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ただいま冷温停止中! d( ̄ ̄;)

年忘れの夜

2005-12-23 18:42:43 | 日記
生まれて初めて幹事をしたという、Ryuheyさんの音頭ではじまった忘年会は、11月5日の「自タオフ会 in OSAKA」の延長戦のような、とても楽しいものでした。年末の忙しい時期、そして雪と寒風吹きすさぶ悪天候の中だったにもかかわらず、とても濃~いタイガース愛に浸れる、ひと時を過ごさせていただきました。

幹事は慣れていないと言いつつ、まとめ役を無事にこなしたRyuheyさん、お見事でした。(今度は朝までつきあいますから許してね‥A^^;)

前回のオフ会で喋り足りなかったという無礼さん、皆でよってたかって安全装置をつつかれ、ある意味、嬉しそうでしたね。ブログの日次更新は是非ともライフワークにしてください!

広島から飛んできて、夜行で東京に行きそびれたwanちゃん。皆へのお土産持参は感動ものでした。グッジョブ、バット、気ー使いすぎ!^^

前回、ほとんど接触できなくて、顔とお名前が一致しなかったgaviさん、お話できて感激です。また、ちょくちょくお邪魔します。

初参加のたかはしかずきさん、ちょっと緊張気味でしたが大丈夫。私らもそんなもんでしたから。ブログにコメント、入れさせてください。^^

あ、虎娘ランナーのtacocoさんだ。お会いできただけでも来た甲斐ありました。ブログも見つけたことだし、ご近所さんでもあるし、同じ元コボラーでもあるし。これからもよろしく!^^

いつもクールなichikenさん、「クリスマスなんて大嫌い!!なんちゃって」はとても良かったです。「鯛が酢・おミルク」を観たいファンが一杯いるだけに、9xユーザーにも愛の手を!(笑)

wanちゃんのお土産に子供のように喜ぶルーさん。ブログのタイトルのストレートさといい、その雰囲気、大好きです。私。^^

いわほー提供・タイガース優勝プリントTシャツを、見事ゲットした、あらんじさん。ぜひとも次回のオフ会には、そのTシャツを着て来てくださいよ。^^

kisaragi-earthさんのカラオケ声の、なんとかわいいこと!思わず聞き入ってしまいました。私。「Gold Rush6」も、いつも拝見さえてもらってます。

カラオケ大王・虎のしっぽさん。Ryuheyさんに負けず劣らずのエンターテイメント爆発!来年三月の「開幕直前決起集会」幹事役、ヨロシクお願いします!m(_ _)m

遅れてやってきたカラオケ大王がもうひとり。kaleidoさん。レパートリーの広さは、もう大変。おみそれいたしました。今後ともヨロシク。m(_ _)m

幹事のRyuheyさんはじめ、参加された皆さん、お疲れ様&ありがとうございました。
次回、「開幕直前決起集会」で、皆さんとまたお会いできますことを楽しみにしております。


皆さん、良いクリスマス&お正月を!



清原和博はお好き?

2005-12-19 06:00:20 | スポーツ
“清原和博”が好きか嫌いか問うたなら、即ちそれは“キヨハラ的”なものをどれだけ受け入れられるかを問うに等しいと思う。


“キヨハラ的”なもの。それは、


  • “血が騒ぐ”かどうかが、物事の価値基準であること。
  • 男の本分は格闘だと言い切れること。
  • やられたらやり返せ、をモットーとすること。
  • 理屈よりもハートこそがスポーツの正義だと信じること。
  • 師と仰いだら生涯もって礼節をつくすこと。
  • 仁義を欠く奴は絶対に許さないこと。
  • 男の背中で野球人生を語ること。
  • 武勇伝の一人歩きも男の証明であること。
  • “プライド”だけは英字で書けること。
  • ダボパン、セッタはファッションの重要アイテムであること。
  • 科学的根拠は抜きに未知のエナジーを身に着けること。
  • 誰もが祭りの主役と認めること。
  • 恫喝もプレーのうちと心すること。
  • 男は真っ直ぐ勝負しか認めないこと。
  • 男の器はチ○ポコとケツの穴で表現すること‥‥‥
  • 遺恨を演出できること(12/23追加。清原限定!)
  • 故障さえ遺恨にしてしまえること(12/23追加。清原限定!)

私の中の“キヨハラ的”イメージは無理数のように、脈絡もなく無限に続きそうだ。


“キヨハラ的”なものをひとつずつあげていくと、すごく懐かしい思いに駆られてしまうのだ。私が知りうる、最も旧い記憶の中の、一匹狼・江夏が在籍していた頃や、球団史をひも解いてみたときの創成期のタイガース、あるいは豪傑、野武士がわんさか幅を利かせていた、個性派集団のパリーグの時代を。清原にもその時代のエレジーがぴったりフィットするのだ。けれども、タイガースのベテラン連中を鑑みたとき、すくなからず“キヨハラ的”要素に満ち溢れていることに気がつく。スポーツ選手全般、特にベテランの野球選手にありがちな普遍妥当性といえようか。
ただ、清原和博の場合、それらのひとつひとつが濃いのだ。この濃さこそが“キヨハラ的”な要素なのだ。私の場合、つまりはこの濃さがダメなのである。いくらカルピスが好きな人でも、「原液のままではちょっと‥。」という感じなのだ。
そんな清原和博は、年々その濃縮度を上げつつある。清原和博の信奉者たちは、日増しに高まるその濃度を、むしろ楽しんでいるのかもしれない。濃さが枯渇感を潤して、しかしその濃さゆえに、新たな渇きを生んでいるのだろうか。
清原和博にとっての不幸は、読売ジャイアンツというコンテンツが、全国ネットの茶の間に、毎日届けられるということ。そのことが、チームの成績や清原個人のパフォーマンスが費えたとき、ゴールデンタイムがその濃さに拒否反応を起こす。いや、起こしているようにとられてしまっている。そう思えて仕方ないのだが。


83年夏。


甲子園球場は、高校一年生コンビの活躍に沸いていた。PL学園の1年生エース・桑田真澄と四番・清原和博の活躍に。そして、この一年生コンビ率いるPL学園は、あれよあれよと言う間に、優勝まで上り詰めてしまったのだ。私が清原和博をはじめて見たのは、その時だった。立派な体格に似合わず、顔にはあどけなさがあふれていた清原君は、チームの先輩達に見守られながらも、バッターボックスに入ると、荒削りながらも、ふてぶてしいにほど落ち着いていた。
この年のプロ野球は、セリーグは巨人、パリーグは西武が制した。日本シリーズでは、藤田巨人と広岡西武の因縁対決が話題になったのだった。タイガースはというと、二年目安藤体制のもと、真弓が首位打者、福間が防御率のタイトルを獲得し、新加入のバースもそこそこの成績だったにもかかわらず、チームの成績はふるわず、結局4位に終わった年だった。タイガースは、一年生K・Kコンビに甲子園を完全に乗っ取られてしまったのだ。この時、私は、彗星のように現れたこのK・Kコンビに、近い将来、タイガースのユニフォームを重ね合わせていた。彼等に乗っ取られた甲子園を、タイガースに取り戻すためにも。なぜかそんな思いに覆われたのだった。私がその“濃さ”に辟易しながらも、しかし彼を全否定できないのは、その思いに由来する。
甲子園通算13本塁打、高校通算64本塁打が、彼の甲子園の記録である。いずれも球史に残る記録である。


プロ野球通算成績


試合2153(歴代13位)
打率.273
安打2073
本塁打514(歴代5位)
打点1491
盗塁59
四球1307
死球195(歴代1位)
三振1861(歴代1位)
新人王1986年
最高出塁率2回
最多勝利打点王3回
ゴールデングラブ賞3回
ベストナイン5回
オールスターMVP最多受賞
オールスター打率1位
オールスター本塁打2位
オールスター打点1位


打率、打点、本塁打のタイトルを一度も取っていないことで、「無冠の帝王」と呼ばれることがあるが、これらの成績を見る限り、必ずしも無冠とは言えまい。まぎれもなく、球史に残る名選手であることに違いはない。王、長嶋、落合らとともに、長く語り継がれる打者である。記憶に残るとともに、記録に残る選手でもあるのだ。


オリックスバッファローズで、そして関西で、偉大なプロ野球人としての最終章を飾って欲しい。


私はそう願っている。
そして最後に、“キヨハラ的”なものが結晶化する瞬間を見届けたいと思っている。


ラヂヲ野球の時間

2005-12-08 08:02:38 | スポーツ
いつもお邪魔している、”球児命”ぱぴさんの記事で 「1年前、糸井重里はこう言っていた。」の内容がとても興味を惹いた。なんでも1年ちょっと前、TBSラジオで放送した「糸井重里のザ・チャノミバ」で、糸井重里と堺雅人の対談のなかでのやりとり。この中の、野球とサッカーの違いについての語りが面白い。一部抜粋させてもらう。

糸井:自分が動きながら、次の動きを考えている、っていう動きの中で動きを考える、っていうのがスポーツの基本だと思うんですね。で、野球ってスポーツじゃなくって、ゲームなんだと思うんですよ。つまり、頭で考えて行動するのを考える時間と、それを実行する時間とが、スタンバイ・スイッチオンと分かれているんですよね。それは一体化した方がスポーティーですよね。

野球はスポーツじゃなく、ゲームなのだという。思考と行動が分かれて、一体化していないから。考えてみると野球という球技は、他の球技にくらべて異質な要素をもっている。その最たるものが、”攻撃”と”守り”のスイッチだ。ほとんどの球技は”攻撃”と”守り”が表裏一体。連続プレーの中で絶えずダイナミックに変化している。今、攻撃中であっても、一瞬にして予期せず、攻守入れ替わったりする。そのダイナミックでスピーディな展開こそが、球技スポーツの醍醐味なのだ。ところが野球にはそのダイナミックさはない。攻守交代はアンパイヤによる手動切り替えスイッチ。連続プレーの中で切り替わるようなことは絶対ない。一手ごとに交代する囲碁や将棋に通じる世界だ。だから野球の試合を、ゲームと表現するのだろう。野球以外の球技じゃ、ゲームではなく、マッチという表現が多く使われている。それを象徴するものに、プロ野球カードゲーム というものがある。こんな遊びが成り立つ球技、野球しか他に考えられない。サッカーやバスケのカードゲームなんて見たことない。(あっても認めない(笑)。)
対談は続く。

:時々凄い選手で、「自分がなんだかよく分からないのだけれど、とりあえず前に出て、そのことでパスコースがあく」ってことがあるわけじゃないですか。その時、(パスコースがあくことを)分かっているのかな、と思ったら、おそらく分かっていない時もあると思うんですよ。
糸井:それを言語化できないんですよ。で、サッカーをものすごく観ている人とか選手は、かなり言語化できかけているらしいんですよね、どうも。つまり、「~に決まっている」という細かいメソッドを頭に全部索引で持っているんだと思うんですよね。

”空気”を的確に言語化できる達人、糸井氏ならではの語りだ。そして、この部分に関しては、ラジオの実況で経験的に理解している。昔からテレビ中継のない日のタイガースの試合は、ラジオの実況放送のお世話になってきた。当然、完全放送だ。サンテレビ以上にたよりになる存在である。三十年以上にわたるラジオの実況中継との付き合いは、通算すると、テレビ観戦の時間を上回っているかもしれない。年季はかなり入っているつもりだ。

「ピッチャー久保田、振りかぶって小久保に第三球、投げました。打った。引っ掛けた。ショートゴロ。三遊間深いところ、鳥谷追いついた。踏ん張って一塁にノーステップスロー。ワンバウン、ツーバウン。間一髪アウト!」

この間、わずか10秒足らず。文字にして100文字足らず。わずか、これだけのセンテンスでも、久保田の力んで投げる様、小久保の打ち損じた顔、鳥谷の軽快なフィールディング、今岡のまるでヒトゴトで打球を見送る顔‥‥。それらはテレビの映像を見ているかのように、脳内で映像を投影してくれる。そして私は、誰もがそうだと思っていた。
ところがこれが怪しいのだ。野球はよく見るけれど、ラジオの実況を聞き慣れていない人には、ラジオ実況だけでは試合経過は分かっても、簡単には映像と結びつかないものらしい。それは言わば、野球盤ゲームのはずが、むしろプロ野球カードゲームに近い感じだ。古くからラジオの実況に親しんできた私には、そのことが理解できなかったようだ。

ところが、ある日のこと。カーラジオでサッカーの実況を聞いた私は、おなじことを経験した。実況アナウンサーの一言一句は、すべて理解できるのに、試合の経過は分かっても、まったく映像に結びつかないのだ。サッカーのカードゲームが存在するとしたら、言わばそんな感じだ。糸井氏の言を借りるなら、つまりはアナウンサーとリスナーの間で、共通の言語化されたメソッドが共有できているかどうかということなのだろう。私の場合、野球に関しては言語化されたメソッドを共有できても、サッカーに関しては共有できていなかったのだ。それでも、サッカーをものすごく見ている人と選手は、言語化が出来ているらしい。リスナー、アナウンサー共にあるレベルに達したら、サッカーも立派にラジオ実況で脳内映像化ができると言うことか。しかし、私にはサッカーの言語化は、野球ほど簡単にはいかないように思えるのだが‥‥。
糸井氏は続ける。

糸井:‥‥もう野球が後で追い抜かれる要素ばっかりだってことに気がついて。野球後進国が先進国をやっつけられる理由って言うのは、結局、方法論化できちゃってる、ってことですよね。で、サッカーはそれを肉体が覚えておかないと出来ないから…
:その場その場の判断ですものね。
糸井:で、(サッカー選手は)獣になるらしいんですよね。どうも。今僕らは、人間としてどこまで細かい情報を処理できる人間になるかっていう話をしているんですが、でも、それはウエイトトレで必要な筋肉を鍛えることだとか、いっぱい練習を積んで「これが出来るようにしておく」という、「高めていく」ということですよね。でもそこに獣がいたら、ミスして、噛み付かれて傷ついてもゴールする、っていうことをやるのが獣の動きだと思うんですよね。獣はミスしてもロスしてもやるべきことに飛び込んでいかなきゃならないんですよね。ってことは、死んじゃうかもしれない、でもゴールする、っていう人が現場で強いらしいんですよ。

かくも左様に、野球とはロジカル(論理的)なスポーツで、サッカーに至ってはフィジカル(肉体的)なスポーツなのか。野球にだって野性味あふれる選手やプレーは存在するし、サッカーにだって理論に裏打ちされた戦術こそが、強いチームの証だ。極論過ぎないか。しかし、野球が論理的で方法論化し易いこと、そして、言語化されたメソッドが、かなり蓄積されていることは事実だ。ラジオの実況中継を通して経験してきた。これほど、ラジオと相性の良いスポーツは他にあるまい。想像してみて欲しい、卓球の実況中継を。そこでは言語は無力なのだ。

そう考えると、ラジオ野球がとても愛おしく思えてくる。スピーカーの向こうには、生観戦やテレビでは味わえない、「フィールド・オブ・ドリームス」だ。
そして、視覚を経由しない野球には、自由なエフェクト調整や演出が可能なのだ。
芝生の緑以外は、すべてモノクロかセピア色にするもよし。
大阪タイガース時代のユニフォームに着替えさせるもよし。
金本のホームランをハイタッチでむかえる列に、掛布とバースも加えても素敵だし、イニングチェンジの投球練習に、江夏と田淵の黄金バッテリーを登場させるのもお気に入りだ。


    ラヂヲ野球の時間


来シーズンの出番に備えて、今年はすこし念入りにラジオの手入れをしておこう。

セレッソ優勝逃す!

2005-12-03 17:08:57 | スポーツ

あと三分。


あと三分で、森島、西澤のふたつの笑顔が。

そして、がっちりと抱き合う場面がおとずれるはずだったのに‥‥。

目の前まで手繰り寄せた優勝は、両手をすり抜けていった。

そして大阪の地に舞い降りた。

寒空に、とどかぬ夢をぼんやりと映し出して。