あなたとお花と猫とエコと健康

日々思ったこと、見たことなどを書いています。

迎春

2016-01-01 19:23:05 | 昔の生活・話など
お正月になりました
そこそこのお天気です

氏神様は氷川神社ですが、最近初詣の人が異様に多くなり
今年は、少し経ってから詣でる事にしています
神社がパワースポットになっているせいでしょうか?

今年は今まで年賀状だった高校時代の友達から
メールの年賀状が来てびっくりしました
何となく違和感がありました
年末に郵便局に行く事があり、
年賀状をついでに買ったのですが、
その時に隣に座っていた年配の女の人に話し掛けられ
「私は年賀状を出さない事にしたの、
ああやって売ってるけど」
と、郵便局の窓口を指差して言いました
「そしてね、電話にしたの
それも短い電話にして、すぐに切るの」
そう言って笑いました

私は「私は少しですけど買いました」
と言うと、「ああ、そう?」
と言って又笑顔になりました
12月の半ば頃に用事で来た郵便局の局員さんが
「年賀状をこれで申し込んでください」と
申し込み用紙を渡しましたので
私は「いくらも出さないので買いに行きますよ」と言うと
「少しでも構わないです。お届けしますから」

だんだん年賀状の風習も廃れて行くのでしょうか
貰うと嬉しい、書くのは面倒
私は何年も年内には出さずに、
頂いた年賀状に返事を出すようになっています
でも、返事の賀状には近況を少し細かく書く癖があるので
毎年向こうから送ってくれるのかも知れません

静かな、何もしないお正月
昔の華やいだ気分とは全く違うものです
でも、私が子供の頃のお正月は
毎年父の会社の部下の人達が10人近く来て
宴会が始まるのです
お酒と食事、母は台所でずっとその用意
お酒のお燗がぬるいの熱いのと
しゃがんでやかんだかに徳利を入れてお燗をしていた母の姿
母は明るいB型ですので、特にそれを苦にはしていなかったようですが
私のお正月は、その母の姿を見ながら過ごす台所での正月
酔っ払いを見ていたのが正月でした

カルタや羽根つきもちょっとしたし、
凧上げもしましたが、双六もしましたが
でも、私のお正月は、台所での母のお酒のお燗をするのを眺めていた
それが、一番印象に残るお正月でした
でも、お正月は待ち遠しかったです
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔の夏と、お墓参りの彼岸花

2014-09-25 17:00:56 | 昔の生活・話など
お彼岸でお墓参りに行ってきましたが、お寺に彼岸花が咲いていました
あまり写真はよく撮れていませんが



この花は全体が毒なそうで、その為にお墓に植えられるようになったと
調べたらそう書いてありました
何となく怖いような感じのする花ですが
同じような花で黄色とか、そういうのはあまり怖くない(笑)

似たような花に「おいらんそう」又は「クレオメ」という花がありますが
大分趣(おもむき)は違っています



夏も過ぎ、残暑はどこだ、という間に寒くなってきたような
ここ数日は暑さが戻るようですが、もう冬になっちゃうの?
そんな気がする猛暑の終わりでした

昔の夏は、入道雲の夏だったなあ・・・
その昔、子供だった頃の話

氷屋さんがリヤカーで運んでくる大きな透明な氷の塊
氷屋さんが、ノコギリで切って、大きな黒い金属の
ハサミみたいなので掴んで渡してくれる
昔の冷蔵庫は木製で、上の段にその大きな氷を乗せて、
庫内を氷で冷やすみたいでした
その氷を大工道具のキリで、つついて割るんですよね
これを私達は「ぶっかき氷」と呼んでました
その5~6cm位の氷を布みたいなのに一部くるんで(冷たいから)
それを齧りながら、舐めながら外に遊びに行ったりしてました

ホウセンカの実がなってはじけました
おしろい花の花の実が黒くなって、
それを割ると、中から白い粉が出てきました
朝顔の花を揉んで、色水を作りました
神社には銀杏を拾いに行きました
銀杏はかぶれるので、ビニールの手袋で皮を剥いて
(あれは、そのまま土に埋めておくと楽だそうですね)
椎の実を拾って、フライパンで炒って食べました
神社には椎の実の他にはカシ、クヌギ?などのどんぐりが落ちていて拾いました
夏には、クワガタだの、あの綺麗な玉虫もいましたね

「八月の濡れた砂」という映画の主題歌
石川セリさんが歌う主題歌はいいですね・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔の食生活… 私の場合

2014-09-24 15:02:48 | 昔の生活・話など
私は団塊の世代の少し下に生まれました
ですから子供の頃は、地面は土で、
大抵の物がまだ自然と共にあったような気がします
私の母の子供の頃は、そのもっと前ですから、
もっともっと自然に囲まれた生活だったでしょう

私が子供の頃は、車がまだ少ししか通らず、
買い物もスーパーなどはまだ出来てなくて、
大通りに並んでいた個人商店で買い物をしました
母に頼まれて、うどん玉を買いに行ったり
お豆腐屋さんにお豆腐や納豆を買いにも行きました

当時納豆は、ワラに包まれた、今で言う水戸納豆のワラ納豆ですね
それに「辛子を入れて下さい」と言うと
お豆腐屋さんのおじさんが木のヘラで、とても辛い辛子を
ひと掬い取って、開けた藁の端になすり付けてくれたのを覚えています
又お豆腐は、母の言いつけで「賽の目に切って下さい」と言うと
お豆腐屋さんは、水の中から掬い取ったお豆腐を
左の掌(てのひら)に乗せて、右手の包丁でトントンと
実に上手に賽の目に切ってくれるのです
(そのお豆腐屋さんは、息子が東大に行ったとかで跡をついでくれず辞めましたが)

うどんも昔のうどんはとても美味しかったです
今のうどんとは味が違います
多分、小麦粉からして全然違う物だったのかもしれません
うどんと言えば、冷麦、そうめんの他に、
ひもかわうどんという、平たいうどんがあって(今もあるようですが)
それを茹でて、油で長ネギや人参椎茸などの野菜他を炒め
汁(つゆ)を入れた中に、その茹でたひもかわうどんを入れて
煮込みにしたものが、又美味しかったです

ぬか漬けも美味しかったですねえ
キュウリなどは、温室栽培はしないので、
旬のものが旬の味として、「長らくお休みしていた」味が
その季節になると出てくる、そのキュウリのぬか漬けの最初の一口は
夢心地になり、クラクラするほど美味しかったのを覚えています
単に、しばらく食べていなかったというだけではなく
「本当に美味しかった」のです
味、風味他、今のキュウリとは比べ物になりません

ほうれん草のお味噌汁、トロトロに柔らかいワカメの味噌汁、
あの味は今も忘れません
今は物が豊富だと言っても、味がないです
私が東京に住んでいる為、余計味気のないものを食べているのかもしれません
田舎の親戚が送ってくれるものは、幾分昔の味を思い出させます
ただ、種そのものが改良されまくって、昔の品は手に入らない
主人が言ってましたが、「そもそも種が手に入らない」と
F1とかいうのか、よくわかりませんが、一代限りの種だとか?

小松菜ですが、あれは昔母がよく言いましたが「春の味がする」と
本当です、以前の小松菜は春の味と匂いがしました
ですが、今の小松菜って、変です
小松菜の味がしないし、茎は幅広く、小松菜の太さではありません
中国野菜の「チンゲンサイ」の混血ではないかと思っていましたが
調べてみたら、本当でした
それを止めないそうです
種を元に戻せと活動している人もいるらしいですが、
チンゲンサイの混血を小松菜として売るのは、詐欺に近いです
それならそれと表記すべきです

ほうれん草もしかり、日本ほうれん草の方が美味しいですが
ギザギザの入っていない、丸葉のほうれん草が多いですが
西洋ほうれん草というらしいのですが、味や香りや硬さも違います
でも、純粋の日本ほうれん草の種はもう手に入らないかも、と
生育に時間がかかり、採算が取れないらしいです
そうやって、食は経済と連携して、
どんどん劣ったものになっていきます

今テレビはグルメ番組ばかりです
B級グルメしかり、美味しい物を求めてあっちにこっちに
でも、本当に美味しい物は私達の身の回りにいっぱいあったのです
探しに行かなくても、毎日美味しい物を食べられました
食の豊かさは人の心をも豊かにします
お金をかけて美味しい物を探しまくる、旅をする
おかしいですが、今はそれが普通になっています
日常に美味しい物が見つからないから、あっちにこっちに
探しまくるしかないという風に見えます

昔は、何を食べても素材そのものがいい味をしていたので
様々な料理法を駆使しなくても、簡単な調理で
しかも本当に唸るほど美味しいものが食べられました
ですから、そういう意味では、昔、時代は決して
豊かと言えるものではなかったかもしれませんが
中身は大変豊かで、心楽しく、又嬉しいものが
たくさん溢れていたように思います

人の心ももっと豊かで人情があったようにも思えますし
まぁ、それが煩わしさの一種でもあったかもしれませんが
いい面と悪い面と、でも、やっぱり美味しかった昔の味は
何十年経っても覚えています
そして、それは今の所・・戻って来ませんね
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔の遊び 続と昭和という時代

2014-09-08 22:25:51 | 昔の生活・話など
かなりうろ覚えの部分もあるので、少々検証してみました
鞠つき歌2の「いちりとらん」については、弟に
「鞠の歌なので、男だから知らないでしょ?」と聞いたら、
「知ってるよ」と言うので、歌ってみてよ、と言ったら

いちりとらん いちこうし しがほけきょうの
たかちほよ ワンツースリー

と、私と同じ歌でした
ネットで調べると、最後のワンツースリー、というのは
他の例にはないみたいなので(他は てとりとらん、とか)
ここら辺の言葉なのか、と思いますが、これ伝承する人が
間違ったり、自分の好みを入れたりもするかもしれません
あっ、思えば昔に「ワンツースリー」などというわけはないですから
後から変えたのには間違いないですね(笑)

「はないちもんめ」については、

この子が欲しい
この子じゃわからん
相談しよう、そうしよう 「あっぷっぷ」

と言ってましたが、そう言えばそんな気も・・・アップップ~?
「陣取り」これは、地面の上に手で、親指を起点にして、
一番長い中指をコンパスのようにして丸く半円を描き、
ちょうど、鯉のぼりの鱗のように図を書きながら、
自分の場所を取っていく遊びだったように思います

蝋石(ろうせき)という、白いチョークのようなもので
地面に絵を描いたりもしました
何しろ、地面は土でしたし、路地のような遊び場でしたから
車は全く通らないし、道路は子供の天下でしたね
道端には、ホウセンカとかマツバボタンとか、朝顔とか咲いて
近所のマサキの生垣のマサキを切って、ぐるっと周りの皮に筋を入れ
それを抜くと「刀」になったし、八つ手の実は、
小さな穴を開けたプラスチックの道具に通せば、鉄砲の玉になったし
笹の葉で舟を作ったり、松葉を取って、二人で引っ掛けて
ふたつにばらけた方が負け、で外で暗くなるまで遊んでいました



おでん屋さんが屋台で来て、だんご、とかこんにゃくとか
はんぺんとかを一つ買っては、食べてましたが、すごく美味しかったです
昭和という時代を懐かしむマスメディアが多いですが
多分、こんな風に自然と触れ合いながらの生活が、
今の無機質な生活からすると、アナログとデジタルの違いくらい
心に触れた生活がそこにはあったような気がします

親も子も元気でそのままで、何というか
人間らしい生活がそこにはありました
けれど、だから、人間としての悲しみや、寂しさ、怖さなど
動物としての生活も多分に含まれていたような気がします
夜は暗くなり、ちょっと怖かった
夜は皆が寝静まると、妙に寂しくなって心細くなりました
自分は寂しがり屋の弱虫なんだろう、などと夜一人になると
そんな思いがしたのを覚えています
子供の時の話です
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

昔の子供の遊び

2014-09-08 12:39:09 | 昔の生活・話など
昨日書いた「ドッジボール」で思い出したけど
昔は子供はよく外で遊んだ
殆どが身体を使っての遊びだったけど

縄跳び
ゴム飛び
缶蹴り
だるまさんが転んだ
ビー玉遊び
ベーゴマ(男の子専用)
ホッピング
フラフープ
やれやれやれやれこんばんは、(というの
はないちもんめ
後ろの正面だぁれ(かごめかごめ、だ)
鞠付き(あんたがたどこさ)
鞠付き2(いちりとらん
陣取り
リリアン編み
おはじき
塗り絵

思いつくだけで、こんなにたくさん(笑)
私の家の近所は、同い年位の子供がわんさかいた
同年代に限らない子供の数は数えただけでも、
一区画(あまり広くなくて)80人以上(笑)
で、同年代というと、50人近く
それらが外に出てワイワイ夕方まで騒いでいるのだから
おそらくうるさかっただろうと思う
バケツで水を撒かれたり、うるさいからあっちへ行ってと言われたり
塀の上を歩いて怒られたり、何回かはそういう経験があった

ゴム飛びなんていうのは、今の高飛びみたいなもので、
胴、肩、耳、頭とかだんだんにゴムの位置を上げて行って
それに引っかからないように飛ぶ、考えればいい運動だと思うけど
ホッピングとフラフープは、物凄い流行になったけれど
胃下垂になる、とか腸捻転になる、とかいう風評が立って
あっという間に中止になってしまった
私は手先が器用なのか、おはじきとかみんな取ってしまって
多分、、、恨まれていたのではないかと、後から思った

かごめかごめに限らず、昔の遊び歌には謎めいた言葉が連なっている
ネットが普及して、思いついて調べてみたけれど
結構怖い話が裏にあって、ゾッと、、、したかも
かごめかごめも謎めいているけれど

「はないちもんめ」
♫もーんめもんめ、はないちもんめ
ふるさとまとめて はないちもんめ
あの子が欲しい
あの子じゃわからん
この子が欲しい
この子じゃわからん
相談しよう、そうしよう
◯◯ちゃんが欲しい 
△△ちゃんが欲しい
ジャンケンポン
勝~って嬉しい はないちもんめ
負け~て悔しい はないちもんめ

これは、貧しい生活の中で、女の子が身売りされる歌なのだそう
「相談」は「商談」で、幾らで売るか、人身売買の話だそう
一匁で売られる話?花、とは女の子の意味とか?

あんたがたどこさ
肥後さ肥後どこさ
熊本さ、熊本どこさ、船場さ
船場山には狸がおってさ、それを漁師が鉄砲で撃ってさ
煮てさ、焼いてさ、食ってさ、
それを木の葉でちょいとおーっ隠(かぶ)せ

今ウィキペディアで見たら、ほとんど違いなく書いてあった
つまり、伝承の遊び歌が、一言一句間違わずに伝わって
それを本当の「文化伝承」ではなく、生きた遊びに使っていたという事で
これが、ある時頃から途絶えてしまったはず
私が遊んだ昭和30年代後半辺りには、まだ生きていた
鞠付き2の歌ですが、私達が歌っていた歌詞は、

いっちりとらん、いっちこうし 
しんがほっけきょうの たっかちほよ ワンツースリー

というのがあって、以前調べた時は載ってましたが、
今調べたらこんなのが  滋賀県甲賀市のHPです
http://www.city.koka.lg.jp/5003.htm

”いちりっとらん”の歌のいろいろ
いちりっとらん いちこうし しらほけきよの
しらほけきょの高千穂よ
りょうてんかん (以下10まで続く)

いちりっとらら らっきょたべ シツシツ
しんがらもちゃ キャツキャツ キャベツでほい
(以下10まで続く)
いちりっとりゃ りゃっとりゃっとせ
しんがらほけきょ りゃっとりゃっとせ

はてぇ、↑こちらは少し違うみたいですが(笑)

これは↓兵庫県の鞠つき歌からですが

いちりっとら らっとげっとし
しんがらほけきょの たかちほよ ちょんがめ
(加古川市)

これも、又少し違ってますが「ちょんがめ」というのは、ちょっと聞かないです
本当に意味がわからない、以前検索した時にはちょっとわかったのですが
そのサイトが見つからないので、コピペしておけばよかったです

滋賀法華経   高千穂

こんな字みたいですが?
長くなったので、この辺りで休憩します
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする