江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

◆ メジャーデビューした昭和27年(1952年)の江利チエミ

2018年02月10日 | 江利チエミ(続編)

デビューした昭和27年、発売されたSPは以下の通りです。

1月テネシー・ワルツ/カモナマイハウス(家へおいでよ)
5月 トゥー・ヤング/ビビディ・ボビディ・ブー

※ここで大映で初の主演映画「猛獣使いの少女」が作られます。
美空ひばりラインの「主演映画+主題歌」という売り出し方をおそらく模索したものと思います。しかし、少女はかたくなに「乗り気ではなかった」ようです。

6月 サーカスの少女 / 情熱のトランペット(映画/猛獣使いの少女 )
9月 涙の母子鶴/ワンダフル娘 (映画/母子鶴)

そして、またここでキングは「サンパギタ」のB面に、前年母親を亡くしたばかりの少女歌手に少々酷な楽曲を用意しました。

10月 サンパギタ/ふるさとのお母さん

しかし、この「柳の下の二匹目」の売り出し方は成功しませんでした。
江利チエミファンも圧倒的に「ジャズのチエミ」を支持します。

10月 チャタヌギ・シュー・シャイン・ボーイ/ブルー・ムーン

12月アゲイン/プリティー・アイド・ベイビー(可愛い瞳)
  サイレント・ナイト/ジングル・ベル

この「和のオリジナルもの」の初期の最後の楽曲といえるのが、次のSPです。

28年1月 チエミの花売り娘/東京ワルツ

...これは、新東宝初のカラー作品「ハワイ珍道中」の挿入歌でしたが、これもヒットには繋がりませんでした。
 なんせ、本人が 乗り気でない ということが「明らかに感じられる」のですから。

スーパースター・美空ひばりの後からデビューした同い年の江利チエミ...
 どうしても「比べられ」「会社は二匹目の...」という線を色濃く出していたことがこのデビュー直後の楽曲で判ります。
 江利チエミは、この「大人の思惑」に対して、真っ向から反抗したのだな...と思えます。和モノに対しては最初は極端に拒絶反応を示し、女優業にも興味を示さなかった...この「抵抗」は結果として成功したとのだと思います。
最終的には3人の中で一番女優として活躍をし、民謡も歌うことになるのですが...

そして「3人目」の少女... 雪村いづみさんは、一番器用に「ひばりさんスタイルの映画タイアップでの売り込み方」も「チエミスタイルのカバーシンガー路線」も同時に使い分けていたように思えます。


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