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比叡山を下り承安5年(1175年)、浄土宗の宗祖・法然が後半生を過ごし、
没したゆかりの地に建てられた寺院で、現在のような大規模な伽藍が建
立されたのは、江戸時代以降である。徳川将軍家から庶民まで広く信仰
を集め、今も京都の人々からは親しみを込めて「ちよいんさん」「ちおいん
さん」と呼ばれている室町幕府が行ったように二条城とともに京都におけ
る徳川家の拠点とすること、徳川家の威勢を誇示し、京都御所を見下ろし
朝廷を牽制することといった、政治的な背景もあった一心に弥陀(阿弥陀
如来)の名を唱え続ければ極楽往生できるとする思想である。この思想は
旧仏教側から激しく糾弾され、攻撃の的となった