あなたとお花と猫とエコと健康

日々思ったこと、見たことなどを書いています。

「娘たちの四季 愛は素直に 」昔の名作テレビドラマ

2014-12-28 02:48:22 | 映画・テレビ

エランドール賞受賞(根津甚八)対象作品。母親と5人の娘という女だけの家庭を舞台に、女の自立とは、をテーマにしたドラマ。子役時代を除けば端役ばかりだった風間杜夫、根津甚八のはじめてのレギュラー番組。風間杜夫の役は中野良子の恋人で自閉症気味の男の役、根津甚八は夏桂子の恋人役だった。「いいドラマだったよ、あれは。名作だぜ。」(風間杜夫著「本当のことを言おうか」より引用)。
テレビドラマデータベースより ↑
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風間杜夫の『本当のことを言おうか』(角川文庫/昭和59年発行)

「娘たちの四季」って中野良子が主演で四人の娘のそれぞれの恋愛とかを描いているわけ。
中野良子の恋人役が俺で、夏圭子の恋人役が根津甚八で。
根津さんもこれがテレビドラマのデビュー作で、カッコよかったなあ、
台本、風呂敷に包んで持って歩いていた。
要するに俺の役は自閉症気味というか、人と会話できないわけ、
人の目も見られないし、それでほとんど口開かないわけ。
それで秋葉原の電気店に勤めていて、休みの日に動物園に行っては
鳥の絵ばっかり描いている。・・・
いつもそういうふうに鳥と対話してたのが、
なぜか中野良子と心を開いて話すようになる。
中野良子もなんか恋愛に傷ついて秋葉原 電気店に勤めていて。
そしてだんだん絵が認められるようになって、
だんだん世に出ていくわけ。
でもその人はあなたがいなければダメだみたいな、
いいドラマだったよ、あれは。
名作だぜ。
・・・
とにかく俺、この「娘たちの四季」の役がすごく好きだったの。
それがその頃の俺によくあっていたわけ、心境としてもね。
もう俺の性格というか、心境にピッタリだったからね。
自閉症とかって知らないけどさ、自分の中で空転しちゃうんだよね、
空回りしちゃうっていうか。
言葉を発することが相手に対してどういう印象を与えるか、
その自分のはいた言葉に自意識過剰になるわけね。
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キー局 CX 放送曜日 水 放送期間 1975/10/01~1976/03/31
放送時間 21:00-21:54 放送回数 24 回 連続/単発 連続
主な出演 中野良子、高橋洋子、長山藍子、夏桂子(夏圭子)、
沢田雅美、宝生あやこ、根津甚八、風間杜夫、内藤武敏、岡本茉利、小倉一郎
主な脚本  砂田量爾 主な演出 河合義隆
局系列 FNN 制作会社 CX
主題歌 小椋佳「めまい」
撮影技術 白戸義之
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今は殆どストーリーも思い出せないのですが、
強烈な印象として残っているのが、テレビドラマ初出演だという風間杜夫でした
ネットで検索すると、大抵の人はドラマの内容や、印象を書いているのです
特にこの風間杜夫に対する思い込みというのでしょうか
それは、私だけではなく多くの人の心に残るものだったようです
それで、ちょっとガッカリもしたのですが

何故なら、当時それはそれは大事に心の中に仕舞いこんだような
そんな感情を抱かせる素敵なものだったからです
「私のもの」みたいな(笑)

このドラマの主題歌が小椋佳の「めまい」だったとは・・
それすら今は記憶の片隅にもなくなっていました
でも、その歌も同時に素晴らしい何かを送ってくれたように思います

風間杜夫という人を初めて知ったのがこのドラマでしたが
それは物凄くマイナーで、本当に誰の心にも残らないような
地味で地味で、そして内向的で物静かで
消えてしまいそうな、そんな若い男の人の役でした
何でそういう役柄の、しかも風間さんはこう言っては何ですが
顔もある意味地味でした
でも、「私のもの」だったんです(笑)
そうしたら、それを見ていた多くの人が「自分のもの」だと思っていたなんて
何十年も経ってからわかった時に、
嬉しいような、又残念なような、人に取られてしまったような気さえして、
笑ってしまいました
そうだったんだー、みんなが心の中に抱いてしまった役だったんだ、と

私は多分他の人が言うように、ある種の
母性愛的なものを持ってしまったのかも知れませんが
でも、多分そうではないように思います

私は内向的なタイプですし、家にいるのが好きですし
どちらかというと対人恐怖症的でもありますし
所謂明るい友好的な、そういうものが苦手です
テレビって、どちらかというとやたらめったら
明るい、メジャー、面白おかしく、そういうものがいいと
そういう風に作る側が思い込んでいるのかもしれませんが
又、日本人がそういう感じなのかもしれませんが
NHKののど自慢みたいな感じでしょうか?

そんな中で、こんな地味で暗~くて、しかも繊細で
そして、心の深い、そんな感じのする役柄のあるドラマを見ることができて
よくぞ、作ってくれたなあ、とか思いました
何を忘れても、覚えている、
あの暗い目をした風間さんの役は素晴らしかった
ものすごく、心惹かれました


(この画像はそのドラマのものではないですが、
ドラマの画像が見つかりませんでした
こんなカッコイイ雰囲気の役ではなかったです)

そして、自伝で風間さんがあの役を「好きだった」と言い
「名作だ」と言い切ってくれている事が嬉しかったですね

だから、スチュワーデス物語?私は見ていませんでしたが
「教官」の役をやったそうですね、あの堀ちえみの
そんなものは、なかった事になっています
あれは、風間さんじゃない、と思っています



いい原作と脚本があれば、どんなにか心弾むドラマができるのにと
この話を書こうと思ったのは、先日山田太一さんのNHKドラマ
「ナイフの行方」を見たからです
久しぶりに、心に入ってくる言葉を話すドラマを見る事ができたと思って
そうして、山田太一さんのドラマの話を書こうと検索したら
このドラマが出てきました、ということでした
今のテレビの衰退が嘆かわしいです


ちなみにその後の風間さんの映像は・・

    
全く雰囲気違いますので、ますます・・別人です(笑)
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「サルとともに生きた少女の真実の物語」書評より

2014-12-21 22:22:35 | 小説・好きな物など
失われた名前―サルとともに生きた少女の真実の物語 著 マリーナ・チャップマン
   「朝日新聞」2014年02月02日付

  互いが慈しみあう生活を求めて

 英国に住む今は平凡な主婦となった女性の回想録だが、内容は驚愕(きょうがく)の一言に尽きる。

 マリーナ・チャップマンは自分が出生時に何と名付けられたのか知らない。
名前だけでなく生まれた場所もわからない。
5歳ぐらいの時に何者かに誘拐され、それ以前の記憶が残っていないからだ。

 誘拐された後、彼女はジャングルに置き去りにされた。
花柄のワンピースを着たひとりぼっちの少女が何年も密林で生き延びることができたのは、
ひとえにサルの群れと出会うことができたからだった。
最初は同じ物を食べ、鳴き声を真似(まね)るなどしただけだったが、
そのうち家族同然で過ごすようになり、サルの感情や言葉を理解できるようになる。
ある時などサルは明確な意思をもって病気の彼女を助けたことさえあった。

 失礼かもしれないが、本書はまるでサルが書いた本のようだ。
もちろん悪い意味ではなく視座がサルのそれと同じなのだ。
彼女の描くサルは人間のように会話をし、愛情たっぷりで個性豊かだ。
それは言葉を覚えたサルによるサルの生の報告であり、
どんなに優れた研究者の本にもこんなサルは出てこない。
一方、サルから見た人間の姿は残酷で獰猛(どうもう)で傲慢(ごうまん)で不条理だ。
人間が現れた時、サルたちは恐怖に怯(おび)えて警戒するが、
それを読むと動物にとって人間がどういう存在なのかよくわかる。

 それにしてもこれは本当の話なのだろうか。
人間社会に戻った後も彼女の人生は売春宿に売られ、路上生活をし、
犯罪者家族から命を狙われ……と転変を極める。
居場所が変わるたびに別の名前を与えられる、
そんな奴隷のような生活から何度も逃走を試みるが、
それはただサルと暮らしていた時のような互いが慈しみあう、
愛情のある生活が欲しかったからだった。

 14歳で初めて彼女はそれを人間から与えられるのだが、
その件(くだり)を読んだ時は胸に熱いものがこみあげてきた。

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評者 角幡唯介(ノンフィクション作家・探検家) 



 宝木多万紀訳、駒草出版・1890円/Marina Chapman 50年ごろ南米で生まれる。現在はイングランド在住。

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奇しくも今日、NHKニュースで野性の猿が、感電した仲間の猿を
救助というか、介護して命を救ったという話が流れました

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20141221/k10014164101000.html
以下↓ニュース内容です (↑救出中の動画あり)
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インド 感電した猿を仲間が懸命救助
12月21日 17時47分



インドで電線に触れて感電し意識を失った猿を助けようと、仲間の猿が懸命な救助を行い一命を取り留めたことが英雄的な行為だとして話題になっています。

インド北部の都市、カンプールにある鉄道の駅で20日、電線に触れた猿が感電して意識を失い、線路に倒れ込みました。
すぐに仲間の猿が駆けつけ、倒れた猿の意識を取り戻そうと、頭や首にかみついたり、体を激しく揺り動かしたりしましたが、倒れた猿はぐったりとしたままです。
さらに、仲間の猿は、意識を失ったままの猿の体を抱え上げ、線路脇の水の中に投げ込んで目を覚まさせようと必死で体を揺さぶります。
一見、乱暴に見える行為ですが、懸命の救助の結果、20分ほどたって猿が意識を取り戻すと、救助に当たった仲間の猿は優しく背中をさすっていました。
駅のホームに集まった人たちは猿の行動に大きな拍手を送り、現地のメディアは「英雄的だ」とか「思いやりがあるのは人間だけではない」などと取り上げ、インドで大きな話題になっています。
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感動的な場面でした

「サルから見た人間の姿は残酷で獰猛(どうもう)で傲慢(ごうまん)で不条理だ。」

この言葉に代表されるように、人間とは動物にとって、
「残酷で獰猛で傲慢で不条理」な存在なのではないでしょうか

鳥インフルエンザ、豚インフルエンザ、狂牛病他
近来、数多くの家畜の脅威となる病気が大きな問題になった背景にあるのは
残酷な人間のしてきた事への、動物の悲鳴に思われてなりませんのですが
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宝くじを買って来ました

2014-12-19 16:34:16 | 霊的現象など
昨日、有楽町のチャンスセンターという宝くじ売り場で
年末ジャンボの宝くじを買って来ました
今回は、一等前後賞で7億円とテレビのCMではやってます
以前家族が二等の高額当選したことがありますが
その頃はまだ億のお金ではありませんでしたので
億のお金が当たれば、後はお金の心配をしなくてもいいのにな、と思いますが

サマージャンボも買いに行きましたが
ほとんど並んでいませんでした
私は7番窓口と5番で買いますが、昨日は一時間も待ちました
1番窓口は凄く並ぶので、一回だけ人数が少ない時に並んだ以外は
まず、あの長蛇の列に並ぶ気にはなれません
私のラッキーナンバーは5ですので、5番に並びますが
母のラッキーナンバーは7番なので、そちらを優先したら
もう、再度並ぶには寒すぎて、全部7番で買いました

何故年末ジャンボだけが凄い人数になるのか?
やはり、年越しの切迫した?モードと、来年は?の期待に満ちて??
みんな買いに来るのかも知れません

   

Eテレ「2355」の絵ですが、今年の干支から来年の干支へと
橋渡しをすべく走っている馬です
パカラッパパパカラッパパ・・・と走っています

来年は可愛い未年

   

宝くじが当たります様に・・・
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アレクサンダー・テクニーク

2014-12-17 13:43:14 | 健康
東京新聞コラムに書いている女性の歌手の人が、紹介していたものです
私にはまだよくわかりませんが、ウィキペディアからご紹介します
少し読み易いように改行します
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アレクサンダー・テクニーク(Alexander Technique)とは、
心身(すなわち自己)の不必要な自動的な反応に気づき、それをやめていくことを学習する方法。
頭-首-背中の関係に注目することに特徴がある。
一般には、背中や腰の痛みの原因を改善、事故後のリハビリテーション、呼吸法の改善、楽器演奏法、発声法や演技を妨げる癖の改善などに推奨されることが多い。

概要

アレクサンダー・テクニークを発見し方法論化したのは、
フレデリック・マサイアス・アレクサンダー(Frederick Matthias Alexander, 1869年 - 1955年)である。
アレクサンダーは、オーストラリアでシェイクスピア作品の若い俳優として有望なスタートをしたが、
舞台上で声が出なくなる不調に襲われるようになった。
役者として致命的な不調であったが、医者も治療のしようがなく、
彼は原因をつきとめるべく三面鏡のまえで自分の発話の瞬間を観察していった。
そこで彼は、声を出そうと思った瞬間に、その「声を出そう」という意欲によって、
意識せずに首の後ろを縮め緊張させていたことを発見した。
このため頭が重たくのしかかり、声帯を圧迫していたのである。
それと反対に、首が楽で、頭部を軽く脊椎の上でバランスを保っていれば
声が楽に出ることにも気づいた。

この発見が契機となって、アレクサンダーは、
頭、首、背骨の緊張がなければ人間に生来そなわっている初源的調整作用
(プライマリーコントロールprimary control) が活性化され、
自分の全力が自由に発揮されると唱えた。
無意識的な習慣や癖(自己の間違った使い方、
自己の誤用 mis-use of the self)のために、
何かをしようという際に不必要な反応を生じ、
不必要な運動を行おうとして緊張を生じることが
その行為・動作を妨げているとされ、
(さらに何らかの新しい努力や行為を追加するのではなく)
そのような習慣的な反応を抑制(inhibition)することで
改善が見られるというのが、基本的な考え方である。
アレクサンダー・テクニークにおいては、
これは深層の繊細な筋肉に働きかけるために、
始めは教師の手を借りながら、不要な動きが生じようとすることを抑制させることで、
思うことと動きを一致させる経験が必要とされている。
この手を用いた指導法は、訓練されたかすかで繊細な手の用い方が要求され、
hands-onと呼ばれる。
短絡的にすぐ結果を得ようとする態度をend-gaining(結果の先取り、
というような意味)と呼んで戒めている。
これに対して、より間接的に、そのような状態を生み出している
自分の中の欲求や意図に気づいて、
それらへの自動的な反応を抑制することが重要であるとされ、
そのような手段をmeans-wherebyと呼ぶ。
また、初源的調整作用(primary control)による自動調節が機能しやすいように、
首や背中のありかたについて「首が楽に、背中は長く広く」など、
自ら積極的に方向性を示すことを方向付け・方向性(direction)と呼び、
抑制とともにアレクサンダー・テクニークの重要な概念となっている。

たとえば、足の使い方に無自覚で不自然な癖(誤用 mis-use)
があったとして、そのために激しい運動を行って一部の筋を痛めたという場合、
その部分の筋力が不足しているのだから筋力トレーニングを行えばよい、
という考え方は end-gaining 的であり、
トレーニングによって筋力が増したとしても同じ誤用が
一部の筋肉に局所的な負担をかけて続けている限り、
問題はいずれ再発する可能性が高い。
これに対してアレクサンダー・テクニークでは、
どのような癖のためにどのような負担が生じているのかを自分で気づいて、
その緊張を生じるような自動的な反応を抑制(inhibition)しつつ、
同時に、頭、首や背骨などに備わる初源的調整作用(primary control)に対して、
方向性(direction)を示し続けることで、
負担の少ない新しい自己の使い方によって、
足を動かすことを学習する。

アレクサンダーは自力で問題を解決し、その方法を他人にも教えはじめた。
その過程において、発声だけでなく他の心身活動に役立つことに気付いていった。

1904年以降、ロンドンにおいて演技のための身体調整方法として教えていき、
やがて知識人など俳優以外も教えていった。
アレクサンダーは教師の養成にも尽力した。
現在では世界中で2,3千人のアレクサンダー教師たちがテクニークを教えている。
STATやAmSTATなど、いくつかの国際団体がそれぞれに
アレクサンダー教師のトレーニングコースを開き、
1600時間、3年間の課程を修了した卒業生に、資格を認定している。
欧米では近年、大半の音楽学校や演劇学校が、
アレクサンダー・テクニークを正規の授業として取り入れている。

著名人

アレクサンダー・テクニークのレッスンを受けた俳優として、
パトリック・スチュアート、
ロビン・ウィリアムズ、
クリストファー・リーブ、
ウィリアム・ハート、
近年ではキアヌ・リーブス、
ヒラリー・スワンクビクトリア・ベッカムらの名があげられる。

ミュージシャンのポール・マッカートニーやスティング、
鈴木重子ら、ヴァイオリニストのユーディ・メニューイン、
声楽家のエマ・カークビー、指揮者のサー・コリン・デイヴィスも実践者である。
パフォーマーのみならず、支持者のなかには
哲学者のジョン・デューイ、
劇作家のバーナード・ショー、
作家のオルダス・ハクスリーなどの名もある。
1973年に動物行動学者のニコ・ティンバーゲンが、
ノーベル賞の受賞記念講演で言及した[1]のも話題になった
(『ノーベル賞講演生理学・医学13巻』講談社 参照)。
なおティンバーゲンは1974年のScience誌の論文でも
F.M.アレクサンダーのテクニックが姿勢に及ぼす効果を写真入りで解説している。
以下略

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「鈴木重子」さんの名が挙がっていますが、コラムに書いていたのはその人です



初めて聞いた療法なので、どんなものかと調べてみましたが
まだ、今一よくわからないです
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再度・・2355 進め!「よんきびう隊」 0655ですが ユーチューブ

2014-12-16 15:08:26 | 私の好きな歌
     


歌は「よんきびう混声合唱団」です


お~れたちはすっすむ胸に使命抱いて~

調~子合わせ 進(すっす)む 

しぶいビートにのって

遅(お~く)~れるな亀(か~め) カブトム~シ カピバラ

とにかく 前に進(すっす)め

号令かっかるまで~・・・・・・


出演

カブト むし五郎
カピバラ ねず実
鹿野 つのお
ペン田 銀三
草野 カメヒト
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紅葉・黄葉・・落ち葉を掃くこと

2014-12-15 16:47:09 | 異議あり
      

落ち葉はゴミか否か?
私は落ち葉は落ち葉だと思っています
ですが、一般的には落ち葉を掃かないと
ゴミを放置していると思われるようです
私は植物が好きですので、落ち葉で腐葉土が出来ると思い
落ち葉は貴重な自然のものと思っています
落ち葉をゴミのように掃き、ゴミとして出すことに抵抗を感じます



土の上なら自然に土に還る落ち葉ですが
アスファルトで舗装された道には、還る場所はありません
では、落ちた落ち葉はどうなるか?
カサカサに乾いてパラパラと粉のようになり
固い葉は、時間がかかりますが、そして、どこかに紛れてなくなります
もしかしたら、下水に落ちてしまうかもしれないし
うまく行けばどこかの土になっているかもしれないです



私は毎日4回位落ち葉を掃いたり拾ったりしています
そうしないと、ご近所迷惑になるそうですので
集めた落ち葉はゴミには出してないです

母の実家には大きな樫の木がありました
家を建て替えた時にそれを伐ってしまったのです
母は敢えて伐った理由を実家の人に聞かなかったのですが、
後から私が従姉妹に聞いたら
「落ち葉がたくさん落ちて近所に迷惑になるから。
近所から苦情を言われたみたいよ」
なんだそうです

母の実家は埼玉県、場所は決して都会でもありません
そうなんだー、そうだったんだ~
母は何故伐ったのかを、木が痛々しくて聞けなかったようです
母も私も動植物が大好きですので、木が伐られたら痛ましく思うのです
樹齢どれくらいの樫の木だったでしょうか
長い間安泰でいられる木は、神社かお寺の木だけなのでしょうか

     
     同じ木でも、これだけ色が違っての紅葉です
             
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小銭入れ

2014-12-14 13:37:42 | 生活全般
これは、主人が愛用している小銭入れです

    

写真のものは、「新品」なのですが、
使い込むと、完全な黒に近い焦げ茶色になって
黒猫のようになってしまいます
昨日見たら、新しくなっているので聞いたら
「買ったんだ」という話
しかも、これは4代目か5代目なんだそうです
私は2代目位かと思っていました
どこで買うか聞いたら(主人は“場合によっては”超寡黙な人で
聞かないと何も言わず、聞いても返事がない場合もあります)
「会社の近くの雑貨店」なんだそうです
「よく同じ物をずっと売ってるわね」
「そうなんだ」

   
財布を開けると、メイドインチャイナと書いてあります
でも、同じ物をずっと売っているなんていいですね
使い勝手がいいそうなのですが
小銭オンリーなので、お札は入らないそうです

今日は、凄く寒くてまいります
縮こまってしまいますね
植木も寒そうです 
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御意!

2014-12-12 14:47:09 | 映画・テレビ
前にも書きましたが、「ドクターX」を楽しみに見ています
勧善懲悪みたいな医療ドラマみたいです
始まったと思ったら、もう来週は最終回なんだそうです
何だか、見足りない気分です

ですが、作者の人は色々ストーリーを面白おかしく
しかも、いい加減な事は書けないのでしょうから
お勉強も大変なことと思います
昔、子供の頃や若かった頃は、
「そういうものはそういう人が作る」とか思って、
当たり前のように見ていましたが
年を取って来ると、それが「同じ人間」の技量かと思うと
「ウ~~ン」とか、感心してしまいます
よくああ言うストーリーを作れるものだ、
さぞかし考えるのは大変だろう、とか
あっちの立場に立って、偉いもんだ、などと感心します

つまり、大人になるということは、相手の立場を考えて
「そういう能力のある人がやる」のではなく
「そういう能力に長けた人が、その上に、
大変な努力を重ねて作っていくものなんだ」
と、わかってくるわけなんですね
そうすると、相手に対する畏敬の念とか、感謝の念とか、
あるいは評価とか、そういう形になって現れ、
素直に感心するわけです

っと、書き始めたら、題名と中身が違ってしまいました
書きたかったのは「御意!」でした
私の主人は、このドラマが好きではないと見ません
理由は「御意!」にあるそうです
汚い事が嫌い(一応そう言ってます)な主人は
汚い大きなものに巻かれるかの如き、「御意!」が
嫌なんだそうです

NHK Eテレ 2355(23:55~0:00)
発明好きの市長の日めくりアニメ
市民は、全員「ゥオーッ」という称賛の声と共にパチパチと拍手!
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
遠藤憲一さん扮する「小心者」の医者は、
いつもオロオロしながら状況や情勢を伺い、
その中で自分の立身出世を願って、
力のある、自分に有利な・優位な立場の上司に対して
理不尽な言いつけにも拘らず、その言いなりになり、
「御意!」の言葉を直立不動の姿勢で言います

ですが、その端々に伺えるのは、
人間臭さであり、人の良さであり、
結果、どこかにチラホラ垣間見える「良心」の欠片なのです
その良心の欠片を求めて、私達はそれがいつ出るか・・
と期待する・・・

悪と、悪と戦う善と、その間で彷徨う、
悪にも善にもなりきれない普通の人々
この三者の織り成す悲喜劇、結構喜劇の部分も多いのですが
笑いを醸しだす中間の人達の面白さが
この番組の別の魅力でもあるように思います

経済一辺倒の世の中が、人の心を壊し
社会の仕組みを壊し、人と人の間の空気をも壊し
あちこちで嘘をつき、誤魔化しをし、汚い工作をする
それがばれた時も、開き直るか、あくまでも言い繕って逃げようとする

私は人付き合いが苦手だし、人と付き合うと疲れるので
今まで結構そういうことなしにやって来ました
ところが、最近何かにつけて、接触しないではいられない状況になり
改めて、人の裏を何度も見ることになりましたが
私はどちらかというと「わがまま」が嫌いなのです
ところが、皆わがままな人が多い
主張は違うわ、こずるいわ、権力欲に支配欲にetc.
見事でございます

で私はと言えば、自分が重要と思うことでなければ、
「譲ります」の人ですので面白がって「御意!」をやります
私は参謀型であって、リーダーシップを取るタイプでも器でもない
ですから、上に立ちたい人には「どうぞ」なので
その辺りの権力争いや、目立ちたがりとか、威張りたがりとは無縁ですが
ですが凄いですね、人間って
だから、私があまり付き合いをしなかったのも正解かも知れません

公園デビューとか、ママ友とか、その他もろもろ
(ついでに江角マキコさんの話ですが、
どう考えても江角さんがあんな馬鹿げたことをするとは思えません)
女にも権力欲も支配欲もある証拠です
ただ男社会において、男に牛耳られている限り
その真ん中に飛び込んで権力争いをする場がない
と、言うことは場が提供されさえすれば
いつでも、女でもそういう事が起きるということかも知れません
これって、「男が牛耳る社会だから、戦争が絶えない・・」
とばかり、果たして言えるのか、否か、です


{ 御意! }
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「夢」を見ました ・・・この私が・・・ホステスさんになる?

2014-12-11 12:47:00 | 生活全般
今日は、起きる直前に最近あまり見なくなっていた「夢」をみました

-------------以下は夢です-------------------------
私はホステスさんのような仕事をしていて
何だか年末のお客さん回りみたいなことをするのです。
(実際はそういう事はしないのでしょうが)
回るのは、比較的近所?(笑)

毎日一軒位回ると、必ず何か品物をくれるのです
それを家に持って帰り、中を見るとお菓子だったり品物だったり
それを自分がもらっていいのだと思って、
皆開けて食べたりしてしまいます

ですが、ある時フッと思って
「これってお店がもらったものなんじゃないのかな?
私が勝手に開けて食べたり、家に置いておいて私物にしてはいけないのでは?
もらったものを店に持って行って、ママにこれを貰って来ましたと言って
渡さないといけないのでは?」

そう思ったらとんだことをしてしまった・・・と焦ること・・
どうしよう、店のものを私物化してみんな自分がもらってしまった
包み紙を元通りにしても、ばれそうだし・・・

で、家の庭にママが来ていて、この話をしたら
「いいのよ、それはあなたが貰って構わないの」
そう言われてホッとする

母がしゃがんで縁側の下を覗いていて、ママは帰っていった
以前飼っていたホシガメの二番目に飼った方の小さいのが
こっちに向かって歩いてくる
私が母にママの話の内容を言うと「ああ、そうなの」と言った
ヤレヤレ良かった・・・
----------------------------------------
この辺りで、夢が醒めました

夢って面白いもので、自分にはないものが突然現れたり、
内容が、起きてみたら全く辻褄があわなかったりして
色々面白いものですが

以前はよく「奈落の底」とやらに落ちていく怖い夢をみました
又、どこからか拳銃で狙われていて、逃げるのに必死だったり
ずるいのは、夢の中で逃げられなくなりそうだと
「ここは、飛ばす」とか言ってシーンを変えてしまったりすることです(笑)

今日のは、何故私が銀座のホステスさんになったか
他の人のブログを読んでいたので、いつの間にか
そのモードに成り切ってしまったのだろうかと
可笑しくなりました
私は生まれ変わっても、ホステスさんにはなれそうもありません
対人関係が苦手、では無理でしょう
でも、銀座のママさんというのは、頭が良くなくては務まらない、と
私の友達が言ってました
ホステスさんとママは違う、と
なるほど、と思います




毎日落ち葉掃き(拾い)が忙しい落葉樹
紅葉とも言えず、殆どが「黄葉」ですね
-------------------------------
wik「紅葉」
狭義には、赤色に変わるのを「紅葉(こうよう)」、黄色に変わるのを「黄葉(こうよう、おうよう)」、褐色に変わるのを「褐葉(かつよう)」と呼ぶが、これらを厳密に区別するのが困難な場合も多く、いずれも「紅葉」として扱われることが多い。
-------------------------------
「黄葉」という言葉はあるようですが、黄色でも紅葉とも言うんですね
Webログ222回記念
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花泥棒ならぬ・・・

2014-12-10 10:01:32 | 人間の心理について
一昨日のこと、落ち葉を掃きながらふと気づいたのは
常緑樹の柚子の葉が一枚落ちていることでした
その前の日、主人が「柚子が減っているね」と言ったので
そうかなあ・・と見上げたら、確かに減っています
少し採る家人はいますが、でも・・・
それでその時に数を数えておきました
門の外側に成っている分だけをしっかり



ところが見上げた柚子の実は明らかに減っていました
おかしい
後で家人に聞いてみたところ、二個採ったと言いますが
減ったのはそんな数ではありません
やはり・・・
昨年も盗られてしまったのですが

通りかかる人から
「よく成っていますね、凄いですね~」と
つまり、[都会の真ん中で柚子がたくさん成ってますねぇ]
という形の褒められ方なのですが
何人もの人が嬉しそうに上を見上げては褒めるのです
私も嬉しい気分で、黄色くなった柚子の実は見るだけで
まだ一つも採らずにいました
柚子を見て褒めた知り合いに「マーマレードにすると美味しい」と言ったら
「作って、頂戴よ」と言われたのですがこれでは無理かも・・
褒める人がいるのと同じように、心密かに“狙っている”人もいるわけです
狙われた柚子の実は、おそらく夜中に盗られるのでしょう

そう言えば、話は変わりますが、拾った財布の持ち主からは
とうとう電話がありませんでした
交番からは
「落とし主が受け取りに来ましたから、
◯◯◯◯さんという名ですが後で電話があると思います」
ないですが・・・

何となく殺伐とした気分の出来事が続きます
日本人のモラルも、外国並みになってきているようです
まぁ、花泥棒は昔からありますけど・・
       
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最終回18 [同行二人・・] “親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に出演

2014-12-09 10:12:35 | 五木寛之さんと親鸞他
「“一人でも一人ではない”、とそういう気持ちで生きていた方がいいですね。」
        ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

番組キャスター(視聴者からの便りを読む)

「私もわずらわしい人間関係が嫌いです。
人に合わせて無理に絆を作ろうとしない、1人で納得のいく人生が幸せだと思います。
70代の男性からいただきました。」

番組キャスター 「一人としてのつきあい方が大切ですね。」

五木寛之 「自分とのつきあい方が大事ですよね。
親鸞は、“二人いて喜ばは、その一人は親鸞だと思え”と言っています。

お遍路の方達も同行二人とか、言ってね。」

番組キャスター 「はい、ここ(スタジオ)で昨日、放送しました。」

五木寛之 「そうですか。そういう感じで、“一人でも一人ではない”、とそういう気持ちで生きていた方がいいですね。」

番組キャスター 「今日は、どうも有難うございました。」

五木寛之 「有難うございました。」




終わり 
------------------------------------------
今四国のお遍路が流行っているそうです
テレビでもやっていました
何となく憧れたりしますね
大体が宗教関係の話は「心を洗う」的な雰囲気があって
まぁ、勝手にそう思っているだけなんですが
調べてみました
============
「同行二人」(どうぎょうににん)。
四国八十八箇所の霊場めぐりのお遍路さんたちにはいつでも空海(弘法大師)がついて一緒に歩いてくれている。目に見えなくてもそう思う人のそばに必ずいてくれている‥そういう意味だそうです。
============
あら、「同行二人」は「どうぎょうににん」と読むのですか?
私は「どうこうふたり」と読んでいました(笑)
この年になって初めて正しい読み方を知りました

お遍路の何がいいって、景色もいいですよね、多分
私など都会の真ん中で、高いマンションや車だらけの日常で
道路は舗装、木なども少しだけ
庭に木を植えている家自体が少ない場所です
ですから、周りの緑を見ながらポチポチ目的の柔らかな
散歩でもなし、目的地に行って何かするでもなし
歩くことに意味があるって、贅沢な歩きですね
あ、又勘違いしました
この間のテレビの映像では老夫婦が二人和やかに
お遍路の旅をしていましたが、
「同行二人」とは、大師さまのことでした

先日も書きましたが、「公園デビュー」とかの話
つるまないと生きていけないとかあるのでしょうか?
「ぽっち」とかいうのがあるそうですね
大学生がトイレで食事をするとか
私は昔から人とはあまりうまく付き合えないたちなものですから
結構一人でいた時間が多かったような気がします
それをやっぱりちょっと変かな?とは思っていました
ですが、つるむのは苦手だし、人が苦手だし
あえて、誰かと一緒にいる事が楽しいわけでもないし
つまり、うまく付き合えないなら一人のほうが楽チンとか?

ですが、考えてみると友達がいなかったわけでもなく
なぜか一緒にいる友だちはいたのですが、
大勢でワイワイするなんて、ありえないことでした
で、友達がいっぱいいる人って、凄いなあ、と思うのは
どうやって「さばく」んだろうとかいうことです
よく疲れないと思いますが

それはさておいて、五木さんは
孤独と向き合うというか、所詮はひとり、
とかいう話をなさってましたね
五木さんもパーティなどには出ないとおっしゃっていましたが
どういう付き合い方がその人に向いているか、
そういう話にもなっていくのでしょう
結局、どうあるべきか、ではなく
その人その人に合った生き方で、ということなのだと思います
画一化した価値観をマスメディアは押し付けようとする
結局は、自分達の方向性に沿ったものを善しとしているのかも知れません

ですが、信心の足らないというか、信心すら知らない私には
同行二人ということが、どこまですんなりと心に入るのか
猜疑心の強い私には、中々難しい話です

余談ですが、私は催眠術師のところに行ったことがあります
冗談ではなくて、マジックでもなくて
心の悩みを解消する為に、心ではなく性格ですね
ですが、全く催眠術にかからなかったのです(笑)
二ヶ所に行ったのですが、全くかからない(笑)
可愛くないですよね
つまり、催眠療法というのを施術してもらって
かかった方が自分の為になるのに、ね(笑)
終いにその催眠術をかけるカウンセラーの人が
お金を取らなくなってしまいました
だって、催眠術にかからないから進まないのです
まぁ、長くなるのでこの辺で終わります

五木寛之さんの「ゆうどきネットワーク」のお話はここまでで終わります
五木さんは、渾身の力で「親鸞」三部作を完成なさいました
本当に有り難うございました
大変な労苦だったと思います
そして、これを書くことは五木さんにとって、
大変重要なことであったのだろうと思います
本当に有り難うございました。
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17 《清潔にしすぎる・・》“親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に

2014-12-08 12:18:15 | 五木寛之さんと親鸞他
「清潔にしすぎる、雑草のように育てて欲しいですね。(笑)」
       ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

番組キャスター 「今日は五木寛之さんをお迎えしてお伝えしてきましたがたくさんのお便りが届きました。
これはほんの一部ですよ。

メッセージを紹介していきます。
学生時代、ずいぶん「青春の門」に浸(ひた)った、本も買ったし、映画も見に行った、でも、信介にはなれなかった。
「青春の門」は僕の20歳の原点である。

神奈川県40代の方からです。
五木寛之さんの死ぬ時は1人という言葉に同感です。
孤独を楽しむことも大切です五木寛之さんに孤独を楽しむテーマで書いていただきたいと思っています。

そして質問です。
私は37歳の主婦です、
高校生のときに心の病気にかかりましたが「生きるヒント」を支えに元気に生きることができました

小学生の子ども、今育てていますが、本当に今の子どもたちは忙しすぎると思います。
子どもを取り巻く現状にどんな危機感を抱かれますか。」

五木寛之 「そうですね。あまりにも過保護と言っても、おかしいですけれども、昔は“子供は風の子”と言って放っておいても育つ、まあ、道に落ちたものを拾って食べてみたり、そんな事が平気なことがありましたけど。

僕は、抵抗力が落ちているんじゃないかと思います。
免疫力というかね。

だから、少々ばい菌が付いたものでもちゃんと食べるみたいなものがね。

亡くなった免疫学者の多田富雄さんが手を洗い過ぎてはいけないと仰っていました。
清潔にしすぎる、雑草のように育てて欲しいですね。(笑)」


 


番組キャスター 「なかなか世の中が変わってきていますけれどもそういう心持ちが必要ですね。」

五木寛之 「なんとかなるものですよ。なんとかなるけん。」(笑)

(続く)
------------------------------------------------
>「なんとかなるものですよ。なんとかなるけん。」(笑)

そうなんですかね(笑)
心配性の私にとっては、中々難しい考え方ですが

フッと思って五木さんの血液型を見てみました
思った通り「O型」でした
ちょっと話が飛びますが
===========
文学者の血液型
A型
夏目漱石、谷崎潤一郎、芥川龍之介、坂口安吾、司馬遼太郎、松本清張
三島由紀夫、大江健三郎、吉本隆明、小松左京、村上春樹、福田和也、阿部和重
B型
大岡昇平、椎名麟三、吉行淳之介、安岡章太郎、筒井康隆、坪内祐三
O型
川端康成、江戸川乱歩、横溝正史、五木寛之、唐十郎、谷川俊太郎
渡辺淳一、星新一、村上龍、田中康夫、島田雅彦、辻仁成
AB型
志賀直哉、太宰治、安部公房、森敦、石原慎太郎、柄谷行人、平野啓一郎
============
神経質そうな夏目漱石はA型ですね
川端康成はO型だそうですが、自殺した・・
五木さんの力強さはO型の性格から来ているのかも知れない・・・?
とか、思ってしまいました

子供をあまりに清潔志向で育てるのは
動物としての生命、とかいう問題からすると
間違いかもしれないと思います
アレルギーの問題もそうみたいです
1~2才頃までに犬や猫と一緒に育てると
アトピーとかになりにくいとか聞いたことがありますし
回虫を飼えという話もありますね(体内に)

結局今の風潮が果たして正しいのかどうかという話になります
私は正直言って今の世の中の「感性」みたいなものに違和感があって
今の世の中に適合しない感じがします
やたら「除菌除菌」と騒ぎまくり、
あれが汚い、これが汚いなどと喧伝する
あれは、薬品会社の陰謀かもしれません・・
某◯林製薬などの新製品、いい加減にせいや、
という感じの除菌グッズを後から後から発売していますが
ああ言う一種の暗示広告みたいなものに脅かされて不安になっていく
それが、又々商業主義に乗せられているだけなのに
布巾が汚い、便座が汚い、タオルが汚い、スポンジが、たわしがetc.

そんなことを言って、強い洗剤を使い、強い薬品を使い
それらを水や大気に垂れ流していく
これは、環境汚染そのものではないかと思うのです
自分だけきれいに清潔にしたつもりが、
環境汚染となって帰ってきて、人間の体を蝕んでいく
煽りを食った自然派の人達はいい迷惑です

私は食器を石鹸で洗っていますが、よく落ちます
石鹸って案外洗浄効果が高い事に気づきます
殆ど中性洗剤を使ってないのですが、十分に足りてます
結局、除菌だの清潔だのと言いながら
自分で自分の首を絞めているようなものだと思うのです
もう少し自然に還らないと、色々な意味で怖いです
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16〈笑う事だけが・・〉 “親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に出演

2014-12-07 20:38:07 | 五木寛之さんと親鸞他
「笑う事が大事なのもよく分かっていますけれども、それだけではない。」
         ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

番組キャスター 「更に、この男性は五木寛之さんの“憂愁を大事にする”という言葉も、非常に共鳴されているということなんです。これはどういうことですか。」

五木寛之 「戦後、私たちはどちらかというと、プラス思考、一辺倒でやってきたというところがありますね。

笑い、ユーモアの文化があって、明るく前向きに生きている限り人生うまくいくという発想でね

暗い気持ちになりがちになると、マイナス思考になってはいけない
というふうに自分自身を叱咤激励(しったげきれい)しながら、涙とか泣くとか悲しみから逃れようと生きてきたような気がするんです。

でも本当はそうではなくて、柳田國男が「涕泣史談(ていきゅうしだん)」という本の中で、“日本人は泣くことを最近は忘れている”というふうに指摘していますけれども、

泣くと言う事は、日本人は、スサノオノミコト(素戔男尊、日本神話に登場するアマテラスオオミカミの弟神)

みたいな荒ぶる神でも、海を枯らし、林を枯らすほど、豪快に泣いた訳ですし、日本人は泣くと言う事を大事にしてきた国民なんですね。

だから、時には、どうにもならない時に涙をこぼして、“わあー”と、泣くとか、悲しむとか、そういう事は、歌謡曲や演歌的な世界で、普通はマイナス思考だと言われるでしょ、でも、そんなことはないですよ。

悲しむのは大事なことで、喜ぶ事と、悲しむ事、笑う事と、泣く事、プラス思考とマイナス思考。

笑う事が大事なのもよく分かっていますけれども、それだけではない。」

    

番組キャスター 「そう言われればね。わざと元気に、元気に、」
「無理して紛(まぎ)らわせる事はない、と。」

(続く)
-----------------------------------------------
明るい・笑う・元気、などのメジャー指向を善しとする風潮
また、そうでなければ「いけない」というような傾向
私は以前から疑問に思っていましたが、
五木さんのおっしゃることに、
やはり、そうだったのか、という感じです

これって、結構テレビの中の世界からの「強制」みたいなものではないのか
そう思いました
けれど、柳田國男さんが指摘した時代とは?
「 1962年8月8日(満87歳没)」
これでは、あながちテレビの影響とばかりも言えないようです

ですが、視聴率第一のテレビ界において
「明るい・笑い・元気」というようなメジャー系のものが
求められるのは、当然といえば当然の話です
ですが、テレビ他のマスメディアが大きな影響力を持っている事実
知らず知らずの内に、それが一種の価値観となって
体に染み込んでいくのではないかと思います
それらの商業主義から来る一定の意図を持った価値観が
人の心を支配していく、そんな気がずっとしていました

人と自然の関わりが希薄になり、重きを置かれていくのが
ひたすら「人間関係」の事に集中していく
そんな気がするのです
だから、「公園デビュー」の話もそうですし、
学校のいじめも旧来よりも悪質に、数も増加しているのではないか
いじめは昔からあったと思いますが
そのいじめが生死に関わるほどになってきた事実もあります

マイナーなことを悪とし、皆一列に同じでなくてはいけないと
誰が言ったのか
又、誰もが社交性があって明るくなければいけないと
誰が言ったのか

最近時々聞く「私など生きている価値がない」とかいう言葉
「生きている価値があるかどうか」を一体誰が決めるのか?
本人が「自分は生きている価値がない」などと思ったとして
一体、本人にもそういうことを決める権限があるのか?
そんな風にも思ってしまいます
傲慢ですよね

又弱いことを悪とする風潮もあります
私もそう思っていました
それが以前にも書いた遠藤周作氏の「沈黙」という小説です
生きていく為に役に立つ能力のみを善とし、それ以外を悪とする
これは、正しい考え方でしょうか?
ですから、戦時中障害者を要らないものとし、排除することを国が考えた
障害児童を疎開から外してしまった、そういうこともあったのです

人を、生き物を、経済効果のみでその価値を計る
これは、間違いです
だから、人が人として生きていくための悲しみをすら
悪として排除しようとしているのが、今の日本人なのでしょうか?

ただ、私が最近テレビを観て思うのは、
「悔し泣き」がその位置を大きくさせてきていることです
嬉し泣き、悲しいから泣く、悔しさで泣く
スポーツの世界、での話ですが
もう何度も何度も悔し泣きを見せられていると
正直ウンザリしてくるのです
何故か、それはただひたすら
「自分の為だけに泣いている」からなのだと思うのです
美しくないのですね、その涙だけは・・・
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15 “どうにかなるけん”“親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に

2014-12-06 22:22:01 | 五木寛之さんと親鸞他
「九州のほうではね“どうにかなるけん”、と言うんですよ。」)
 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

番組キャスター 「では、ここからは五木寛之さんにいろんな質問を伺いたいと思います。
まずは50代の男性からです。

苦境にある時に、どのようにその苦境に向かっていけばいいのかという切実な質問からです。

私自身、50を過ぎてリストラにあい、この春から半年ほど、無職のまま、就労できない日々を過ごしてきました。

何につけても自信喪失で、精神的にもポキッと折れてしまうのではという不安を抱え、そこから自分を解放する為に、どうすれば良いのだろうと考え続けています。どう向き合えばいいですか。」

五木寛之 「大変ですよね。
誰でもそういうことはあると思うんだけれども、九州のほうではね

“どうにかなるけん”、と言うんですよ。

いろいろ人が心配することの、実際には10分の1か、10分の2ぐらいしか起こらないという本が話題になったことがありますけどね。

明日は、明日の風が吹くというか、なんとかなりますよというそういうことでしょうね。」

(続く)
---------------------------------------
さっぱりとした回答ですね

>いろいろ人が心配することの、実際には10分の1か、10分の2ぐらいしか起こらないという本が話題になったことがありますけどね。

そうなんですか
私は小心な心配性のたちなものですから
いわゆる「悲観論者」みたいなところもあります
大体がAB型の人が豪胆だとかは聞いた事がないですけれど

心配性の人は、後から後から悪い事が起きた時の事ばかりを考える
楽観的な人は、起きうる中のいい方をも考える
つまり、悪い事も起きるかもしれないけど、
いい事が起きるかも知れないよ、と言って
いい方へと考えていく

私の考え方は、最悪のことを考えておけば
いいことが起きた時は、得をした気分になり
もしも、悪い事が起きた時は「やっぱりね・・」と
自分を慰められるかもしれない、とかいう・・・
一言で言えばセコい考え方ではありますが

ただ、一つ助言を受けたのは、
「いいことをイメージしていた方が、いい事が起きる確率が高くなる」
つまり、良いイメージを持つとそれが向こうからやって来るんだとか?
呼び寄せ効果とかいうものでしょうか?

五木さんの「どうにかなるけん」という九州にある言葉は
先に話をなさった「他力の力」に近いようにも思います
考えても最後は運命が・・・





ボルシチの素みたいなものを売ってたので
「S&B 世界の食卓から ロシアの家庭料理 ボルシチ」
買って作ってみました。味は・・・(笑)
私には合いませんでした
つまり、もっと口に合うのであれば今頃
カレーなどと同じに、日本人の食卓によく乗る食べ物になっていたのかも
ジャガイモ、玉ねぎ、人参、蕪、牛肉、ビーツが材料でした
本物の味を知らないので、これがうまく出来たのかは不明ですが
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14《親鸞はストイック》“親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に

2014-12-05 11:53:01 | 五木寛之さんと親鸞他
「親鸞は非常にストイックな人でね。厳しく自分を律する人ですけどでも私はどちらかというと、本当に、いいかげんな人間で。」
          ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

番組キャスター 「みんな同じ命は同じ、ということなんですね。
私も、そういうふうに読んだ記憶があります「青春の門」は。
そして最新作「親鸞」について多くのメッセージをいただきました。

98歳の祖母が、読みたいからと、白内障の手術をしてまで読んだ」

五木寛之 「それはうれしいですね。」

番組キャスター 「さらにこちら先ほど、山本さんもおっしゃっていました。

私が人生で初めて、真面目に最後まで読み通した作品です。
完結編となると、五木先生と親鸞が徐々にダブって見えてくる。

五木先生は、もう、親鸞の立場に立って、物事が見えているんじゃあないか、そう、私は感じます。
こういう感想をお持ちの方も多いんですね。」

番組キャスター 「ですってよ。」

五木寛之 「いやーそれは全然違う。」(笑)

番組キャスター 「違いますか。」

五木寛之 「全然違いますね。あの人は非常にストイックな人でね。
厳しく自分を律する人ですけどでも
私はどちらかというと、本当に、いいかげんな人間で。」

番組キャスター 「そうかな?連載を書き続けているのはストイックだと思いますよ。」

五木寛之 「それだけなんですよ、それしか能がなくて。
こんな人間で、ごめんなさいという感じで書いているんですよはっきり言って、本当にそうです。ええ。」

   

(続く)
------------------------------------------
五木さんの「親鸞」を事情があってまだ全て読んでいませんが、
第一作は読みました
活劇あり、女あり、陰謀あり、の、大変ドラマチックな読み物でした
その中の親鸞像で感じたことですが、
五木さんは
「あの人(親鸞)は非常にストイックな人でね」
とおっしゃっていますが、その親鸞像は、
己の様々な感情に突き動かされる性格
それと仏教の戒律とのはざまで、非常に悩みぬいた人として描かれています
師事する法然との性格の差は歴然として
その法然の、おおらかな性格との対比も書かれています

親鸞がストイックにならざるを得なかった事情というものが
その辺りにあるということなのでしょう
親、先祖からの血筋、というようなものも幼少時には書かれています
それらの血をどのように「抑えこむか」というものも
親鸞の仏教人としての葛藤にあったものと思われます

法然は妻帯していません
親鸞は妻帯をしました
それについて、師匠に当たる法然は
「(親鸞の)思うようにしていい」
というようなことを述べたような気がします
この辺りに親鸞がどういう人であり、
どういうことに悩んだかを推測する事ができます

五木さんは、何故その親鸞がストイックであったと述べたのか
それは、そういう自分を御する?律する、能力においてというような
そういう意味において、そういう表現したのかな、とも思います
続く
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