あなたとお花と猫とエコと健康

日々思ったこと、見たことなどを書いています。

その9『他力の力・・』“親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に出演

2014-11-29 20:07:02 | 五木寛之さんと親鸞他

「旨(うま)くいった時は周りの他力のおかげで旨くいったと思って、旨く行かなかった時は、いや、俺は頑張ったけど、他力の風が吹かなかったんだと思って、余り、くよくよしないという有り難い考え方なんです。」
         ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

番組キャスター  「それは「親鸞」を書くにあたってどこか通じるものがあるんですか。」

五木寛之 「どこかで通じているんじゃあないだろうか、と、自分で何でも世の中を動かしていると思いませんから、自分自身さえもこんなふうにコントロールできない人間ですからね。

別に宗教くさい意味で言ってるのではなくてこう、色んな大きな周囲の力とか、そういうものがあって初めて実現することですから、

いいかげんに聞こえるかもしれないけれども旨(うま)くいった時は、ああ、周りの他力のお陰で旨くいったと思い、旨く行かなかった時は、いや、俺は頑張ったけど、他力の風が吹かなかったんだと思って、余り、くよくよしないという有り難い考え方なんです。



ですから、成功した時は、できるだけ自分の力じゃないと思いますし旨くいかなかった時は、他力の風が吹かないんだよと、こう言っておれば、それでいい、という、実に安易な、本格的な他力の思想とは全然次元の違う、俗な話ですけれど、そういうふうに思ったりしますね。」

(続く)
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他力 ウィキペディアより

他力(たりき)は、仏教用語の1つで、自力に対する語。自己に備わった能力を使うことを「自力」、仏・菩薩などの働きを「他力」という。

しかし、縁起を根本とする仏教の考えからすれば、自己の行為(業)は全て「他力」とも考えられる。従って、どの仏教宗派でも「他力」は説かれている。

行に関して「自力」・「他力」を区別する場合、上記の考え方から行者の心構えの問題とする。

なお、浄土宗・浄土真宗でいうで「他力」とは、「他」とは阿弥陀如来を指し、「力」とは如来の本願力(はたらき)をいう。「他力本願」の「他力」はこの意であり、他人の助力などの意ではない。

-----------------------------------
親鸞は浄土真宗であり、親鸞のいうところの「他力」とは、
阿弥陀如来の力のことですが
五木さんは、その本格的な他力の話ではないとは言っていますが
同じような感じがします
必ずしもそれが「阿弥陀如来」ではないけれど、
というような意味でしょうか

よく小説家が「書きながら、勝手に筆が進んでいく」
「誰か他の人から書かされているような気がする」、などと言いますが
色々な意味で、何かもそのする事が己れ一人から出たものではない
そんな事もあるのではないでしょうか?

意識と無意識というものがありますが、
本人が意識しないで分かっていること
それが、勝手に表に現れてきて、不思議な思いに捉われる
そんなこともあるかもしれないですし
本当に何かの啓示によって、
突き動かされることもあるかもしれない
この世には分からない事がいっぱいありますから
何もかもが自分だけから出たものとは限らない
他力という言葉の中に、そういう思いがあるのかもしれません

続く
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その8[君看双眼色・・] “親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に出演

2014-11-28 23:23:51 | 五木寛之さんと親鸞他
「古い言葉で、“きみ看よ、双眼(そうがん)の色、語らざれば憂(うれ)い無きに似たり”、という言葉があって、僕は好きなんですよ。」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

番組キャスター 「お話を伺っていて「親鸞」を読んだ時のことを思い出したんですけれども「親鸞」をお書きになったことと・・・」

五木寛之 「非常によく分かるんです。自分の存在というものは一応、外に見せる部分ではそれなりに体裁よく生きているけれども、実は、悪にまみれた何とも言えないひどい人間だということが分かっているんですよ。

そういう人間は許されないだろうというふうに心の底で思いつつ青春時代を過ごしていますから本当に青春をおう歌する瞬間はなかったですね。

ずっと、どこかに自分は許されない悪人だと思い込んでいるからそこに“悪人もちゃんと救われるんだ”ということを言われると“ええ!”というそういうショックですよね。」

番組キャスター 「下重さんが、五木寛之さんに、何かこの人は何かあるな、陰があるとおっしゃったことと「親鸞」を読んでいると、親鸞の目の奥には暗さがある、とか、何か、あれ!これって、五木寛之さんと何かつながるものがあるのかな?と、ちらっと思ったんですけれども。」

五木寛之 「日本全国、各地に、そういう人達が、ものすごく実はたくさんいて、皆、やっぱり・・・古い言葉で、“きみ看よ、双眼(そうがん)の色、語らざれば憂(うれ)い無きに似たり”、という言葉があって、僕は好きなんですよ。

“語らざれば、憂(うれ)い無きに似たり” 何もその事をつらかったとか、大変だったと言わずに、いつも静かにニコニコと笑っていらっしゃる。

だから、何の憂いもなさそうに見えますね、という話なんですね。
そういう人が実は、日本全国に沢山、あって、それぞれが家族にも子どもにも親にも言えないことを胸に抱えて生きているんだと思いますね。」

(続く)
------------------------------------------------------
>“悪人もちゃんと救われるんだ”

親鸞の「悪人正機説」のことです

語りたくない、語れない
おそらくは、本当に辛い体験は言葉に表すことによって、
尚辛い思いをする、
又、他の人に話すことへのためらいは、その体験の重さによって尚
口をつぐみたくなるということなのだと思いますが
五木さんは、結局本当の事は何も語らないままなのだと思います

ただ、その片隅のような言葉を発してくれたおかげで
五木さんの苦悩の一端を知ることができたのだと
「語らざれば、憂い無きに似たり」
五木さんそのものに思えました
続く



イルミネーションです 
私には、木がさぞかし迷惑をしているだろうとしか思えないのですが・・
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その7 (悪人だけが・・) “親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に

2014-11-27 14:25:31 | 五木寛之さんと親鸞他
「出来るだけ、そういうことを忘れてこの年になったら明るく毎日生きていこうと努力してますけれども、努力はしていますけれども、中々大変です。」
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

番組キャスター 「戦争に関しては、ここにきて、いろいろな体験だとか陸軍海軍のこととか、今の若い人に残しておかないといけないということで語る人が増えてきましたよね。」

五木寛之 「それはある意味被害者としての歴史なんですけれども私たちは、3人のうち1人が生き残る為に他の2人を蹴落としてでも生きてくる、という事をして生き残った人は、自分が悪人だと思っているんですよ、心の中で。

清い人は全部、残されたというね。
人を、押しのけて前に進んでいくようなエゴの強い、そういう悪人だけが生き残ってきたという感覚があるもんですから、そういう自分が許せないじゃあないですか。」

番組キャスター 「今でもですか?」

五木寛之 「皆さん、そうだと思いますよ。心の中でね。
だから、無事に引きあげてきて良かったというだけではなくて心の中に、何か、こう。

だって、北朝鮮だけでも、あの当時、置き去りにされたり、手渡されたり、売られたりした子どもたちが、どれだけ、今、何も知らずに何千人何万人という数じゃないでしょうか。

その経緯も知らずにね、赤ん坊のまま置かれていた人がいっぱい、いる訳ですから。
何か、無言のプレッシャーを日夜感じますよね。

出来るだけ、そういうことを忘れてこの年になったら明るく毎日生きていこうと努力してますけれども、努力はしていますけれども、中々大変です。」

(続く)
--------------------------------------------
「弱肉強食」という言葉があります
人がその生命を脅(おびや)かされる事態になった時
人は自分を救う為にあらゆる事をして生き延びなければなりません
そこに現れるのは「弱肉強食」という、強い者が勝つ状態です
あるいは、悪い者が勝つ、
五木さんの場合、人を押しのけなければ生きられなかった
弟妹を抱え、彼らの命も守らなければならなかった
そこに現れるのは「阿鼻叫喚」とも言える図だったのではないでしょうか

「善い人、清い人」はみな死んでいったそうですが
(五木さんでは「残された」という言葉になっています)
人に譲っていたら脱落してしまう、生きるか死ぬかの世界に
優しい人間は=弱い人間ということになってしまいます

今世の中は「自己中」のあふれる世になっています
だから、そういう人達の発想からすれば、
「馬鹿な奴が負けるのだ、人を押しのけられない人間は弱い奴だ
だから、自分は生き残った勝者だ。負けた奴はバカなんだよ」と

戦争で生き残った人達がインタビューで答える時に
今はもう90才位のお年寄りになっていますが、
その長生きをしてしっかりした頭の人達が何を言うか
「申し訳ない。生きて帰ってしまった」
一体何なのでしょう
せっかく生きて帰って無事に暮らすことが出来て
その事を喜び生きてもらいたいと思うのに
戦後70年近くなる今もなお、その懺悔のような気持ちのままで
自分が悪いわけではないのに、死んだ戦友に申し訳ないと
その気持ちをずっと70年近く抱えたままで生きているなんて・・・
そう思わないわけにはいきません
戦争を始めたのは、市井の人達ではないはずです
ただこの心情は、本当にそういう立場にあった人でないと
自分が実際そういう立場に立ってみないと
わからないものなのかもしれません

五木さんの場合、少年であったわけで
立場は少し違いますが、真っ当にやっていては生きられない状況下で
そういう状況下で生きていくしかない少年のしたことを
その後本当に70年間もの間、一生を縛り付ける呵責の念と共に過ごす
五木さんは、ご自分を悪人だとおっしゃっていますが
では、どうしたらよかったのか、譲って死ねばよかったのか?

このブログで前に書きましたが、コルベ神父の話
コルベ神父が身代わりになった男性は、
94才まで長生きしたそうです
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
 その後の長い間、コルベ神父のことを思うたびに、自責の念に駆られました。私は自分の命を救うために、彼の死の宣告書にサインしたのです。しかし今は、彼のことを思うとき、私には彼のような人には、ああする以外に道はなかったのだと理解できます。おそらく彼は、僧侶である自分の居場所は、死にゆく者と共にあると考えたのでしょう。実際彼は、最期の最期まで彼等と一緒だったのですから。
1977年に最初の妻へレナを亡くしたガイオニチェクは、のちに二番目の妻ヤニーナと再婚。1995年3月13日にポーランド南西部の Brzeg で、94歳の天寿を全うしました。 コルベ神父に命を救われてから、じつに53年と7ヶ月が経っていました。

未亡人となったヤニーナ・ガイオニチェクはこう語ったそうです。 「夫は常にコルベ神父の存在を感じていて、適切な時が来たらコルベ神父が迎えに来てくださると信じていました。そしてとうとう夫は、コルベ神父の元に旅立ったのです。」
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー
同じような気持ちを持っていても、日本人と少し違う感じ方をしているように思いました
「彼のような人には、ああする以外に道はなかったのだと理解できます」
このケースは、彼は自分で頼んだわけではない、という前提がつきます

「“副所長のフリッツの命令で、収容棟長が餓死刑にする囚人を任意に選び始めました。彼に指差された私は、絶望のあまり叫んだのです。もう一度妻に、子供に会いたいと・・・。すると別の囚人が一歩前に進み出てきて、私の代わりになることを申し出ました。コルベ神父のことを、私はほとんど知りませんでしたし、彼がドイツ語で話したのもあって、その時起こっていたことをすぐには理解できませんでした。私が生きて、代わりに誰かが自発的に、私という他人のために、自分の命を差し出すなんて――これは夢かと思いました。私はコルベ神父に何を言う間もなく、自分の立っていた場所に戻されましたので、コルベ神父に目で感謝を伝えることしかできませんでした。ニュースはまたたく間に収容所中に広まりました。私は救われたのです。彼の犠牲のおかげで、私は彼がしたことをこうして伝えることができます。」

彼はコルベ神父に言うに言われない感謝をしていたことと思います
一生の間です

人の善悪と弱肉強食
これ、どこかの何かが・・と思ったら
夏目漱石の「こころ」です
先生は「K」を出しぬいて?だまし討ちにして?
奥さんを手に入れることになった
結果「K」は自殺した

この永遠の課題のようなもの
私には中々わかりません
続く

  
何年か前に買った小菊ですが
調べてみると「泡黄金菊」という菊のような感じです
背が高く、花は小さく、ですが、黄金という感じもする菊です
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6 《お前、生き残れ・・》“親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に

2014-11-26 16:43:06 | 五木寛之さんと親鸞他
「実際には引き揚げの事は、100分の1も書いてないんです。これから先も中々、書く機会はないだろうー、と思いますけどね。」
     ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

五木寛之さんは、33歳になって 「さらばモスクワ愚連隊」で作家デビューを果たします。
さらに、翌年には「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞を受賞。
「青春の門」や「風に吹かれて」など立て続けに小説やエッセーを発表し
時代を代表する人気作家になります。







しかし頂点に上り詰めたように見えた五木寛之さんでしたが
心の中には強いわだかまりを抱いていたのです。




五木寛之さんは人気絶頂だった39歳の時すべての執筆を断り休筆を宣言します。
48歳になると再び休筆してしまいます。

五木寛之  「フラッシュバックと言うか、引き揚げの時、敗戦前後の事が凄い生々しくよみがえって来てもうやれない、という気持ちになって又、休んだんですよ。」

2回目の休筆に入った五木寛之さんは、京都にある龍谷大学の聴講生になりました。
仏教史を学び、隠れ念仏や親鸞・蓮如の理解を深めます。

そして、この時、五木寛之さんは他力という思想に惹(ひ)きつけられます。




51歳で執筆を再開したあと五木寛之さんに変化が起こります。
長い間封じ込めてきた引きあげの記憶を書くようになるのです。

そして69歳になった2002年。
終戦直後に亡くなったお母さんの事を初めて書きました。

【ここから過去の映像の引用です】

五木寛之  「心に封印をしていた部分について
“そんなふうに自分を責めなくていいんだよ”
“その事はちゃんと話していいんだよ” というような
何か、声なき声が聞こえたような気がしたんですね。

“お前、生き残れ”と誰かに言われたみたいな気がする
“生き残って、その事を語れ” というふうに誰かに言われて
その荷物を託されたような気がしているんです。」

【ここから再び、スタジオに戻ります。】

五木寛之  「なんか他人(ひと)の事みたいですね。感じとしては。」(笑)

番組キャスター  「引きあげのことを書いたのは、声なき声を聞いて書かされた、書いていいよと、言われた。これは、どういう事なんですか?」

五木寛之  「でもね、実際には、ほんの“とば口”を書いただけで、又引き返したんです。書いてないんです。実は。

入り口の、ほんの一部分だけを書いて、やっぱり書けないという、そんな感じになってね、それ以後ほとんど触れていません。

かつて引き揚げの歴史というのは、戦争の歴史の中でも大きな部分だから、引き揚げ記録センターのようなものを作ろうと思ったんですよ。

それで、昔、デンスケと言いましたよね。
録音機を担いで、いろいろ、旧満州とか、凄惨な戦争体験をされたであろう、と思われる人に話を聞こうとするんですけど、

皆さん、“まあ、色々ございました”、と言うくらいで、“今は何とかやってますから”、ということで、話して下さらないんです。

逆に、凄く、目で見たように雄弁な方の話は、他人の経験と自分の体験が入り交じったりとか、起承転結がうまく行き過ぎているとか、そういう感じがして、

一寸、信頼できないところがあって、これは駄目だと思ってね、結局、このまま、皆、人は語りたくないことは心の中に封じて、それで仕方がないんだなあ、と、

自分もそれについて、無理をして、書いたり語ったりすることをやめて、実際には引き揚げの事は、100分の1も書いてないんです。
これから先も中々、書く機会はないだろうー、と思いますけどね。」

(続く)
-------------------------------------------------
私は新聞小説「親鸞」を読みながら、その書き手の
五木寛之さんのことにも思いを馳せずにいられませんでした

そして、朝鮮からの引き揚げに際してのことについて、
それが、どんなにか12才位の少年にとって過酷な出来事だったのか
又、封印されていたお母さんや、それにまつわるお父さんのこと、
五木さんが、どうやってどんな風に生き延びて、又
その感性で何を見聞きし行動しどう考えたか
その断片のようなものが「運命の足音」という本には書かれていたのですが
あまりに簡単に、サラっと書かれていて、詳細は分からず仕舞い
というか、今回五木さんがお話なさっているように
「100分の1も書いてない」
おそらくそうなのだと思いました、だから本を読んでも拍子抜けして
何が書いてあるというのだろう?という感じでした

ですが、おぼろげながら、この平和に浸かった私が想像するに
その想像したことが起きたのは間違いない事実かもしれません
昨日、そのことについて少し検索してみましたが
思ったよりも過酷な現実と向き合って、弟妹を庇いながら
必死で生き抜いてきた五木少年の姿がおぼろげながら浮かんで来
又、お母さんに起きたこと、お父さんがその後腑抜けのようになって
全くの力にもならなかったこと
周りの状況、善い人、良い人がみな脱落して死んでいったこと
悪どいことをしなければ、生き抜けなかったこと
それが、生きて行くための生存競争であったにしろ
大きな拭い去れない程のダメージをもたらしてしまったこと

などなどを考えた時に、外見から見た五木さんとは違った面が見えてきて
痛ましいとでもいうような
こんなことを言う事自体が不遜ではないかと思いますが
まぁ、もし自分がその立場であったなら、と
傍観者のようなことは言えないのですが
それでも、そういう目に遭わないで済んで来たことは
単なる運であったと
「運命の足音」という題名はまさにそういうことなのでしょう
ご両親がかの地に渡らなければ起きなかったことなのですから

ある精神科医のHPにありましたが、おそらく五木さんのおかれた状況は
PTSDなどというものが生易しいとすら思えるほどの
生死をかけた体験であったのだろうと書かれていました
何故五木さんが親鸞を書いたのか、何故五木さんは
人々の励ましや生き方の本を書いてきたのか
その理由が、自らの過酷な精神面での体験から得たものを
人々に伝えたいと

五木さんは、そういう事情で大学を卒業できず中退しましたが
その学んだ学科は「露文科」つまり対象はロシアだったのです
「敵を知る」そして、理解する、ということを
したかったのではないでしょうか?
なんとか自分の気持の持って行き場を探し続けて来たのではないか
そして、五木さんは一生この出来事を体に背負ったまま
辛く重い道を歩き続けるのだろうと思います
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(その5 “親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に出演

2014-11-25 13:13:26 | 宗教関係
「こんなふうに原稿を書いて、何とかやっているだけでも、本当に幸せだと思います。」
       ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

番組キャスター 「書き続けることによって五木寛之さんは何を得たと思いますか。」

五木寛之 「これによって、食べている訳ですから、いちばん最初はね、原稿料を戴いて。
まあ、お坊さんがお布施で暮らすように、それで暮らすようにね、それで生きてこられたんです。

僕は大学を途中で辞めましたから、まともなところに就職もできなかったし、そういう人間が、引き揚げてきて何とか人の世話にならずにね、

僕は年金を貰っていませんし、いろいろ社会に負担をかけずに健康保険も殆ど使ったことがなくて、全部出すだけで暮らしてきていますから、そんなことが出来るのも、

こんなふうに原稿を書いて、そして筆1本、足は2本なんて言いますけれども、何とかやっているだけでも、本当に幸せだと思います。」

番組キャスター 「1万回、目前ですからね。」
「そんな五木寛之さんですが、82歳になった今日までの道のりは、決して平たんなものではなかったといいます。

1945年8月、旧ソ連軍が満州に侵攻。
12歳だった五木寛之さんは朝鮮半島北部のピョンヤンで終戦を迎えました。
旧ソ連軍による占領が始まり日本人は職を失い財産を没収されます。
略奪や暴行もあったといいます。

混乱の中で母のカシエさんが亡くなってしまいます。
つらい出来事が続きました。

終戦から2年後、父と幼いきょうだいと共に命懸けで38度線までたどりつき、
ようやく日本に引き揚げることができました。

五木寛之さんは19歳で早稲田大学に入学。






さまざまなアルバイトで生活費と学費を稼ぎますが学費が払えず25歳で大学を辞めてしまいます。

その後、得意の文章を生かしてルポライターやPR雑誌編集者作詞家、さらにNHKのラジオ番組の構成も手がけるようになります。」

元NHKアナウンサーで作家の下重暁子(しもじゅうあきこ)さん。
「夜のステレオ」というラジオ番組を担当していた当時の五木寛之さんをよく覚えています。

下重暁子(しもじゅうあきこ)
「手をね、何気なく見た時に、私は胸を突かれるような思いをした。
ハッとしたんですね。

もう、非常に辛(つら)い、過酷な頃を生きてきた人しか持っていない手だった。
すごくひょろっとして、痩せてらして、で、よくしゃべる人だな、という印象だったのね。

何か、この人はあるな、と感じさせる、影を感じさせる存在でしたよね。
だから、それをごまかすというか、自分でもカモフラージュする為に、必死にしゃべっていらした気がしますね。」

(続く)
---------------------------------------------------
五木寛之さんが親鸞を何故書こうと思ったか、
の中に「悪人正機説」があるということ
そして、それは自分が悪人だから救われない人間だと思ってきたこと
そして、その理由は朝鮮半島からの引き揚げ体験からだということ
それが、これから少し語られてきます

私は、「蓮如」を読んだ友だちが、親鸞のことをクソミソにいうので
何でかと訝りましたが、その親鸞を描いた映画
三國連太郎脚本監督のものを見たから、というのですが、
調べてみたら、主演は三國連太郎ではないですね
三國連太郎主演なら、さぞかし凄かろうとか思ったのですが
脚本監督でも同じようなものだったようです

今日の白黒写真の座っている女の人、五木寛之のお母さん
このお母さんは、朝鮮で亡くなったそうです
その亡くなり方がいわゆる普通の病気とかではなく
ですが、お母さんは病弱で伏せってはいたのですが
ロシア兵が家に来て・・五木さん一家に銃を向け、、
それからのちお母さんは絶食をし、亡くなってしまうのです

その体験や、引き揚げの体験、五木さんはまだ12才位だったそうです
多感な五木さんの少年時代に何が起きたのか
私はそれを知りたくて、「運命の足音」という本を手に入れ読みました
ですが、何だかよくわからなかったのです
何故か、それは、この後語られていきますが、、、
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(その3,4 “親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に出演

2014-11-24 19:51:29 | 五木寛之さんと親鸞他
「ごはんを食べるように毎日の仕事を40年やってこられたというのは僕は、まっこう臭い言い方ではなくて、やっぱり、他力ということを考えますね。」
      ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

五木寛之 「うまくまとめるものだね。」
番組キャスター 「そうですか。」

五木寛之 「実際には、あんなふうなとんとんとうまくいく日々ではないんですけど。
じたばたして、もっと、みっともないところも沢山あるけれども、今のVTRだけ見ると、流れるように暮らしているように見えて編集の威力はすごいね。」

番組キャスター 「でも9500回以上で40年近く、ちなみにきょう新聞に出たのは金沢シリーズです。
ハロウィーンでびっくりしたあたりにお書きになったのかもしれませんね。」

五木寛之 「ちょうどそうなんです。
今度また長浜というところに行きます。」

番組キャスター 「滋賀県の長浜ですね。」
五木寛之 「そうです。」

番組キャスター 「どうなんでしょうか、9550回、40年ぐらい書き続けることの意味は何でしょうか。」

五木寛之 「この連載は長いだけがとりえですからね。(笑い)
だらだらと長くやっている今ブログとか、いろいろ流行ですけれども、もう40年前にやっている活字のブログみたいなものです。
日々の暮らしのいくら食べてそれがいくらだったとか、偉そうな理屈までね、何でも毎日書くんです。

やっぱり、時には、これで仕事しなきゃいけないのかという中に大体、昨夜もおとといも12時30分ぐらいに入ってるんですよ。
本当は、夜中の12時ぐらいまでに入れると翌日に駅のキオスクに新聞が並ぶ、という際どいことをずっと繰り返しているんですよ。

幸運としか言いようがないですよね。
それでもって、事故が起きなかった。
高熱を出したとか。機械の都合で届かなかったとか、

兎に角、担当の愛場さんが入社以来原稿を受け取るところから社員生活をスタートして、定年退職をして、今も編集委員として会社に残って僕の原稿をね。
日々、一日1回ですからストックはゼロですから。ストックゼロというのが、すごいと思います。」

番組キャスター 「毎日書くのはエネルギーがいることだと思います。」

五木寛之 「途中で嫌になることもありますし、書くことが何もないよと言って机の前で2、3時間ボーッとするときもありますしね。

取り敢えず、ごはんを食べるように毎日の仕事を40年やってこられたというのは僕は、まっこう臭い言い方ではなくて、やっぱり、他力ということを考えますね。

自分の力とか、それだけじゃあ出来ない。
新聞社もあって、担当者もいて色んなスタッフもいて、僕の事務所のスタッフとかそういう人たち

みんな1つの原稿を首を長くして毎日待っているわけですから、
兎に角、やらなきゃあで、あっという間に40年近く38年ですか。経ちましたけれどもね。」

番組キャスター 「誰も五木寛之先生ごくろうさまでしたと言わないんでしょう」

五木寛之 「ハハハ(笑う)、僕はあんまりそういうのが、あれ、苦手なので本当に電話とファクシミリだけで仕事をしているという感じです。」



(続く)
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(その4「“孤独死”と言わずに、それは、“自然死”と言うべきだろうというふうに思いますけどね。」

五木寛之 「僕は、パーティーにも出ませんし、文壇とのおつきあいもあまりないし、まあ、仲のいい同世代の方たち、少しずつ去っていかれますしね。

別に、孤独とは思わないんですよ。
1人で字を書いていても、何処(どこ)かに読んでくれている人がいるんだな、そういうふうに思いながら。」

番組キャスター 「ということは、連載がまだ続いてますよね。
それって五木寛之さんが毎日世の中とつながっているということなんですかね。」

五木寛之 「そうですね。今、わりと孤独に弱い人が多くて、フェイスブック、インターネット、とか、いろんなものに発信していますけれども、別に世の中とつながっていなくてもいいんですよ。
“自分が世界” というふうに思ってね。

ですからNHKで番組をよくつくって、“孤独死”というのが社会のテーマになって、大話題になりましたけれども、“孤独死”というものは無いんだと思うんだ、人間というのは死ぬ時は孤独なんだから、どんなに周りに人に囲まれて家族から見送られようと、死ぬ時は孤独なんですから。

だから、敢えて“孤独死”と言わずに、それは、“自然死”と言うべきだろうというふうに思いますけどね。

ですから、今、ちょっと、孤独を恐れ過ぎているのではないか、誰かとつながっていなければいけないのではないか、絆(きずな)というものを作らなければいけないのではないか、というような、強迫観念があるのではないかなあ
“人は1人でもいい”、そういう感じがしますけどね。」



(続く)
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五木さんが何故親鸞を書くに至るようになったかのきっかけについて
親鸞の有名な言葉があるそうです
浄土真宗を開かれた親鸞聖人の教えに『悪人正機説』があり
歎異抄第3章に『善人なおもって往生をとぐ いわんや悪人をや』
という一文があるのですが、五木さんの過酷な引き揚げ体験が
その後の全ての生き方や、考え方に影響を及ぼした
そして、そこにある「罪悪感」が根底にあり
自分をどう見つめていくかの課題になって行ったのだと思います
五木さんにその引き揚げ体験がなかったら、
その後の生き方において、これほどの重圧はなかったものと考えます
「自分は悪人である」そう五木さんは思い込んでいます
私からすると、それでは「ほぼ全ての人間は悪人である」
ということになってしまうのですが
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“親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に出演(その2

2014-11-23 19:22:03 | 五木寛之さんと親鸞他
「今、生きることが大事だけれども、どのようにこの世から去っていくか、ということは、非常に大変な事のような気がするんです。」

番組キャスター
「きょうのお客様、ハロウィーンの仮装にびっくりの五木寛之さんです。
よろしくお願いします。」
五木寛之
「よろしくお願いします。」
番組キャスター
「驚きますよね。」
五木寛之
「驚きました。
すっかりハロウィーンが定着したような感じですね。」
番組キャスター
「たまに、渋谷でも見かけますからね。
金沢でもあったということですね。」
「きょうは五木寛之さんへのこんな質問、こんなお便りということでメッセージお便りを募集しております。」

「それでは五木寛之さんのプロフィールからご紹介していきます。
1932年福岡で生まれ、生後まもなく朝鮮半島へと渡ります。
終戦をピョンヤンで迎えますがすぐに日本に戻ることができず2年後に日本に戻ります。
その後、早稲田大学に進学しますが25歳でやめ、さまざまなアルバイトや仕事に就きます。

33歳のとき、「さらばモスクワ愚連隊」で作家デビュー
翌年には「蒼ざめた馬を見よ」で直木賞を受賞します。

さらに、1969年には「青春の門」の連載を開始。
数多くの作品を発表してきましたが、39歳から50代にかけ2度の休筆をされています。
そして浄土真宗を開いた親鸞の人生を描いた歴史小説「親鸞完結篇」がまもなく出版されるということで注目を集めています。」

そのように作家として精力的に活動されている五木寛之さんですが、どんな日々を送っていらっしゃるのでしょうか、取材させていただきました。

この日五木寛之さんがやってきたのは岐阜の講演会場です。
五木寛之
「こんにちは、五木寛之です。」

会場には各地から1,700人を超える人が駆けつけました。
テーマは、心の風景。
会場の雰囲気を確かめながらアドリブで話すのが五木寛之さんの流儀です。
五木寛之
「今、生きることが大事だけれども、どのようにこの世から去っていくか、
ということは、非常に大変な事のような気がするんです。」

聴衆
「いろんな自然災害や、思いもよらない事件が起こっている中で、
やっぱり、生きていくことや、死んでいくということを
私達の世代でも真剣に考えていかなくてはいけないと思いました。」

五木寛之さんは講演会やテレビ、ラジオの仕事も執筆同様に大切にしています。
「ラジオ深夜便」には20年以上も前からたびたび出演しています。
五木寛之
「お疲れさまでした。」
番組キャスター
「またよろしくお願いいたします。」
五木寛之
「大変ですよ
でも、ずっと、ラジオ深夜便は長年やってますから、
生活習慣の一部になっているから(笑い)
それと、聴いている人がもの凄い全国に多いんでね。
何処に行っても言われるんで、やりがいがありますよ。」

五木寛之さんには40年近く日曜と祝日を除く毎日続けている仕事があります。
新聞(日刊ゲンダイ)コラムの執筆です。

この日は講演会の開始前控え室でペンを走らせていました。
五木寛之
「新聞は古い記事を載せるものではなくて、
新しい記事を載せるものだ、そういう考え方があるものですから、
冷蔵しておいた記事じゃあ駄目だろう、
今日のことは、明日(載せる)
新幹線の中とか、喫茶店とか、何処でも書きますよ。」

この連載は2回目の休筆をしていた間も続けました。
コラムは9500回以上も続き、日々、世界最長記録を更新中です。

新聞社では担当者が原稿を待っていました。
この日は夜10時に送られてきましたが取材先の海外から原稿が届くこともあります。
編集委員の愛場謙嗣さんは1975年10月の連載開始直後からずっと五木寛之さんのコラムを担当してきました。
愛場謙嗣
「40年近く連載していただいて、一度も穴があかなかったという事は
驚異的な出来事だと思います。
こちらも一生懸命考えて、意見を持っていけば、
五木寛之先生は、ちゃんと、それに応えてやってきている。
偉そうに、“これをやれ”とみたいな雰囲気は一回もないですね。」


(続く)
---------------------------------------------------
私は五木寛之さんの名はずっと知っていましたが、
それは、新聞の広告など載っているものですから
誰もが目にする機会は多いと思いますが
ですが「青春の門」など、なぜか読みたくなかったですね
何となくかったるい感じがしました
私が読んでいたのは「どくとるマンボウ航海記」とか
エラリークイーンとか、横溝正史とか・・畑違いというか
五木さんのものは、重たいというか、疲れるだろうとか
敢えて読もうとする気にはなりませんでした

で、身近な新聞小説でしたが、題名が「親鸞」ですから
さして興味も引かなかったのです
ところが、その牛の場面の迫力と摩訶不思議な雰囲気に呑まれて
ずっと読んでいきました

その後、友達にその話をしたら、彼女曰く
「以前『蓮如』という五木寛之の本を読んだことがあり
又、三國連太郎の映画も見た
エロエロの話ばかりでウンザリした
蓮如の小説はあまりに酷いので捨てた」とのこと

この辺りから、五木寛之と親鸞、及び蓮如について
少し調べたり読んだりし始めました 
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“親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に出演(その1

2014-11-21 12:47:55 | 五木寛之さんと親鸞他
「人を押しのける側に立って、引き揚げる事ができた。そのことがフラッシュバックのようによみがえってくると、突然、周りが真っ黒に見えたりする」

いよいよ完結“親鸞”五木寛之さんの生き方に迫ります!
2014.10.29放送

     

きょうの内容です。
「人生ドラマチック」は作家の五木寛之寛之さん。
執筆、講演、テレビやラジオへの出演と、82歳にして全力で疾走し続ける五木寛之さん。
これまでの人生を振り返りその原点に迫ります。
番組キャスター
「本日のゲスト五木寛之寛之さんに質問です。
この1週間であったドラマチックな出来事を教えて下さい。」

五木寛之
「ドラマチックかどうか分からないんですが、数日前に石川県の金沢にいっていました。
深夜金沢の武家屋敷の辺りを、ぶらぶらと古い金沢の情緒を楽しんだりてましたが、角をまがったところで、突然ものすごい妖怪(笑い)が現れて、それも1人2人ではなくて5人6人と続いて何とも言えない不気味な人たちが現れたんです。

どうかしたのかなと自分が幻覚でも見ているのかと思ったら、
ハロウィーンの仮装の人たちだったんです。

夜中に町歩いているわけです群れをなして。
最初に見たとき心臓がどきっと止まるくらいびっくりしました。
ドラマチックな出来事でした。」

作家五木寛之さん、82歳。
執筆、講演、テレビラジオへの出演と精力的な活動を続けています。

1966年、33歳のとき「さらばモスクワ愚連隊」でデビュー。
以来、「青春の門」や「風に吹かれて」をはじめ数多くの作品を世に送り出してきました。
最近では、老いや生き方を書いたエッセーや、長編小説「親鸞」が注目を集めています。

読者の声
「私の人生を支えてくれたと言っても過言ではない」
「ええかっこ、しないところがいい
人間の生き様というか、これからの高齢化社会は五木さんが手本」

この半世紀第一線に立ち続けてきた五木寛之さんですが39歳から50代にかけ2度、休筆をしています。
五木寛之さんを苦しめたのは戦争後の朝鮮半島北部で体験した様々な辛(つら)い出来事の記憶です。


まだ10代の前半でした。
五木寛之
「人を押しのける側に立って、引き揚げる事ができた。
そのことがフラッシュバックのようによみがえってくると、
突然、周りが真っ黒に見えたりする」

     

五木寛之さんはどのように自分自身と向き合い、危機を乗り越えることが出来たのでしょうか?
きょうは五木寛之さんの人生に迫ります。

(続く)
-----------------------------------------------------
私は東京新聞を取っていますが、東京新聞の連載で
五木寛之さんの「親鸞」が始まった時、
最初は読んでいなかったのですが
15回目位ですか、牛の場面がありその迫力に面白さを感じ
遡って読み、それからずっと読むようになりました
三部に分かれて書かれましたが、「第一部」「激動編」「完結編」とあり
最初の「第一部」は、親鸞が子供の時から始まります
色々な波乱万丈のような、ユニークな大人が出てきて「活劇」のようです(笑)
そして、悪役も出てくるし、史実に基づいた僧侶も出てくるし
とにかく、「第一部」は読み物として大変面白かったです

その五木さんが、82才で親鸞完結編を終えたということで
NHKゆうどきネットワークに出演されました
私はたまたまテレビをつけて、少しだけ見られたのですが
この「便利帳ドットコム」というサイトにその対談が書かれていましたので
それをここに転載します

便利帳ドットコム
http://www.bennricho.com/coffee_time/16_list_detail.html
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私が見ている番組 7 「開運!なんでも鑑定団」

2014-11-19 16:43:10 | 映画・テレビ
ウィキペディアより ↓

『開運!なんでも鑑定団』(かいうん!なんでもかんていだん)は、1994年4月19日からテレビ東京系列で毎週火曜日20:54 - 21:54(JST)に放送されている鑑定バラエティ番組。字幕放送(一部地域のみ。テレビ東京などは再放送でも実施)。通称は「鑑定団」「なんでも鑑定団」。過去に本番組は民放連賞優秀賞受賞、橋田壽賀子賞受賞した。
--------------------------------------------------
もう、二十年もやっている番組のようです
私がテレビを見始めたのは、ここ数年ですから
最初からは見ていないのですが、面白いですね
一番の醍醐味は、これが高いか安いか、つまり
価値があるのかないのか、を勘で推定することです

以前にも書きましたが、時々「予知能力」のようなものが少々ある私は
ほぼ、出てくるのと同じような金額を当てる事が時々あります
昨日も見ましたが、与謝蕪村の福禄寿の絵を私は600万円位と思いました
150万円で購入した出品者は、500万円と値踏みし、結果は800万円でした
その前に紹介された与謝蕪村の雪の京都の町の絵が素晴らしかったので
この値段をつけてみましたが、当たらずとも遠からじでした

こういう私のような素人で眼力のない視聴者達が、
良い物と偽物を綯い交ぜに提示されて、
さぁ、どっちでしょう?と
又、品物が本物にしても偽物にしても名のある作者の場合
その作者の人となり、辿った芸術の人生などを
画像を交えながら解説してくれることから得られる知識と
苦労の多い芸術家の知られざる姿を再現することによって
見る側も紹介される側も、知る、知られる機会を与えられる
テレビという媒体の特長を生かせるいい番組だと思います

それにしても、高いものをポンと大金を出して買う人達
その真贋をわからぬままに、お金を出せる人がたくさんいることに感心します
もしも、偽物を掴まされたら・・・とか思ったら、
とても私などは買えません
一種の博打みたいなものですね(笑)

ネットで安価で手に入れた品が、多額の金額のものとわかった場合
ネットで出品した側の人は、その価値がわからないままに
安値でオークションに出したんだなぁ、、と複雑な心境になりますね

ですが、燃やす寸前のをもらってきたとか
ゴミに出すから好きなものを持って行っていいと言われ持ってきたとか
そういうものの中に価値のある、知られざる逸品があったり
あると言われていてどこにも見つからなかった物だった
などという結果が出ると、何とも言えない気分になります
そうでなかった場合は、価値のあるものが壊されてしまったり
捨てられたものも少なからずあったかと思うと、勿体ない、の一言です
大事な文化遺産ですよね

私は骨董とは全く無縁のものですが、
それでもこんな番組で、与(あずか)り知らない世界を垣間見る事ができて
この番組のユニークさは貴重だと思います



この丼は、骨董品ではなく昔、東京の江東区門前仲町の親類を母と訪ね
帰りに市みたいなところで、地面に並べて売られていた丼です
富岡八幡宮の境内?かどこかだったような気がします
確か100円位だったような・・・(笑)
3つ位か、買って持ち帰り、少しずつ壊れてしまって
残った一品ですが、有り難いことに蓋も丼も損傷ないです
これは、これで貴重な品です
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私が見ている番組 6 「2355」

2014-11-17 14:12:33 | 映画・テレビ
「2355」は、ウイキで調べると↓「Eテレ0655&2355」と出てきます

『Eテレ 0655』(イーテレ ぜろろくごーごー)および『Eテレ 2355』(イーテレ にーさんごーごー)とは、NHK教育テレビジョン(NHK Eテレ)で2010年3月29日から放送を開始したミニ番組。公式のタイトルロゴでは「0655」「2355」のように「55」の部分に下線が入る。(注_の部分は表記できませんでした)

「Eテレ 0655」と「Eテレ 2355」はそれぞれ別の時間帯に放映される別内容の番組であるが、両者が同一制作スタッフにより作成され、ほぼ共通のフォーマットを用いている「兄弟番組」

Eテレ 2355
放送時間 月曜 - 金曜 23:55 - 24:00(5分)
放送期間 2010年3月29日 -
出演者 石澤典夫(ナレーション)ほか
オープニング 細野晴臣「2355氏、帰る」
外部リンク Eテレ2355
---------------------------------------------------------
「2355」については、以前画像↓をこのブログで貼ったことがあります
http://blog.goo.ne.jp/turbocornutu/e/5dca17dde8631fe10b59f5c72d955546

2355には、色々なコーナーがあって、
たった5分の番組なのですが
個性あふれるものが交代に現れ、楽しい番組内容になっています
この番組の最大の良さは「穏やかな世界」を醸し出していること
寝る前の時間を、現実離れした夢想的空間に誘う・・?(笑)

私のお気に入りは幾つもありますが
取り敢えず、毎日現れて可愛い「トビハゼのトビー」
いつも面白いことを言って笑わせてくれます
 

あと、気に入っているのは外国の短いアニメなのですが
アレクセイ・アレクセイエフ作の「グダグダアニメ」=「Log Jam」
茶色の大きな熊と、ヒョロヒョロした体型のグレーの狼
それと、いつも熊に庇ってもらっている小さなウサギ
この三匹がセッションをするのですが

     
熊はベース引き、狼は「アゥアゥアゥー」というような
体を揺すりながら奇妙な声のボーカル、ウサギはドラム担当です
ウサギはドラムを叩く時に、長い耳を一緒に凄い速さで左右に揺らします
熊のベースは大きな木、ウサギのドラムは木の切り株で
狼は体を揺すりながら絶え絶えの声で「アゥアゥアゥ~」
そこに、鉄砲を担いだ猟師が、痩せてガリガリの猟犬を従えて来る
その瞬間、セッションの三匹は素早く隠れ、事無きを得る
これだけの話なのですが、とても面白いのです
時々ウサギが鳥に拐われてしまったります
勿論、仲間の熊と狼が救いに行きますが

その中に猟犬と狼が何か話す一篇があるのですが、
何語なんだかさっぱりわかりません
ロシア語かハンガリー語?
以下はウィキペディアの2355解説文ですが、その中には
http://ja.wikipedia.org/wiki/E%E3%83%86%E3%83%AC0655%262355
「ぐだぐだアニメ - ロシアのアニメーション作家 アレクセイ・アレクセイエフ (Alexey Alekseev) の短編アニメーション「Log Jam」(KJFG) を放送。木の枝でベースを奏でる熊、切り株をドラムセットにするウサギ、熊とウサギに合わせて吠える狼の三匹の動物を中心に描く。たまにこのぐだぐだアニメだけを放送する場合があり、その場合の的は全て「ぐだぐだアニメ」になる」
-------------------------------------------------------------
という風に書いてありますが、前に調べたときは、確かハンガリーの?
とか書いてあったような気がします
生まれはロシアのようですが、
2008年に何かの賞をもらっていて(アヌシー国際アニメーション映画祭)
そこには「短編映画」部門↓
Sacem賞:"KJFG No 5"アレクセイ・アレクセイエフ Alexei Alexeev(ハンガリー)
ハンガリーと書いてあるんですが、あの言葉はハンガリー語?

私が想像するには、おそらく猟犬が狼に
「猟犬になれよ、いい暮らしができるぞ」
とか持ちかけたのに対し、狼が
「今の暮らしのままでいいんだよ」
とか言って断ったような雰囲気に感じたのですが(笑)
この猟犬は、三匹が捕まらないように、さりげなく猟師の邪魔をしているようです

他のものでは、やっぱり
・進め! よんきびう隊の歌
・夏だ! チーム・カブトムシの歌
     
・龍安寺の歌 (中川翔子)
・つぼ押しの唄(伊東ゆかり)
     
などがありますが、書き切れません
オープニングの 細野晴臣「2355氏、帰る」の歌も捨てがたいです

   
みなさん こんばんは ごきげんいかが 2355の時間です
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私が見ている番組 5 「100分de名著」

2014-11-15 20:14:11 | 映画・テレビ
Wiki より↓「概要」

『100分de名著』(ひゃっぷんでめいちょ)とは、NHK Eテレの教養番組。
2011年3月30日開始
 一度は読みたいと思いながらも、手に取ることをためらってしまったり、途中で挫折してしまった古今東西の“名著”。この番組では難解な1冊の名著を、25分×4回、つまり100分で読み解いていく。プレゼン上手なゲストによるわかりやすい解説に加え、アニメーション、紙芝居、コントなどなど、あの手この手の演出を駆使して、奥深い“名著”の世界に迫る。偉大な先人の教えから、困難な時代を生き延びるためのヒントを探っていく。
-------------------------------------------------
今は、水曜23:00 - 23:25 にやっています
今回11月12日から始まったのは、「菜根譚」です

・2014年11月度 洪自誠「菜根譚」(解説 湯浅邦弘)*出演・平泉成(言葉売りの男役)、高野アツシオ(第一回目の客)、碧戸結香(第ニ回目の客)

今までで、興味深く覚えているのは、Wikiを見ながらですが
「アラビアンナイト」
ドストエフスキー「罪と罰」
デュマ「モンテクリスト伯」
サン・テグジュペリ「星の王子さま」
夏目漱石「こころ」
フロム「愛するということ」
清少納言「枕草子」
「古事記」

などですが、ビデオに録っておいて見ても、
家事をしながらなど、きちんと見られなかったものもあります

ヴィクトール・フランクル「夜と霧」とか、宮沢賢治「銀河鉄道の夜」など

100分でというので、一つの話を4回にわけて、
一回25分ずつで完結します
その道の専門家を招いて解説をしてくれて、伊集院光さんとNHKアナとで
中々に堅苦しくなく面白い番組になっています

夏目漱石の「こころ」は、永遠に答えの出ないような話ですが
違った角度からの話とかもありました
各々の筆者の説明や、その物語が書かれた背景や、時代性などの説明があります
結構楽しめる番組で、面白く見ています


今日もらってきたものです
ビーズで出来ていて可愛いです

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私が見ている番組 4 「NHKニュース」と気象情報

2014-11-14 14:32:44 | 映画・テレビ
この「番組」に関しては説明は不要かと思いますが、一応書きます
前はNHKニュースがあまり好きではありませんでした
政治ネタと言ってはなんですが、政治関係のニュースが多過ぎというか
それがないと始まらない、みたいな感じが嫌でした
ですが、民法のニュースが娯楽的になっているかの感じもしたのか
NHKのニュースに違和感を感じなくなり、
今ではきっちり見るようになりました
気象情報もいいからです
民法の気象情報はふざけ過ぎというか、何なんだ?みたいになっていますし

ですが、もう二十年以上前の話ですが
山口百恵さんが結婚した時に、7時のニュースのトップでそれを伝え
開いた口が塞がらない思いをしました
何考えてるんだ?・・・と

そう言えば、女子アナのミニスカと同時に
お天気お姉さんのミニスカも定番になってますね
何だか妙ちきりんなミニスカートを穿いて、某お天気お姉さんは
ふわっとしたミニスカートを空いた左手で抑えながら解説していますが
あれ、スカートが気になるのか、あるいは左手の置き場に困るのか(笑
私の弟はそれを気にしています
どうでもいいようなことですが・・・(苦笑
そのお姉さん、正確には気象予報士の女性ですが、
このところ欠席?が続き、どこか体調が悪いようです
体ではなさそうなので、生放送のストレスなのかなぁ?
と思っているのですが、よくわかりません

私の主人は以前NHK「7時28分の恋人」と呼ばれていた
「半井小絵」さんがお気に入りだったのですが、
って、字を確認しようと検索したら、「写真集」が出ていてビックリ
しかも発売日が「14/11/07」って、発売ホヤホヤですね
半井小絵さんは、ちょっとしたスキャンダルが原因だったのか、
お天気お姉さんの座を降りてしまいました 残念でした

(余談ですが・・笑 テレ東の大江麻理子アナのことを主人が
「あの子はとてもいい子だよ、挨拶はきちんとできるし、別け隔てなく接するし」
って・・・、この間86億円の億万長者と結婚しましたが・・
子連れの15才年上の再婚の相手と・・・はぁ
ちなみにこの大江アナは、女子アナの人気投票 好感度No1でした )

以前は「おじさん」予報士の方が多くて、
何気に落ち着いて、安心してみていられたのですが、
若者至上主義のテレビ界において今や、
お天気お姉さん&お兄さんの時代になってしまいました
いいのか悪いのか判然としませんが、
この世は色々な人で構成されている
テレビ界の若者至上主義は問題だと思いますね


この間買ったアロエ原液 苦いですが飲んでます
それでは、と合間に家にあるアロエを生噛り・・しているのは主人です
私も少しいただいていますが、はい
とんでもなく苦いです  ですが、少し慣れますね
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私が見ている番組 3 「ドクターX」

2014-11-13 12:50:17 | 映画・テレビ
「ドクターX」は、前に評判になった「半澤直樹」に似た感じがします
「組織に向かって頑張る個人」の図式?
「ドクターX」と「相棒」にも共通するものがあることに気づきます
「組織に歯向かう?個人」
しかも特別な才能と努力とがセットになっている
努力も才能の一つだという話もありますが
つまり、努力出来る事が既に才能であると

ドクターXみたいに優秀な医者がいれば、本当に頼りになり
安心した医療が受けられるのですが、
ここは「お話」の部分も多いのはやむを得ません
お話だからこそ、勧善懲悪の不死身の主人公みたいに
安心して見ていられるわけです

昔からヒーローは負けなかった
負けたらみんなの希望が挫けるから
昔あった悪(者)に立ち向かうヒーローが、
今は組織と向い合う個人の図式になって残った
つまり、組織=悪ということみたいですね

この間新聞の投書欄に「ドクターX」の事が載っていました
60代か70代の女の人が書いてましたが、
「面白いのだけれど、一部品のない言動があってやめてもらいたい」
そういう内容だったと思います

つまり、「ドクターX」扮する医者が、超ミニスカートを穿いて
高いヒール姿で闊歩し、私生活では麻雀ばかりやって
合い間に食べまくる、焼き鳥とか、ステーキとか、たい焼きとか
ムシャムシャと品もなく?
話し方も品がない?(笑

わざとこういう設定にしているにも拘らず、
「それを止めてもらいたい」という投書でした
私生活を、組織の上部の人間のセレブ風な、
学歴や金を偏重した嫌味な人間と対比して描かれているのに
それを止めろと書いてあって、面白かったですが
きっと、ああいう言動が見るに耐えなかったのかも
色々な人がいますね

主役の米倉涼子は「続編はやらない」とか
新聞の週刊誌の広告にはありましたが
続編が始まってよかったです



遅く蒔いて、やっと育ち(ほとんど成長しないけど)
寒い中、咲こうと頑張るヘブンリーブルー蕾 一号
頑張れ!ヘブちゃん! 早く咲かないと冬将軍だ・・

祝 Webログ200←自分
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私が見ている番組 2 「笑点」

2014-11-12 12:00:55 | 映画・テレビ
「笑点」を再び見るようになって、二年位でしょうか?
その前はン十年前に見ていました

ウィキペディアより ↓
『笑点』(しょうてん)は、日本テレビ系列で1966年5月15日から毎週日曜日夕方に放送されている演芸バラエティ番組である。2014年(平成26年)に放送開始48周年を迎えた。

かなり古くからやっている番組ですが、
近頃新聞の週間ベストテンなどに入っているのを見て、
「人気があるんだなぁ・・」と思っていました
その内に再度見るようになって、最初は面白く感じなかったのですが
今は結構面白く見させてもらっています

昔の「笑点」と言えば花形の落語家が出ていて、華やかそのものでした
覚えているのは、(ウィキを見ながら思い出したのも加え)
三遊亭円楽、小圓遊、小痴楽、こん平、柳家かゑる(5代目鈴々舎馬風)
三遊亭歌奴、三遊亭金馬、三笑亭夢之助、毒蝮三太夫、桂米助、松崎真(座布団運び)

ウィキペディアで見た限りこんな感じです
余談ですが、落語も以前は見ていたような気がします
歌奴さんの「山のアナアナアナ」とかいう吃音の話とか
痴楽さんの「山手線」の話とか、面白かったですが
林家三平さんの話はさっぱり面白くなくて「よしこさ~ん」とか言うの?
「笑ってください」と言われても面白くないので、笑えなくて困ったのを覚えています

ギスギスとした世の中で、笑点の中はまだ昔の雰囲気が残っているような、
司会の歌丸さんの律儀そうな姿を見るのも嬉しいものです
歌丸さんが加山雄三と同年齢と聞いて、ちょっと驚きますが
腰や他の持病を抱え、お元気に司会をなさっていることを頼もしく思います
どうぞ、お元気で、って
手紙の末尾みたいになってしまいました


管菊が咲きました
今年の夏は大変暑く、水やりが切れ気味で花つきが今一ですが
やっぱりきれいです
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私が今見ているテレビ番組 「相棒」

2014-11-11 23:32:41 | 映画・テレビ
私はここ二十年位、あまりテレビを見ていませんでした
色々忙しかったというのが一つの理由ですが
今は少し落ち着いてきたので、数年前からテレビを見始めました
正直、昔のように心踊る番組が少ないのは事実です
雛壇とか言われる関西系の芸人の番組がやたら多くなって

他の番組と言ったら、夕方は食べ物の話がずらり
よく恥ずかしくないと思うほど、食べ物の追っかけに終始しているように思います
夜も、旅番組(ホテルや旅館の紹介を兼ねた)と食事のセットとかもありますしね
時間を適当に潰す為に作っているようにも思えます
お金がかからなくて、製作の苦労もなくて?

そんな中で、私がいつも見ている番組も幾つかあります
「笑点」C4
「NHKニュース」C1
「相棒」C5
「ドクターX」C5
「開運!なんでも鑑定団」C7
「100分で名著」C2
「2355」C2

たまに見るもの
「ザ!鉄腕!DASH!!」
 
相棒の良さは全く知りませんでした
何年も前からやっていたようですが、又新聞などでも時々書かれていましたが
その題名のネーミングから「どうせつまらない番組だろう」と
一回も見たことがありませんでした
が、ある日何かの折に見た時に「面白い~~」と
初めて評判になっているわけがわかったように思い「見る」となりました

相棒の良さというのは、まず日本のドラマの一番の欠点である
「グチャグチャ、シンネリムッツリ、ジメジメ、ベタベタ、ホノボノ」系の情愛表現がないこと
それ系の絡みが最小限に留まっていること
出演者の演技表現も同様な演出であること
脚本がある程度しっかりしていて、中々犯人や筋書きがわからないこと
設定に「そりゃないだろう」という非常識さや無理がないこと
又、水谷豊演じる主人公の、公明正大・平衡感覚のある判断力と
情に絡まずに貫いている「正義」に対するポリシー
脇役の人達のキャラのユニークさ(特に伊丹刑事役のキャラが愉快です)

主役の、何があってもひたすら推理に没頭し、脇目も振らずに考え抜く
その観察眼や推理力、知識の豊富さ、
又きちんとした礼儀正しい言動や姿勢が清々しく
日本人には少ないタイプの人間ではないかと思います

私はシャーロック・ホームズも好きですが、
「相棒」は推理物として、推理を第一に作られたドラマ
だからこそ魅力を感じるのかも知れません
長くなってしまったので、他の番組のことを書けなくなってしまいました
又、後で書くことにします


これも、スーパーで120円で買ったナデシコです
河原ナデシコに似ていますが、正確にはわかりません
私の好きな花の一つです
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