江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

74) 思い出 と 想い出 のワルツ (キングの牧野ディレクターのこと等)

2005年07月09日 | 江利チエミ(初期記事・本編)
「S盤アワー わが青春のポップス」小藤武門さん著 …アドパックセンター刊 
ビクターさんのお偉いさんの著書です。(これは友人A氏より資料を拝借したものです。)

ここに興味深い話が書かれています。
5)ウスクダラ...にも書き込みましたが、雪村いづみ/ビクターvs江利チエミ/キングのフェアプレーともいうべきエピソードが書かれています。

>日本の戦後ポップスは、確かに、この「テネシーワルツ」江利チエミで始まったといっても過言ではないと思っている。
 …フムフム 確かに!ライバル会社の方なのにいいヒトだ!
(ビクターさんは ひばりさんもチエミさんも落としています。)

>コロムビアとビクターが「子供のサルマネ」と決め付けた筈の、そんなチエミの真価を発見したのは、キングであった。
 …和田プロデューサーの名前は私でもしっかり「初代:音羽たかし」としても、功労者としても知っていましたが、デビュー決定にこぎつけたのには、著者の先輩格にあたる牧野剛さん(著作刊行時のキングR.取締役)の功績であったとも記述されています。

この著者:ビクターの小藤氏と、キングの牧野氏との、すばらしい「フェアプレイ」の話...
アーサー・キット...琥珀色の女王とよばれた、ショッ・ショ・ショジョジーや、ウエディングベルが盗まれた、セ・シボン、ウスクダラ...等数々のヒットを飛ばしたセクシーボイスを売り物にした黒人シンガーです。なぜ彼女の曲を提携会社ではないキングのチエミさんでレコーディングできたか...が、ここにしっかりと書かれています。

>牧野さんと私は、…こちらからチエミに合う歌をキングの牧野さんにおしえたり、また教えられたりして、日本のポップスの発展のために、仲良く談合をやったものである。
「キャンキャン声の雪村いづみには、もってこいの曲だ」と私に「Till I waltz...」をアドバイスしてくれたのは、キングの牧野さんであった。
「アーサーキットをコピーできるのは、チエミにおいてない…」私は、そのお返しにと、新曲を牧野さんにプレゼントした。「チエミには、黒っぽいフィーリングがよく似合う、この歌こそ、まるでチエミのためにできたようなものだ」と。まさにその通りになった、その曲が「ウスク・ダラ」だったのである。


また、この著書ではデルタとの出会いの経緯も少しだけ触れられています。

>「テネシーワルツ」で一躍スターダムにのし上がったチエミは、その年アメリカに渡り、永島達司さん(太洋音楽出版社長)のとりはからいで、デルタ・リズム・ボーイズのリーダー、カール・ジョーンズに師事するチャンスを得た。  ...と。

※雪村いづみさんのデビュー曲ともなった「Till I waltz again with you」の邦題は「想い出のワルツ」で帰朝記念として発売された江利チエミ盤は「思い出のワルツ」となっています。

画像は伝説のステージ...ミュージカルタイトルマッチのパンフ(資料提供:Aさん/Tさん)



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2 コメント

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永島達司さんとの関係 (オランダの薔薇)
2005-12-23 11:10:53
こんなサイト見つけました。

http://www.geocities.jp/charmant09/bo11.htm



>ビートルズを招聘したキョードーの永島達司は、米軍基地へのミュージシャン派遣から出発し、やがて、ジャズ歌手の草分け笈田敏夫とナンシー梅木のマネージメントをする。「テネシー・ワルツ」をヒットさせた江利チエミを手掛けたこともあるが、彼女も当時はジャズ歌手、しかも吉本興業の所属だった。永島は、英語の歌詞なのに何でこんなに受けるのかと林正之助や田岡一雄に聞かれたそうだ。昭和30年前後の話だ。



チエミさんと永島達司さんとの関係を明らかにして頂ければ、ビートルズファンにとって食いつきやすくなりますが。。。

いかがでしょうか?
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2006年9月9日 (う--でぶ)
2006-09-09 00:14:54
薔薇さんの 去年の12/23 のコメント...

 2006年9/9に 発見 しました!!

はい... 今更ですが今度トライします。

※過去にも何回か分散して書いてるものをまとめますね。
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