あなたとお花と猫とエコと健康

日々思ったこと、見たことなどを書いています。

「イスラム国」と書いて

2015-01-29 15:13:14 | 世相・政治他
画像検索したら、全く見る気もなかった酷い画像がそのまま出てきて
ハァ・・・・ッ、、と溜息しか出ませんでした
人間というか、男の負の面が露骨に出ているとしか思えません
動物が食べるため、生きるために他の動物の命を奪うのとは意味が違います

明けても暮れても喧嘩、つまり戦争ばかりしている
みんな始めるのは男でしょう、違いますか?

私達が日常暮らしながら、男と話す時、例えば私の例で言えば
兄にも弟にも本音で話はできません
本音で、そのまま言えば必ず相手は喧嘩を売ってきます
本当の事をそのままには話せません
男は結構ずるいですし、沽券とやらが凄くてその為には嘘もつきます
主人に言わせると、これは「どうしようもない」のだそうです
だから、「男を人間と思わないほうがいい」と

イスラム国のように、残虐の極みを尽くして悦に入っている
これは、女にはあまりない感覚です

その傍らで、今もニュースで言っていますが19才の女子大生が
「子供の頃から人を殺してみたいと思っていた」という
そういう女がいます
昨年も、いきなり友だちを殺してしまった高校生がいました
これらのいきなりの殺人願望のある女たち、特に若いですね
彼女らの中の何がおかしくなったのかはわかりませんが
女の起こす殺人事件は、男に比してかなりの率少ないとは思いますが

男が非常に切れやすく作られているのは感じます
だから「肩が触れた」だけで喧嘩になるのでしょう
沽券?
そして、見ているとどうもいつも

「どちらが強いか」
「どちらが立場が上か」
「どちらがより金を持っているか」
「どちらが、権力を多く持っているか」
「どちらが、いい顔や体をしているか」
「どちらが、より女にもてるか」

そんな事で、常に競い合っているようにしか見えません
きっと一生の全てがそこに集約されていると言っても過言ではないかもしれません

新聞の読者の投書欄で、日常のひとコマや思った事を書く欄がありますが
つまり、意見などの投書ではなく
ああいうものを読んでも、男の人のはつまらないのです
どこかで自分を卑下したり、誰かと比べたり
大向うを気にしているのが感じられたりして
そのままの、切り取った素直な日常の微笑ましい話にはなっていないのです
いつも何かと張り合って生きている
だから、いつも誰かと競ったり、コンプレックスを感じたり
嫉妬したりしながら生きている
それが、男の中味なのでしょうか?
鎧兜が重過ぎて、それに押しつぶされないようにするのは大変ですね
いつも差別される側の、忍耐の女の方が
心の中は自由だと言えるのでしょうか?

そして、壊れてきた若い女性の心の中に
そんなものの欠片がチラチラ見えてきているのかも知れないとは思うのです


日本女性の花 真冬に咲いている撫子
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エホバの証人宗教勧誘 再訪です

2015-01-27 17:15:31 | 宗教関係
再び、黒っぽいコートに身を包んだ、そこそこお洒落な方々が二名
爪アート(正式名称を知りませんが)もしていました

で、「血を避ける」に関する使徒の文章を読んで、というか
エホバの証人そのものの批判文をネットで読んで後ですが
キリストがいた当時、注射器も輸血もなかったはず
なのに、何故ゆえに輸血の禁止かという問題ですが
後世の人が勝手に「血を避けよ」の文言を=輸血拒否と解釈したのではないかと
ですね

キリストが果たして本当に「輸血してはダメ」と言ったわけでもないのにね
この辺りで、少々のやり取りが
で、私の主人曰く「血を避けよ」とは「血液感染防止」の意味だよ、
今日少し読んだ所では、血とは神に捧げた生贄の血である、という記述

まあ、聖書そのものを読んでいない私にその全般の意味もわかるはずもないのですが
でも、おかしいのはキリスト教が色々な宗派?に分かれたとして
何故ゆえに「輸血禁止」がエホバの証人だけなのか、という疑問
それに対しての答えは「他の人達は正しく聖書を読んでいないから」?
うゎ、という感じですが

あれこれ話して又しても時間が・・・
で、ちょっと疑問を投げかけたのはキリストが
「マリアとマルタ」の姉妹に言ったセリフでしたが
それに対して「ものみの党」の小冊子をくれまして



「キリスト教は男尊女卑系」の私の発言を否定する内容で
キリストは逆なんだと
当時女は台所で、を、話を聞いてもいいんだよ、と
それは不公平ではないのかと私
んじゃ、食事を作る人がいなくなるではないの?
この話はまだ解決してませんが、「今度はその話の続きで来る」というから
「来なくてもいいですよ、
はっきり断らないと何度も来るって(笑)書いてあった」
と言ったら、一人が「確かにそうですね」と笑い。

多分私は彼女らの洗脳解こうとかとんでもない事を考えていたりして
ところが彼女らは私を取り込もうとする
私は自ら望んでも催眠術にかからない人なので「無理」なのに

最近私が新聞で読んだドイツ人の僧侶の話をしましたが
つまりその僧侶の話によると
『日本人に「宗教」は要らない』 (ベスト新書、2014年)
だそうです
「ネルケ無方」さん、ウィキペディアにも載っている方でした

無宗教がいいのか悪いのかはわかりませんが、
宗教によって命を落とすような事があるのだったら、
「要らない」のではないかと思いますが
一体イスラムのあれは「宗教」ではないのだと思いますが
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「春を待つ準備」 雑草学 1月20日東京新聞 コラムより

2015-01-22 12:03:09 | 
         春を待つ準備

 寒い冬の日、道ばたを見ると小さな雑草が寒さに凍えています。
霜で赤茶けながらも、緑色を保ちながら、
せいいっぱい葉を広げて寒風に耐えているのです。

 しかし、冬を越すには、温かな土の中で、
種の姿で眠る方が安全で快適です。
それなのに、どうして寒い季節にわざわざ霜に当たりながら
地面の上に葉を広げているのでしょうか。

 冬に葉を広げる雑草たちは、ただ寒さに耐えているわけではありません。
彼らは、光合成をして、着々と栄養分を蓄えていきます。
そして、暖かくなり、地面の下で眠っていた種が起き始めるころには、
蓄えたエネルギーで花を咲かせます。
そして、他の草花に先駆けて、有利に種を残すことができるのです。

 そう考えてみると、冬に葉を広げる雑草にとって、
冬はけっして嫌な季節ではありません。
他の植物が眠っている寒い冬があるからこそ、
彼らは成功を遂げているのです。
冬に葉を広げる雑草たちは、冬の後に必ず張るが来ることを知っています。
そして、まだ見ぬ春を信じて、しっかりと準備をしているのです。

 道ばたに咲く野の花に私たちは春の訪れを感じます。
そんな野の花は、人知れず冬の間も葉を広げていたものばかりなのです。

夕刊コラム「紙つぶて」静岡大大学院教授 稲垣栄洋(ひでひろ)
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同じコラム「雑草学」前回の分はこちらです↓
雑草の真実 「立ち上がらない」今日は七草粥
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「エホバの証人」の宗教勧誘に遭遇しました

2015-01-20 11:22:52 | 宗教関係
で、「エホバの証人について、調べてみます」と言って話を終えましたが
ネットで少し調べたら、「エホバの証人相手に話をした人」とか
他の宗教勧誘の話とかが面白おかしく書いてあって笑ってしまいました

今日来たのは女性二人で、中年かもう少し上の丁寧な感じの人で
アイパッドみたいなのを見せて、聖書の一節を朗読、
どう考えても「輸血禁止」は問題なのでそこを突っついた為でしたが
使徒15-25だったかと、もう一つは創世記の1-何とかで
もう忘れてしまいました(数字の暗記が苦手になっています)

あるサイトより引用↓
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 1985年6月、川崎市で交通事故にあった小学生が輸血を拒否して亡くなったという事件は、センセーショナルな問題としてマスコミにも大きく取り上げられた。その後も輸血に関連した事件が相次ぎ、宗教上の理由から輸血を拒否するというエホバの証人の立場は広く知られるようになった。
 ものみの塔協会の教義の中でも、この輸血禁止は最も社会的な摩擦を引き起こす戒律である。即、生命が関わってくる問題なのでそれは当然のことといえよう。基本的人権、人命尊重という点では一つの社会問題ともいえる。
 世界的な組織を有するキリスト教の団体で、輸血禁止の教義を唱えているのはものみの塔協会の他にはない。そうした点を考えると次のような疑問が沸いてくると思う。はたして、輸血にはどの程度の聖書的根拠があるのか。また、本当に緊急時であっても命をかけてまで守らねばならないほどの戒律なのか。神はそうした点をいったいどのように見ているのか。
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聖書の中に「血を避けよ」という文字があるそうです
そもそもキリストがどう言ったかを
正確に聖書が表しているかどうかも疑問なのに
その上、解釈を勝手にした上では、本当のキリストの真意はどこへ?
という話になる、と言ったのですが
確たる自信に満ちていまして、あれを洗脳というか
信者というかわかりませんが

私は
「私は宗教に興味はあるのですが、
最近、宗教を信じる事はできないだろうと思うようになりました」
と言いました
事実です

このブログでも随分と北原玲子さんのことや、殉教者のことも書きましたが
どうにも懐疑的にならざるを得ませんでした
キリスト教のみならず、仏教もそうです
釈迦はノイローゼだったのではないかと思い始めていますし
調べてみればそのようなことを言っている人もいます

大体煩悩だ、悟りだ、解脱だとか言ってますが
それって、人間を間違った方に引っ張っているような気がしています
時々新聞に仏教のお坊さんが、あるいは学者が書いてますが
何を書いているかというと
「いかに煩悩をなくし平安な境地に」・・・
いつもいつも主題はそれなんですね
前にも書いたか忘れましたが、それって、
人間らしさを否定するような気がし始めたのです

話が逸れましたが、エホバの証人の人達が、
何を間違って解釈して「輸血禁止」というのか
これから調べてみますが、どうせ大した調べはできないとは思いますが

昔聖書を書店で買いました(前にも書きましたが)
ドストエフスキーの「罪と罰」と同じように、
聖書も1,2ページしか読めませんでした
ですので、ざっと調べてみますが、昨今のイスラムの問題も含め
一体本当に「教祖」が何を言い、何を説いたのかを
後世の人が歪め、あるいは、独自の(勝手なとも言う)解釈で
その元の宗教を違うものに変えているとしか思えないのですが
まぁ、もっと言えば、果たして教祖が
正しく良い教えを説いたという前提があっての話なのですが


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アレクサンダー・テクニーク続  東京新聞コラム記事

2015-01-19 13:22:47 | 健康
昨年12月17日に書いた「アレクサンダー・テクニーク」
の元記事

東京新聞のコラムを貼っておきます↓

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雑草の真実 「立ち上がらない」今日は七草粥

2015-01-07 23:17:03 | 
「立ち上がらない」  (稲垣栄洋  静岡大大学院教授)
東京新聞夕刊 コラム 「紙つぶて」15/01/06付 より

「専門は雑草学です」と自己紹介すると、苦笑されることがあります。
雑草魂や雑草軍団といった言葉が思い出されて、科学的に聞こえないのでしょう。
しかし、農業を行う上で雑草を防除することは大切です。
そのため、多くの研究者が日々、雑草を研究しています。

 何げなく生えているように見えますが、雑草は特殊な植物です。
競争に弱く、群雄割拠の植物がひしめく森には生えることができません。
他の植物が生えることのできない草取りされたり踏まれたりする場所を
選んで生えているのです。
このような厳しい環境に生えるために必要なのは競争に勝つことではありません。
敵と戦うことを避けて厳しい環境と向き合い、自分と戦う道を選んだのが、
雑草と呼ばれる植物群です。

「踏まれても立ち上がる」というイメージがありますが、
意外なことに雑草は何度も踏まれると立ち上がりません。
雑草魂と呼ぶには、情けなく思えますが、そうではありません。
植物にとって、大切なことは花を咲かせて、種を残すことです。
がむしゃらに立ち上がろうとするよりも、雑草は踏まれながら、
花を咲かせることを選ぶのです。

 私は雑草を防除するために雑草を研究していますが、
そんな「雑草の生き方」に学ばされてばかりです。
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ちょっとびっくり、目から鱗のお話でした

今日は七草粥の日です
はこべ、はこべら、ホトケノザだの、雑草と呼ばれる植物を食べる日?
私はそれら市販の七草を買い

それに蕪と蕪の葉と大根を大量に入れて七草粥を作って食べています
今日は、里芋も入れました
七草粥の歌があるそうですが

七草なずな
唐土の鳥が
日本の国に
渡らぬ先に
ストトントン

結構怖い内容の歌に聞こえますが
ストトントンと包丁で刻みながら、
年の初めに、無病息災を願って食べる七草粥

雑草が、実は競争に弱い植物で「自分との戦い」を選んだなんて・・
何だか妙に同情を誘うようなお話で、本当にびっくりしました

あのペンギンがそうなんだそうですが
何であんな過酷な環境で生きているのか、
同じみたいに見えます
環境が厳し過ぎて敵がいないから・・・
一体、弱いのか強いのか?

「雑草は強い」とずっと思い込んでいた私達には
目にウロコの感のある解説でした
見た目だけではわからない事がいっぱいありますが
目の前の雑草のことすら、本当は分かってなかったんですね
「誤解」はそこら中に溢れていると、そんな風に思います
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初詣

2015-01-01 22:15:28 | エコ・地球温暖化
新年おめでとうございます
今年が良い年でありますようにと願います

地球温暖化の影響によると思われる異常気象が続き
その災害によって、命を落とす人もその数を増しています
その災害についての報道はなされても、ではどうしたら、という
根本原因に対する分析や警鐘はさしてされません

ただの自然災害と同様に扱われては、もしも人たちの努力によって
尚防ぐことが可能である災害もある可能性があるとしたら
何故、「悲しい事が起きました」の一言で片付けてしまえるのか
一体マスメディアの報道における責務や努力はどこに行ってしまったのかと思います

年々温度を増す夏の異常な暑さに対し
背広ネクタイの着用でその報道をするアナウンサーの不思議
いくら何でも、むちゃくちゃではないのかと
テレビの前で吠えても何も変わらない

どうか、目を覚ましてくださいと思うものの
もう殆ど絶望しています
多分、人間はその愚かさの為に地球を破壊し、
人同士が殺し合いを止めないままに
滅亡していくのだろうと思います


遅く咲いて12月29日にやっと採れた夕顔の種です

初詣に行ってきました
近所の神社ですが、いつの頃からか人出が多くなって
今日も、冷たい風の中を30分近く並ぶことになりました
一緒に行った主人は「お参りしなくてもいいから帰ろうよ」
「何の為に来たかわからないから」
「並ぶの~?」
「だって、来た意味がないじゃない」
と、いうわけで、初詣に行ってきました
「健康でありますように」と願いました
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