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その9『他力の力・・』“親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に出演

2014-11-29 20:07:02 | 五木寛之さんと親鸞他

「旨(うま)くいった時は周りの他力のおかげで旨くいったと思って、旨く行かなかった時は、いや、俺は頑張ったけど、他力の風が吹かなかったんだと思って、余り、くよくよしないという有り難い考え方なんです。」
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番組キャスター  「それは「親鸞」を書くにあたってどこか通じるものがあるんですか。」

五木寛之 「どこかで通じているんじゃあないだろうか、と、自分で何でも世の中を動かしていると思いませんから、自分自身さえもこんなふうにコントロールできない人間ですからね。

別に宗教くさい意味で言ってるのではなくてこう、色んな大きな周囲の力とか、そういうものがあって初めて実現することですから、

いいかげんに聞こえるかもしれないけれども旨(うま)くいった時は、ああ、周りの他力のお陰で旨くいったと思い、旨く行かなかった時は、いや、俺は頑張ったけど、他力の風が吹かなかったんだと思って、余り、くよくよしないという有り難い考え方なんです。



ですから、成功した時は、できるだけ自分の力じゃないと思いますし旨くいかなかった時は、他力の風が吹かないんだよと、こう言っておれば、それでいい、という、実に安易な、本格的な他力の思想とは全然次元の違う、俗な話ですけれど、そういうふうに思ったりしますね。」

(続く)
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他力 ウィキペディアより

他力(たりき)は、仏教用語の1つで、自力に対する語。自己に備わった能力を使うことを「自力」、仏・菩薩などの働きを「他力」という。

しかし、縁起を根本とする仏教の考えからすれば、自己の行為(業)は全て「他力」とも考えられる。従って、どの仏教宗派でも「他力」は説かれている。

行に関して「自力」・「他力」を区別する場合、上記の考え方から行者の心構えの問題とする。

なお、浄土宗・浄土真宗でいうで「他力」とは、「他」とは阿弥陀如来を指し、「力」とは如来の本願力(はたらき)をいう。「他力本願」の「他力」はこの意であり、他人の助力などの意ではない。

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親鸞は浄土真宗であり、親鸞のいうところの「他力」とは、
阿弥陀如来の力のことですが
五木さんは、その本格的な他力の話ではないとは言っていますが
同じような感じがします
必ずしもそれが「阿弥陀如来」ではないけれど、
というような意味でしょうか

よく小説家が「書きながら、勝手に筆が進んでいく」
「誰か他の人から書かされているような気がする」、などと言いますが
色々な意味で、何かもそのする事が己れ一人から出たものではない
そんな事もあるのではないでしょうか?

意識と無意識というものがありますが、
本人が意識しないで分かっていること
それが、勝手に表に現れてきて、不思議な思いに捉われる
そんなこともあるかもしれないですし
本当に何かの啓示によって、
突き動かされることもあるかもしれない
この世には分からない事がいっぱいありますから
何もかもが自分だけから出たものとは限らない
他力という言葉の中に、そういう思いがあるのかもしれません

続く
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