明日香(飛鳥)歴史ガイド 健康保持のため明日香路を歩こう
石舞台古墳 石舞台古墳(いしぶたいこふん)は明日香村にある古墳時代後期の古墳。1952年(昭和27年)3月29日、国特別史跡に指定される。伝承であるが、別称を蘇我馬子桃源墓 (そがのうまことうげんぼ)という。蘇我馬子(そがのうまこ)の墓と伝えられる。
橘寺 橘寺(たちばなでら)は明日香村にある天台宗の寺院。正式には「仏頭山上宮皇院菩提寺」と称し、本尊は聖徳太子・如意輪観音。橘寺という名は、垂仁天皇の命により不老不死の果物を取りに行った田道間守が持ち帰った橘の実を植えたことに由来する。
明日香民俗資料館 明日香村に伝わる農具や生活用具などの民俗資料を展示している資料館。入り口には萱葺き屋根の大和棟農家が移築されており、江戸時代の生活様式を目にすることができる。館内では養蚕、染色などに用いられた道具類をはじめ、大和の奇祭や伝統行事、信仰生活様式など資料展示されている。明日香村大原の里
中臣鎌足 中大兄皇子(後の天智天皇)らと共に蘇我蝦夷・入鹿を殺して、いわゆる大化改新をなし遂げ、天智天皇の近江朝廷の最高位に登り、大織冠の位を授けられ、死に臨んで藤原の姓を賜わり藤原鎌足となった人物。そして、「この世をば我が世とぞ思う望月の欠けたることもなしと思へば」とまで歌いあげられた藤原氏の基を開いた人物。
飛鳥坐神社(あすかにいますじんじゃ) おんだ祭り(御田祭り)が有名
明治以前の日本は【性におおらか】だったに違いない。
五穀豊穣を祈る気持ちと、子孫繁栄を祈る気持ちは人間の底では通じていて、純粋な人間と社会の営みの願いそのものである。
飛鳥寺講堂跡で巨大な礎石出土 日本最古の寺(596年に完成)として知られる明日香村の飛鳥寺跡で、7世紀初めにつくられた講堂の巨大な礎石(柱の台石)などが見つかり、奈良文化財研究所が平成18年11月13日に発表した。現在の飛鳥寺の北側に位置する来迎寺の境内で塀新設に伴い、同研究所が先月末から約50平方メートルを調査。花崗岩の巨大な礎石がL字形に4個並んで出土した。基壇上に穴を掘って礎石を据えるなど、後世の寺社と同じ基礎工事をしていたことが判明。同研究所は「こうした建築技法が7世紀初頭にさかのぼることが確実になった。日本の寺社建築は飛鳥寺がモデルだった可能性もある」と話している。大化の改新(645年)後も官寺として優遇された。その後、火災などに見舞われ、江戸時代に現在の飛鳥寺(安居院)が再興された。
飛鳥寺(あすかでら)は明日香村にある寺院である。蘇我氏の氏寺で、日本最古の本格的寺院でもある法興寺(仏法が興った寺の意)の後身である。法号は「法興寺」または「元興寺」(がんごうじ)であり、平城遷都とともに今の奈良市に移った寺は「元興寺」と称する。本尊は「飛鳥大仏」と通称される釈迦如来、開基(創立者)は蘇我馬子である。山号を鳥形山(とりがたやま) 現在の宗派は真言宗豊山派。
蘇我入鹿首塚と甘樫丘 蘇我 入鹿(そが の いるか)は、大和朝廷の有力者。
大化の改新前夜乙巳の変において討たれ、その後、蘇我氏が凋落するきっかけとなった。飛鳥寺境内と甘樫丘にほど近い場所に「入鹿の首塚」がある。
上野南部地区住民自治協議会 健康スポーツ部会
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