江利チエミファンのひとりごと

江利チエミという素晴らしい歌手がいた...ということ。
ただただそれを伝えたい...という趣旨のページです。

105) 三亀松師匠直伝の「さのさ」二題

2005年07月30日 | 江利チエミ(初期記事・本編)
京塚昌子さんが邦楽の番組をテレビ東京で22:00~30までの30分番組でやっていました。
「縁かいな」...という番組名だったと記憶しています。

チエミさんがゲストで三亀松師匠のさのさを2曲披露されたことがありました。
お三味線の伴奏で...

♪お前また泣いてるんだ~ネー
  泣いたって泣いたって 仕方がないじゃないか~
 僕まで悲しく な~ってく~る
  あ~ら 破れ障子にネエ つげの櫛 
   待つんだ~待つんだ~ 何にも言わないでサ

そしてもう一題...

♪ネエ貴方 御酒とあたしとどっちが可愛いの
  飲ませな~きゃ 帰ると言うし~ 飲ませば寝てしまう
 せめて一夜はネエ しみじみと
  抱い~て 抱か~れて~ 過ごしたい

三亀松師匠の高座を聞いて(子どもの頃に)覚えた...といっていたと思います。

お三味線の伴奏でも、たっぷりとした歌いっぷりで洋楽のエッセンスのバリバリ利いたチエミのさのさ...でした。
間の取り方はやはり江利チエミさんの「さのさ」は独特のもの...でありました。

※柳家三亀松師匠のこと...
東京深川に生まれ、父親にあこがれ川並(木場職人)になるが、幼いころからの芸好きがこうじて幇間(ほうかん:たいこもち)、新内流し、そして寄席芸人の道へ...

 三味線を弾きながら、「はあっ」と合の手がはいって、都々逸になる...
   四畳半のお座敷の世界。粋筋の女を相手にさしす、さされつ...しっぽりと。

デビュー当時は、阪東妻三郎さんらスターの物真似や立ち回り等も演じていたとか...
しかし、昭和の御世はどんどんときな臭くなっていく。それでも平気で艶っぽい芸をやり続けて、発禁レコードは数知れずだったとか。
しかし、「戦時都々逸」、「軍国さのさ」なんかをやってのける反骨としたたかさも持ち合わせていたようです。
金遣いの凄さはハンパでなく、藤山寛美さんや勝新太郎さんは三亀松師匠を見習ったのだとか...
吉本興業の所属でした。



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