つゆ草

写真と俳句

今日の1句

2016-04-30 09:41:40 | 日記
雲間より何か言ひた気朧月  つゆ草

今日で4月も終り、いよいよ初夏の季節に入ります。昨日の朝早く散歩していると、真正面に春の月を発見。しかも白い雲の間から見え隠れするかの如く、白く朧げな月で、とてもその姿が何か私に言いかけているように見えしばし見とれました。朝の月はあまり見ないのですが、夜と違って柔らかい色で優しく感じます。「良かったね・・」と言われている様な心地でした。

又、昨日はお嫁さんの少し遅れての誕生日祝いを我が家でしまして、最近とんと来なくなった孫二人もやって来て、焼き肉パーティーをしました。上は6年生、最近サッカーを始めたとか、下は2年生、少しお兄さんになってきて、今朝起きたら部屋中焼き肉の匂いが残っていてゴールデンウイークらしくなってきました。どこも混むのでとりわけ予定は無いのですが、春を惜しみながらのんびり過ごしたいと思っている今朝のことです。
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今日の1句

2016-04-27 09:21:41 | 日記
藤棚の風はうす紅うす紫  つゆ草

昨日は、栃木の足利にあるフラワーセンターに、姉と娘と又もや女三人でバスツアーに参加しました。私は以前2回程行った事があり、しかもライトアップされた妖艶な藤棚を見た事があるのですが、昨日のは昼間なので、それなりに満開の風情は綺麗でした。又躑躅も沢山の色と香りを放ち、園全体がまるで極楽浄土にいるようなとっても甘い香りに包まれ、癒されました。さすが来場者は女性が多く、見事な藤に見とれ幸せそうで、桜に続き花水木、躑躅、ポピー、藤と、次々地上を彩る花の力はすごいと改めて感心です。今我が家のすぐ近くでは塀一杯にジャスミンの花が咲いている家があり、毎朝その上品な香りに酔っています。
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今日の1句

2016-04-23 13:52:17 | 日記
梢より光こぼして春行けり  つゆ草

新緑が急に眩しく見えるようになりました。雨の後など特に綺麗で、もう初夏かと勘違いしそうな位です。今朝の読売新聞で高島野十郎という画家の事を知り、目黒美術館で開催しているというので観て来ました。異色の画家といわれる理由は、彼の生涯にありそうです。久留米の裕福な造り酒屋に生れ、東京帝大水産科を主席で卒業すると、あっさり学問を捨て画家に転じるうんぬん・・とあり、それよりもなによりもその絵の精密さに驚きました。まるで写真いや写真より細やかに、例えば果物の少し朽ちたところとか、光と影とか、草花の繊細さとか、それはそれは見事なのです。油絵なのに、日本画の様にも見え、近づいてみると光っていたりで、すばらしい絵の数々でした。「花一つを、砂粒一つを人間と同物に見る事、神と見る事」と遺稿ノートに書かれていたとあるように、本当に物を凝視する目は確かで、それは俳句の写実とにていると思った程です。良いものを見せていただきました。
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今日の1句

2016-04-21 07:32:03 | 日記
苧環の身の程を知る庭の隅   つゆ草

このお正月から2キロ増えた体重を自分なりのベスト体重に戻す為、最近止めていた散歩をする様になりました。すると朝6時台と夕方5時台は愛犬の散歩の多い事や、昼間見ない思わぬ発見があったりでなかなか良いものがあります。今年の写真展のテーマは「目覚め」なので、早朝寺の境内でラジオ体操をしている人を撮ったり、ジョギングをしている人を撮ったりして昨日の写真の集会に持参したのですが、河合先生は手厳しく、そこには「美」が無いと駄目と言われてしまいました。自然の織り成す美、それはやはり私の中では暁と夕暮れにあると思っていますので、これからも健康の為も兼ねてせっせと早起きをして、早朝の散歩に勤しみたいと思っています。すると、マンションの玄関にうつむいた小さなおだまきの花等見つけたりする事も出来、やはり早起きは三文の徳なのです。(写真はシャガです)
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今日の1句

2016-04-20 07:34:15 | 日記
路線バス華やかなりて春惜しむ  つゆ草

先日ランチをしていた上野でのカフェの窓に、何とも華やかにペイントされたバスが通りました。如何にも春らしい旅にでも出たくなりそうな心地で見ましたが、昨日ある講座で「桜はみんな勘違いしているが、春真っ盛りではなく晩春の事を意味す・・」との事でした。私もすっかり勘違いしていましたが、確かに歳時記の上では2月春に入るとまず梅が咲き、桃が咲き、椿が咲き、桜が咲くのは4月で散った後はもう春も終わってしまった感はします。又この講義の中で、死は絶望だが、亡くなった人や亡くなった人の作品等を偲ぶ追善連句という、日本の古い文化のお話があり、しみじみとした心になりました。その中で季語や物事の真意というものを正しく理解し表現する事の大事さも学びました。がさつな私には耳の痛い話ですが、晩春にはなぜか憂いがつきもので、もうすぐ終わってしまう春を惜しむ毎日なのです。
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