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16〈笑う事だけが・・〉 “親鸞”五木寛之さんNHK「ゆうどき」に出演

2014-12-07 20:38:07 | 五木寛之さんと親鸞他
「笑う事が大事なのもよく分かっていますけれども、それだけではない。」
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番組キャスター 「更に、この男性は五木寛之さんの“憂愁を大事にする”という言葉も、非常に共鳴されているということなんです。これはどういうことですか。」

五木寛之 「戦後、私たちはどちらかというと、プラス思考、一辺倒でやってきたというところがありますね。

笑い、ユーモアの文化があって、明るく前向きに生きている限り人生うまくいくという発想でね

暗い気持ちになりがちになると、マイナス思考になってはいけない
というふうに自分自身を叱咤激励(しったげきれい)しながら、涙とか泣くとか悲しみから逃れようと生きてきたような気がするんです。

でも本当はそうではなくて、柳田國男が「涕泣史談(ていきゅうしだん)」という本の中で、“日本人は泣くことを最近は忘れている”というふうに指摘していますけれども、

泣くと言う事は、日本人は、スサノオノミコト(素戔男尊、日本神話に登場するアマテラスオオミカミの弟神)

みたいな荒ぶる神でも、海を枯らし、林を枯らすほど、豪快に泣いた訳ですし、日本人は泣くと言う事を大事にしてきた国民なんですね。

だから、時には、どうにもならない時に涙をこぼして、“わあー”と、泣くとか、悲しむとか、そういう事は、歌謡曲や演歌的な世界で、普通はマイナス思考だと言われるでしょ、でも、そんなことはないですよ。

悲しむのは大事なことで、喜ぶ事と、悲しむ事、笑う事と、泣く事、プラス思考とマイナス思考。

笑う事が大事なのもよく分かっていますけれども、それだけではない。」

    

番組キャスター 「そう言われればね。わざと元気に、元気に、」
「無理して紛(まぎ)らわせる事はない、と。」

(続く)
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明るい・笑う・元気、などのメジャー指向を善しとする風潮
また、そうでなければ「いけない」というような傾向
私は以前から疑問に思っていましたが、
五木さんのおっしゃることに、
やはり、そうだったのか、という感じです

これって、結構テレビの中の世界からの「強制」みたいなものではないのか
そう思いました
けれど、柳田國男さんが指摘した時代とは?
「 1962年8月8日(満87歳没)」
これでは、あながちテレビの影響とばかりも言えないようです

ですが、視聴率第一のテレビ界において
「明るい・笑い・元気」というようなメジャー系のものが
求められるのは、当然といえば当然の話です
ですが、テレビ他のマスメディアが大きな影響力を持っている事実
知らず知らずの内に、それが一種の価値観となって
体に染み込んでいくのではないかと思います
それらの商業主義から来る一定の意図を持った価値観が
人の心を支配していく、そんな気がずっとしていました

人と自然の関わりが希薄になり、重きを置かれていくのが
ひたすら「人間関係」の事に集中していく
そんな気がするのです
だから、「公園デビュー」の話もそうですし、
学校のいじめも旧来よりも悪質に、数も増加しているのではないか
いじめは昔からあったと思いますが
そのいじめが生死に関わるほどになってきた事実もあります

マイナーなことを悪とし、皆一列に同じでなくてはいけないと
誰が言ったのか
又、誰もが社交性があって明るくなければいけないと
誰が言ったのか

最近時々聞く「私など生きている価値がない」とかいう言葉
「生きている価値があるかどうか」を一体誰が決めるのか?
本人が「自分は生きている価値がない」などと思ったとして
一体、本人にもそういうことを決める権限があるのか?
そんな風にも思ってしまいます
傲慢ですよね

又弱いことを悪とする風潮もあります
私もそう思っていました
それが以前にも書いた遠藤周作氏の「沈黙」という小説です
生きていく為に役に立つ能力のみを善とし、それ以外を悪とする
これは、正しい考え方でしょうか?
ですから、戦時中障害者を要らないものとし、排除することを国が考えた
障害児童を疎開から外してしまった、そういうこともあったのです

人を、生き物を、経済効果のみでその価値を計る
これは、間違いです
だから、人が人として生きていくための悲しみをすら
悪として排除しようとしているのが、今の日本人なのでしょうか?

ただ、私が最近テレビを観て思うのは、
「悔し泣き」がその位置を大きくさせてきていることです
嬉し泣き、悲しいから泣く、悔しさで泣く
スポーツの世界、での話ですが
もう何度も何度も悔し泣きを見せられていると
正直ウンザリしてくるのです
何故か、それはただひたすら
「自分の為だけに泣いている」からなのだと思うのです
美しくないのですね、その涙だけは・・・
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