あなたとお花と猫とエコと健康

日々思ったこと、見たことなどを書いています。

サンタクロースとナマハゲの違い

2015-02-27 14:31:24 | 異議あり
日本の仏教寺院と西洋の教会の違い
私は日本のものが暗いように感じるのです

仏教の寺院は暗い感じがしますよね
暗い中に仏像や、キンキンキラキラの飾り、何と言うのでしょうか?
調べたら「天蓋(てんがい)」というそうですが
蓮の花、木魚、等など

ところが、西洋の寺院、教会はとっても綺麗で明るい
キリストの像も何となく暗くはない
磔の姿なのに
マリア様は美しいし、綺麗な衣装を纏っているし

   

とても美しい、ステンドグラスなるものもあります

日本と来たら、金剛立像とか、仁王とか、
おっかない、目を剥き出して睨みつけた像とか

日本は恐怖によって人を抑えつけようとし?
西洋は美しいものによって、敬愛の情を持つとか?

私は秋田のナマハゲが嫌いです
子供を恐怖のどん底に陥れ、ありったけの声で泣かせて大人が笑っている図
決して美しいものではありません

その昔、夜や夕方は暗闇でした
「人さらいが来る」と親に言われたものでした
怖いものがたくさんありました
子供はまだ世の中を知らないから、目に見えぬ怖いものがたくさんあります
大人になって、なぁ~んだ、と思うようなことも
子供にとっては大変な脅威となります

何も知らない幼子に、怖いお面を被って脅す事が
一体どういう意味を持つのでしょうか?

西洋の子供が、優しいひげのサンタクロースにプレゼントをもらう習慣と
ナマハゲに脅される日本の子供って
生育過程で何かの違いは出るのかもと思います

赤ん坊をわざと泣かせる「泣き相撲」とか
無理矢理椀に盛られたご飯を食べさせる行事とか

調べたら「ブラックサンタ」なるものが西洋にもあるそうですが
調べなければわからない程度の知名度では
あまりポピュラーな行事とは言えない
廃れてしまった行事なのだと思いますから
やっぱり、優しいサンタクロースこそが、
西洋の伝統ということになりそうです

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仏教とキリスト教の違いは? 単純な疑問

2015-02-26 13:32:25 | 宗教関係
私は東京新聞をとっていますが、「こころ」と題するページに
いつも1/4の紙面を割(さ)いて、仏教の教えのことを識者が書いています
大抵は宗教家か、宗教を専門とする学者、識者が書き手です

私は小心者で、緊張で血圧が上がったり、極端に心拍数が増えたりするし
対人恐怖症的なものもあるし、だからかもしれませんが
「心の平安」とか「物に動じない心」とか、つまり
何というか、肝の座った人間を理想としたりするわけです
無い物ねだりです
まぁ、豪胆な人間でない限り、そういうものは憧れるのではないかと思いますが

私がブログを読んでいる教育家の水谷修さん
この方は、悪性腫瘍を患ったりしています
で、そのことで落ち込んだりしない
普通は頭が真っ白になったり、恐怖のあまり絶望したりしますが
中には、水谷さんのような人間もいる
悪性腫瘍が見つかっても、冷静に手術に向かい、というか
手術数日後には退院し、子供を救う活動の為に地方に講演に行っている
普通だったら、家で療養し自分の体の事や心のことばかり考えるはずです
まして、昨年の手術の時は医者に「麻酔をかけないで手術できないか
自分の手術を見たい」・・・と申し出て断られています

私とは天と地の差と言うか、信じられない強い心の持ち主と拝見します
だから、そういう人間になりたいと、自分の小心さに疲れ果ててそう思いますが

で、この東京新聞の仏教欄を読んでいると、いつもいつも話題はそれです
どうやったら煩悩をなくせるか、心の平安を得られるか
死の恐怖から逃れられるのか

釈迦は生老病死を四大苦として、それから逃れる為に修行に出たとか?
これです、私が釈迦をノイローゼなのではないかと思ったのは

釈迦が目指したものは「心の平安」「物に動じない心」だったのですか?
水谷修さんのような心、なのですか?求めた究極の境地とは?

で、思ったのですが、キリスト教はどうなんだろうという事です
いつもいつも心の平安を最終目的としているのか否か

そう言えば、主人が言うには「仏教は哲学」だと
宗教ではないのだそうですが、
私にはそもそも哲学なるものがよくわかりませんので
その違いすら理解できないのですが

とにかく、キリスト教はいつも何を言ってるのでしょうか?
汝の敵を愛せよ、とか?

これだと、仏教とはちょっと違いますね
生きる上での心の処方箋なのでしょうか?

ところでエホバの証人の人達は、一体何の為に勧誘に来たのでしょうか?
エホバの証人になると、何かいいことでもあるのでしょうか?
何故信者を増やしたいのでしょうか?
自分達が信じているだけではいけないのでしょうか?
異端の宗教と言われ、キリスト教とは認められない宗教だそうですが

    
今年咲いた二輪の白梅の二番目の一輪です
小さいですが、しっかり咲いてます
昨日写しましたが、今日は雨で、寒そうに濡れてます
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エホバの証人再々訪です

2015-02-24 12:50:25 | Weblog


で、エホバの証人のお二人が又いらっしゃいました
二人共に黒っぽい服装で、にこやかに 中々感じのいい人です
で、私が「もう、忙しいしいいです」と笑いながら言うと
では、ちょっとだけ、と
「創世記の3-15を読んで下さい。それは全てです」というので
一生懸命覚えました「創世記3-15」
で、「この間19才の女子大生に殺された人は、エホバの証人の人ですか?」
と聞いたら、「そうみたいです」って、ちゃんとわかっているでしょうに

今はおかしな人が増えている、という話になり
それについてもその創世記とやらに書かれている?

で、私が最近他の人のブログで「佐藤愛子」さんの「私の遺言」という
霊現象に関する記述の中に「太陽信仰」の話があって

私「全ての宗教の元は太陽信仰らしいですよ、神様が怒っているとか」
と、いうと

エホバ「神様は何も悪くない人を懲らしめるでしょうか?」と

私「私の母の父親は御嶽山信仰だったのですが、御嶽山の噴火
ちょうど人々がお昼ごはんを食べに頂上に登った時間に噴火しています
しかも、あの時は秋の紅葉を見に、又連休で、人が多く山頂付近にいて
あと、三時間もすれば頂上には殆ど人はいなくなったそうです。
そんな時を見計らったように噴火が起きて、犠牲者が多くなった
これは、おかしくないですか?」

まあ、こんな風なやり取りで、結局又少し話をしてしまいました

私が宗教に関心を持っていることと、
宗教を信じるか否かは別の話なのですが
それを「見込みがある」とか思っているようです
「私は宗教を信じる事はできないようです」と言っているのに
ここら辺りが、やはり勧誘という性質のものなのかと

     
ここ数年咲かなかった梅です
名前は「白加賀」水戸の偕楽園で買って来てン十年経ちます
満開の頃は見事でしたが、事情があり弱りきっています
昨日、4年ぶりに咲きました たった2輪です
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「人質の命を救うことを最優先しなければならない」アダム・ドルニック教授

2015-02-12 13:31:01 | 異議あり
http://www.videonews.com/commentary/150207-03/

人質の命を救うことを最優先しなければならない
身代金に関する4つの誤謬 - アダム・ドルニック教授

 オーストラリアのウーロンゴン大学の教授で国際テロの専門家として知られるアダム・ドルニック教授が、2015年1月13日付けの国際政治誌「フォーリン・アフェアーズ」のオンライン版に、「身代金に関する4つの誤謬」と題する論文を寄稿している。テロリストによる人質問題と身代金に関する一考察として注目に値すると思われるので、ここで簡単に紹介したい。

 人質解放交渉などに関わった経験を持つドルニック教授は、「政府は身代金を支払ってでも自国民の人質を助け出さなければならない」と主張する。そして、人質事件における身代金の位置づけや「テロには屈しない(no concessions)」政策の持つ意味については、大きな誤解があるとして、その中でも代表的な4つの誤謬を紹介している。

 まず最初の誤謬として「テロには屈しない」(no concessions)(=身代金は払わない)を掲げる政府が、一切の交渉をしていないと考えるのは大きな間違いであると、教授は指摘する。欧米の先進国はほぼ例外なく、政府が正式に身代金を支払うことはしていないが、デンマークやオランダの例に見られるように、政府は人質の家族や仲介者などを通じて、身代金の支払いには柔軟に応じている場合が決して少なくない。

アメリカは世界でもかなり例外的にテロリストとの交渉を無条件で拒否する立場を強く打ち出している国だが、後に紹介するように、アメリカは人質を救出するための特殊部隊を擁していたり、実際の紛争当事者であるためにテロリスト側の人質や捕虜を抱えている場合が多く、捕虜交換には応じている。no concessions方針をもっとも厳密に打ち出しているアメリカでさえ、人質の救出を図ったり、人質・捕虜交換など一定の交渉の余地を与えているのだ。よって、「テロリストとは交渉もしない」方針を掲げた国の政府が、テロリストと一切の交渉をしていない考えるのは誤りであると、ドルニック教授は言う。

 2番目の誤謬として教授は、身代金の支払いを拒絶することで、その国の国民がより安全になるという説にも、根拠がないと指摘する。特にアメリカは、身代金の支払いに応じれば、その国の国民はまた人質に取られる可能性が高まり、逆にそれを拒絶すれば、人質に取られにくくなると主張しているが、それを裏付けるようなデータは存在しないとドルニック教授は言う。教授は、テロリストが人質を取る場合、場当たり的な行動による場合がほとんどで、その場でテロリストが国籍によって人質を選り好みするような話は聞いたことがないという。

また、人質を取ったテロリスト側の主な要求としては、人質や捕虜の交換がもっとも優先順位が高く、身代金は二の次の場合が多い。そのため、一度身代金を払った国の国民はその後より大きな危険に晒されるというのは根拠のない説であるとして、「テロリストとは一切の交渉しない」ことを正当化する側の論理を一蹴する。

 3番目の誤謬として、身代金がテロリストをより強大化させてしまうという説にも、教授は疑問投げかける。確かに何億円もの身代金を支払えばそれがテロ組織の強化につながる可能性はあるが、身代金目的の誘拐の場合、人質が政府高官のような要職にある人物でない限り、テロリストは少額の身代金でも妥協する場合が多いと教授は言う。むしろ、人質を取ったテロリスト側の真の目的が身代金ではない場合は、最初に法外な金額をふっかけてくる場合が多く、身代金目的の場合、金額にはかなり妥協の余地があるという。

 また、身代金を支払うことが、テロ組織を弱める場合もあると、教授は指摘する。それはテロリスト組織は多くの場合、「帝国主義との戦い」といった理念的な正当性を掲げている場合が多く、それが多くの兵士をリクルートしたり、場合によっては自爆テロのような自己犠牲まで強いることを可能にする原動力となっている。

ところが、その組織が、実はカネを目当てに人質を取っている銭ゲバ集団であることが明らかになれば、その組織が理念的・精神的な正当性を失うことになると考えられるからだ。実際、フィリピンのイスラム過激組織「アブサヤフ」は2000年以降に相次ぐ人質事件で多額の身代金を得たことで、国民の支持を失い、今や大義を掲げるテロリストなどではなく、単なる犯罪集団のような地位に成り下がっているとドルニック教授は言う。

 そして4つ目にして最後の誤謬として教授は、身代金は払わないでも、他にも人質を救う手段があると思われていることをあげる。身代金を支払う以外に、人質を助ける手段がないことを認識すべきだというのだ。1つ目の誤謬の中でも触れたが、アメリカは特殊部隊による救出作戦を遂行する能力があると思われているが、実際は人質が殺される最も大きな要因が救出作戦であることは、テロ専門家の間では常識となっている。救出作戦は数十回に1回成功すればいい方で、失敗した場合、人質のみならず、救出に乗り出した特殊部隊の隊員にまで犠牲が出る場合も少なくない。

 以上のような4つの誤謬を示した上でドルニック教授は、「身代金を払ってでも政府は自国民を救うべきである」と主張する。上にあげたように、実際は身代金を出す以外に人質を救う手立ては存在しないに等しく、身代金を払ったとしても、その影響は一般に言われているほど大きくはないというのが、教授の主張の主たる根拠となっている。

 特に紛争地帯で危険な任務に携わる援助団体やNGOのスタッフやジャーナリストや医療スタッフが人質になった場合、政府はあらゆる手段を講じてでも彼らを助けることが重要だと、教授は言う。なぜならば、政府が「テロには屈しない」といった単なる原則論で彼らを見殺しにした場合、彼らの多くは危険な場所に行きたくても行けなくなってしまう。
それは紛争地帯で日々の生活にも苦しむ住民への食料や医療などの人道的援助が行き渡らなくなることを意味し、教授の言葉を借りれば、テロと戦う上で最も重要な要素と言っても過言ではない「hearts and mind」(軍事ではない心の外交)が止まってしまうことを意味するからである。

 フォーリン・アフェアーズのドルニック論文を、ジャーナリストの神保哲生と社会学者の宮台真司が議論した。
----------------------------------------
他の人のブログの記事より引用させていただきました
間、読みやすいように行間を空けました。

人質→自己責任→見殺し への正当化の間違いへの考察

参考にしてくださいますようお願いします。
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「自己責任」30代男性の意見

2015-02-12 12:47:05 | 自己責任論について
生命保険に入ったのですが、そこのお兄さん、
30代になったばかりみたいですが、ちらっと聞いてみました
「人質事件の自己責任についてどう思うか」を

「あれはー、自己責任ですね」

安倍首相のことは、さして非難していませんでした
例えば、あの時期に中東に行ったこと、演説の事、
事が表面化する以前の対応について、など
どれも、さして気にかけていない様子でした
やっぱり、ね
これが、支持率が5%上がったわけなのでしょう

自己責任論についての、政府の側からの情報操作
例えば、小泉元首相が何をしたかなど
今回も識者なる人が、毎日新聞だかに「自己責任発言」を誘導されかけたとか
その人は乗らなかったと言ってましたが、
公にしましたね、それを、そういうマスコミの誘導があったということ
政府主導の世論操作はなされていたということです

そういうことを言ってみたのですが、どうでもいいみたいです、その男性は
結果、何かのデモや抗議も若い人がいない
自分の身だけを守れば事は足りると思っているようです
自分の足下がぐらついてくるかも知れないのに、
自分だけ守っていればいいと?
それで済めば誰も騒がないですよ

私は言ったのですが、
「そういう風にしている事がやがては自分の首を締める事になっているのに、
気づかないんですよ。私は知りませんから」と
彼は笑ってましたが
タカをくくっているんでしょう、おそらく
何かあって困るのはこれからの人達なのに
為政者の都合のいい人材がどんどん育成されていっている

自己責任論は、究極自己中の論理でしかない
危うい考え方です
大体自己責任なんて妙な言葉はなかったですね
誰が考えたのか
実に嫌らしい言葉です
死語になるべき言葉ではないかと思いますが
これ、自分がきちんとする、というような言葉ではなく
まして、他人が誰か他の人に向かって言うべき言葉ではないですよ
私の直感が【 いけない言葉 】と認識しています

直感って知ってますかね?
第六感とも言うそうですが
他の人のブログから↓
-------------------------------------
・第六感は脳の仕業

五感を用いずに情報を得る第六感は、ESP(超感覚的知覚)と呼ばれている。しかし、ハウ博士はこの実験により、「この現象は、脳が情報を処理する充分な時間を与えられなかったために起こる “勘違い” だ」と結論づけている。我々は、五感によって知覚した情報を脳が処理しきれなかった場合に、それを第六感だと感じてしまうのである。
-------------------------------------
私が聞いたのは

「自分の知識や考えを総合して判断した事ではあるけれど
それを説明する事が出来難く、しかも実際は
自分の能力を全てフル回転した結果出た結論」

そんな感じですか
私は自己責任という言葉に何かの嘘やすり替え、誤魔化しなどがあると思えるのです
私は使いません
使いたくありません
決して使っていい言葉とは思えません
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後藤さん、湯川さん人質事件を振り返って 事実らしきもの

2015-02-10 12:33:35 | 世相・政治他
私はイスラム国は、条件によっては後藤さんを殺害しないと思っていました
理由は、あえて後藤さんを殺害する必然性がなかったと思われたからです

昨日話をした知り合いの意見は、
「イスラム国に譲歩し交渉して後藤さんを救ったら同じような事が再発する」
「行った本人の自己責任だ」
おそらく
「見殺しにする(やむを得ない)」という意見のもとはそこにあると思いました
そして、彼女は「後藤さんは殺されると思っていた」と言いました
色々な面で私の考えとは違ってました

もしもどの国の、誰も交渉せずに「見殺しにした」からと言って
イスラム国は人質作戦をやめるでしょうか?
否、と私は思っています
アメリカの空爆の報復措置としての人質殺しは続くでしょう
つい先日も一昨年捉えられた人質のアメリカ人女性が亡くなりました
ヨルダンの空爆による死亡と伝えられましたが、真相は定かではありません

安倍首相の支持率が5%上がったそうです
ホォ、そうなんですか、と思いました
おそらくは、私の知人のような意見の賛同者が
この安倍首相の行為を評価したと思います

「人質が殺された結果を評価する日本人」
ですね
外国では驚かれているようですが
存外今の日本人は冷酷になっていると思っています
日常生活でもそんな感触を受けますから
自分の事しか頭にない、所謂自己中の人ばかりのように思えます
人の事をかまったり、心配するのは「馬鹿」と思われています
み~んな「自己責任」の弱肉強食の時代は目の前です、あるいは今現在

話を戻しますが
安倍首相は、後藤さんを見殺しにしたわけではないようです
昨日他の人のブログを読みました
私の知らない事が書いてありました

私は後藤さんを殺すとは決まってないだろうと思っていました
交渉次第では生還できるのではないかとずっと希望を持っていました
それは紙一重のことではないかとも思っていました
何しろ相手は「異常性」がありますから

1月28日頃に、後藤さんがトルコのイスラム国が指定した場所に
連れてこられた、という情報はありました
イスラム国に親戚のある?シリア人の人が得た情報とか
報道陣もいっぱい行ったそうです
又、建物の屋上に数人のイスラム国の兵士が見えたような画像も公開されました
当時、女の死刑囚がヨルダンを出たという情報も出ました
これは、誤報であると後から判明しました

で、おそらく推定されるのは日本がヨルダンに多額の援助金
つまり、見返りのお金を払ってヨルダンの女死刑囚を解放し
人質である後藤さんと交換し、後藤さんの命を救うという案です
これは、当初から出ていたものでした
それしか方法はないように思われました

ですから、それで後藤さんは助かるかも知れない、と私は期待しました
ところが、出てきたのはパイロットの問題です
日本の大方の人はパイロットのお父さんのような
「パイロット(日本人)だけを助ければいい
他国のジャーナリスト(パイロット)は関係ない」などという言い方はしません
この辺りの凄さが、つまり過酷な環境に育った中東の人達の
生きることの厳しさ・大変さなのだろう、と認識させられました

最終的にパイロットは既に殺害されていたとわかりました
この交渉の為ではなく、1月3日という早い時点の話でした
そして、その情報はヨルダン・アメリカ・日本の全てに伝わっていたという事です

ヨルダン政府は既にパイロットは生存していない事を知っていた
ですが、お父さんや民衆は知らなかった
で、ヨルダン政府が後で言った事は「政府が転覆しかねなかった」から
パイロットの返還を要求せざるを得なかった

ですが、どうも真相は違うようです
菅官房長官は「そういう情報(パイロットは既に死亡)があった」と認めていました
ヨルダンも知っていた
イスラム国はパイロットの返還を絶対に交渉の上に乗せて来なかった
既に死亡しているので返還には一切コメントはなかったという事です

どうするか、ヨルダン政府に日本政府は相当な金額を提示し
後藤さんの返還をしようと折衝した、それには成功したようです
金額は莫大なものだったようです
安倍首相は後藤さんを見殺しにしようとしたわけではなかったが
そこに至るありとあらゆる不用意な行動が、
ここまで問題を大きくしてしまった

最初に後藤さんの奥さんにイスラム国から身代金の要求が来た時に
当然政府にはその連絡が入っていた
しかし、安倍首相はどうやら何もしなかった可能性が出てきた
その時点で水面下の交渉ができていれば、こんな事にはならなかったと思われます
イスラム国は何を言ったか「安倍は逃げ回っている」との声明文です
この意味はそういうことだったのかと思いました

そして又不用意にも人質二人がいるにも拘らず中東に出向いて
イスラエルの国旗の前で、とんでも演説をした
その上、ヨルダンに対策本部を置いた
後藤さんはどんどん危険に晒されて行ったのです

ヨルダンとイスラム国の人質交換の交渉がほぼまとまった頃
後藤さんもトルコ国境に移送された

その後です
「パイロットの生存確認を」とヨルダン政府が言った
私にはこれが非常に唐突に思われたのです
事は一刻を争うように見えました
テレビなどの知識人と言われる人達が
「人質の生存確認は真っ当な手続きだ」とか言っていたので
ふーん、そんなものなのか、と思いました
ですが、はっきり言ってパイロットの生存確認をしてどうなるのか、とも思いました
生存確認をして、では生きていたなら交換するのか
イスラム国が交換すると言っているのは後藤さんでパイロットの事は何も言ってない
何も知らない私は、そこで非常に苛立ちを感じ、危険を感じました
この申し出が奇異に感じられたからです
相手の交換条件は死刑囚と後藤さんであって、パイロットの事は何も言ってない
ここで交換条件を変更するとは到底思えなかったからです
後藤さんは殺されてしまう、と再びがっくりしました

後からわかった事です
予め「パイロットは亡くなっている」と知っていたと思われるヨルダン政府が
何故パイロットの生存確認を求めたのか?

アメリカのオバマ大統領の「人質交換・交渉への妨害行為」
だったのだそうです

アメリカは、もう自国の利益や思惑の為にしか動いていない
中国の尖閣諸島への対応もしかり

安倍首相を頭に抱く日本人は、明らかにおかしい政治を肯定しているという事です
支持率があがったのも、そういうことでしょう
それがどういうことかを考えもしないのではないかと思います
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雑感 人間嫌い

2015-02-09 01:08:15 | その他
私は人間嫌いです、多分
だからか分かりませんが、結婚式が嫌いです
「よくもあんな恥ずかしい真似ができるものだ」
今も昔もそういう感想しか持ちません
ただ、女の人が素敵なお姫様ドレスを着られる一生に一度の機会?
それは結構なことではあると思いますが(笑)

なぜ人間が嫌いなのか、よくわからないのですが
私と私の母は共に、人間よりは動物の方にシンパシーを感じるようでした
ですが、母は人間嫌いではないので、私とは少し違うようですが

私は多分人間の中にある邪悪な部分を嫌ったのかもしれません
わがままな人間が嫌いです
汚い人も嫌いです
AB型のせいも多少あるかもしれません
できれば、公正で公平でありたいと思っています
できる範囲内の事ではあります

もしかしたら、私こそが身勝手な人間なのかもしれませんし
その辺りは判然としませんが
自分の事は自分ではわからないものかもしれません

今老人会なるものに無理矢理引っ張り込まれ
はっきり言って老人会という年でもなく
だから?下働きみたいにあらゆる雑用をさせられている「役員」
とかいうものに、拒否しているにも拘らずさせられていて、その中で
老人会に入っている老人なるお年寄りの実態を、
好むと好まざるとにかかわらず、知る羽目になって、
う~~~~~~ん、、、
これが、人間なのか、どこもかしこも
老人会ですらこんな風なのか、と

すげぇーーーー、っと
私はやっぱり人間嫌いでまさしく正解だったのだと
改めて噛みしめる毎日ですって、はあ
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イラク人質事件「自己責任」2 パウエル米国務長官 (海外の反応) 

2015-02-07 23:25:43 | Weblog
他サイトからの引用です(2004年のイラク人質事件)
-----------------------------------
この事件にまつわる国内外の反応の中で最も注目すべきものは、
パウエル米国務長官のJNNの単独インタビューでの発言である
3人に対して政官民あげてバッシングを繰り返す我が国とは対照的に、パウエルは、

「イラクの人々のために、危険を冒して現地入りをする市民がいることを、日本は誇りに思うべきだ」

日本国内の一部で3人に対して「軽率だ」「自己責任をわきまえろ」などの批判が出ていることに対して、

「すべての人が危険地域に入るリスクを理解しなければならない。
そのリスクを誰も引き受けなくなれば、世界は前に進まなくなってしまう。
彼らが危険を冒して人質になっても、それを責めて良いわけではない。
私たちは『あなたは危険を冒した、あなたのせいだ』とは言えない。
私たちに彼らを安全に取り戻すため、全力を尽くし、あらゆることをする義務がある」

と述べている(毎日新聞04/17/2004)
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別サイトからの引用2

アメリカ政府国務長官 コリン・パウエル の言葉

 「そうですね。誰でも,危険地域に行くことのリスクは理解すべきです。
だからといって誰もリスクを引き受けようとしなかったら,私たちには前進はなくなります。
私たちは私たちの世界を前進させることはなくなるでしょう」

 「ですから,私は,あの日本人市民が,より偉大な善のため、
より崇高な目的のために,自己を危険に曝したことは嬉しいことです。
日本人は、そのようなことを進んで引き受けた市民を持っていることを大いに誇りに思うべきです。
またイラクに派遣された、危険を引き受ける用意がある、
あなた方の兵士のことを大いに誇りに思うべきです」

 アメリカの政府当局者でもこのようなことを言ってるのに、
日本の政府首脳や一部のマスコミが自己責任論を持ち出すのはどうしてだろう。
------------------------------------------
あちこちのサイトから見てみた感想は、「自己責任論」の発生元は
「政府関係」であったという事です
「自己責任」という言葉による「責任逃れ」に気づいている人が多くいます
また、今も尚ネットには「情報操作を兼ねた自己責任論」もチラホラあります

凄いのは、まだ後藤さんが生存されていた時点での
「舌を噛んで死ね」
「早く死ね」
「72時間は過ぎた。約束の時間を守らないのか(殺せという意味)」
などの書き込みが散見された事です

これは、多くの普通の人の感性にはないものです
誰がこのような酷い書き込みをしているのか
そして、誰かが「自己責任論」を世論にしようとの情報操作をしている
ネットの意見、顔の見えないネットの意見の裏にある
「情報操作」「世論操作」のウソ
騙そうとして騙している何物か、です
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「自己責任」という言葉と安倍首相

2015-02-05 22:57:03 | 自己責任論について
以前イラクの人質事件の時に、「自己責任論」が、大きな話題となり、
人質となった人達への相当数のバッシングが起きました

私も当時、「遊び半分で行ったのではないか」とか
「はた迷惑な人達だ」という感想を少なからず持ちました
何故か?
そういう論調の新聞だか世論だかがあって、
それに同調した部分はあったようにも思います

しばらくして、それに関しての幾つかの訂正というか
違う観点からというか、そういうようなものも読みました
その内に、こんな「自己責任論」が蔓延するのは日本だけだ
そういうような文章も見るようになりました
又、当時の解放された三人の人達が、その後どのような気持ちだったか
どんな酷い仕打ちを受けたかなども読みました

私が家族の誰も協力なく一人での母の介護などで体を壊して入院した時に
そのような家族の事を言ったら、そこの30才前後のリハビリの理学療法士の男性が
「(あなたが)好きでやったんですね」と言った言葉に唖然としました
そういう「考え方」をし、そういう言い方をする世の中になったのか、と
「自己責任」という内容の言葉を私が使われたのです

色々な事を見聞きし、やがて「自己責任」という言葉が嫌いになりました
そうして、今回の人質事件がありました
安倍首相の立場は明らかな(人質の)「自己責任」でした

自己責任という言葉の後ろに何があるか
決していいものはありません
まず、「悪人」がいます
「騙された人」がいます
「捉えられた人」がいます
「犠牲になった人」がいます

「騙された方が悪い」
「捉えられる(ような場所に行った)人が悪い」
「犠牲になった人(うかつだった、とか?)が悪い」

つまり、「悪人」はいない
犠牲者だけがいて、その(不注意な)犠牲者が悪い
これは、悪人を擁護し、他者への救助すら拒む冷酷な考え方です

そして、今回調べてわかった事は、イラクの人質事件の時に「裏に」何があったか
つまり「自己責任論」を発したのは、政府の側だったという話です
為政者に都合のいい論理、まやかしの論理が「自己責任論」だという話なのです

私が感じた自己責任論のおかしさ、不自然さの裏にあるものは
傍の人間の非情さに他ならなかった
だから今回の人質事件の時に、自己責任論は大手を振って罷り通る事はなかった
一部出てきた自己責任論は、大きな声にはならなかった
その欺瞞に気づいた人が少なからずいたからなのだと思います

そして10月に後藤さんが捉えられ、奥さんのところにメールが来て
当然政府は奥さんからその情報を得ていた
しかし、安倍首相は例によって「自己責任論」を盾に
その交渉に力を入れず、ある意味放置した
世論は「自己責任論」で、「危険な地域に行った人質が悪い」と、
この前の時のように、世論によって人質が責められると踏んだのかもしれません

ところが、事情は変わっていた
もう、その政府主導の自己責任論に惑わされなくなった人達は
「人質を救って」と言う
ところが時既に遅く、水面下の交渉を放棄した上に
中東に行って啖呵を切ってきた首相の為に、
アメリカに阿った人質対策の無策の為に、
後藤さんたちは殺されてしまった

もう私達は自己責任論には騙されません
でも、もう遅かったのです

今も首相は強弁をふるい、新たな犠牲者が出かねない自己弁護に終始しています
自分が何をし、何を言っているかの自覚のない、
上に立つ人とも思われない言動が続きます
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「後藤さん解放 保証なかった」 ヨルダン下院外交委員長 東京新聞より

2015-02-03 11:37:46 | 世相・政治他
「後藤さん解放 保証なかった」 ヨルダン下院外交委員長
2015年2月2日付 東京新聞夕刊

 【アンマン=共同】ヨルダンのバッサム・マナシール下院外交委員長は一日、イスラム教スンニ派の過激派組織「イスラム国」を名乗るグループが後藤健二さんを殺害したとする映像を公開したことについて、「イスラム国」は「人質交換」交渉で真剣さや誠実さに欠けたため信用できず、要求通り女の死刑囚を釈放しても「後藤さんが解放される保証はなかった」と述べた。首都アンマンで共同通信と会見した。

1日、アンマンで日本人人質事件をめぐり会見するヨルダンのバッサム・マナシール下院外交委員長=共同

 マナシール氏は、日本人の後藤さんと無関係の女の死刑囚との交換をイスラム国が持ち出したことについて、「国家の最優先課題」として解放を目指している軍パイロット、カサスベ中尉奪還を求めるヨルダン世論と、後藤さん解放を求める日本政府の板挟みになるよう政権を追い込む狙いがあったと指摘。

 中尉奪還を期待する報道が過熱気味で、女の死刑囚との交換で後藤さんだけが解放され、中尉の拘束が続けば、国民の不満が爆発して「革命が起きて政権が転覆しかねなかった」との考えを示した。マナシール氏は女の死刑囚を釈放できなかったこうした事情について「日本国民が理解してくれることを望む」と述べた。

 「イスラム国」を信用できなかった理由としては、中尉が生存している証拠を示さず、女の死刑囚を釈放した後の中尉の安全を保証しなかったことを挙げ、「日本政府も同じ認識を共有している」と述べた。

 「イスラム国」が後藤さんよりも早期の殺害を予告していたカサスベ中尉の現在の安否については「五分五分」との見方を表明。既に殺害され、「イスラム国」が将来、遺体と女の死刑囚の交換を求めてくる可能性などがあると語った。
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>要求通り女の死刑囚を釈放しても「後藤さんが解放される保証はなかった」

>中尉奪還を期待する報道が過熱気味で、女の死刑囚との交換で後藤さんだけが解放され、中尉の拘束が続けば、国民の不満が爆発して「革命が起きて政権が転覆しかねなかった」

上記の「保証はなかった」は口実に過ぎないと思います。
それでは、パイロットとの交換であっても同じ事が言えます。
そういう言い分では、人質交換そのものがあり得ない話になってしまいます。
保証がないのであれば、パイロットとの交換も出来ないではないですか
現に何十人もの人質が解放された事実はありますし
未確認ながら、後藤さんがトルコの人質交換地点まで護送されていたという情報もあります

本当の理由は、国民の要求に応えなければ政府が危なくなるから
日本人との人質交換よりも自国のパイロットを強引に優先させた結果
二人共殺される可能性が出てきます
それでも、ヨルダン国民の意向を優先させ、政府を維持する為に
パイロットとの交換を強引に進め、しかも後半の交渉では
「そうしなければ死刑囚や他の捕虜を殺す」と逆に脅しに入った
結果、後藤さんは見殺しにされたのです

国民性の違いとしか言い様もなく、こういった事情からも
中々中東地域の安定は望めないのではないかと思いました
風土やその他色々なものが、全く違う過酷な状況下の中
こういった事が起きているのだと実感しました
貧困しかりです
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後藤さんの件

2015-02-02 17:00:11 | 世相・政治他
ここに来るまでに、何故こういう事になったのかの様々な状況はあると思いますが
最後の殺害に至る直接のものは、ヨルダンが自国のパイロットを優先して
後藤さんを完全に交渉から除外したことにあると思います

テロリストと相対する時に、あのような交渉は非常に危険を伴うもので
まず、後藤さんを見殺しにすることを前提とした交渉でしかないと思います

イスラム国には後藤さんを何が何でも殺さなければならない理由がなかった
おそらく、殺す派と返還派の軋轢から、ヨルダン政府の対応の結果
殺す派の意思が通って殺されたのではないかと思います

本当に辛い思いで見続けてきましたが、何とも言いようがありません。
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