まちづくりぷらす

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再生の町はすごい!

2009年09月07日 | 公共課題に気づくきっかけ
NHKで土曜夜9時から放映されている「再生の町」
このドラマ、NHK土曜夜9時枠ということで、本格社会派ドラマに仕上がっています。

わかおは第1回から見ていますが、このドラマはほんとによく取材されている印象があります。実際に大阪近傍の自治体20団体以上に取材に行っており、撮影も門真市役所で行っているそうです。

主人公は地方公務員。横浜の老舗百貨店が激安スーパーに売却されることになったため、地元に戻り地方公務員として平凡な毎日を送っていました。そんなときに、なみはや市の財政破綻が発覚。財政改革特別プロジェクトチームが組織され、その中に主人公も入ることになります。

いろいろなステークホルダー(第1回は市営住宅居住者、第2回は区画整理対象者、その他に市長・市議会議長・他の職員(PT内/外)など)との関係の中で、いま現実に起きている問題に直面し、それでも事務事業見直しを通した財政改革を実行しなければならない状況。

その中でも、主人公が市民の生活を守ろうとする思いがとてもよく表れています。たとえば市営住宅の建替問題では、予算削減率15%を達成するために、空室分を建て替えず、余った土地を民間に売却する案(背景は好立地物件)などを導き出しています。

その案を説明すると、東京から来た経営コンサルタントに「土地の売却はあくまで見込みでしかない。建て替えをやめるのが現実的。」と言われ、プロジェクトリーダーに「とにかく確実に削減できる案を持ってこい」、「情をもって非情となるんや」と言われます。


この「情をもって非情となる」・・・とてもずーんと心に響きました。


もし自分がこのコンサルタントの立場として入り、時間内に成果を出して終わらせるためにはどういう手段をとるんだろうかと考えたところ、やはり現実的には建て替え中止という案に落ち着かせなければならないかもしれないなと考えました。

「情をもって非情となる」。政策を考えることは、こういう側面が大きいことも知っていますが、弱者への温かいまなざしを忘れた政治・行政は、本当に価値があるのかということもまた一方で考えます。



やっぱり、わたしは「情を持った」コンサルタントになりたいです。

公共的課題に気づくきっかけは何か?(大学生編)

2008年03月05日 | 公共課題に気づくきっかけ
ネタがないときの「公共的課題に気づくきっかけは何か?」の大学生編です。
先日取材を受けていたら、何か運に左右されているような印象を与えたような…。

1.小学生のとき

2.中学生のとき

3.高校生のとき

4.大学生のとき

(1)ずっと政治に興味があったため政治学にはまった
最初は法律か政治か悩んでいて、宅建とかに手を出したこともありましたが…。
大学2年の学科選択のときに、「やっぱり興味の赴くまま行こう!」と、
政治学系の「公共システム学科」(次の年に廃止された…)を選択しました。
で、大学2年の夏から「まじめにやるなら本は今後すべて買う」という方針に。
その結果、学部の引っ越しには苦労することになります(今回は若干処分)。
まぁ、政治学とか公共政策に関係する本は今より詳しかった気がします。
だから2005年以前に出版された本はそれなりに詳しいのですが…。

(2)すばらしい教員陣に出会って現場主義をたたき込まれた
このブログにたびたび出てくる文学部地理学教室の神谷先生
まぁ「陣」ということは他にもいろいろな方がいらっしゃいます
(2006年3月22日記事「卒業式と大学の思い出」)。
指導教員の木村先生のゼミでは、いつも口頭試問ばりの質問攻め。
ゼミ生が少なくて大変でしたが、すごい勉強になりました。
社会調査論・実習関係でお世話になった眞鍋先生は、
いつもフィールドワークの重要性を訴えられており、
その考え方などは非常にいまの自分に役立っています。

(3)石川県議会議員の学生政策スタッフをやっていた
この話はあまりこのブログに書いたことはないのですが…
(というより、ブログをやり始めた頃はもうやっていなかったので)。
もともと政治学が専攻で実際の政治に興味があったので、
具体的に地方議員とコラボする機会を神谷先生に作ってもらい、
そこで質問案を考えたり、視察に帯同することを約6か月やってました
(2004年3月~9月くらいまでが実働期間でした)。
理論と実践を意識し始めたのはちょうどこの頃ですかね。

(4)NPOに1か月間インターンシップに行った
2005年8月記事
2005年9月記事
上に大体インターンシップの経過の記事がありますが、
それまでNPOというと怪しい存在で必要あるかなぁ?と思っていたのですが、
具体的に活動しているNPOの中に入ってみて活動してみると、
いろいろ問題はあるものの意味のある活動をやっていることも多いと実感
(本ではよく出てくるんですが、学生で実態を知っている人は少ない気が)。
毎日温泉に入れたので、このインターンシップに行ってよかったです(笑)

(5)友人や教員と議論しまくった
夜から朝まで友達の家で「あーでもない、こーでもない」と話していたのは、
いま振り返っても懐かしいなぁと思います(ジョイフルで10時間耐久とか)。
こういう学友に恵まれたことは本当にラッキーだと思いますし、
先生たちともいろいろお話しして、考えさせられることが多かったです。

やっぱり、いい教員や友人に恵まれて、いろんな機会を与えられて、
それを吸収していこうとしっかりと努力していったことが、
公共的課題を捉える視点を磨いていく過程では重要だったと思います。
もう少し、しっかりしたまとめを考えられたらUPLOADしたいです。

公共的課題に気づくきっかけは何か?(高校生編)

2008年02月04日 | 公共課題に気づくきっかけ
公共的課題に気づくきっかけは何か?の高校生編です。
問題意識が急激に芽生え始めるのは多感なこの時期でしょうね。

1.小学生のとき

2.中学生のとき

3.高校生のとき
(1)疲弊した本町商店街を見て帰ることがたまにあった
関市の中心商店街である本町商店街(写真はこちら)。
この商店街のシャッター率は非常に高かったんですよね
(いまも当然ながら高いのですが…)。

確かにこの街で何か買うものってあるかなぁ??と思いつつ、
家までの帰り道(寄り道…)で、自転車をこいで見ていました。
小さい頃に、模型やとか刃物まつりとかのときにしか行かない商店街。

もうわたしにとって、商店街は原風景でもなんでもありません
(というか、若い人の多くが商店街に「思い」は持っていません。
ある意味で原風景を持っている人たちを取り込むいまが最後のチャンス)。
もちろん、扱っているものがおもしろかったりすれば別ですが…。

「こんなんじゃダメでしょ」って高校時代友達と話していたら、
本町商店街で服飾店?を女の子に怒られました(笑)
「シャッターしまっとるのに、しまっとるって言って何で悪いんや!」
とバトルトーク!若き日の(相手の心が読めていない(笑))思い出です。

ちなみに、関市はうなぎやが有名で、東海一円からお客さんが来ます。
そのうちの有名店の1つ「辻屋」はこの本町商店街内にあります
(2月7日から実家に帰るので、1回はうなぎやに行かなければ!)。


(2)逆に繁栄するマーゴという大規模商業施設を見てきた

確か小学生の頃でしたが、クルマに乗っていると田んぼをつぶしていました。
「なんか大きいものができるんやろ~なぁ」なんて思っていると、
大型商業施設「サンサンシティマーゴ」ができあがりました(1994年9月)。
あっという間に関市だけでなく周辺市町村からもお客さんが押し寄せました
(2000年12月には、シネコンなども含めて増床しました)。
そうすると、渋滞していなかった道が恐ろしいほどの渋滞になったり…。
遊ぶには便利になったけど、これでいいのかなぁとは漠然と思っていました
(実際、本格的に勉強し始めるのは大学に入ってからですが…)。

この本町商店街の衰退とマーゴの繁栄という対比は、
自分がまちづくりについて興味を持った原点だと思います。

(3)日本の論点を買うようになった
高校生のとき、本屋に行ってみるとおもしろそうな本がありました。
その前はイミダスとか買うときもあったのですが、辞書みたいでイマイチ。
そのときに見つけたのが『日本の論点』でした。

あるテーマ(論点)に関して、両面から見方を提供してくれるこの本は、
高校1年生を驚かすには、十分すぎるものでした
(その後大学3年生くらいまで購入し続けていました)。

高校時代は答えをひとつにすることを求められますが、
大学では打ってかわって「答えは1つじゃない」。
文系の学生が戸惑うのはこの辺にあると思うのですが、
この本はそれを先に教えてくれたということで意義深かったです。

高校生編はこんなところです。
だんだん地域課題に少しずつ目を向け始めているみたいです。
でも、実際に深く調べようとはしていませんでした
(そういう意味では、まだまだ甘いですね(笑))。

公共的課題に気づくきっかけは何か?(中学生編)

2008年01月30日 | 公共課題に気づくきっかけ
公共的課題に気づくきっかけは何か?の中学生編です。
自分の意識の「核」を探るというのは意外に楽しいことです。

1.小学生のとき

2.中学生のとき
(1)生徒会の選挙管理委員になった
小学校6年生で「政治家とはなにか?」を突きつけられてしまった自分は、
「う~ん、なんか怪しい人たちなんだろうなぁ」と思っているくらいでした。
「選挙っていうのもよくわからないし…」そして、選挙管理委員に(笑)
確か中学1年で友人が生徒会の会計に立候補してたときに選管でした。
「彼には通ってほしいなぁ」なんて思いつつも公正な選挙管理…か。
結局、僅差で敗れてしまったものの、
うちの中学で1年生最多得票を保持しているのは彼ではないかと。


(2)学級委員でなぜか親同士の仲裁をさせられた

わかおが小公共を意識する学級委員を忌み嫌うのはこの頃からです。
確か中学2年生の野外学習で泊まりにどっかに出かけたときでした。
バスの中で小競り合いが…、NくんがKくんのメガネを割ってしまうのでした。
野外学習が終わって、「あ~まとまりのないクラスは疲れるな~」
なんてのんきなことを言って、いえのソファーで寝ころんでいると、
「プルルルル」…電話がかかってきました。

Kくんのお母さんからです。
K母「うちの子のメガネを割ったのは、Nくんだよね?」と。
わかお「まぁちらっと見えた感じではそうだったと思います」
K母「やっぱりね!なんとかNくんのお母さんに言ってください!」
わかお「わかりました」

その5分後くらいにNくんのお母さんからです。
N母「たっちゃん、Nが割ったっていっとるらしいやん、ほんとに?」
わかお「ちらっと見えた感じではそう見えたんですが…」
N母「ほんとにそうなの??(詰問風)」
わかお「う~ん、そうだった気はしますが…」

とりあえず、まだ肝が据わっていないわかおは、
こう詰問されてなぜか調停をさせられるハメに。
結果的には、N母がKくんのメガネを買うことで収まったはずですが、
「なんでこんなことやらんといかんのや!」とわかおは怒り心頭。

とりあえず、その後はつつがなく学級委員をやり終えたはずですが、
もうそれ以来、「絶対役職にはつかない」という思いが芽生えました。
少なくとも、もう小公共との関与を否定することになるわけですね。

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ちなみに、この「絶対役職につかない精神」は高校でも生かされます
(いまや時効ということで批判は勘弁してください(笑))。
高校3年時の担任はよくわからない人で、勝手に学級委員を決めます。
で、このクラスなら明らかに「学級委員要員」として入れられたような
印象があって、実際に「学級委員をやれ!」と言われました。
そこでは「とりあえず、はいはい」と言っておきました。

そこからのわかおの動きは非常に素早いものでした。
親しくしていた図書館の主(ぬし)S先生に会いにいきます。
わかお「学校の図書館もコンピュータ化が必要ですよ!
例えば○○をやりたいんですけどどうですか??」
S先生「それはいいですね、ぜひ図書委員になっていただきたい」
わかお「そうなんですよね。わたしもそれを願っているのですが…」
S先生「どうしたの??」
わかお「実は担任が学級委員やれって言うんですよ。
だから図書委員にはなれないかもしれません。
もし先生がわたしを図書委員にしたいのであれば
担任にそれをおっしゃっていただけませんか?」

その日のうちに、学級委員から図書委員に変更されました(笑)
「お前、裏から手回すとはこしゃくなやつだ!」って言われました。
この辺に「政治学」のパワーバランスの分析に興味を持つ
萌芽が見られるのかもしれませんね~(ほんとか??(笑))
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(3)文部省に修学旅行の班別行動で行った
修学旅行は東京でした。班別自由行動っていうのがあると思うのですが、
うちの中学校は国会議事堂解散で約8時間後にディズニーランド集合でした。
事前の打ち合わせ時に、「原宿行きたいお台場行きたい」という
いかにも中学生らしい発言にうんざりしていたので、
とりあえず最初だけは決めさせろということで、文部省行きを強硬。
いろいろ案内してもらって、中央省庁ってすごいんだなぁって漠然と。
別に公共的課題ではないですが、ああいう人たちがいるんだということを、
教科書以外で認識したという経験は、何らかの影響があったかもしれません。

とりあえず、中学生編は終了です。
公共的課題に気づくきっかけのやっぱりコアになる部分は、
小学6年生時の給食委員長をしていた体験が大きくて、
それ以降アンテナが立って、いろいろ引っかかるっていう印象ですね。
今回は小公共から少し身を離すという方向性もあって、
「ああ、いろいろ揺れ動いていたのかなぁ」なんて漠然と思いました。

少しずつ、公共的課題に気づくきっかけからズレている気もしますが、
とおしで完成させたら、もう少し整理したいと思います。

公共的課題に気づくきっかけは何か?(小学生編)

2008年01月24日 | 公共課題に気づくきっかけ
「公共的課題に気づくきっかけは何か?」を連載するはずが、
結局そのまま放置しきりでした。だからまずは小学生編です。

1.小学生のとき
(1)学級委員をはじめてやった
学級委員にはいつだったか推薦されてなりました(その後も継続的に)。
全般的にこういう役職は立候補しないので、「推薦で!」ってなります。
この推薦になった瞬間に声をあげる児童、よくいました(笑)
学級委員の仕事は、何をしていたかあんまり覚えていませんが、
クラスという集団を意識するのは、まさに小公共を意識するきっかけです。

(2)給食委員長をやって新しい事業を立ち上げた
小学6年生の時に、立候補して演説して給食委員長になりました。
とうとう政策各論のトップ(小学校の国務大臣(笑))です。
運営委員会という政策総論を扱うところもありましたが、
ほとんど事業もなく実効性がないので全く興味がありませんでした。

何を訴えていたのかわかりませんが、無事当選しました。
そのときに「たっちゃん(当時のあだ名)は政治家が似合うな!」
って友達に言われたことは大きなきっかけかもしれません
(そのことを語った新聞記事はこちら。隣はいまA県庁で働くQ様です)。

とりあえず、新規事業を実施しようということになり、
「おにぎりタイム」(今思えば安直ですが…)をはじめました。

うちの小学校では縦割り遊びっていうのがありました。
普通はなんでも学年ごとにまとまって活動するのを、
学年を超えてアスレチック活動を行おうという趣旨のものでした。
当然これをやるとき児童は疲れるので、この活動の途中で班ごとに
10時くらいでごはんを食べてはどうかというのを提案しました。

ごはんと言っても、縦割り遊びは校内じゅうをまわるため、
身軽な「おにぎり」に限定し、全員持参することを要請(笑)
当時うちの小学校は900人弱のマンモス校だったので、
たくさんの保護者の方におにぎりを作ってもらったわけですね。

この縦割り遊びは年数回はあったはずですが、
確かその数回とも実施して内容の割には大成功でした。
「いっしょに食べるとなんかうれしい」とか、
「なんか仲良くなれた気がする」とかって感想を聞きました。

確かに自分も班の中に混じって食べてみましたが、
他学年との交わりが少ない中で、いっしょにごはんを食べるのは、
思ったよりいいなぁと感じた(かすかな)記憶があります。
同じ釜のメシではないですが、食事を共にする回数と
人との親密度は有意な相関があると思います、きっと。

なぜ大成功かというと、高校生のときに偶然このおにぎりタイムが
まだ続いているという話を聞いたからです(いまはないかも…)。

あと、定型業務を行いつつ、意識喚起のための劇も行った気がします
(「ごはんを残さないように」的な話だったと思いますが…)。
これも今まで行ってなくて、意外にウケが良かったと思います。

全般的に論理は薄いですが、小学生なので許してください(笑)
また気が向いた頃、不評でなければ中学生編を書きたいと思います。

公共的課題に気づくきっかけは何か?

2007年11月24日 | 公共課題に気づくきっかけ
イベント紹介のまま、記事を書かないというのもどうかと思うので、
とりあえず簡単だが深い記事(ホントか?)をUPLOADしておきます。

すべての公共政策大学院の学生が公共的課題に気づくきっかけがあって、
入学しているとは思いませんが(公務員試験のつなぎなど)、
まぁ多くの人は何らかの公共的課題を持って入学していると思います。
こういった公共的課題に気づくきっかけって何かあったんですかね??

これから自分のことをもう少し考えてみようと思います。
とりあえず、きっかけとなった出来事は以下の通り…(思いついたもの)

1.小学生のとき
(1)学級委員をはじめてやった
(2)給食委員長をやって新しい事業を立ち上げた

2.中学生のとき
(1)生徒会の選挙管理委員になった
(2)学級委員でなぜか親同士の仲裁をさせられた
(3)文部省に修学旅行の班別行動で行った

3.高校生のとき
(1)疲弊した本町商店街を見て帰ることがたまにあった
(2)逆に繁栄するマーゴという大規模商業施設を見てきた
(3)日本の論点を買うようになった

4.大学生のとき
(1)ずっと政治に興味があったため政治学にはまった
(2)すばらしい教員陣に出会って現場主義をたたき込まれた
(3)石川県議会議員の学生政策スタッフをやっていた
(4)NPOに1か月間インターンシップに行った
(5)友人や教員と議論しまくった

う~ん、こんなくらいですかね。少しずつ振り返っていきたいと思います。
たぶん全4回シリーズ(不定期)です。お楽しみに(笑)