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課題図書二冊

2008-11-24 14:34:58 | 書評
081116一気読み01

「頑固力~ブレないリーダー哲学~」岡田彰布著(角川SSC新書)
「覚悟のすすめ」金本知憲著(角川oneテーマ21)

オフシーズンの課題図書(?)二冊を一気読みした。
二冊続けて読むと意外なほど岡田と金本の共通点が浮き彫りになる。
結論から先に書くと、監督と現役選手の違いはあれど、また、野球選手としての生い立ち、成り立ちや境遇が全く異なれど、突き抜ける先には同じ結論に至るんだなあということが良く分かる。
「マイナス思考」なのである。図らずとも二人の結論はここに収斂する。プロフェッショナルを突き詰めれば、この結論に至るということを本書は伝えている。
その点が意外であり面白い。

「マイナス思考」という「プラス思考」

「ポジティブシンキングのすすめ」がスポーツ界で声高に云われている昨今、二人とも自分は「マイナス思考」であることを吐露する。まず、自分にとって最悪のシナリオを想像し、それが現実化した時の心構えを想念しておく。つまり「不安」を現実視するしんどい作業をスルーしたりしないということ。今どき「ポジティブシンキング」を口にするスポーツ選手は多いが、この「不安」をスルーすることこそが「ポジティブシンキング」だとはき違えているのではなかろうか。良い結果のみを想起し続けて悪い結果の一切を思考からスルーすることが「ポジティブシンキング」だと理解されている。それは試合に臨む場面においての話であって、日常から「不安」をスルーすることではない。むしろ「不安」を想起し続けることこそがプロフェッショナルである。岡田も金本も共通するのは、この「不安」や「悪い結果」の想起をスルーしない。いや、むしろ積極的に「シンキング」する。あえていえば「ネガティブシンキング」だ。不安感を積極的に受止めて備えようとする。そうして「行動指針」さえ出来てあれば、「不安」が的中し困難なシチュエーションに遭遇しても自分を見失う心配がなくなるし冷静な対応が可能となる。覚悟による心構えの完成形だ。その覚悟を以ってすれば、いかなる現実も恐くないし常に前向きの姿勢でいられる。「マイナス思考」を「プラス思考」に転化するとはこのことである。これこそ究極の「ポジティブシンキング」だといえる。二人とも、頑固なまでにブレずに、このロジックに突き動かされて行動していることを本書は述べている。「頑固なる覚悟のすすめ」(共著)としてもよいくらいだ。

もちろん本書はそれだけではない。二人のそれぞれの思い出話こそがファンにとって、一番、興味深いところである。カープ時代の金本の心象風景やタイガースに入るときの経緯、そして、タイガースでの葛藤のひとつひとつが本人の言葉で綴られていることは貴重だ。つくづく阪神タイガースには構造的に「金本知憲」を生み出す回路が欠落していることを知る。そしてショックを受ける。そのことを阪神球団は自覚して自省すべきだ。さもなくば永久に「金本知憲」のような完成品を輸入し続けるしか得る術が見付からない。

ブレイザー、中西、吉田、村山、中村、安藤、そして仰木、野村、星野……。
岡田の回想では過去に関わってきた数々の監督、選手を語るくだりも興味深い。監督業において一番影響を受けたのが仰木監督であることは周知の事実だが、その他の監督について多くを語ることが少なかっただけに、とても貴重だ。星野監督の手腕についても的確に評価していた点も記憶に留める。ただ、星野氏のSDとしての役割やチームへの関わりぶりをもっと聞いてみたかったし、野村はじめ歴代タイガース監督について、もっと率直(辛口)な批評も期待したのだが、OBへのリスペクトの成せる業なのか、はたまた内匠氏の構成力によるものなのか、そのあたりはかなりマイルドに調味されている風で、すこし残念ではあるが。

両著共にタイガース優勝に便乗して企画された風ではあるが、優勝できなかったからこそ「優勝グッズ」として使い捨ての憂き目にあわずに済むのではないか。優勝企画として迎えられることで、両著の持つ輝きが損なわれることになるとしたら残念だ。結果的に優勝を逃したことは、両著にとってむしろプラスに作用したのではないか。いずれにしてもタイガースファン必見の書には間違いない。中でも「覚悟のすすめ」については一級の自己啓発書として、タイガースファンのみならず、広くお薦めしたい一冊だ。



「できそこないの男たち」福岡伸一著(光文社新書)

おまけでもう一冊。
タイトルだけで本書を想像してはいけない。何もこれは男女論の社会的、観念的考察を説いたものではない。ジャンルで言えば「講談社ブルーバックスシリーズ」に加えても不思議ではない優良な分子生物学に関する科学啓蒙書だ。著者の福岡伸一さんは去年「生物と無生物のあいだ」(講談社現代新書)で話題になった科学者で大学教授なのだが、本書も「生物と無生物のあいだ」の路線を踏襲(ふしゅうではないw)した好読み物だ。それにしてもこの人は科学者には珍しいくらい豊饒で情緒感たっぷりの文学的文章力を持ち合わせている。ゆえにブルーバックスではなく一般書の新書から出版されても違和感がない。その真骨頂が「生物と無生物のあいだ」だが、この本でもその端緒が感じ取れる。我われ「男」が「男」であることの存在理由を分子生物学的、発生学的に解き明かしてくれる本書は「男女の性」がいかにメカニックなものなのかを悲哀をこめて教えてくれる。「生物と無生物のあいだ」ともどもお薦めの一冊。



081124一気読み02
東京出張のついでに久しぶりに「でんがなまんがな」に寄ってきました。その土産とばかり読み終えた課題図書二冊をでんまん大将に贈呈してきました。きっと近日中に読後の感想をアップしてくれるでしょう。期待しましょうwww。で、その時でんまん大将から『頑固力』を買いに書店に行ったけど見付からなかったという話を聞いて思わず「え?」。大阪じゃあ、こんな風に派手にディスプレイされているというのに、さすがに東西での岡田の注目度の温度差を実感しました。さすがに「覚悟のすすめ」が見付からないということはないでしょうが

イニシエーション

2008-03-17 02:08:06 | 書評
子供から大人への道程の境界線はどこ?

何度振り返っても答えは出てこない。そこには大人びたい私と、子供じみた私が、交互に順不同で顔をのぞかせる自分を発見する。大人への憧憬と子供のままでいたい童心は、いついつまでも境界線上を彷徨っているのだ。

でも、たとえばそれが日付変更線のように、社会が明示的に線引きしてやることも、時に必要なことかもしれない。宗教以外で主に使われるイニシエーション(通過儀礼)とは、社会が個人に希求する、大人への覚醒支援システムの一種である。若者からは完全になめられた儀式と化した「成人式」には、そんな思いが込められているのだろう。ならば、それはそれで存在意義を認めてやらずにいられない。もし、お国がお国なら、割礼だのバンジージャンプを強いられるとこだったんだぞとばかり、私は密かに胸を撫で下ろす。

初めて「運転免許証」を手にした時の昂りを、今でも私は覚えている。それはまるで大人へのパスポートを手に入れた気分だった。これも立派な大人へのイニシエーションと呼べなくもない。それにしても運転免許証というのは、何と面倒くさいものだろう。それを得るには学科を学び、実技を学び、いくつかの試験に合格し、やっと仮免許を得たら今度は路上でトレーニングし、ついに合格したと思ったら、最後にもう一度、お国の試験という艱難辛苦が待ち受けている。ま、身体的苦痛を伴ってこそ、イニシエーションたりえるといえる訳だが。しかし、よくよく考えてみれば、運転免許証ほど取得メソッドがしっかり確立されているものもめずらしい。このメソッドを受け入れさえすれば、時間の多い少ないはあるとはいえ、大半の人は無事、目的を成就できる仕組みになっているわけだし。

思うに「恋愛」も、一種のイニシエーションたりえると理解する。
ただ、こいつは「運転免許証」以上に厄介だ。なにしろ学科の教科書なんてないも同然だし、実地トレーニングでも、小うるさいこと甚だしいけれどしっかり意見してくれる鬼教官もいない。いや、教官モドキの奴はいなくもない。しかし困ったことに、こやつらときたら聞く奴、聞く奴で、言うことがてんでばらばらときている。最後は「俺はこれで成就した!」と、自己喧伝で授業は終了。我々は、つまるところ自習に頼るしかないないということだ。最後は自らが勝手に「仮免許」を発行して、エゴイスティックに路上教習に臨むしかない。でも、そこでは、かすってこすってぶつかって、事故って傷つけて傷ついて、そして二度と路上に出られなくなる奴もいる。こんな私は、かつて中学三年生の時、クラスメートとの実地教習(恋愛)に挑み、いよいよ路上を目前にした仮免許試験に脱輪(失恋)し、そのショックが尾を引いて、次に仮免許をぶら下げて路上教習に足を踏み出すまでに十年の歳月を費やしてしまった。「恋愛」のイニシエーションはちょっとやそっとじゃ立ち行かないのだ。(いや、こいつはかなり個人差あるんだろうけど……。)

イニシエーションラブ 『イニシエーション・ラブ』(乾くるみ著 文春文庫)

舞台は世の中全体がバブルムード一色の八十年代後半の静岡。男女の交際に及び腰で、やや逃避気味の大学四回生の「鈴木君」が、数合わせのピンチヒッターで呼ばれた合コンで“マユ”と運命的に遭遇し、古風な恋愛観の逡巡と、めくるめく熱情との間の葛藤に悩みながら、学生から社会人への「イニシエーション」に目覚めていく姿を瑞々しいタッチで描いた快癒快活青春恋愛小説……





だと思ったら大間違い!



この表紙とタイトル(おまけに著者の名前の響き)に騙されてはいけない。これは青春小説の羊頭をした傑作ミステリーである。作者は巧妙な仕掛けにより、ミステリーであることを最後の最後まで悟らせない。読者はミステリーの“ミ”の字も嗅ぎ取ることができず、最終ページのラスト2行で冷水をあびせられることになる。あまりの唐突さに、しばらくの間、思考パニックに陥ってしまう。やがて、じわっと作者の仕掛けに気付かされて、あわてて冒頭に遡って二度読みするはめになる。
そして、最後に「やられた!」と口走ってしまう。

これ以上は言うまい。

評価 ☆☆☆☆☆(☆五つが最高)
騙されたと思って一読されたし。


当時(80年代後半)の時代の空気や流行が至るところに散りばめられていて、同時代にシンクロする世代には、別の楽しみも味わえること請け合い。読んでいて当時と今で、何に一番違和感を感じたかというと、それは電話である。当時、まだ携帯電話は一般化しておらず、固定電話・公衆電話がコミニュケーションの主役だった。ケータイ全盛の今でこそ、当時の不便さを笑うかもしれないが、当時はそれが当たり前。そんなに不便とは思わなかった。不便さのそれはそれで趣があった。むしろ「ケータイ開闢」以降、男女の出会い、恋愛、別れの巻きが、エラく早まってしまってはいないか?などと小説を読んで思った次第。


『1985年の奇跡』

2006-07-09 00:27:28 | 書評
1985

 この数字に反応する人は、かなりの確率でタイガースファンだと思う。もちろん、私もそのひとり。日常、この数字を見かけると、どんなに急いでいる時でも、手足は瞬間的に止まり、呼吸、脈拍はやや上昇し、数字に視線はロックオンしてしまう。おそらく死ぬまで、この条件反射は続くであろう。一般に医学的死亡判定とは、「呼吸停止」「心拍停止」「瞳孔反応消失」といわれるが、私の場合、この「1985反応」も加えてもらってもいい。これひとつで、死亡判定してもらってもいいくらいだ。

 ところで、私の「1985反応」に相当する、関西人限定の死亡判定法で、「指鉄砲反応」というのがあることは、すでにご承知であろう。指で鉄砲を模して「バキューン」と言うと、指を向けられた相手は必ず、「うっ、やられたー!」とリアクションする例のやつのことだ。これ以外にも「♪ぐっとかみしてごらん」と歌うと、「♪ママの 暖かい心が・・・」と返す「パルナス反応」や、「お勘定、さんびゃくまん円!」と答えて、ずっこけジェスチャーの有無を確かめる「ずってーん、ちゃんちゃん反応」なども有名だ。この他にもまだまだ・・・。



 『1985年の奇跡』(五十嵐貴久著 双葉文庫)
 そんな私だから、本屋でこの表紙を目にするや、吸い寄せられるよう手にとって、気がつけばレジに並んでいた。並んでいる間にパラっとめくって、「ちょっと早まった!」と思ったときには、時すでに遅し。まあ、肩のこらない雰囲気だから許そう。読んでみたら案の定、二言、三言、タイガースが出てくるだけでした。orz

 が、しかし、これが案外面白い!


 時代は1985年。開校8年の都立の新設校。一流の進学校とはいえないが、一流進学校を目指して見習中といった高校が舞台。そして、この学校の“ヘボ”野球部の部員たちが主人公である。プチ進学校とはいえ、主人公の彼らは、いわゆる落ちこぼれ。成績順にAからFまで振り分けられるクラス編成では、「バカクラス」と呼ばれるF組の面々ばかり。そんな彼らだから、勉学にいそしむ訳もなく、さりとて野球に精を出すでもない。そもそもこの野球部、創部以来八年間、公式戦、練習試合を問わず勝ったことがないという。野球部というより野球同好会といった趣き。彼らの最大の関心事は、夕方のテレビの「夕焼けニャンニャン」という具合。「夕ニャン」の放送が始まる時間に合わせて、さっさと練習を切り上げてしまう“へたれ”ぶり。どこまでも“ぬるい”のだ。


 "好きなことはないが嫌いなことはある"
 "だいたいのことはどうでもいい"
 これが僕たちの座右の銘だ。


 そんなことを公言する彼らの前に、謎の転校生が現れた時から、野球部の“ひと夏の奇跡”が始まるのであった。


 そうだ、僕たちはずっと言い訳ばかりしてきた。体が言い訳で出来ているといってもいいくらいだ。
 困難に出会うたびに、僕たちは逃げることを繰り返してきた。勉強でも、学校でも、家でも、野球でも、恋愛でも。
 それが間違っているとは思っていない。すべてに真剣に向き合うには、1985年の高校生は忙しすぎるのだ。ただ、全部言い訳で逃げるというのもいかがなもんか。


 謎の転校生により、ひと時の輝きと挫折を味わった彼らは、すこしだけ「本気」という気持ちが芽生えたのであった。



 自他共に認める「落ちこぼれ集団」が、ある事件をきっかけに「無気力」から「本気」にギアチェンジして、一瞬の輝きを取り戻すストーリーは、同じ野球を題材にした「がんばれ!ベアーズ」(76年。米)を彷彿させる。が、しかし彼らの「本気」には、どこかシニカルな“ぬるさ”を併せ持つところは、むしろ「ウォーターボーイズ」(03年。日)に近い印象だ。小説全篇で交わされる彼らの会話は、チャット風でとてもポップ。気になる人には、すこし鼻につくかもしれないが。(ビジュアル化を意識している?)

 日常的だった無感動の「負け」から、屈辱的で非日常な「負け」に変化してきたことに気づき始めた彼ら。そして、最初で最後の熱い夏が始まり、ラストのクライマックスに流れていくあたりは、とても痛快で、映画的な広がりを感じさせる。「夕ニャン」のフジテレビ(「ウォーターボーイズ」もだ)に、ドラマ化もしくは映画化を期待しよう。私好みのナイスなB級青春映画ができそうだ。(でも、企画会議で誰かが口にする「今どき、高校野球ですか?」のひとことで、没になるような予感。)

 著者の五十嵐貴久氏、この本ではじめて知った。デビュー作が第2回ホラーサスペンス大賞受賞作の「リカ」だとか。もすこしかじってみよう。


評価 ☆☆☆☆(☆五つが最高)
ラストの痛快さに☆ひとつプラス。