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その7 (悪人だけが・・) “親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に

2014-11-27 14:25:31 | 五木寛之さんと親鸞他
「出来るだけ、そういうことを忘れてこの年になったら明るく毎日生きていこうと努力してますけれども、努力はしていますけれども、中々大変です。」
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番組キャスター 「戦争に関しては、ここにきて、いろいろな体験だとか陸軍海軍のこととか、今の若い人に残しておかないといけないということで語る人が増えてきましたよね。」

五木寛之 「それはある意味被害者としての歴史なんですけれども私たちは、3人のうち1人が生き残る為に他の2人を蹴落としてでも生きてくる、という事をして生き残った人は、自分が悪人だと思っているんですよ、心の中で。

清い人は全部、残されたというね。
人を、押しのけて前に進んでいくようなエゴの強い、そういう悪人だけが生き残ってきたという感覚があるもんですから、そういう自分が許せないじゃあないですか。」

番組キャスター 「今でもですか?」

五木寛之 「皆さん、そうだと思いますよ。心の中でね。
だから、無事に引きあげてきて良かったというだけではなくて心の中に、何か、こう。

だって、北朝鮮だけでも、あの当時、置き去りにされたり、手渡されたり、売られたりした子どもたちが、どれだけ、今、何も知らずに何千人何万人という数じゃないでしょうか。

その経緯も知らずにね、赤ん坊のまま置かれていた人がいっぱい、いる訳ですから。
何か、無言のプレッシャーを日夜感じますよね。

出来るだけ、そういうことを忘れてこの年になったら明るく毎日生きていこうと努力してますけれども、努力はしていますけれども、中々大変です。」

(続く)
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「弱肉強食」という言葉があります
人がその生命を脅(おびや)かされる事態になった時
人は自分を救う為にあらゆる事をして生き延びなければなりません
そこに現れるのは「弱肉強食」という、強い者が勝つ状態です
あるいは、悪い者が勝つ、
五木さんの場合、人を押しのけなければ生きられなかった
弟妹を抱え、彼らの命も守らなければならなかった
そこに現れるのは「阿鼻叫喚」とも言える図だったのではないでしょうか

「善い人、清い人」はみな死んでいったそうですが
(五木さんでは「残された」という言葉になっています)
人に譲っていたら脱落してしまう、生きるか死ぬかの世界に
優しい人間は=弱い人間ということになってしまいます

今世の中は「自己中」のあふれる世になっています
だから、そういう人達の発想からすれば、
「馬鹿な奴が負けるのだ、人を押しのけられない人間は弱い奴だ
だから、自分は生き残った勝者だ。負けた奴はバカなんだよ」と

戦争で生き残った人達がインタビューで答える時に
今はもう90才位のお年寄りになっていますが、
その長生きをしてしっかりした頭の人達が何を言うか
「申し訳ない。生きて帰ってしまった」
一体何なのでしょう
せっかく生きて帰って無事に暮らすことが出来て
その事を喜び生きてもらいたいと思うのに
戦後70年近くなる今もなお、その懺悔のような気持ちのままで
自分が悪いわけではないのに、死んだ戦友に申し訳ないと
その気持ちをずっと70年近く抱えたままで生きているなんて・・・
そう思わないわけにはいきません
戦争を始めたのは、市井の人達ではないはずです
ただこの心情は、本当にそういう立場にあった人でないと
自分が実際そういう立場に立ってみないと
わからないものなのかもしれません

五木さんの場合、少年であったわけで
立場は少し違いますが、真っ当にやっていては生きられない状況下で
そういう状況下で生きていくしかない少年のしたことを
その後本当に70年間もの間、一生を縛り付ける呵責の念と共に過ごす
五木さんは、ご自分を悪人だとおっしゃっていますが
では、どうしたらよかったのか、譲って死ねばよかったのか?

このブログで前に書きましたが、コルベ神父の話
コルベ神父が身代わりになった男性は、
94才まで長生きしたそうです
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 その後の長い間、コルベ神父のことを思うたびに、自責の念に駆られました。私は自分の命を救うために、彼の死の宣告書にサインしたのです。しかし今は、彼のことを思うとき、私には彼のような人には、ああする以外に道はなかったのだと理解できます。おそらく彼は、僧侶である自分の居場所は、死にゆく者と共にあると考えたのでしょう。実際彼は、最期の最期まで彼等と一緒だったのですから。
1977年に最初の妻へレナを亡くしたガイオニチェクは、のちに二番目の妻ヤニーナと再婚。1995年3月13日にポーランド南西部の Brzeg で、94歳の天寿を全うしました。 コルベ神父に命を救われてから、じつに53年と7ヶ月が経っていました。

未亡人となったヤニーナ・ガイオニチェクはこう語ったそうです。 「夫は常にコルベ神父の存在を感じていて、適切な時が来たらコルベ神父が迎えに来てくださると信じていました。そしてとうとう夫は、コルベ神父の元に旅立ったのです。」
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同じような気持ちを持っていても、日本人と少し違う感じ方をしているように思いました
「彼のような人には、ああする以外に道はなかったのだと理解できます」
このケースは、彼は自分で頼んだわけではない、という前提がつきます

「“副所長のフリッツの命令で、収容棟長が餓死刑にする囚人を任意に選び始めました。彼に指差された私は、絶望のあまり叫んだのです。もう一度妻に、子供に会いたいと・・・。すると別の囚人が一歩前に進み出てきて、私の代わりになることを申し出ました。コルベ神父のことを、私はほとんど知りませんでしたし、彼がドイツ語で話したのもあって、その時起こっていたことをすぐには理解できませんでした。私が生きて、代わりに誰かが自発的に、私という他人のために、自分の命を差し出すなんて――これは夢かと思いました。私はコルベ神父に何を言う間もなく、自分の立っていた場所に戻されましたので、コルベ神父に目で感謝を伝えることしかできませんでした。ニュースはまたたく間に収容所中に広まりました。私は救われたのです。彼の犠牲のおかげで、私は彼がしたことをこうして伝えることができます。」

彼はコルベ神父に言うに言われない感謝をしていたことと思います
一生の間です

人の善悪と弱肉強食
これ、どこかの何かが・・と思ったら
夏目漱石の「こころ」です
先生は「K」を出しぬいて?だまし討ちにして?
奥さんを手に入れることになった
結果「K」は自殺した

この永遠の課題のようなもの
私には中々わかりません
続く

  
何年か前に買った小菊ですが
調べてみると「泡黄金菊」という菊のような感じです
背が高く、花は小さく、ですが、黄金という感じもする菊です
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