あなたとお花と猫とエコと健康

日々思ったこと、見たことなどを書いています。

平和の俳句 16/03/19 分

2016-03-20 01:59:48 | 平和について
日付けが変わってしまいましたが

《平和の俳句》

壊れるのが戦争って言うんだよ

桜井 蒼(あお) (3) 愛知県


< いとうせいこう> 三歳児が喝破した戦争の本質。
創られるのではなく破壊される彼らの未来。

< 金子兜太 > 「壊すのが」と言い換えたい。
口語俳句の佳(よ)さが下五句にある。




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戦争とは攻撃と破壊と殺戮ですね。
昨夜観たテレビでは、古舘さんのレポートを交えた番組でしたが
ナチのホロコースト
骨と皮に痩せ細った裸体の人々の生きた姿
続く死体がトラックの荷台に投げ込まれる様子

今まではタブーとされてきた映像の数々を
今は放映します
何故ならば、そこまでの悲惨な映像を流さないと
本当の戦争の悲惨さが
肌身に沁みてはこないのではないかという危惧
そんな放送する側の心を感じます
最近、戦争の悲惨な死体の映像を見る機会が多くなったように思います
伝えなければならない真実を、
たとえそれがいかに衝撃的なものであろうとも
写していかねばならないのが使命と
そんな思いが伝わってきます
コメント (2)
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「平和の俳句」を毎日書こうかと

2016-03-18 11:20:31 | 平和について
   
   戦後71年      平和の俳句

昨日ご紹介した東京新聞掲載「平和の俳句」を
続けて書いて行こうかな、と思っています

16/03/18(金)

    川底の貝にも光射(さ)す平和    
             若林雅美(81) 愛知県


選者
<黛まどか> 戦犯を扱った映画を本家取りして
      深い主題を提示している
<いとうせいこう>
      静かに底に生きる貝にまでも恵みがもたらされる。
      戦乱では無視される者へも。

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黛まどかさんはゲスト選者だそうです
「戦犯を扱った映画」とは、
1958年 フランキー堺主演のテレビドラマ
「私は貝になりたい」
最近では、2008年の中居正広主演の映画があります
その他幾つか作製されたそうで
所ジョージさん主演のもあったそうです

私は昔一度、テレビでフランキー堺さん主演のものを
観た記憶はあるのですが、あまりに悲惨で
悲しい、辛い思いをしたという記憶しかありません
正直、二度と観たくないです
戦争がどんなに理不尽なものであるかということについて
このような個人の物語が、それをはっきりと映し出しています

戦争とは、ただの殺し合いでしかありません
人を一人殺せば殺人罪の罪に問われます
ところが戦争とは、人を殺せば手柄になる
これは集団殺人の奨励でしかありません
どんな理由をつけようと、どんなに正当化しようとしても
戦争とは「人殺しの奨励」という事実に変わりはありません
国家が人殺しを勧めるのが戦争です
それだけは間違いのない事実なのです
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「平和の俳句」戦後71年 東京新聞 16/03/17 朝刊より

2016-03-17 14:32:31 | 平和について
東京新聞には朝刊一面の左上に「平和の俳句」という記事が
毎日掲載されています 
         
これは、選者が金子兜太さん(1919年(大正8年)9月23日 生まれ)
つまり、現在96才、今年97才になられる俳人
そして、もう一人の選者は いとうせいこうさん(1961年3月19日 54歳)

「平和の俳句」
  とは?
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 みなさんはどんなときに平和を感じますか? 戦後70年の2015年1月1日から1日1句を朝刊1面に掲載してきた「平和の俳句」、2016年もやります。レギュラー選者は現代俳句の第一人者の金子兜太さん(96)と、作家のいとうせいこうさん(54)。おふたりのほか、3カ月に1回、ゲスト選者が登場します。第1回のゲストは俳人の黛まどかさん(53)で、3月に掲載される句の選考に当たりました。

 「平和の俳句」には、決まりはありません。一行の「詩」になっていれば、少しくらい575を逸脱してもかまいませんし、季語がなくても大丈夫。ひと仕事終えて体を伸ばす瞬間、湯気を上げるご飯を前にしたとき、あなたが笑ったとき。そのときの優しい気持ちだって「平和の俳句」になります。大人もこどもも、どなたでもどうぞ。大胆な発想で、わたしたちをドキドキさせてください。戦後70年が71年、80年、100年、永遠へと続くよう、ささやかな願いを込めた、この「軽やかな平和運動」に皆さんも参加してみませんか。
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今日の俳句をご紹介します

反戦のデモかと見ゆる霜柱  
大井公夫(69) 岐阜県

<金子兜太> 景の見立てに俳諧の味。
デモの人たちの歯を剥(む)いて怒っている顔

<いとうせいこう> 小さな霜が、
しかしひとつの方向に顔を向けてびっしりと立つ。真冬でも。

確か私の記憶では、自由に市民から作られた俳句などが
戦争・平和などに関する記述があったために
公民館、つまり公の場での掲載を取り消された
そんな事が何度か続いた後に、そのことに反対する姿勢として
始めたられたような気がします

「9条俳句」金子兜太さんインタビュー 掲載拒否は「言葉狩り」

掲載拒否「今も納得できぬ」作者女性 「九条俳句」
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「八月の濡れた砂」 石川セリ

2016-03-11 13:33:10 | 私の好きな歌
  八月の濡れた砂

歌:石川セリ 作詞:吉岡治 作曲:むつひろし

あたしの海を まっ赤に染めて
夕日が 血潮を 流しているの
あの夏の光と影は
どこへ行ってしまったの
悲しみさえも 焼きつくされた
あたしの夏は 明日もつづく

打ち上げられた ヨットのように
いつかは愛も くちるものなのね
あの夏の光と影は
どこへ行ってしまったの
想い出さえも 残しはしない
あたしの夏は 明日もつづく

あの夏の光と影は
どこへ行ってしまったの
想い出さえも 残しはしない
あたしの夏は 明日もつづく

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映画の主題歌だそうです
歌っているのは井上陽水さんの奥さんになった石川セリさん
アメリカ人とのハーフだそうですが
     
以前から気になっているのが、ハーフの人の声です
多分、どこか発声法が違うのではないかと思うのですが
石川セリさんは、お父さんと一緒に暮らした事はないようですが(多分)
でも、発声は純粋の日本人とは違うような気がします
声の出し方が、体から出ているというか
発音もどこか違うのですね
誰もがみんなそうではないとは思うのですが
日本人は口の先だけ(?)で声を出しているような感じがするのです

この歌のどこに惹かれるのかはよく分からないのですが

「あたしの海を まっ赤に染めて
夕日が 血潮を 流しているの
あの夏の光と影は どこへ行ってしまったの」

この言葉に特に独特の思いを感じます
どこかに行ってしまった、過去の思いや映像や、、生活、、、
何となく哀しい思いがします
過ぎ去ってしまったものへの思い・・なんでしょうかね?
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中尾ミエさんの「片想い」

2016-03-08 16:50:22 | 私の好きな歌
美しい曲です
        
片想い / 中尾ミエ 作詞:安井かずみ 作曲:川口新

あなたの影によりそうような
想いにも気づかずに つれないひとなの
あなたの胸にすがりつくような
涙にも気がつかず 通りすぎていくのね

祈りをこめて伝えたい
私の愛を私のすべてを

あなたのそばに ひざまずくような
願いにも気づかずいつでもはるかな人なの

祈りをこめて伝えたい
私の愛を私のすべてを

あなたのために ねむれぬ夜の
星さえ気づかず どこへ行くひとりひとり

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
こちらは、中森明菜さん
中森明菜 片想い
少し声が出てないようですが、何気に・・
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「誤解されたままで終わる人は、」ツルゲーネフの言葉

2016-03-04 15:43:13 | 人間の心理について
東京新聞2015年10月22日 朝刊 筆洗(コラム)より
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 ロシアの作家ツルゲーネフは百六十年前に書いた小説
『ルーヂン』の主人公にこんな言葉を吐かせている

「誤解されたままで終わる人は、
自ら求めるものを当人がわかってないか、
他人から理解されるに値しないかのどちらかなのです」

       (後略
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うーーん、ですね
私は他人から誤解されやすいタイプなのですが
それを何とかできるかと目を凝らして読んだこの文章
誤解される人は誤解されるだけの事があるのだ、と
そんな風に読めます

誤解されない為のノウハウが書いてるわけではないし、
ヒントがあるわけでもない
究極、誤解されるのは当人の責任みたいですね
トホホノホ
それだけの人間だということになるのでしょうか?
ちょっと納得はいかないですが

又、「自分の都合のいいように誤解したい人間」が誤解する、
という場合もありでは、と、どんなものでしょうかね?
それは「確信犯的誤解」とでも言ったらいいでしょうか

例えば「真実」ということについて
真実とは、本当のこと、実際にあったこと、と解釈しますが
よく言われる言葉、「人には人それぞれの真実がある」
これが、何と人によって見えたものが真実である
思い込んだものが真実である
だから、真実は人の数ほどある、とかいうもの?

ウソでしょう、と私は思います
でも、多くの人がそういうのを聞きました
「その人に取っての真実」
ヒャーーー、です

では、誰がああ言った、誰がそうは言わなかった・・
テープに録(と)ってあったらどうします?
そこに残っている実際に発せられた言葉は一つです
誤った、間違った記憶がその人の真実だとして?
では、そのテープを聞いた本人はどうします?
それもウソだと、自分の間違った記憶が真実だとでも言うのでしょうか?

   
昨日から黄水仙と花ニラが一緒に咲き始めました

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仏教の修行は「掃除」が一位

2016-03-01 14:08:55 | 宗教関係
この間書いた仏教の修行の話ですが
 仏教と掃除について

私は掃除があまり好きではありません
掃除をするには箒(ほうき)を使ってやります

掃除機はありますが、あまりというか殆ど使っていません
理由は、掃除機の後ろからゴミが(埃が)出るように思うのと
部屋には「ユウレイグモ」と呼ばれるようなクモがいるからです
掃除機でゴミと一緒にクモを吸い取ってしまったら
可哀想だと思うので
しかも、小箒で少しずつゴミを掃くもので

いっかな掃除は進まないのです

ですが、この有馬頼底住職の
「一 掃除」
を知ったためか
ゴミを見たら「修行 修行」と思いながら
マメにゴミを掃除する気になってきました
ですが、相変わらず小箒で掃いていますので中々進みませんが

「掃除は修行」
「掃除は修行」

いいですね~
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