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「白杖SOS」紹介に反響 視覚障害者「急に引っ張らず肩貸して」

2016-01-28 11:21:27 | 新聞記事から
「白杖SOS」紹介に反響 視覚障害者「急に引っ張らず肩貸して」
2015年12月24日 07時19分  東京新聞

 視覚障害者が助けを求めて白杖(はくじょう)を掲げるポーズ
「白杖SOSシグナル」


を紹介した八日朝刊の記事
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201512/CK2015120802000118.html

について、読者の方々から「初めて知った」「世間に広まれば」などの反響が本紙に寄せられた。考案されて四十年近くたっても、あまり知られていなかったが、インターネットを通じて記事が拡散し続けている。関係団体は、シグナルを見ても「腕や白杖を急に引っ張らないで」と注意点を挙げながら、理解がさらに広がることを期待している。 (荘加卓嗣)

      
 「今まで知らなかったが、これから街で見かけたら行動する。ポーズを知り、手を貸そうという動きが社会に広がっていくといい」。本紙にメールを寄せた埼玉県ふじみ野市の無職大野安雄さん(69)は話す。

 約三カ月前、白杖の女性と同じ電車に乗り合わせた。女性が下車する際、手を貸さなかったことを悔やんでいるという。女性は白杖を掲げていたわけではなく、壁伝いに降りられたが、大野さんはとっさに動けなかった。「動きたくても動く勇気がない人も多いと思う。ポーズを示してもらえれば動きやすい」

 白杖SOSについて、電話やメールで本紙に寄せられた反響は二十一日までに十四件。「発言」欄への投稿も四件あった。「知らなかったし、周囲に知る人もいなかった」(東京都世田谷区の男性)、「これからは積極的に助けることができる」(新宿区の男性)などだ。本紙ホームページに掲載している記事は、フェイスブックで六千件近くシェアされ、異例の広がりを呼んでいる。

 日本盲人会連合にも電話が十三件あった。鈴木孝幸副会長(59)によると、多くは「これからは気を付ける」「どのようなときに掲げるのか」などの内容。中には「もっと目立つように掲げたら」という提案もあった。鈴木副会長は善意の輪に驚きつつ、注意してほしい点を挙げる。「腕や白杖をいきなり引っ張られると、恐怖を感じる。まず要望を聞き、肩や肘を貸してほしいのです」

 視覚障害者の間でも、ポーズが一般化しているわけではない。「こちらから声を掛けた方が早いから、ポーズをしたことがない」。全盲の守屋智恵(ともえ)さん(29)=東京都中野区=はこう話し、「盲導犬の存在くらい認知度が広まればいい。そうしたらやってみようかな」。

 白杖を掲げるポーズが広まると、「掲げていない人には気を配らなくてよい」という風潮につながらないか、懸念もある。全盲の中屋敷綾(なかやしきあや)さん(27)=板橋区=は「白杖を掲げていなくても、困っていそうだったら声を掛けてほしいし、声を掛けたら無視しないでほしい」と訴える。
 「私たちは、無視されるのが一番困るんです」
(東京新聞)
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私は強度の近眼で、一度軽い網膜剥離になり、
レーザーで焼いた経験があります
まあ、そんな事がなくても目の不自由な方の不便さや危険は
察するにあまりあります

昨年地下鉄に乗った時のこと、エスカレーターの私のそばにいた人が
白い杖を持った目の不自由と思える男の人でした
30才ちょっとの年齢だったでしょうか
普通の人でもエスカレーターの第一歩には少々躊躇することもあり
さぞかし大変な思いでエスカレーターに乗るのだろうと思い
私が一緒に乗るようにして、声をかけました
「大丈夫ですか?」と尋ねると「はい」と笑顔で答えましたが
「一緒に乗りましょう」というと嬉しそうに見えました
まず、一歩目にさあ、という感じで声をかけ
そのまま一緒に乗り、降りる頃になった時に
「後◯段で終わります。6、5、」とか言って
終わる回数を言いました
そして降りた後、「どこに行きますか?一緒に行きましょう」と
地下鉄のホームまで一緒に歩きましたが
途中、その男の人は私の左側に立って歩いていましたが
私の左肩に手を置いて歩いていました
確か目の不自由な人へは、いきなり手を取ったり掴んだり等を
してはいけないと聞いていました
目の不自由な人が「誘導する人の肩に軽く手を置く」方法がいいと
私はそれを知っていましたが、声をかけながら普通に歩いていました
男の人は自分から私の肩に手を置いたので良かったと思いました 
私は急いでいたので、電車が来るまでは待てなかったので
「ここでいいですか?大丈夫ですか?」と言って去りました
男の人は笑顔で「ありがとう」と言っていました

電車のホームで時々転落事故があります
どんな思いでホームを歩いているのか
どんな思いで横断歩道を歩いているのかと思うと
本当に大変だろうと思います
私は目の不自由な人に出会うと、何か手伝おうと申し出ます
以前は切符売り場で出てきた小銭を数えて渡したこともありましたし
道を歩いている人は一緒に声をかけて歩きました
ですが、結構目の不自由な方は「大丈夫です」と言います
余計なお世話なんだろうか、と思ったりもしますが
余計なお世話ではないだろうと思います
きっと遠慮したりしているのかも知れません

白状をついてホームを歩いている人を見ると
近くなら話しかけますが、遠い場合は見守りながら行きます
ホームで転落して亡くなった人
誰も皆知らんぷりをしていたのだろうかと心が寒くなります

絆とか優しさとかテレビや新聞で喧伝していますが
優しさを装う世の中
優しさがファッションになっている世の中
自分を優しい人と思いたい世の中

私は自分と、自分の身の回りの人にだけ優しい人を
優しい人とは思いません
優しさを人に求め、自分は優しくしない
そして、優しさの表明にのみ心を砕く?

その優しさの対極にある言葉が「自己責任」という言葉です
私は自己責任という言葉が大嫌いです
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