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日々思ったこと、見たことなどを書いています。

(その3,4 “親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に出演

2014-11-24 19:51:29 | 五木寛之さんと親鸞他
「ごはんを食べるように毎日の仕事を40年やってこられたというのは僕は、まっこう臭い言い方ではなくて、やっぱり、他力ということを考えますね。」
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五木寛之 「うまくまとめるものだね。」
番組キャスター 「そうですか。」

五木寛之 「実際には、あんなふうなとんとんとうまくいく日々ではないんですけど。
じたばたして、もっと、みっともないところも沢山あるけれども、今のVTRだけ見ると、流れるように暮らしているように見えて編集の威力はすごいね。」

番組キャスター 「でも9500回以上で40年近く、ちなみにきょう新聞に出たのは金沢シリーズです。
ハロウィーンでびっくりしたあたりにお書きになったのかもしれませんね。」

五木寛之 「ちょうどそうなんです。
今度また長浜というところに行きます。」

番組キャスター 「滋賀県の長浜ですね。」
五木寛之 「そうです。」

番組キャスター 「どうなんでしょうか、9550回、40年ぐらい書き続けることの意味は何でしょうか。」

五木寛之 「この連載は長いだけがとりえですからね。(笑い)
だらだらと長くやっている今ブログとか、いろいろ流行ですけれども、もう40年前にやっている活字のブログみたいなものです。
日々の暮らしのいくら食べてそれがいくらだったとか、偉そうな理屈までね、何でも毎日書くんです。

やっぱり、時には、これで仕事しなきゃいけないのかという中に大体、昨夜もおとといも12時30分ぐらいに入ってるんですよ。
本当は、夜中の12時ぐらいまでに入れると翌日に駅のキオスクに新聞が並ぶ、という際どいことをずっと繰り返しているんですよ。

幸運としか言いようがないですよね。
それでもって、事故が起きなかった。
高熱を出したとか。機械の都合で届かなかったとか、

兎に角、担当の愛場さんが入社以来原稿を受け取るところから社員生活をスタートして、定年退職をして、今も編集委員として会社に残って僕の原稿をね。
日々、一日1回ですからストックはゼロですから。ストックゼロというのが、すごいと思います。」

番組キャスター 「毎日書くのはエネルギーがいることだと思います。」

五木寛之 「途中で嫌になることもありますし、書くことが何もないよと言って机の前で2、3時間ボーッとするときもありますしね。

取り敢えず、ごはんを食べるように毎日の仕事を40年やってこられたというのは僕は、まっこう臭い言い方ではなくて、やっぱり、他力ということを考えますね。

自分の力とか、それだけじゃあ出来ない。
新聞社もあって、担当者もいて色んなスタッフもいて、僕の事務所のスタッフとかそういう人たち

みんな1つの原稿を首を長くして毎日待っているわけですから、
兎に角、やらなきゃあで、あっという間に40年近く38年ですか。経ちましたけれどもね。」

番組キャスター 「誰も五木寛之先生ごくろうさまでしたと言わないんでしょう」

五木寛之 「ハハハ(笑う)、僕はあんまりそういうのが、あれ、苦手なので本当に電話とファクシミリだけで仕事をしているという感じです。」



(続く)
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(その4「“孤独死”と言わずに、それは、“自然死”と言うべきだろうというふうに思いますけどね。」

五木寛之 「僕は、パーティーにも出ませんし、文壇とのおつきあいもあまりないし、まあ、仲のいい同世代の方たち、少しずつ去っていかれますしね。

別に、孤独とは思わないんですよ。
1人で字を書いていても、何処(どこ)かに読んでくれている人がいるんだな、そういうふうに思いながら。」

番組キャスター 「ということは、連載がまだ続いてますよね。
それって五木寛之さんが毎日世の中とつながっているということなんですかね。」

五木寛之 「そうですね。今、わりと孤独に弱い人が多くて、フェイスブック、インターネット、とか、いろんなものに発信していますけれども、別に世の中とつながっていなくてもいいんですよ。
“自分が世界” というふうに思ってね。

ですからNHKで番組をよくつくって、“孤独死”というのが社会のテーマになって、大話題になりましたけれども、“孤独死”というものは無いんだと思うんだ、人間というのは死ぬ時は孤独なんだから、どんなに周りに人に囲まれて家族から見送られようと、死ぬ時は孤独なんですから。

だから、敢えて“孤独死”と言わずに、それは、“自然死”と言うべきだろうというふうに思いますけどね。

ですから、今、ちょっと、孤独を恐れ過ぎているのではないか、誰かとつながっていなければいけないのではないか、絆(きずな)というものを作らなければいけないのではないか、というような、強迫観念があるのではないかなあ
“人は1人でもいい”、そういう感じがしますけどね。」



(続く)
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五木さんが何故親鸞を書くに至るようになったかのきっかけについて
親鸞の有名な言葉があるそうです
浄土真宗を開かれた親鸞聖人の教えに『悪人正機説』があり
歎異抄第3章に『善人なおもって往生をとぐ いわんや悪人をや』
という一文があるのですが、五木さんの過酷な引き揚げ体験が
その後の全ての生き方や、考え方に影響を及ぼした
そして、そこにある「罪悪感」が根底にあり
自分をどう見つめていくかの課題になって行ったのだと思います
五木さんにその引き揚げ体験がなかったら、
その後の生き方において、これほどの重圧はなかったものと考えます
「自分は悪人である」そう五木さんは思い込んでいます
私からすると、それでは「ほぼ全ての人間は悪人である」
ということになってしまうのですが
コメント
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