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”いぶし銀”のベストナイン

2005-11-28 01:30:21 | スポーツ
コチラの企画、【トラックバック企画】あなたにとってのベストナインに乗ってみた。
しかし、いざ名前を挙げてみたら、いろんな方の虎ベストナインと代わり映えしない結果に。
ならばいっそ独自の選考基準で選んでみた。

名づけて、「わたしにとっての”いぶし銀”ベストナイン」

いぶしぎん  【燻銀】いぶしがかかった銀。そういう色。くすんで渋みがある銀色。
         また比ゆ的に、渋く味わいのあるものに言う。「―の演技」
         (岩波国語辞典より)


”いぶし銀”ベストナインの選択基準は次の三つ。

1.脇役であること
2.地味だが存在感があること
3.現役ではないこと(記憶のメモリーが多少、揮発しかけてこそくすみが増すわけだ。)

その基準で選んだマイ・ベストナイン

1番 センター  北村 照文(80~87)
           守備、肩とガッツは赤星をも凌駕。足も速かった。
           現在はスカウトとして活躍。

2番 セカンド  榊原 良行(75~81)
           守備とバントと渋い打撃でファンを唸らせてくれた。
           フジモンに足りないものはすべてここにあり、って感じだ。
           甘いマスクで女性ファンも多かった。
3番 ファースト 遠井 吾郎(58~77)
           「仏の吾郎ちゃん」は、ファンにも同僚にも愛されていた。
           タイガース在籍20年というのは最長記録。
           今年、逝去されたのは記憶に新しい。
4番 レフト   竹之内雅史(79~82)
           清原に抜かれるまでの「死球王」。トレードで真弓、若菜とともにパ
           リーグからきたとき、つくづくパの人材の奥深さを思い知らされた。
           その上、バッティングフォームのユニークさにも、ぶったまげた。
5番 サード   佐野 仙好(74~89)
           掛布とドラフト同期入団。その年のドラフト1位。掛布は6位だった。
           掛布の出現さえなければ、正サードは彼に託されていたはず。
           77年川崎球場でライト大飛球を捕球時にフェンスに激突して頭蓋骨
           骨折。誰もが再起不能と思われたのに2ヶ月でカムバック。その第一
           打席でホームランを打ったことは語り草になった。現スカウト。
6番 ショート  藤田  平(66~84)
           性格が災いして、地味な選手の印象がつよいが、打者としての技量は
           超スター級。バットに乗せるようにして、右に左に打球をヒットゾー
           ンに運んだ。監督としてのキャリアが汚点か。
7番 ライト   池辺  巌(75~78)
           在籍期間は短かったけれど、忘れられないエピソードがある。
           デーゲームでのこと。タイガースは三人目の捕手に代わっていたのだ
           が、その捕手がプレー中に怪我してしまい、受ける捕手がいなくなっ
           た時、仕方なくセンターを守っていた池辺が呼ばれ、急造捕手として
           マスクをかぶったこと。小学か中学のとき、遊びでキャッチャーをや
           ったことがあったから、みたいな話はあとから聞いた。
8番 キャッチャー辻  佳紀(63~69)
           ひげ辻とし、田淵の控えにまわったが、たまに出る試合では、
           しぶいキャッチャーぶりだった。打つほうはからっきしだったが。
           当時、キャッチャー辻は二人いて、紛らわしかったが、ひげ辻、ダン
           プ辻と呼び分けていた。
9番 ピッチャー 谷村 智啓(71~79)
           つかみどころのない投手、というのは彼のことを言うのだろう。
           ”ノラクラ投法”で、ローテーションピッチャーとして、活躍してく
           れた。「頼りになるヤツ」という安心感はなかったけれど。
  中継ぎ投手 池内  豊(76~84)
           江夏との世紀のトレードで、江本と一緒に南海からやってきた。
           カミソリシュートを武器に、中継ぎ、抑えで活躍した。
           ある意味、私的には江本よりも印象深い投手。
  抑え投手  田村  勤(91~00)
           全盛期の田村の切れは好調時のウィリアムスをしのぐほど。
           相手打者が左打者だと、まず打たれる気がしなかった。
           故障続きで活躍した期間は短かったが、印象深い投手の一人。

あらためてこうして眺めると渋いなー。w
しかし、だれもこれをベストナインとは言わないだろうなー。ww
そのうえ、三十路以上のファンでないと通じないだろうなー。www


安全装置

2005-11-23 21:13:39 | スポーツ
ちょっと前になりますが、toraoさんの「ブレーカーを外して」を読んで、文中の「安全装置」という単語にインスパアしてから、この言葉が私の脳裏に焼きついてしまった。

タイガースと「安全装置」について、もう一度考えてみた。

タイガース・フォロワー三十数年。喜びの回数と悔しさの回数を数えたら、悔しさの回数のほうが、2~3倍は上回っていることだろう。昔、よく考えたことは、もし双子の兄弟が幼少期にプロ野球ファンとして、片方は強いチーム、もう片方は弱いチームのファンになったとしたら、その子の人格形成にいかように影響を与えるのだろうかと。そして私は、少なからず影響はあるはずだと確信している。勝つことが日常で、たまに壁にぶつかるけれど、最後はしっかり勝利を手にするチームを愛して育つ人生と、いつも負けてばかりで、所々に頑張ったりするけれど、最後は結局、負けてしまうチームを応援する人生とでは。
同じ応援するなら、強いチームを応援したほうが、ずっと健やかで真っ直ぐな人生が送れるだろうなあ、なんて思いながら、それでも弱いタイガースを一途に応援し続けられたことは、いまではすこしだけ自慢に思う。

それでもファンになりたての70年ごろのタイガースは、”万年二位”なんて囁かれるくらいだから、そこそこ強かった。その当時のセリーグは、上位チームと下位チームが、しっかり色分けされていた。もちろんタイガースは上位チームだった。しかしそれも78年、二リーグ分裂後、初の最下位に転じてから、風向きが大きく変わってきた。それ以降、星野タイガースが優勝するまでの25年間で、二位以上を記録したのはたったの二回。85年の優勝と、もう一度は92年の二位。三位まで入れてみても、たったの5回。残る20回は4位以下という体たらくぶり。ついたあだ名は「ダメ虎」。返す言葉もなかった。85年の優勝と92年の二位の成績も、言ってみれば晴天の霹靂。突然やってきた竜巻みたいなものだから、過ぎ去ってみたら、何もなかったように、いつもの「ダメ虎」がそこにいただけ。

この不遇の25年の間でも、とりわけ95年からの7年間は、1度の五位を除いて、すべて最下位。いわゆる「タイガース暗黒時代」である。三顧の礼で迎えられた知将・野村監督をしても、在任期間三年はすべて最下位に終わった。しかし、そんな時代にも、ジュラ紀に暗闇の地中で生き延びた原始哺乳類や、酸素欠乏した海で生き延びた肺魚のように、わずかな光、わずかな酸素にすがって、子々孫々の息吹をつないできた彼等のごとく、タイガースファンも細々と生き続けていたのだ。希望の光を信じて、小さな喜びを生きがいにして。
そして、この時、多くのタイガースファンの身に備わってしまったのだ。


「安全装置」、誕生


この「安全装置」、非常に良くできていた。

僅差で試合に負けた時は、「惜しい、明日につながる負け方だ。」と自分に言い聞かせるように作動する。

大差で試合に負けた時は、「気持ちをスパッと切り替えられる負け方だ。」と自分に言い聞かせるように作動する。

同一カードで三タテ食らった時は、「むしろ1勝2敗よりも清々しい。」と自分に言い聞かせるように作動する。

連敗が続いてきた時は、「そろそろ勝つ頃。連敗のあとって結構、連勝するもんだよね。」と自分に言い聞かせるように作動する。

オールスター前にして、すでに優勝争いから脱落した時は、「お盆前から仕事に身が入って助かった。」と自分に言い聞かせるように作動する。

最下位が確定した時は、「J2に落ちる心配がなくて幸せ幸せ。」と自分に言い聞かせるように作動する。

そして彼等は、少し早いオフシーズンに、どっぷりと身を委ねるのだ。
シャカリキになって、優勝争いしているチームを尻目に、こう呟く。


「必死やなあ、こいつら!」


そして、2003年

星野タイガースが、われわれに教えてくれたことがある。
惜敗したら、素直に悔しがればいい。
惨敗したら、大声で泣き叫べばいい。
弱気の虫をみせる選手がいたら、叱り飛ばしてやればいい。
チームがファイティングポーズをとらなかったら、おもいっきり罵声を浴びせてやればいい。

そしてぼくらは気がついた。

「安全装置」に逃げてはいけないんだ。


「安全装置」にさようなら

2005年の阪神タイガースを振り返る

2005-11-13 16:25:11 | スポーツ
【虎ックバック企画】2005年の阪神タイガースを振り返る
がんばって私も書いてみました。

1.今年活躍したと思うタイガースの投手(3名まで)とその理由
藤川、下柳、橋本。
もちろんそれ以外の投手も頑張ってくれましたが、こちらが予想していた範囲を上回る活躍ということでみた上位三人です。「想定外」の活躍でした。

2.今年活躍したと思うタイガースの野手(3名まで)とその理由
シーツ、金本、今岡。
はからずもクリーンナップに落ち着いてしまったのですが、投手に比べて「想定外」の度合いは薄かったかな。

3.今年イマイチだったタイガースの選手(3名まで)とその理由
福原、鳥谷、関本。
あくまでこちらの期待値に対しての相対評価です。期待値が高すぎたか?
来年に期待したい。

4.来年が楽しみなタイガースの選手(3名まで)とその理由
赤松、林、岩田。
未知の可能性という点で、期待値は無限大です。
特に、岩田鉄五郎じゃない、岩田稔投手は20勝3敗で新人賞と沢村賞を両獲りするんじゃないかという気がしている。^^

5.今年最も印象に残ったタイガースの試合とその理由
優勝を決めた試合は特別なので、それ以外で三試合。
6月22日 中日戦 大阪ドームで鳥谷のサヨナラホームランを現場で目撃できた。
9月 7日 中日戦 いわずもがなの「The Game」。torao様。山際淳司さんに代わって、このネタで一冊出版してください。
10月5日 ベイ戦 下さんとチームの思いが熱かった。

6.タイガース流行語大賞候補(3つまで)とその理由
勝てたらいいな 下さんのおちゃめな一言は印象深かったなあ。
みんなの優勝、みんなで優勝 連帯感をくすぐられた表現だった。

7.今のタイガースに一番足りないと思うものとその理由
電鉄株!(笑)

8.虎キチブロガーの中で印象に残ってるエントリー(タイガース関連記事のみ)とその理由(エントリーまで浮かばない場合はブロガー・ブログタイトル名だけでもかまいません)
「9.7 The Game」 (自称阪神タイガース評論家) 今年一番の金字塔。同じエントリーを10回以上読んだのは初めてだ。
「栄光の架橋」 (旅は人生の道標) 期間限定で終わったけれど、記憶の中では永久保存版です。
「止まらない涙の中で」 (鷹の戯言~勝ちどきあげろ!) 日本シリーズでタイガースが惨敗して、悶々としていたときに、もう一度ここを訪れて読み返しては、涙して、そして癒されたのでした。今読み返しても涙が出るんですよ。(あ、虎キチブロガーじゃなかったか。)

9.タイガース以外で、今年表彰したいチーム・選手(それぞれ1チーム・1人)とその理由
もうマリーンズ以外ないでしょう。ヘイ、ボビー。ライネンオボエテロヨ!

10.来年に向けて、タイガースに一言
”連覇してマリーンズにリベンジだ!”と、口では言っても、そうはやすやすとはいかないくらいは心得ております。とにかく、すこしでも長い期間、試合が楽しめますように。

”ブログ”の時代

2005-11-13 13:34:07 | 雑感
いまさら”ブログの時代”とは、誰も言わなくなったくらいだから、すでに市民権を得た、ネットの必需品と化したのだろう。大手検索サイトがブログ検索を始めだしたことからも、そう断言できる。

ロングテイル

ある人はブログを称してこう呼ぶんだとか。
”インターネットのウェブから伸びる「情報の尻尾」。リンクにリンクがくっついて数珠つなぎになり、限りなく長い尻尾がウェブの隙間を走っていく光景”から、そう連想するらしい。

ブログがウェブや、いわゆる日記サイトと決定的に違うのが、この「情報の尻尾」にある。トラックバックが「情報の尻尾による数珠つながり」であり、RSSやAtomなどの通知機能が「情報の尻尾の公示」といえようか。ブログの本質が「情報の尻尾」にあり、そこに可能性が秘められているのだ。

しかし可能性あるところ、かならず私利私欲が見え隠れする。企業もネット商人たちも見過ごすはずがない。ブログはもはや個人の手の届かない次元に踏み込みつつあるのだ。WWW爆発から5~6年経過した。BLOG爆発も一段落したいま、メールやウェブがたどった受難を、ブログが迎えつつあるのだという。

”自由に遊ぶなら、界を限ったブログでいまのうちにたのしむことだ。”
松岡正剛 千夜千冊「ブログ」(ダン・ギルモア著)

そうしよう。急がなければ。