goo blog サービス終了のお知らせ 

西向きのバルコニーから

私立カームラ博物館付属芸能芸術家研究所の日誌

タマらん痛い思い出

2009年07月10日 17時49分00秒 | Weblog
キ×〇マねじれ手術、安田団長が精巣捻転(サンケイスポーツ) - goo ニュース


 1981(昭和56)年3月16日夜。私は京都の実家から、下宿するアパートのある富田林へと向かっていた。
 股間に微かな痛みを覚え始めたのは、途中の電車内であったと思う。特に近鉄に乗り換える際、発車のベルが鳴る急行列車に駆け込んだその時、痛みの度合いがかなり増していたことを憶えている。

 最寄駅で下車。アパートまで5分程の道を、痛みに耐えながら、ガニ股で歩いた。

 アパートの部屋で炬燵に入り、下半身を温めてみたが、一向に痛みは治まる気配なし。それどころか、むしろ余計に痛くなってきていた。激痛というやつである。段々息も荒くなってくる。

 実家に電話で相談。すぐさまホーム百科で調べてくれた母が言った。

「睾丸捻転症かもしれん。はよ病院行って捻れてんのを戻さんと……」

 自分で119番をして、独り救急車に乗り込む。
 やがてある病院に到着するも、「これはウチでは駄目です」と言われる。たらい回しである。そして、堺市の病院へ担ぎ込まれる。

 最初に診た医者先生曰く……。

「遊んだんか?」

 なんでやねん!? どんな遊びしたら、こないなことになるっちゅうねん!?

 結局、副睾丸炎と診断されて、即刻入院。
 しかし尚も痛みは退かず、患部が赤く腫れだし、2~3日後には通常の3倍から5倍程の大きさに腫れあがる。
 毎日湿布をして、2週間ぐらいで、腫れ痛みともに退くも、患部に感覚がない。
 数日後、首のリンパ腺が腫れ、高熱に見舞われる。

 1週間程、熱の下がるのを待ち、4月10日、手術。
 「これがホンマの局部麻酔」なんて、洒落にもならない。
 しかしさすがに急所とあってか、麻酔がしっかり効かず、手術中の4時間、「痛い痛い!」の叫び通しであった。

「河村さん、これね、血管のとこで捻れてね、血が行かなくなってたんですよ。もう半分腐ってきてますよ。だからもう取りますよ」

「はい……、お願いします……」

 結局、私の右睾丸は、摘出された。

 手術が終わって、縫合されている時、看護士が医師に尋ねた。

「先生、病名は?」

「睾丸回転症。回転レシーブの回転!!」

 病名を、初めて聞いた瞬間であった。


 安田団長、取らんでよかったね。
 お大事に!


人気ブログランキングへ