那智瀧を出て那智山の奥参道を登り、青岸渡寺の境内から小さい門をくぐって熊野那智大社の境内に入る。入ったところに聳える大楠は、平重盛が参詣の際お手植したものと伝えられている。明治期の神仏分離以前は青岸渡寺と熊野那智大社は一体のものであったが、今は境内は隔てられ、表参道の500段の石段も途中でYの字に別れてそれぞれの境内に達している。ちなみに三重塔は青岸渡寺に属する。
熊野では古代から那智大瀧を「神」としてあがめ、そこに国づくりの神である「大巳貴命」(大国主命)をまつり、また、親神さまである「夫須美神」(伊弉冉尊)をおまつりしていた。その社殿を、お瀧からほど近く、しかも見晴しのよい現在の社地にお移ししたのは仁徳天皇五年(三一七年)と伝えられている。本殿は東西に六殿が並び「熊野権現造り」の原形そのままのもの、と言う。
実は10年前に来た時には長い石段を避けて、65歳以上の人にだけ許される道を通り車で境内まで登ってしまった。今回歩いて登れたことで、より有難味が感じられた。
三重塔と那智大瀧
熊野那智大社の境内
社殿
宝物殿
大楠
拝殿正面
本殿の屋根
青岸渡寺と熊野那智大社を隔てる門
表参道(石段)途中の鳥居
表参道の石段
熊野では古代から那智大瀧を「神」としてあがめ、そこに国づくりの神である「大巳貴命」(大国主命)をまつり、また、親神さまである「夫須美神」(伊弉冉尊)をおまつりしていた。その社殿を、お瀧からほど近く、しかも見晴しのよい現在の社地にお移ししたのは仁徳天皇五年(三一七年)と伝えられている。本殿は東西に六殿が並び「熊野権現造り」の原形そのままのもの、と言う。
実は10年前に来た時には長い石段を避けて、65歳以上の人にだけ許される道を通り車で境内まで登ってしまった。今回歩いて登れたことで、より有難味が感じられた。
三重塔と那智大瀧
熊野那智大社の境内
社殿
宝物殿
大楠
拝殿正面
本殿の屋根
青岸渡寺と熊野那智大社を隔てる門
表参道(石段)途中の鳥居
表参道の石段
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