結果的に雪村いづみさんと競作になった「思い出のワルツ」ですが、
このことも過去に何度か掲示しました。
http://blog.goo.ne.jp/udebu60827/e/f17be7ffa9de5d059fc0d82bc198a96d
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ここに江利チエミ吹き込み予定の「思い出のワルツ」が、ビクターから江利チエミの後を追うライバル/雪村いづみのデビュー曲「想い出のワルツ」として発売された経緯を書かせていただいています。
この江利チエミ帰朝記念盤の方なのですが、まだエコーという技術が日本にない時のはずなのに、レフレインで「ゾウ イット メイ ブレーーク ユア ハ--ト・・・」と、リタルダントがかかってアカペラで歌う部分に「突然エコーがかかる」部分があるのです。
CDでこの28年の音源お持ちの方... 聴いてみてください!
コレ... 前にラジオで「日比谷公会堂(1929年開館)の化粧室なんかで録音したりしたこともある」という日本のジャズ特集の番組で語られていたことがあり、これもおそらくはその手法を使ったんだろう...ということを元にかつて「本家/江利チエミの世界HP」(http://www.geocities.jp/chiemi_eri/)の管理人さんに投稿したことがありました。それが私のネット生活のルーツでもあったのですが...
昨日、ひょんなことから素晴らしい出逢いを果たしました。
東京キューバンボーイズのメンバーだった方や、ゆかりの方々と3時間ばかりお話をする機会を授かったのです。
突然ここで「エコー」がかかる... ということだと、テープ録音などでその部分を「別録」しなくてはいけない... これまでの推測だとそうなります。
しかし、この録音はそうではない!・・・のだそうです。
江利チエミさん
バンド --------------->エコーがかかる(ドーム効果のでる場所)
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ここに通常のマイクがある。 ここにもマイクを置いておく。
すなわち、エコーがかからない場所で普通の録音をする。
エコーがかかる部分で「残響がワオ--ンと響く」場所でも同時にマイクで拾う。
録音スタジオ------隣接する化粧室・風呂場のように残響が残る部屋との境を開け放って... エコーがかからないところ と エコーがかかるところ とにマイクを両方に置いて、そこで同時録音をした... という手法で録音されたものなのだそうです。
のちに厚生年金ホールが落成(1961年開館)されると、舞台でヴォーカルマイク・伴奏マイクを設置して、客席の方で「残響が拾えるところ」でも同時にマイクを設置して、同時収録をする... など、キングレコードは「ありとあらゆる努力」で様々な効果を出す録音をした... のだそうです。
江利チエミ「思い出のワルツ」の録音効果の謎・・・
これは スタジオ 隣接するエコーがかかる場所(部屋)/あるいはエコーがかかる別部屋にスタジオの音を送って、そこでエコーがかかった江利チエミさんの声を拾う という同時進行で録音されたもの... ということでありました。
江利チエミファン暦約40年にして判った真相です。
わたしの江利チエミさん探しは、まだまだ果てしないようです。(笑)
※昨日わたしのようなものに色々お教えくださった皆様!!
ほうとうにありがとうございました。 感謝 感激でした。
ただキングは同時期にペギーさん...でも多くの「多重録音」をはじめています。これは勿論「テープ録音」が始まったからでしょうね。
ペギーさんのアゲインは、同一人物のユニゾンで「声に奥行きを出す」よう試みたとか...
世界的にも珍しいのでは。。。
どうなんですかね?
私はロックン・ロール以前の古いボーカルものは、
全くの門外漢ですが、クロスビーあたりはエコー処理しているんでしょうか?
とにかく、当時日本にはエコーという概念はないですよね。
あと昭和28年と言えば、“サイド・バイ・サイド”や“君呼ぶワルツ”のような一人二重唱などは、日本初なのではないかなと思いますがどうですか?
ご教示頂ければ有難いです。
多くこれからも書き留めていけたらいいな...って思います。
と言っても、ただマイクを置けばいいってもんじゃないだろうから、いろんな所に置いてみてテストを繰り返した結果の位置決めなんだろうね。
設備が整わない分、手作りの知恵で勝負。
これって、昔、音響効果さんが、波の音をタライに砂を入れて揺すったりしたのと似ていますよね。
こういう創意工夫が昔は当たり前のように行われていたことに嬉しさと驚きがあります。
いいね、いいね、こういう逸話って。