楽隊の慰問、
婦人会や慈善協会の慰問会への招待など
善意の支援は後を絶たなかった。
 中には孤児たちの着ている衣服のみすぼらしさに驚き、
思わず自分の着ている一番きれいな服を脱ぎ、
渡そうとする者、髪のリボン、櫛、
ひいては指輪まで与えようとした者も
ひとりやふたりではなかった。

 その中にヨアンナの記憶に強く残る少年がいた。
少年と云っても、ヨアンナにとっては兄のような年上の人。
彼の名は井上敏郎、当時の中学2年生。(現小学6年生)
孤児支援のため訪れた父についてきたのだった。
そして彼も慰問品を携えてきた。
用意した慰問品では足らず
持っている物は全て与えようと思っていた。
自分のカバンの中の
ノートや鉛筆と数枚の千代紙。
何故千代紙?
彼は聡明で気が利く少年だった。
慰問品だけでは心が通じない気がした。
特に幼い子たちは
きっと喜んでくれるだろう。
彼はその千代紙で折り鶴を折り、
幼い孤児ひとりひとりに渡した。
 最後の1枚をヨアンナの手を取り
「これは鶴という幸福を呼ぶ鳥だよ。君にあげる。
幸せになってね。」
とまっすぐな眩しい笑顔で彼女の手のひらに置いた。
 「キレイで可愛い!」ヨアンナは思わず笑顔になった。
じっと少年の顔を見つめ
不思議と心が華やぐ思いがした。
どうしてだろう?
このお兄さんにまたいつか会いたい。
そして美しく不思議な紙でできたこの鶴を、
その日まで大切に持っておこうと心に決めた。
年上の優しく素敵な少年の記憶と共に。


福田会(ふくでんかい)育児所の一日は
孤児たちにとって充実していた。

朝6時起床。顔を洗ってから朝の祈祷。
8時朝食。
午前中ポートランド孤児の付き添いの大人が教育係になり
年長者は国語や算数の勉強、
幼児は陽だまりの中や室内でおもちゃ遊び。
昼食後再び勉強し6時に夕食、祈祷、
8時就寝という規則正しい生活をおくった。
ヨアンナはおもちゃ遊びより、
本を読んだり、日本の言葉を知る事に興味を持った。
それと歌。父も母も歌は上手だったから。
年少なのに、よく年長者の教室の隅にチョコンと座り
先生の話を聞こうとしている。
先生も無理に追い出したりせず、
ヨアンナの気の済むようにさせている。
エヴァが完全に回復し
元気に走り回れるようになるまで
それは続いた。

ある日、
ひとりの子が腸チフスに罹り重体となった。
ダレックという男の子。
エミルとアレックの友だちだったが、
福田会にやってきた当初から衰弱が激しく
療養が続いていた。
日を追うごとに次第に元気を取り戻しつつあったが、
不運な事に完治する前にチフスに襲われる。
医師はもう助からないだろうとの診断を下す。
エミルとアレックは心配そうに様子を見に来るが、
うつってはいけないと病室内には入れて貰えなかった。
ふたりは毎日朝の祈祷の前に病室にやって来る。
来る日も来る日も決して会わせて貰えないのに。
彼らのそんな想いは
看病する医療関係者全員の心に伝わった。
その時患者に一番近い担当の若い看護師
松沢フミにも当然伝染する。
彼女は何としても応えてあげたいとの一心から
献身的に看病した。
 いつまでも重体の子に寄り添いながら彼女は言う。
「自分の子供や弟が重い病になったら、
人は自分を犠牲にしても助けようとします。
この子には看てくれる父も母もいない。
死んでも泣いて悲しんでくれる親はいない。
せめて自分が母の代わりとなって死にゆく子の最後を看取り、
天国の父と母のもとに送り届けたい。」
そう言い、夜も抱いて寝た。
その結果自らも腸チフスに感染し命を落とした。
感染の危険も顧みず、
言葉通り本当に親のように接し看病した彼女。
 その甲斐あってか
重体だったその子は奇跡的に回復、
フミの真心の献身的看病が実り
チフスから生還することができた。
この若き看護師松沢フミの死は
関係者と孤児たちに衝撃を与えた。
事情を理解できない幼子たちは
目の前から姿を消した彼女、
優しかった彼女の名前を呼び続け、
周りの大人たちの涙を誘ったという。

彼女のそうした自己犠牲を伴う献身的看病は
今の医療の世界では勿論許されない。
院内感染は絶対避けなければならない
重要な対策であるのは言うまでもないのだ。
しかし当時の彼女の行為を一体誰が非難できたか?

感染対策の徹底より
献身的な看護が美徳とされた当時。
医療現場に於ける『仁』は必要不可欠な姿勢であり
考え方だったのだと思う。

彼女のそうした自己犠牲を伴った看護の姿勢が
ここで暮らす孤児たちを絶対死なせない。
全員を元気な姿で故国に返す。
それこそが究極の目的であり、
福田会の全てのスタッフの決意と覚悟となった。

そうした経緯もあり、
食事は付き添いのポーランドの大人たちと
福田会の赤十字担当常駐スタッフが
栄養と個々の好みを考え作るようになった。
毎日おやつも出た。
健康で幸せな生活の提供。
彼らの想いと努力はその一点にあった。


そうした日々の生活を重ねるにつれ、
やがて孤児たちは健康を回復し
元気を取り戻しつつあった。

そうした状況を見極めつつ、
次第に生活の中に彩りを加える工夫がされる。

福田会に着いて最初の行事は
唐突に決まった盆踊りであった。
通常東京のお盆は7月であるが、
地方出身者が多く流入する土地柄か、
旧暦の8月に行われる町内会もいくつか存在した。

入所した時期がお盆前であり、
その周辺の町内で孤児とは無関係に
毎年恒例の盛大な盆踊りが開催されることになっている。
当初、福田会として全く参加の予定はなかったが、
夕方から聞こえ始める太鼓とお囃子の音に
異国の子供たちの興味をひかない筈はなかった。
当然ヨアンナも音の方向に行ってみたいと思った。
先生と舎監のレフさんの所に行き、
他の子たちと熱心に懇願したのは言うまでもない。

訴えを聞いた大人たちは困惑しながらも
スタッフ間で話し合ったあと、
「今夜は特別1時間だけ外出許可を出します。
ただし、私たちの引率が条件です。」
そう言って希望者を募り
総勢20人ほどが急遽盆踊り見物に出かけた。

ヨアンナはエヴァが居なくとも
太鼓の音や笛の音、
音頭に合わせて一糸乱れず踊りの輪に魅了された。
いつまでも踊りながら回り続ける様子に
吸い込まれそうになり、
無数の提灯のぼんやりした灯りがもたらす
異国の幻想的な光景に圧倒され、
心から「楽しい!」と思った。


盆踊り飛び入り参加の一件をきっかけにして、
時々開催される慰問会の合間に、
近くの公園へのピクニックが計画、
実行される事となった。

ヨアンナは前日、
夕食前に他の全員と一緒に
ピクニック用に新たに設えられた花柄の洋服と
外履き用の新しい靴をもらった。
よそ行きのきれいな服は
ヨアンナの心を浮き立たせ、
嬉しくて、待ち遠しくて、なかなか寝付けなかった。

神様に明日は晴れるよう、
心から祈った。

雨が降ったらどうしよう?
いつものようにお部屋で遊ぶのも悪くないけど、
ピクニックって何てワクワクする響きでしょう!
きっととても素敵な場所で
楽しい事がいっぱい詰まった時を過ごせるわ!
エヴァも元気になったし、
一緒にお花を摘んで髪飾りを編んでみたい。
ああ、それにおやつのアイスクリーム!!
舎監のレフさんが
明日のピクニックのおやつの事
言ってたけど
どんな食べ物かしら?
今までおやつで出された
羊羹や大福や雷おこしも
もちろん美味しかったけど
アイスクリームって
何て特別な響きでしょう!
きっと特別な食べ物なんだわ。
考えるだけで楽しくて胸がはちきれそう!

部屋の窓には赤十字のお姉さんに教わって作った
テルテル坊主が吊り下げられ、
夜空を見上げ手を合わせ明日の晴れを祈った。

やがて夜も更け興奮冷めやらぬ中、
昼間の疲れから次第に瞼が重くなり
ヨアンナが眠りにつけたのは
就寝時間から2時間以上過ぎた後だった。


翌日の朝はヨアンナの必死の願いを
神様が聞き届けてくれたのか、
小鳥のさえずりと共に
さわやかな秋晴れの目覚めに迎えられた。

起床の合図に目覚め
まだ少し眠いと感じていたヨアンナだったが、
『今日はピクニック!!』
思い出すと同時にベッドから跳ね起きた。
「テルテル坊主さんありがとう!」
テルテル坊主さんも照れた笑顔で返した。
「どういたしまして。ピクニック楽しんでね。」
確かにヨアンナの心の耳には届いた。

祈祷の時間ももどかしく、
他の皆もソワソワしているのを感じた。
ヨアンナはそれでもしっかり
神様の他、お父さんとお母さんにも
報告するのを忘れなかった。


出発の時間。
付き添いの大人たちが
整列を促し、ヨアンナは回復したばかりの
仲良しのエヴァと手をつなぎ
道すがら初秋のまだ青い樹木の景色に包まれながら
楽しく会話しながら歩いた。

ヨアンナがエヴァに、
「今朝私の部屋のエディッタ姉さんとハンナ姉さんが
私に言うの。
エディッタ姉さんったら、
『あんまり興奮し過ぎちゃだめよ!
私は興奮し過ぎておなかを壊した人を知ってるのだからね。
そうなったら初めからおいて行かれるか
途中で連れ戻されるのよ。
そんなの嫌でしょ!
だからちゃんと最後まで参加したいのなら
心を静めて良い子でいる事よ!』
だって!
そんな事できる訳ないじゃない!」
まだ「興ざめ」とか「無粋」とか「余計なお世話」とかいう
言葉を知らないヨアンナ。
「それに下のハンナ姉さんなんか
同い年の男の子の話ばかりするの。
特にエミルなんか虫にしか興味を持たないし、
どうやったら私に振り向いてくれるんだろう?とか、
私も虫に興味を持とうかしら?
でも私大の虫嫌いだから
やっぱり無理!とか
アイスクリームを一緒に食べたいな!とか・・・。
好きにして!!って言いたいわ!
どうしてそんなに男の子なんか気になるのかしら?
がさつでヤンチャで汚いだけなのに。」
「この前なんか、エミルが大きな黒い虫を取ってきて
ハンナ姉さんの目の前にいきなり出してきたんだって。
『私びっくりして泣いちゃった。』
って言うの。
あれカブトムシって言うんだって。
私もそんな大きな虫をいきなり見せられたら泣いちゃうかも?
それにエミルは年上だけど、年下に思えるもの。
どうかしてるわ!
ねぇ、そう思わない?」
ヨアンナがおしゃべりになったのは、
同室で身近なハンナ姉さんの影響なのかもしれないと
エヴァは思った。

福田会から程よい距離の広い公園には
小さな小川のせせらぎと
レンガの並びで仕切られた花壇があり
訪れた者の目を楽しませてくれた。

到着してすぐ、
仲良しごとに小さな布を敷き、
一休みする事にした。

引率の係の大人ではない別の係の大人が
前の日にクッキーを焼いてくれていた。
もし不慣れなアイスクリーム作りに失敗しても
最悪おやつなしで終わるのを避けるためだった。

しかし戸惑いながらも何とか成功し、
幸いなことに子供たちは
アイスクリームとクッキーを同時に食べる事ができた。
でもそのせいでランチのサンドイッチを
残す者が多数出た。
「これは問題だ。次はおやつと弁当のバランスを考えなきゃ。」
と係の大人の言葉を
ヨアンナは聞き逃さず思った。
(次があるのね?楽しみ!)と。

無事盛況にてピクニックを終え、
福田会の宿舎に戻ると、
部屋に入るなり
エディッタ姉さんが
「ただいまぁ!ああ、やっぱり家が一番ねぇ!私疲れちゃった。」
と云い、
ハンナ姉さんが
「エミルったら、私とアイスクリームを食べている間中、
小川の小魚の話ばかりするの!
『私と一緒の間だけは虫の話はやめてね。』って言ったら
目の前の小川の魚の話をするのよ!
失礼しちゃう!もう男の子なんて嫌い!」
と吐き捨て、ベッドのうえで服のまま寝転がった。

しかし翌日、そんな事はなかったかのように
満面の笑顔でエミルに駆け寄るハンナ。
筋金入りの根性を見せ、ヨアンナを呆れさせた。

それからひと月が経ち、
あれほどやせ細っていた子供たちも
運動に耐えるほどの回復をみた。

そこで大人たちは日本人スタッフの助言に耳を傾け
ささやかな運動会を企画した。

運動会と云っても
そんなに激しいものではなく、
お遊戯や椅子取りゲーム、
『もしもし亀よ』などを合唱したり、
パン喰い競争や借りもの競争、
ヨアンナ達幼少部は
飴喰い競争で
真っ白いデンプンの中から手を使わず
口だけで飴を探し顔中真っ白けになり
見る者の笑いを誘った。
当のヨアンナは鼻の穴にデンプンが入り
思い切り何度もくしゃみをして
飴を探すのに時間がかかり
ビリから2番目と振るわない成績に終わり
景品の狙っていたお絵描きノートを貰い損ね、
内心残念に思った

競技の最後は綱引きで
力の限り引きあった。

これには大人たちも全員参加で
向かい合う左右前列が子供たち、
少し間を取り後列に大人たちが
紅組白組に別れ子供たち同様、
大人と大人の意地がぶつかり合う
たいそう盛り上がった大会となった。

その結果屋外での昼食が
大評判だったのは言うまでもない。

やがて落ち葉の季節となり、
紅葉を愛でながら
当時出来たばかりの動物園にも遠征した。
トラやライオンや象さんに驚き、
キリンの首の長さに目を見張った。

ただ、檻の向こうの動物たちは
親がいて子がいた。
親に対し子供たちが
何不自由なく当たり前に甘える様子に
一抹の寂しさが見る者を襲い、
ふいに涙が出そうになる。
目を背け俯(うつむ)く
孤児たちのそうした姿に
引率の大人たちは子供たちを
動物園に連れて来た事を少し後悔した。

やがて冬となりクリスマスの季節がやってくる。
その頃ヨアンナには夢ができていた。
毎日が楽しいここでの暮らしを
忘れる事の無いように記録をとりたいと思った。
でも写真機が欲しいとか、
そう言う事ではない。
見たものを絵にかき、
文字を覚え、感じたことを書き止めたかったのだ。
ヨアンナは午前午後と積極的にポーランドの国語を習い
夕方福田会の図書室で
日本の子供向けの本を読むようにした。
日本での経験はヨアンナにとっての
かけがえのない宝物となっていた。
クリスマスの日、
彼女の願いが通じたのか、
サンタさんから飛び切りのプレゼントが貰えた。
こんな極東の地にも、サンタはやって来るのだ。

「サンタさんはどの子の所にもやって来るの?」
「いいや、そうしたいが現実はそうではない。
私が来られるところは、愛が溢れるところ。
愛を心から欲しがる子がいるところ。
愛を欲しがらない子の所には
行きたくてもいけないんだよ。」
「どうして?」
「それはね、愛は貰うだけじゃなくて、
あげるためのものでもあるからさ。
愛をあげるには、愛を知らなくてはいけない。
愛を知ると云う事は、愛の心を持つと云う事なのだよ。
愛を知ったら、愛をあげたくなる。それが愛。
貰うだけじゃダメなんだ。
うわべだけ良い子なだけじゃダメ。
愛を持った良い子になって、
廻りの人を幸せにしたいと思わなきゃね。
ヨアンナも亡くなった両親を喜ばせたいとか、
笑顔になって欲しいと思ったことがあるだろう?
今も友達のエヴァや他の子たちと仲良く、
楽しく暮らしたいと思うだろう?
喜ばせたいと思うだろう?
その心が愛。
だから私、サンタはやって来たのさ。」
何となく、目元が魚っぽい、
どこかで見たことのあるような、
聞いた事のあるような声でサンタさんは言った。

プレゼントは前から欲しいと思っていた
何でも自由に書き留めることができるノートと鉛筆。
ヨアンナは天にも昇る気持ちになり、
できる限りの表現で思い出を残そうと思った。

天の父と母に見せるために。

そんなヨアンナのすることを横目で見ていた
エディッタとハンナは
自分たちの父と母を思い
自分も何かしなければ!と思い始める。

そして一念発起。
お正月のお雑煮を食べ、
初夢をみた後、
習いたての日本語で書き初めに挑戦した。
お題は「ポーランド」。
やはり祖国は祖国。
年の初めの想いは、
やはり望郷の念が自然とテーマになった。
それでも筆を持ち慣れない子供たちは、
キャッ、キャッ言いながら
思い思いに筆を運ばせた。
エディッタは袂に墨が付き、それに気づくと
「ギャー!!」と叫ぶ。
そして「もう嫌!!」と投げ槍に言い放つも
無心に筆を執るヨアンナを見て
気を取り直し、年長者である自分の不明を恥じ、
一番上手な書を書き上げることができた。

男の子たちはもっと酷く、と言うか悲惨で、
ふざけ半分だったため、
着ている服だけでなく、手も顔も墨だらけに。
お互いの顔を見てはゲラゲラ笑って
とても書き初めとは言えない状態になっていた。
それでも下手くそながら
ひとり一点は完成させることができた。

大人たちはそんな姿を見て
やって来た頃の貧相で病弱で
暗さの漂っていた孤児たちが
明るく元気で楽し気に過ごす様子と
成長に目頭が熱くなった。
そして全員無事に還してやろうと
改めて強く思った。

やがて節分の豆まきを経て
桃の節句がやってきた。

ホールに飾られたひな壇は
ひときわヨアンナの目を引いた。

お内裏様やお姫様の他、
三人官女やぼんぼりがあでやかで
いつまで眺めていても飽きる事がない。

ほのかに明るいぼんぼりは
ヨアンナの心を照らす希望の光にも思える。
憑かれたようにその場から離れない。
ヨアンナは心から美しいと思った。

その後10年以上経過し、
祖国ポーランド暮らしに慣れたはずの
若い娘に成長した彼女はお雛様の影響を
強く受けたのではないかと思われるほど
落ち着いた美を匂わしていた。


そして桜が満開の季節となり、
来た当初は全く目立たなかった庭の桜が
驚きの変化を見せ、
町中の桜も一斉に咲き誇るようになる。

福田会でも当然ささやかなお花見が催され
庭の桜ではなく、外の桜の名所を巡った。

ヨアンナはその圧倒的な美しさに
すっかり心を奪われてしまう。
エヴァとの会話も気もそぞろ。
夢心地の世界で夢遊病者と化していた。

お花見もお開きとなり、
渋谷の福田会に帰ろうとした時、
ヨアンナの姿が見えない。

さあ、ヨアンナはどこに行った?
お花見の会場の
何処を探しても見当たらない。
もしかして人さらい?
引率の大人たちは青くなって真剣に探し出した。
小一時間かけ探しても見つからず、
とりあえず最小限の大人を残し、
他の子どもたちを宿舎に返すことにした。

やがて日が暮れだし、
大人たちは焦ってきた。

「ヨアンナ~!どこにいる~?」
どうしても見つからず、
最後の手段で警察に捜索願いを出すことにした。
最寄りの警察署に向かう道すがら、
引率の日本人スタッフが
ある違和感を覚えた。

黄昏から暗さが増し
街に灯りがともる。
表通りの街灯や家が明るくなり、
通りから奥の家へ続く細道に
何気なく目を送りつつ歩いていると、
細い道の奥に家から漏れる光が映す
小さな影を見つけた。

その影は人の様であり
しかも小さく見える。
「あんな所に人影?」
スタッフは直感から確かめる事にした。
一度通り過ぎた小路へ戻り
速足で歩いた。
他のメンバーは「何?」と云いながら後に続く。
やがて皆はその先に佇むヨアンナを見つけた。
「ヨアンナ!」と叫んだ。
「・・・・・・。」
ヨアンナは言葉なくこちらを振り向いた。
「どうしてこんな所にいるの?心配したのよ!」
口々に「良かった、良かった!」だの、
ダメよ心配かけちゃ!」だの声をかけ、
一同、心からホッと安堵した。
「どうしてこんな所に立っているの?」と聞くが、
ヨアンナが返事をしようとしないので、
「まあ、良いわ。もう暗くなったから早く帰りましょ。」
詳しい事情は帰ってからゆっくり聞くことにし、
まずは施設の全員に無事を知らせるのが先決だと思った。

施設に着くと
心配して待っていたエヴァや大人たちから
一斉に歓声が上がった。
舎監のレフから別室に誘われたヨアンナは、
テーブルに置かれたコップ一杯の水を飲み干し、
心を落ちつかせるとポツリポツリ話し始めた。
「私たちがおやつのクッキーを食べていると、
向こうで私と同じくらいの年の女の子が
こっちを見ていたの。
ジーっと見ていたので気になって
その子の所に駆け寄って声をかけてみたの。
その子は私を睨むだけで何も話してくれないから、
私が持っていたおやつのクッキーをあげようとしたの。
そしたらその子は首を振り、受け取ろうとしてくれない。
そして『いらない!』
私がどうして?って聞くと、
『知らない人に物をもらってはダメって
お母ちゃんに言われているから。』
私も知らない人だからダメなの?
このお菓子を受け取ってはくれないの?
その子は『ウン』と頷くの。
私、その子はお菓子を食べたくない?
いやそんな事はないと思ったわ。
それに楽しそうにしているのが羨ましいのかも?
私はその子と話したかった。
でもその子は私に背を向けて走っていったわ。
だから私は追いかけたの。
私はその子に何か悪いことをした?
あの子を傷つけてしまった?
だったら謝ろう。そう思ったの。
「ヨアンナが立っていたのがその子の家?」
レフが聞いた。
「そう、あの子はもう出てきてくれなかった。
私は悪いの?」
「そんな事はない。ヨアンナは優しい子だから
その子の事が気になったんだね。
でももう気にするのはやめなさい。
その子にはその子の生き方があるのだから。」
ヨアンナは納得できない。
「あの子はきっとクッキーを食べたいのかと思ったわ。
だって食べたそうだったもの。
私なら食べたいと思っている物を
もらえるのは嬉しいと思うのに。
あの子のお母さんはどうして
貰ってはダメだって言うの?
あの子はどうして我慢しなければならなかったの?
私には分からないわ!
私だって今まで知らない人たちに
たくさん、たくさん助けてもらったわ!
それはいけないこと?
私はいけない子?」
「そんな事はない!絶対にない!
ヨアンナはとっても良い子だよ!
自分の事そんな風に思ってはいけないよ。
ヨアンナや他の子もそうだけど、
この施設の子たちは
皆育ててくれる、守ってくれる
両親がいないからここにいるんだ。
親が大切に育てなければならないのに
守ってくれる筈の親が
天に召されてしまったら、
守ってくれる人は居ないでしょ?
だから代わりに周りの大人が何とかしなくちゃいけない。
ヨアンナ達を守るのは、私たちの責任なの。
でもその子には親がいるんでしょ?
だったらその子を守ってくれるのは
その子の親なのだよ。
きっと家が貧しくて
満足にお菓子を与えてあげられなかったのかもしれない。
でも我慢するのがその子の意地だったのだと思う。
どんなに羨ましくても、
父も母もきっと一番その子を愛して
その子の事を思って
その時できる一番良い事をしてくれる。
それを信じているから、
父と母のそんな気持ちを裏切りたくなかったのだろう。
私はそう思うよ。分かる?ヨアンナ。
ヨアンナの今の保護者は私たち大人なのだから、
ヨアンナは私たちを信じて
今は立派に成長するように頑張るのが
あなたたちのお仕事なのだよ。
だからもうあの子の事を気にするのは止めなさい。
でもその優しい気持ちと気遣いはとても尊いと思う。
だからその気持ちだけは無くさないようにね。」
魚を連想する顔でレフは言った。
ヨアンナは諭された内容を
半分も理解できたか怪しかったが、
その日の夜、祈祷の後、ベッドに入るまで
何かを考え続けているようだった。

ヨアンナには特別な力が備わっている。
それは自分が経験した悲劇や痛みを
かけがえのない学びに変える事。
他人の痛みをわが身に置き換え知る事。
その能力が後の運命を切り開く事となる。

そしてヨアンナ以外の孤児たちも
大きな成果が見られた。
次第に福田会での生活も終盤に近付き、
健康と協調と規律を身に着けてきたのだった。
それぞれの孤児たちの成長を
スタッフの誰もが強く感じるほど活気に満ち
福田会は彼らの王国と変容していた。


  後編へ続く

シベリアの異邦人~ポーランド孤児と日本~改訂版4 後編

2020-07-16 00:50:59 | 日記




#14 イラストのリクエスト〜『シベリアの異邦人〜』の小説から - snow drop~ 喜怒哀楽 そこから見えてくるもの…
 新たな旅立ち




東京での彼らの生活が1年ほど続いた
別れの日。
当初のスタッフの決意の通り
誰ひとり欠けることなく
故国ポーランドに帰国できるまでになった。
 孤児全員に全員に衣服が新調され、
航海中の寒さも考え毛糸のチョッキも支給された。
しかし特別船の出航が大幅に遅れる。
ヨアンナたちは横浜港から出港するときになって、
本当の母親のように親身にお世話をしてくれた
保母たちとの別れを悲しみ
乗船を泣きながら嫌がったからであった。
ヨアンナもその中のひとり。
彼女はゆりかごのような第二のふるさと日本と、
優しく接してくれた保母さんや他の大人たちと別れ、
大切に心に秘めていた
父と母さえも残してゆくような気がして、
涸れるほど泣いた。

 涙も枯れ、ふと空を見上げると、
そこに父と母の気配がした。
優しい声が聞こえた気がした。
「きっとお父さんもお母さんもついてきてくれる。」
「きっとそうだ!」
別れの辛さも、寂しさも、
不安も少しは和らいだ気がする。
いつまでも出立(しゅったつ)を嫌がる
ヨアンナの背中を押すかのように、
新たな門出を促すかのように、
お父さんとお母さんは出てきてくれたのだ。


 避ける事の出来ない
辛い別れを悟った孤児たちだったが、
福田会で習い、
毎日歌っていた「君が代」を斉唱し、
幼いながら精一杯の感謝の気持ちを込め
「アリガトウ」を何度も繰り返した。
 大勢の見送りの人たちも涙を流しながら、
孤児たちの幸せな将来を祈りつつ、
見えなくなるまで手を振り続けたという。
 船の中で船長は
夜ごと孤児たちのベッドを見て廻り、
毛布を首まで掛けなおし、
頭を撫で熱が出ていないか確かめていた。
 その手の温かさを覚えていると
孤児のひとりは後になって述べている。



幾日も船上で過ごすヨアンナたち。

いつも船室に閉じこもってばかりもいられず、
良く晴れた凪の日は甲板で過ごすのが日常となっていた。
日本滞在で身に着けた習慣を維持するためにも
規律正しい生活と学びに機会を無駄にせず
有意義な毎日にするために、
随伴の大人たちも、日本人クルーも注意深く見守っていた。

波をかき分け、軽快に進む船旅は、
見方によっては最高の環境だったのかもしれない。


午後の授業も終わり
孤児たちが船室に戻っても
ヨアンナはエヴァと海を眺める事が多かった。
「ねぇエヴァ、私海を眺めるのが好きかもしれない。
だってどこを見てもぜ~んぶ海なんだもの!
何もないって凄いと思わない?
何もないのに全然飽きないって凄いって思わない?」
「そうね、私も好きだわ、何も話さなくても
ヨアンナと一緒なら何だか楽しいの。
変ね、変だけど、ちっともつまらなくないわ。」
エヴァはにっこり笑って受合った。

航海も一週間を過ぎ、2週間を過ぎた頃、
夕方ひとりで甲板に出てくるヨアンナの姿が
見られるようになった。

甲板には必ず転落防止の見張りが立っている。
夕方の時間帯は初老の甲板員が受け持っている。

ヨアンナはエヴァといる時と同じく、
高い手すりの中間の綱につかまり、
流れ続ける波と水平線をただただじっと見ていた。
甲板おじさんはそんなヨアンナを注意深く見守っている。
「お父さん、お母さん・・・・。」
呟く声は波に消され聞こえなかったが、
甲板おじさんの心には確実に届いていた。

そんな光景が3日を過ぎた頃、
おじさんがいつものように
海を見つめるヨアンナに声をかけた。
「お嬢ちゃん、海は好きかい?」
「うん、だってとっても広いんだもの!」
「そうか。ワシも海がすきなんじゃ。
海はいいのう。お嬢さんと一緒じゃな。
でもどうしてひとりなのかな?
この時間は風も冷たくなってくるし、
寂しいじゃろ?」
「ええ、でも今はひとりが良いの。」
「友達と喧嘩でもしたのかな?」
「いいえ、違うわ、エヴァとはいつまでも友達よ!
今の時間はお母さん、お父さんとお話がしたいの。
ヨアンナのお母さんもお父さんも天国に行っちゃったけど、
海を見ているとお話ができる気がするの。
でもいくら呼びかけてもお母さんの声も聞こえないし、
お父さんの姿も見えないの。
ねえ、おじさん、どうしたら会えるのか教えてくれる?
もう会えないのかしら?」
「そうさなぁ・・・。
それはお嬢ちゃんの心次第なのかもなぁ。」
暫くの沈黙の後、
意を決したように甲板おじさんは語り始めた。
「わしの経験を聞かせてあげよう。
お嬢ちゃんにはチイと難しいかもしれないが聞いてくれるか?」
「ウン!お母さんとお話ができるなら、ヨアンナちゃんと聞くわ。」
「そうかい、なら話そう。
ワシの経験談にどれ程の効き目があるか分からが・・・。

ワシにも若い頃はあっての。
そんな昔々の話じゃ。」
遠い目をしながら語り始めた。
「こんなワシにも好きな娘(こ)がおっての、
ワシには太陽のような存在じゃった。
でもな、その娘とは長続きすることなく
離れ離れになってしもうた。
ワシの家も、あの娘の家も貧しくての、
どうしても一緒になれなんだ。
毎日毎日涙を流して身の不幸を嘆き悲しんだ。
だけども悲しんでばかりもいられなくての、
生活があるから一生懸命働くようになった。
それこそ死にもの狂いでな。
そうしてようやく一人前になれて
人並みに嫁さんを貰えるようになった。
でもその時はすでにあの娘は
他の家に嫁にいった後だった。
ワシはそれはそれは落胆したが、
やがて別の話が降って湧いての。
全く別の女(ひと)がワシの女房になってくれたさ。
時間が経って可愛い娘が生まれての。
ワシはとっても嬉しかったなぁ。
でもそのワシの女房は訳ありでの。
次第に夫婦仲は悪くなったんじゃ。
ワシの仕事もうまくいかなくなって
生活が立ち行かなくなっての。
情けない事にワシは女房と幼い娘を置いて
家を出ることにした。
女房には、ワシと一緒になる前からの
心を通じた男が居っての。
その男に女房と娘を託すしかなかったんじゃ。
悔しくて、惨めで、悲しかったが
手放すしかなかった。
ワシが家を出て間もなく女房は
その男と一緒になっての。
ワシは自暴自棄になって
暫くあてのない放蕩生活に堕ちてしまった。
そんな時ワシの心の奥に仕舞っていた
大切な思い出の娘と偶然出会ってな。
と云っても再会した時にゃいい歳になっておったが。
小料理屋の女将になっていた彼女は、
こんな身も心もボロボロなワシを
無様な生き様から救い出してくれたんじゃ。
彼女もワシ同様、旦那と別れ
慎ましく女手ひとつで切り盛りしておった。
豊かではないが、
ワシはようやく心の安らぎを手にしたんじゃ。

でもな・・・・・・。
引き換えにかけがえのない大切な娘を失ってしまった。
再婚したワシとは二度と会ってくれなんだ。
きっと捨てられたと思ったんじゃろ。
父親に捨てられたと考えたら、
さぞかし悲しかったろ、辛かったろ、寂しかったろ。
でもな、ワシは毎日毎日娘の事を忘れたりせん。
忘れる事なんでできるわけがない。
今でも会いたくて仕方なくての・・・。
それが親の気持ちと云うもんじゃ。
分かってくれるか?
だからお嬢ちゃんの両親も天国できっと同じ気持ちじゃろ。
ワシはそう思う。
ワシが死んでこの世から居なくなっても
あの世で絶対娘に会う方法を探すじゃろ。
例え草葉の陰からひっそり一目見るだけでも良い。
いつも、いつも、いつまでも
見守っていたいと必死になるわな。
ワシでさえそうなのだから、お嬢ちゃんの両親が
お嬢ちゃんのそばにいない筈はない。
そうは思わんか?」
ヨアンナには難しい話だったが
ヨアンナなりに深く深く考えた。
「そうね、ヨアンナのお父さんもお母さんも
あんなにヨアンナの事を可愛がってくれたもの。
きっとおじさんが言うように
傍にいてくれているんだと思う。
そう信じてみるわ。
ありがと、おじさん。」
甲板おじさんは満面の笑みを浮かべ
大きく頷いた。
しかし甲板おじさんは
自分がどうしてこんな幼い娘に
身の上話をしたのか、戸惑いと後悔の中にいた。
どんなに親しい人にも、こんな話は打ち明けられない。
絶対に!!
きっとヨアンナには打ち明けたくなるような
人をひきつける力があったのだろう。

幾日も船に揺られながら
故郷の国ポーランドに戻ってきた。
幼かったヨアンナにとって
父の生まれ育った国、母の生まれ育った国、
そして自分が生まれた国。
そう思ったら、何だかここも愛おしく感じる。
 ヨアンナは心に誓った。
もう不安な心は捨てよう、
天国の父のため、母のため、一所懸命、精一杯生きて、
自分が天国に行ったとき胸を張って会えるように。





ヴェイヘローヴォ孤児院




長い、長い船旅の末、
孤児一行はバルト海沿岸の
ヴェイヘローヴォ孤児院に引き取られ保護された。
入所後、何と驚くべきことに、
首相や大統領までが駆け付け歓迎してくれたという。
更に施設では毎日朝、
庭に入所孤児が集まり「君が代」を斉唱する決まりがあった。
孤児院出身者の中には医者、教師、法律家など
国の復興の最前線で活躍する人材が数多く育った。

他国からの侵略を受け、そして独立。
苦難の道のりは民衆だけでなく、
国家そのものの運命でもあった。

何もかもが再生・復活の対象の中、
ヨアンナ達帰国孤児にとって生活環境と
教育環境の持続的改善が最重要課題だった。
荒廃と再生。
学校の建設と再生を急ピッチで進めなければならない。
ヴェイヘローヴォ孤児院の周辺の教育環境も
当然満足できる環境とは程遠かった。
しかも当時、子供が教育を受けるには、
一般的にそれなりの負担も必要だった。
教育は無料。そんな現在の常識は
通用しない時代である。
孤児にとって過酷な環境なのは
ここでも変わらない。
でも逆境で歯を食いしばり、
頑張って跳ね返そうとする気質は
頑固なポーランド人の特性かもしれない。
教育が将来の国家の運命を決するとの思いは
ヴェイヘローヴォにも息づいていた。
ヨアンナ達孤児の帰還は、
同時に国家復興の担い手でもあったのだ。

ヴェイヘローヴォ孤児院は
福田会託児所とは環境が全く違ったが、
自分たちが力を合わせて作り上げていく
明るい希望に満ちていた。
服従と戦乱が奪った誇りと活力を
再び取り戻した喜びに満ちていた。

孤児たちは船中生活に引き続き、
孤児院内にあっても
福田会滞在中の習慣や
学びを忘れずにいた。
それは子供たちだけでない。
日本に同行した大人たちの中からも、
特に教育に携わったメンバーが中心になり、
急ごしらえの学校をつくり、
孤児や周辺の子供たちの教育にあたった。

ヨアンナも当然学校に通う。
仲良しのエヴァと机を並べ、
「学校で授業を受けるのは新たな楽しみ。」
帰国という環境の変化に順応する格好の手段となった。
福田会時代の舎監のレフは校長に、
保母さんの何人かは先生兼、
ヴェイヘローヴォ孤児院の世話役になっていた。
ヨアンナが日本でいう小学校6年生相当になった頃、
不安定だった学校の環境も軌道にのり
日本での経験と学びを活かした授業も
少しずつ実践できるようになった。
同室だったエディッタ姉さんとハンナ姉さんは
やがて先輩卒業生として学校運営に関わるが、
相変わらず運動会やピクニックなどの行事に熱心だった。
ヨアンナは得意な歌で年少さんの心を掴む。
特にポーランドに古くから伝わり、
父がよく歌った『はたけのポルカ』と
日本で覚えた『七つの子』は十八番で
人気が高かった。


はたけのポルカ                                   


いちばんめの  はたけにキャベツをうえたら                  
となりのひつじが むしゃむしゃたべた                
はたけのまわりで ポルカを おどろう 
ひつじをつかまえて ポルカを おどろう

にばんめの はたけに じゃがいも うえたら
となりの こぶたが ぱくぱく たべた
はたけのまわりで ポルカを おどろう
こぶたを つかまえて ポルカを おどろう

さんばんめの はたけに こむぎを うえたら
となりの にわとりが コッコッコココ たべた
はたけのまわりで ポルカを おどろう
にわとり つかまえて ポルカを おどろう


七つの子


からす  なぜなくの
かわいい 七つの子
があるからよ

かわい かわいと
からすは なくの
かわい かわいと
なくんだよ

山の 古巣へ
いってみて ごらん
まるい 目をした
いい子だよ

ヨアンナにとって
このふたつの歌は終生
悲しい時、寂しい時の心を癒してくれる
『心の歌』であった。

そうして初等教育、中等・高等教育で
優秀な成績を収め卒業した
ヨアンナは美しい少女へと成長した。

10歳を過ぎた頃
先生からクッキーの焼き方を習ったヨアンナ。
それから毎年学校と
孤児院合同ピクニックの前の日になると
お菓子を焼くのが恒例となった。
女子たちが競ってクッキーを焼くと
楽しみにしていた男子が群がる。
お礼にその日のために覚えたダンスや歌を
女史のために懸命に披露した。

ヨアンナの
クッキーをアレンジしたお菓子は人気が高く、
いつも最初に完売になる。
そして終盤の合唱では
やはりヨアンナが中心だった。


誰からも好かれるヨアンナ。
当然男子からのお誘いも経験している。
特筆なのはエミルからの告白。
放課後孤児院に帰る前のひとりの時を狙って
モジモジしながら待ち受けていた。
「ヨアンナ、ええと・・・、ええと・・・」
「何?」
「ええと・・・、話がある。」
「だから何?」
虫男エミルもそれなりに成長していたが、
ヨアンナにとって彼は変わらず
ハンナ姉さんの恋人であり、
虫男の印象が消えないでいた。
多少ぞんざい気味の扱いになるのは仕方ない。
彼はめげずに意を決して
「僕はヨアンナが好きだ!」
ヨアンナはびっくりした。
何と応えよう?
「エミル、あなたはハンナ姉さんと付き合っているじゃない?
それなのに、どうして私にそんな事言うの?」
「ハンナは僕と仲良くしてくれるけど、
付き合っちゃいないさ。
僕の好きなのはヨアンナだもの。」
「酷い!!ハンナ姉さんが可愛そう!!
よくそんな事が言えるわね!」
そう言って睨みつけた。
エミルはそう言われると明らかに怯(ひる)み
スゴスゴと引き下がった。
しかし暫くの間、未練タラタラな態度を見せ
ヨアンナを困惑させる事となった。


エヴァの結婚



ヨアンナに青春時代があったように
エヴァにも眩いばかりの娘時代があった。
恋愛が青春の総てとは言わないが、
男は女の事ばかり考え、女は男の事ばかり考える。
一般的な青春群像とは得てしてそんなもの。
この物語を読む皆さんはこの物語の流れから
性懲りもなくトンチンカンに生きる
エミルの存在を思い浮かべるかもしれないが、
残念!!
違いました。

ヨアンナとは違った魅力を持つエヴァ。
彼女は誠実で現実主義で、
透き通った青い目を持っていた。
そして何より思慮深く、
誰に対しても慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
彼女に見つめられた男は
たちまち恋に堕ちる魔力があった。

ヴェイヘローヴォ孤児院の周辺で
評判の娘ふたり、
孤高のヨアンナと愛嬌のエヴァ。
いつも一緒に行動するふたりであったが、
男どもの熱い視線は不思議と重なる事がなく、
上手く住み分けられていた。
やがてエヴァの信奉者たちは自然淘汰され
最後には近所のピアニスト兼ピアノの先生兼、
調律師のツェザリと、
小学校時代から成績が良かったボレスワフが
彼女の愛を競っていた。

男として線の細いツェザリは
善意で小学校に寄贈された
古いピアノの調律で度々訪れ、
エヴァと知り合った。
さすがショパンの国。
彼の弾くピアノには気品が感じられ、
『調律』と称し、
エヴァに愛の曲を送り続けるツェザリであった。


それを苦々しく睨むボレスワフ。
彼はエヴァと同じ中学の生活委員会に属する事で
親しい関係を構築し、
学校行事や孤児院での課外学習でも
何かというと傍(かたわら)に居ようとした。

年上のツェザリと同級生のボレスワフ。
エヴァにとってどちらも大切な存在だったが、
そのどちらともつかない関係が
いつまでも許される訳もなかった。

エヴァとヨアンナが17歳のクリスマス。
既に孤児院の世話役的存在のふたりは、
先輩のエディッタとハンナの協力もあり、
慎ましくささやかな中にも、盛大さを感じさせる
華やかな祝いの舞台が整えられた。
そこで居合わせた誰もが忘れる事の出来ない
大事件が起こった。

優雅にピアノをつま弾くツェザリ。
負けじと孤児院と学校運営について
盛んにエヴァに語りかけるボレスワフ。

突然ツェザリのピアノが止まる。
ふたりの前にツカツカと歩み寄り、
彼は言った。
「君、私が心を込めて弾くピアノの邪魔をしないでくれたまえ!」
ボレスワフは眦(まなじり)をキリッと上げ、
年上の彼にきっぱりと云った。
「あなたこそ、今エヴァと大切な運営の話をしているので
入ってこないでください。」
「君、今ここはクリスマスのパーティーなのだよ!
パーティーに無関係なくだらない話は
いつでもできるだろう?
そういう事は終わった後にしてくれないか?」
「あなたの方こそ、
神聖なクリスマスにふさわしいとは思えない
下世話な曲を弾くのは止めてもらえませんか?」
どうやら炎の目をしたふたりには、
周囲の戸惑いと野次馬的好奇心と、
エヴァのどうしたら良いか分からない
困惑した表情が入ってこないらしい。

一部始終を目撃していたヨアンナが一言。
「言い争いは外でしてくださらない?
ここには幼い子供たちも居るのよ。
貴方達ふたりとも、
クリスマスに相応しくない争いをしているのに
お気づきになりませんか?」

はたと我に返ったふたり。
振り上げたこぶしを治めるには
あまりに難しい状況になっていた。

ここでエミルが登場する。
ヨアンナに未練を残す彼は、
ここぞとばかりに気が利いた提案をし、
名誉を挽回したいと思い、
両者に向かって言い放った。
「君たち!私たちが幼い頃行った日本では、
神様の前で物事の決着をつける「相撲」という
決闘があるそうだ。
衆目の面前で決着をつけ、
恨みっこなしとするのはどうか?」
エミルは簡単に相撲のルールを教え、
ここにいる全ての参加者に証人となるよう
呼びかけた。
するとたちまち皆の興味をそそり、賛同を得た。
「それこそクリスマスのパーティーには相応しくないわ!
エミルの馬鹿!!」
ヨアンナは思ったが、時すでに遅かった。

あとに引けないふたり。
エヴァは結果、
自分がふたりの勝負の賞品になってしまうのに気づき、
言葉にならない金切り声をあげたが
後の祭りだった。

エミルの馬鹿!が行司となり、
真剣勝負が始まった。
ポーランド語で「はっけよい!のこった!」
とは何と云えばよいのか分からないが、
エミルなりの怪しい行司により
一進一退の勝負は続いた。
もう見ていられないエヴァは
両手で顔を隠すが、
指の隙間から両目が覗いていた。
やがて年下ながら、体力に物を云わせた
ボレスワフが上手をとり、
ツェザリを豪快に投げ飛ばした。
決着がつくなり、一気に会場が湧きたった。
ボレスワフが勝鬨を上げると、
力なく立ち上がったツェザリは
歪んだ顔で睨みつける。
ボレスワフは右手を差し出し握手を求めたが、
歪んだままで固まったツェザリを見て
強引に右手を掴み握手した。
いたたまれなくなったツェザリは走り去り、
会場を後にしたまま、二度と姿を見せなかった。

「エッ?!私はボレスワフのものになったの?」
焦りと狼狽がエヴァを襲った。

残ったふたりを祝福する声・声・声!
「エミルの馬鹿ァ!」
エヴァは二度目の金切り声をあげ、エミルを罵った。
結局エミルの評価は上がることなく、
エヴァはボレスワフのものとなり、
2年後結婚する事となった。

しかし、日本の風習の何と恐ろしい事か!

いや、そんなことはないから!!!
馬鹿げた誤解に騙されないで!
エミルの馬鹿ァ!!


こうしてヨアンナとエヴァの青春の幕は開けた。
そしてその頃からヨアンナは
ある活動に興味を持ち始め、次第に没頭した。




『極東青年会』と『イエジキ部隊』




 ここにひとりの重要人物がいる。
彼の名はイエジ・ストシャウコフスキ。
自ら孤児出身でありながら、
孤児院で働きワルシャワ大学を卒業。
孤児教育の道へと志した。そして17歳の時、
シベリア孤児の組織を作ることを提唱。
ポーランドと日本の親睦を図ることを目的に
「極東青年会」を結成し、自ら会長になった。
 最盛期には640名にも上ったという。

ヨアンナは彼の行動力に惹かれ
「極東青年会」のメンバーとなり、
できる限りの貢献をして頑張ろうと考えた。
恋愛感情とは別の憧れを持っての行動だった。

ヨアンナの他、成長した孤児たちは皆日本との絆絶ち難く、
在ポーランド日本公使館との交流を大切にした。
そして日本国政府もこの絆を大事にした。
 勿論人道的な結びつきによる、
当然の好意の延長もあるが、実はそれだけではない。
大人の事情があった。

それは日本にとってロシアは常に仮想敵国であり、
国の動向と
予測の分析・対策の構築が国是であった。

歴史を少し遡(さかのぼ)るが、
日露戦争当時ロシア支配下のポーランドには、
二人の指導者がいた。
対ロシア武装蜂起派のユゼフ・ピウスツキと、
武装蜂起反対派のロマン・ドモフスキ。
ふたりは日本の当時参謀本部長 児玉源太郎、
福島安正第二部長に面会し提案した。曰く、
「極東地域のロシア軍の三割はポーランド人である。
戦闘の重大局面でのポーランド兵の離反、
シベリア鉄道の破壊。
その対価として、
ポーランド兵捕虜に対する特別な待遇を願いたい」
と申し出たのだった。
 その提案を受け入れた証拠のように、
四国松山に収容されたポーランド捕虜は、
ロシア捕虜と別の場所にて特別待遇を受け、
とても捕虜とは思えない
厚遇と心温まるもてなしを受けた。
 更に対ポーランドの実質窓口となった
明石元二郎大佐が中心となり、
ポーランド武装蜂起支援、
武器購入資金提供を実行、
日露戦争勝利後はポーランド独立を助けている。

ポーランドと日本はそうした関係にある。
「極東青年会」の活動が持つ意義は
単にイエジという青年の理想に留まるものではない。
100年後のポートランドと日本の関係の礎であり、
祖国再興と他国の侵略からの防衛の役割を
担う事になる組織であった。

 そうした歴史的結びつきを背景にしながらも
国際連盟脱退、
日中戦争勃発と孤立化した日本。
 その延長線上に日独伊三国軍事同盟がある。
日本にとってこの同盟は
ただ単に国際的孤立を避けるためだけではなく、
対ソ政策でもあったのだ。
 当時日本は前述したとおり、
泥沼の日中戦争の真っ最中。
関東軍が作戦展開中、
満州国境沿いに対ソ守備隊を多数配置していた。
やがて二度にわたるノモンハン事件を経験する。
事件というが、実質的な戦争であった。
手痛い敗北を喫した日本。
益々情勢が厳しくなる中、
 中国大陸に覇権を広げる日本に警戒し、
圧力を強めるアメリカの野望も見えてきた。
今後予想される対米戦のためにも、
満州の守備隊の活用準備は絶対必要だった。
そのため、ドイツには対ソ戦略で頑張ってほしい。
ソ連軍の極東守備隊を
ヨーロッパ戦線に差し向けさせるためにも
同盟は必要だった。
 ただそのためにドイツとソ連の中間に位置する
ポーランドは結果的に犠牲になる。
それは日本の望むところではないが、
大国間の領土争いに口出しできるほどの
国力も影響力も日本にはない。
 ポーランドが
武力で蹂躙されるのを阻止する
ことはできないのだ。
それならせめてポーランドに対し
できる限りの支援をすること。
日本はその道を選んだ。
そう、日本はドイツと軍事同盟を結んでおきながら、
水面下でポーランド支援も行うという、
二重政策を遂行していた。
 そしてポーランドに対し支援をする理由はもうひとつ。
ポーランド人を味方につけ、ドイツの動向、
ソ連の動向の情報収集の諜報活動家として
活用する事も目的だった。

そうした事情から、
日本の大使館・領事館などの在外交機関は、
現地法人の保護・管理の他、
日本の国策遂行・実行部隊としての側面も帯びていた。
大使館員は文官と武官が存在するが、
多かれ少なかれ、
いずれも諜報・特務を使命のひとつとして活動していた。
 しかもそれは官僚にみに留まらず、
民間にも特務機関からの要請を帯び、
その対価として
事業の支援を受け現地でビジネスを展開する者、
邦人・外国人を問わず
ビジネスの実態を伴わない
実質諜報員的な民間人も存在した。
 そんな情勢の中、
孤児たちの主催する行事は公使館の館員も大切にし、
できるだけ全員参加を原則にして応援した
 しかし世相は暗く厳しく悲しい時代。
大きな戦(いくさ)が孤児たちの前に立ちはだかっていた。
1939年ナチスドイツが突然電撃作戦で、
ポーランド国境を越え侵攻してきた
 イエジ青年は極東青年会を臨時招集し、
レジスタンス運動に参加することを決定した。
部隊の名を青年の名をとり、
『イエジキ部隊』と呼ばれるようになった。
 さてヨアンナだが、
彼女も成長し可憐な乙女時代を過ごし、
当然の流れの中「極東青年会」の一員として
不動の活躍の場を確保している。
 彼女はその聡明さと明るさ、
そして人を引き付けるような美しい娘になっていた。
彼女自身は福祉事業家を目指す仲間の孤児に共鳴し、
行動を共にしながら、
青年会の活動では中心的存在だった。
 彼女が青年会に本格的に顔を出すようになったのは
17~8歳の頃から。
それ以前にも参加してはいたが、
正式なメンバーとして加入するには
歳が足らなかった。
そういう訳で20歳を過ぎた頃には
すっかり青年会の花となり、
いつも彼女は人々の中心にいた。
エヴァはヨアンナとは別の道を選び、
結婚し幸せな家庭を築くが、
生涯変わらずヨアンナの友として
時には一番の支援者となっていた。






 
ちょうどその時、
日本の公使館に出入りするようになった青年がいる。
 井上敏郎。福田会に孤児支援に来た
当時中学2年生だった少年だ。
彼はどこで覚えたか
ポーランド語、ドイツ語、ロシア語を駆使し、
複数の公使館館員と深い交流のある民間人だった。
 彼は少年時代の面影を残しながら、
長身の好青年になっている。
彼は他の大使館・公使館員と共に
よく青年会の催しに参加した。
 機知に富み、ユーモアで人を笑顔にし、
それでいて隙の無い所作。
館員の誰よりも洗練されていた。
時々会話する青年会のメンバーも
彼には一目置いている。
 彼は一体何者?
日本人には珍しくポーランド語を話し
日本の商社の社員と云っていたけど、
他の社員など見た事無い。
公使館員と深いつながりがありそうで、
何故だか分からないが好感が持てる。
青年会のメンバーの彼に対する評価だった。

ただもし彼が特務機関員だったとしたら、
彼にはひとつ大きな弱点がある。
それは善良過ぎる事。
幼少期そのままに真っ直ぐ育った彼は
人の道に反する行為とは無縁の場所にいた。
そんな彼がヨアンナと接する機会は少なくない。
彼女を最初に見たのは彼女が初めて顔を出した頃。
多分17~8だったのだろう。
 可憐な彼女を一目見た時、青年敏郎は
「なんて素敵な人だろう!」
感嘆符付き(!)で見とれてしまった。
彼は自分が少女だった彼女に
昔折り鶴を贈った事を覚えていない。
そして彼女も自分に折り鶴をくれた年上の少年が今、
そばにいる彼だとは気づかなかった。

 『イエジキ部隊』が地下レジスタンス活動を活発化させた頃、
ヨアンナも当然のように参加するようになる。
しかしそれは命がけの行為であり、バレたら命はない。
周囲の青年会メンバーは彼女を心配し自重を求めた。
しかし彼女は引くつもりはない。
何故なら彼女は孤児として
沢山の人から受けてきた恩に報いる時と考えたから。
今守るべきもの
それは彼女が生きてきた証。
彼女を守るため、父が母が命を落とし、
シベリアから救出されるまで
数え切れない助けがあった。
更に日本滞在中受けた善意。
ピクニックで見かけた近所の子の
両親に対する信頼と意地、プライド。
ヴェイヘローヴォ孤児院や学校での生活。
祖国ポートランドを蹂躙する者への抵抗は
それらに恩を返し、自分を救ってくれた行為は
価値があった事の証明にしたいから。

勿論安全なところで幼い孤児たちの世話をすることも
尊い行為ではある。
でも命を懸けて自分を守ってくれた人々に比べたら、
遠く及ばないように思う。

比べる必要はない。
人はそれぞれ役割がある。
自分にふさわしい最善の行為で報いるのが
ホントは正解なのかもしれない。
自分を守ってくれた人達は
ヨアンナが命を危険に晒す任務に就くことを望んではいない。
幸せに生きてほしいのだ。
人生を全うするのが一番の望みである事も分かっている。
だがそれでも燃え滾る使命感の火を
消すことはできなかった。


ある日の催しは戦局厳しい状態にもかかわらず、
慈善事業の寄付金を募る恒例のパーティーを決行。
つつましくも華やかな晩餐会とダンスが展開された。
しかし、さすがに日本公使館が
バックアップしているだけある。
この日もいつものように内外の有力者、
著名人などが集まり、盛況だった。
 この日も敏郎の姿が見える。
グラスを持ちながら、
見かけないある人物と何やら熱心に立ち話をしていた。
離れた場所で、しかも難しい日本語だったので、
聞き取れず何を話しているのか分からない。
 ヨアンナは敏郎が気になったが、
時々チラッと見るだけで、
近づいて話しかける勇気はなかった。
 でもあの方の事は勿論そうだが、
あの方が話されているのが
誰なのかも気になって仕方ない。
ヨアンナは心の中の小さな勇気をかき集め、
馴染みの公使館員に聞いてみた。
「今日はあの方もお見えなのですね。
楽しんでいただけているかしら?
あの熱心にお話しされていらっしゃるのはどなたでしょう?」
 視線を敏郎に向けながら、
公使館員に自然な調子で声をかけてみた。
まるで賓客を気遣うマダムのように。
彼女の心の中を知ってか知らずか、館員は、
「いつも貴女(あなた)は心遣いが細かいのですね
ああ、敏郎が話している相手は、杉原さんです。
リトアニアに赴任した領事。
きっとこれからもあなたたちと関りがあるかもしれないから、
覚えておいてもいいと思いますよ。」
「杉原さん?」
「そう、杉原千畝領事。」
彼女はじっとふたりを見つめているのだった。
 翌日会場の片付けと後始末の残りを終えたヨアンナは、
昨夜の宴の場から家路への帰途の歩みを早めていた。
 短い夏も終わり、
秋を飛び越え一気に冬の風を感じ始める頃、
こちらに向かう見覚えのある
いや、このような偶然を心のどこかで
いつも待ちわびていたある姿に焦点が合った。
「あの方だ!」
歩きながら全身がワナワナ小刻みに震えるのを感じた。
 数秒後、向こうも私に気がついたようだ。
歩調が心なしか早まりながらも、
「落ち着け!落ち着け!!」と念じ距離を縮めていった。
 ふたりの間に石でできた古い橋が一脚。
向こうとこちらに近づいた時、
彼の方から声をかけた。
「やあ、昨晩はどうも!」
「こちらこそ、いらしていただき、
感謝しております。」
 普通の会話だった。
 本来そこで終わる筈だった。
でもここで何か話さなければ!
お互いがそう思ったが、
押し黙る沈黙が無限の長さに感じた。
「そうそう、昨晩の、」
「あの時のあの方、」
不意に同時に発した互いの不自然な雰囲気と
少々浮ついた語調に可笑しさを感じ、
目が合ったふたりは笑いを押し殺していたが、
こらえきれず思わず吹き出し、
声を出して笑い合った。
 同時にその時お互いが他の人達に対してとは違う、
特別な感情を抱いてくれているのを感じた。
「今なんて言おうとなさったの?」
 ヨアンナは少し時間をおいて改めて聞いた。
「えぇ、昨晩のパーティーはとても楽しかったです。
そう言おうとしました。貴女は?
「・・・昨夜は楽しそうにお話されていましたね。
いつもとはちょっと違う貴方を見たような気がしましたわ。」
「そうですか?私は貴女に見られていたのですね。」と
はにかむような笑顔で応えた
「昨夜は私にとって、
もとても有意義な時間を過ごせました。
私の話していた相手は
人生の目標のような人で、
私の価値観に大きな影響を与えてくれた方なのです。」
「そうだったのですか。
そんな大切な機会に関われて、
とても嬉しく思います。」
「ところで私、いつも感心しているのですが、
井上さんはとてもポーランド語がお上手ですが、
どちらで学ばれたのですか?」
「上手だなんて、お恥ずかしい。
私は父の仕事の関係でポーランドに居る期間が長く
その間に覚えたのです。」
「そうですか、
日本の方がこちらでお仕事なさっているのは珍しいですね。
御父上様は外交とかのお役人様なのですか?」
「いえ、今の私と同じ商社の社員です。
父は仕事の関係で、
様々な国を渡り歩く放浪者のような人でした。
私も今は拠点をこちらに於いていますが、
実質的な特派員なので、
現地社員は私だけ、気軽なものです。」
そう言ってまたハハハと笑った。
「ところでヨアンナさんは極東青年会の活動をされていますが、
日本に来られた事があるのですか?」
「はい、東京で一年お世話になっています。」
「そうでしたか、
私も一度福田会の施設を訪れたことがあるのですよ。」
ヨアンナは驚き、改めて目を見開いた。
「皆様にとても良くして頂いて、
私にとって夢のような日々でした。
たくさんの方が色々な物をくださったのよ。
ほら、こうして今でもあの時から大切にしている物があるの。」
そう言って手にした小物バッグから何やら取り出した。
 それは長い年月の間に
すっかりくたびれてしまった鶴の折り紙だった。
それを目にしたとき、
敏郎は忘れていた
昔の記憶を呼び覚ました。
「その折り鶴、見覚えがある!
そう、もしかして私が作った物?」
「ええ?私は年上の日本のお兄様からいただいたの!
もしかして
貴方はあの時の日本の親切で優しかったお兄様?」
「そう言われるとお恥ずかしい!
ああ、あの時のお人形さんのように可愛かった
幼い女の子のひとりだったのですね?」
「そうおっしゃられると、
私こそ顔から火が出そうなほど恥ずかしく思います。
こんな奇跡のような偶然って本当にあるのですね!
とても嬉しいです。」
「私もそう思います!
まさかあの時作った折り鶴を今でも
こんなに大切に持っていてくれた方がいたなんて!
しかもそれが貴女だったなんて!!
何という、何という・・・」
 驚きと喜びで敏郎は言葉に詰まった。
しばし無言で橋の真ん中から
川の流れに目をやりながら、
彼女の悲劇のドラマのような人生に思いをはせ、
「貴女は生まれてからずっと、
茨のような苦難の道を歩まれてきたのですね。
貴女にとって日本に滞在した時間は
ほんの短いものだったと思うけど、
他に何か覚えていますか?」
 「短いい時間?とんでもない!
私にとってとてもとても大切な思い出です。
日本の記憶?
そう、日本の記憶は私の宝。
 私が今生きているのも、
希望を捨てないのも、日本で過ごせた記憶があるから。
 確かにポーランドと日本じゃ環境が全然違います。
帰国して辺りを見渡しても、
日本を思いだせるものなんて何もない。
でも私にとってどんなに距離が離れていても、
変わらない大切なものがこの鶴の他三つあるの。」
「へえ、それは何ですか?」
「それはね、お月さまとお星さま。」
「『お』と『様』をつけて呼ぶのは
お月さまとお星さまだけ。
それにお月さまを見ては想い、
お星さまを見ては願うようになったのは
日本でお世話になってから。」
「日本では太陽のことをお日さまと呼びますけど、
こちらの太陽は低くて暗いの。
あまりお日さまと呼べるような実感が湧かない
 私、日本でお世話になっているとき、
窓の外に映るお月さまを見ては父と母を思い出し、
お星さましか見えない夜は願うの。
『どうか父と母が夢に出てきてくれますように』って。
その習慣は、
この地に帰ってきてからも変わらず続けているわ。
 可笑しい?いい歳した娘が、
月や星にそんな事思うの。
それから三つめは思い出。
とても大切な思い出を
日本は私に数え切れないほどくれたわ。
 日本とポーランドじゃ何もかも違うけど、
変わらないのを持ち続けるのは素敵なことだと思う。
だから私にとって、
とても大切な思い出や、
あのころからの習慣は宝物なのです。」
橋の欄干から遠くを見据えるように彼女は言った。
敏郎には、
すぐ隣にいる筈のヨアンナが愛おしく、愛おしく、
しかし、潜り抜けてきた苦難を
理解も実感も想像もできない分、
もどかしい距離を感じた。
 暫く無言のまま時間が過ぎ、
橋の向こうを見つめながら敏郎は言った。
「大切にしてくれてありがとう。
うん、ありがとう・・・。
僕は今日、ここで、
この橋の上で逢えた時間をいつまでも忘れない。
一生忘れない。
目の前の美しい景色を忘れない、
今感じているこの気持ちを決して忘れない。
いつまでも。」
 ヨアンナも敏郎にまっすぐ向き合い、
「私も。」
万感を込めた眼で一言そう言った。

 戦乱は激化し、
イエジキ部隊もさらに危ない活動に日々を費やした。 
また日本の外交官たちもその身に危険が迫ってきた。
 まず、リトアニア領事がロシアから
退去の最終勧告を受け
帰国の憂き目を見ることになった。
後に有名な『いのちのビザ』の発給に
杉原千畝領事はギリギリまで全精力を注いでいた。
その行為は国策に反し、
召喚されたら厳しい処罰が待っていることも覚悟の上。
自分の信念に従った彼は
微塵も後悔していないのだった。

リトアニアはバルト海沿岸に位置する。
ヴェイヘローヴォ孤児院もバルト海沿岸。
地理的に近い好条件もあり、
敏郎との親交から、
度々領事と情報交換をしていたが、
最終勧告を受けた日の晩、
偶然にも訪れていた敏郎と
二人だけのささやかな送別会が行われていた。
 そして翌日から彼の退去の列車に乗り込むまで続いた
命のビザとの戦いが始まったのだった。
 一方イエジキ部隊は
シベリア孤児を中心に彼らが面倒をみてきた孤児たち、
今回の戦災で家族を失った新たな孤児たちも加わり、
一万数千人まで膨れ上がり一大組織に成長している。
 戦争による悪化に伴い
地下レジスタンス活動が激化し、
イエジキ部隊に対する
ナチス当局の監視と警戒の目が厳しさを増した。
 イエジキ部隊は隠れ蓑に孤児院を使っていたが、
突然ナチスからの強制捜査があった。
急報を受けて駆け付けた日本大使館の書記官は、
「この孤児院は日本帝国が保護する施設である。
その庇護下の施設が
日本と同盟する貴国を害するはずはない。
疑いを解き速やかに退去されたし!」
そう威厳をもって言い放ち、抗議した。
 しかしそう簡単に納得できないドイツ兵は
「しかし我々も確かな情報に基づき行動している。
子供の遣いでもあるまいし、
はいそうですかとそう簡単に撤収するわけにはいかない。
とにかく納得するまで捜索させてもらう!」
と突っぱねる。
そこで書記官の後ろに控えていた敏郎が
不安におびえる孤児院に向かい、
「大丈夫!君たちが怯えることは何もない!」
そして孤児院院長を兼ねたイエジキ部隊長に向かい、
「君たち!
このドイツ人たちに日本の歌を聴かせてやってくれないか!」
と呼びかけた。
イエジたちは意を決し、
立ち上がると日本語で「君が代」や
「愛国行進曲」などを大合唱した。
その様子にあっけにとられ、
圧倒されたドイツ人たちは立ち去った。
 その頃のドイツは先に述べたように
日本との軍事同盟下にある。
日本大使館には
一目も二目も置かざるを得ない状況にあった。
そして日本大使館はその同盟を最大限活用し、
イエジキ部隊を幾度となく庇護した。
 しかし兵力で圧倒的に勝る
ナチスドイツ軍への抵抗は長くは続かず、
部隊の関係者は徹底的に逮捕され処刑された。
 そして運命の日。
ドイツ軍部隊が
イエジキ部隊の拠点に踏み込み
多数の死者と逮捕者が出た。
 報に接し、
急いで拠点に駆け付けようとするヨアンナ。
ほぼ同時に報を耳にしてヨアンナの
もとに向かう敏郎。
 ふたりは隠れ家の手前で遭遇した。
眼前の銃声と叫び声、
破壊の轟音にヨアンナは取り乱し、
敏郎の静止を振り切り止めさせようと駆けだした。
その様子に気づいたドイツ兵が
振り向きヨアンナに銃口を向けた。
 救出の仲間が現れたと思うドイツ兵。
相手が女性でも冷静さを欠き
容赦なく冷徹な行動に出る。
そして向けられた銃口が火を噴いた。
咄嗟にヨアンナを庇い、前に出る敏郎。
しかし銃弾に晒されても彼は倒れなかった。
 思わず悲鳴を上げるヨアンナに
正気を取り戻したドイツ兵は、
引き金を戻したがもはや全ては遅かった。
誤って東洋人を撃ってしまった。
その場に立ち尽くし、
ヨアンナとようやく崩れる落ちる敏郎を見ていた。
 ヨアンナは半狂乱で敏郎にすがり、
その名を呼び続けた。 
ヨアンナの腕の中、
敏郎は宙に目をやり、
最後に空の青さと
ヨアンナの顔を焼き付け
静かに目を閉じた。
        
つづく