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ただいま冷温停止中! d( ̄ ̄;)

引退試合

2006-10-15 23:22:34 | スポーツ
 10月12日、片岡選手の引退試合を観戦した。


 ホームゲームの最終戦が、寸前まで優勝争いしていたドラゴンズとの一戦だっただけに、球場に詰めかけたファンの落胆が手に取るように伝わった。もちろん、私もその一人だった。私には、その「最後の決戦」が、ただの「最後の興行」に豹変してしまったことを、受け入れる気持ちの整理がつきかねていた。その動揺が、私を甲子園へと足を急がせた。ペナントレースが終幕した事実を、しっかりこの目で確かめること。そして、タイガースにねぎらいの気持ちを伝えること。この二つの目的を果たしたかった。同じ思いでいるファンが沢山いたことを、この日の満員の甲子園が物語っているようだった。

「片岡引退試合」

 だから本当のことを言うと、それは後付けの動機だった。片岡選手にサヨナラを言うよりも先に、こちらの気持ちを落ち着けることが先決だった。両チームのスターティングオーダーを見て、両チームの戦いぶりを見て、両監督の采配ぶりを見て、少しずつ落ち着きだした。だから、試合が終了した時分には、自然な感じで「片岡引退セレモニー」に入り込むことが出来た。その頃にはすっかり、片岡選手のために甲子園を訪れた気分になっていた。

ゲームセット

 全選手がグラウンドに整列し、観客への挨拶を済ませた後、ダイヤモンドに片岡選手だけを残したまま、スコアボードでは片岡選手のヒストリーを映していた。誰もがそのスコアボードに釘付けになっていた。私もその映像を眺めながら、片岡選手の5年間を考えていた。

片岡のいた5年間

 三顧の礼でタイガースに迎えられた野村監督は、不振を極める「満身創痍タイガース」を、暗黒の闇から救って「安心タイガース」にしてくれるはずだった。それは、半世紀にわたる「阪神タイガース」を歴史を塗り替えてくれるはずだった。しかし、結果は三年連続最下位に終わった。名将・野村克也の手腕をもってしても、暗く出口のない迷路を彷徨うしかなかった。ファンはただ冷笑するしかなかった。

 2001年暮れ。野村監督から星野監督にバトンが受け渡された年、偶然にも「日本ハムファイターズ・片岡篤史」のFA権取得の年でもあった。新監督への過剰な期待はするまいと誓ったファンの心にも、「日本ハム・片岡篤史」のタイガース入りは眩しく映っていた。あの時、スポーツ紙の一面に載った、土下座してタイガース入りを懇願したファンの姿は、多くのファンの気持ちを代弁していた。私には、あそこに映っていた土下座するファンが、タイガースファンの総体であるかに見えた。星野仙一新監督よりも、むしろ片岡篤史選手こそが、タイガースの救世主に思えたものだった。



『何度も泣きながら…泣きながら…球場を後にしたこともありました』

 その言葉に5年間の彼の苦闘が滲んでいた。ファンの期待が大きいほどに、不満や叱責のベクトルが彼に容赦なく襲いかかる。十二球団一熱いといわれるタイガースファンを、時に味方に時に敵にプレーすることは、想像以上にしんどかったんだと思う。今岡の穴を埋め切れない歯がゆさに、ファンの不満指数がピークに達していた今シーズンは、「Bye Bye My Love」のイントロにどよめきと悲鳴がこだまする異様な光景に目をそらしたこともあった。それでも起用し続け、ベンチに残し続けた岡田監督にまで罵声が突き刺さった。5年間で一番つらい経験だったろう。



『一時期は本当に怖かった阪神ファンが、最後は温かく見守ってくれた』

 そう語ったということを知って、私はすこし救われた気持ちになった。今、振り返ってみると、この5年間でタイガースは見違えるようなチームに変貌を遂げてくれた。それは片岡選手のいた5年間と見事にシンクロしている。言い換えると、片岡選手のいた5年間で、タイガースは見違えるチームに変わった。だからこそ、誇れる5年間ではないだろうか。

 それにしても、こんなに何もかもが予定調和した「引退試合」、私は見たことが無い。ひっそりとプロ野球を去っていく選手にすれば、こんなにうらやましい「引退試合」は無かったことだろう。グラウンドを一周しているとき流れていた「Bye Bye My Love」。今シーズン、タイガースファンにはトラウマになりそうだったこの曲が、この日は、なんと心地よく響いたことか。(この曲が入ったサザンオールスターズの「KAMAKURA」、サザンの中では一番好きなアルバムでした。でも、今シーズンはどうしても聴くことができなかった。やっと、その呪縛から開放されそうです。)





 現地では分からなかったが、録画を見直して、片岡選手がグラウンドを一周するのをじっと見つめるこの男の姿に、思わず釘付けになってしまった。片岡選手に一年遅れてタイガースにやってきたこの男にとって、この時間、空間はどのように映り、どのような思いが去来したのか。想像し難く、考えたくもない遠い未来の話であってほしいのだが、いつの日か彼にもその時が訪れるだろう。絶対に私は、そのときを、今日と同じように球場で立ち会うんだと誓いを立てた。たとえ、そこが甲子園でも、甲子園でなくても。たとえ、そのユニフォームがタイガースでも、タイガースでなくても。この男が去る日は、何が何でも見届けなくては。まだまだ遠い未来のお話ですが・・・。(その日そのときまで、タイガースのユニフォームを着て、甲子園の広島カープ戦を舞台とすることを夢想しています。)

その日その時、私は正気でいられるだろうか?



調べてみると1975年までは引退試合について、野球協約で正規に以下のとおり定められていたというから驚きだ。

『顕著な功績をもつすべての10年選手は所属クラブとの合意に基づき、かつ最終的に現役を引退するにさいし、希望する地域において毎年11月15日以後エキジビションゲームとして引退試合を主催し、その収益金を取得することができる。』

過去12人に、この規定が適用されたらしい。タイガースでは、藤村富美男、村山実が含まれている。(その他には、千葉茂、西沢道夫、大下弘、服部受弘、川崎徳次、別所毅彦、飯田徳治、金田正一、杉浦忠、川上哲治)

ただし75年以降、この規定は削除された。




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8 コメント

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誰の時も・・・ (yu)
2006-10-16 01:15:24
八木さんの時も片岡さんの時もいつも金本さんのことを考えながら見ていました。



帰ってきて録画を見たとき私も同じシーンに釘付けでした。八木さんの時は生え抜きだから、こんなりっぱな引退試合をしてもらえるのか?とか、八木さんはどん底時代を支えてくれたからなとか思いました。



でも片岡さんのこの試合で金本さんも同じように甲子園球場で盛大にみんなで送れるなって少し安堵すると同時にそんなことを考えることだけでも恐ろしい気がしました。



いつもどんな選手が引退試合をしてもらえるのかが疑問だったんです。今はなくなったとは言えこんな規約があったのですね。



なんて言うか金本さんは健気なんですよ。どんな時も身を削ってプレーされてる・・・そんな選手なのでできることはなんでもしてあげたい。



>その日その時、私は正気でいられるだろうか?



胸が詰まります。

ぁ、いつの間にかアニキのことになっちゃってた。片岡さんのことでしたね。(苦笑)すいません。

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引退試合 (gavi)
2006-10-16 01:37:03
試合当日はどうもお疲れ様でした~

立浪選手が花束を渡すとき、やっぱりじ~んと来ちゃいました。



自分が守備練習した後は必ず自分でトンボ掛けてその場所ををキレイにされてたそうです、そんなところをちゃんと野球の神様は見ていたのかもしれません。

満員の甲子園での引退セレモニーは、野球の神様からの最後のプレゼントだったのではないでしょうか?



金本さんにもいつか来てしまうセレモニーの日、きっといわほーさんは球場でオヤジギャグのひとつでも飛ばしていることと思いますよ♪大丈夫っす。
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思い出 (KEN)
2006-10-16 01:50:37
虎バンで泣いた後にここを見てしまって後悔です。 また号泣させられた。 みんなそうですけど、片岡の一番の思い出と言えば、2003年9月15日、球場を支配していた「今日もあかんのか?」という負けムードのベクトルを叩き壊したソロホームランを忘れる事が出来ません。 



僕も12日はいわほーさんと同じような思いでした。



僕にはもう一つ片岡との思い出があります。 言ってなかったんですが、あまり現地応援に行かない僕が実は2年越しで「観戦5試合連続サヨナラ勝ち」という、たぶんギネスな記録を持っています。 このスタートとなった試合が、2002年9月22日、不振を極めた片岡のサヨナラアーチで決まった大逆転試合でした。 その後、久慈、矢野、赤星、藤本と続く訳なんですが、これも大事な思い出です。
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ああ・・片岡 (でんまん)
2006-10-16 03:02:58
当日の私のブログが嫌味に見えた、臭い演出の引退記念試合でした。笑



私はヒ~やんの引退で、号泣すると思います。



明日店を任せて神宮に行って来ます。
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金本さんは怒っている。 (tacoco)
2006-10-16 12:03:56
同じく帰宅後、録画を見て、金本さんのこの姿が気になっていました。

この憮然とした態度の意味するものは?

恐らく金本さんは、怒っているのです。自分自身に。

「一番盛り上がる試合にしたい!」と、自ら宣言した試合が別な意味で盛り上がっていることに。

「優勝せんかったら、な~んも意味ない。」

初めてタイトルホルダーになった2004年のシーズンオフに金本さんが発した言葉です。



フルイニ記録は別格として、彼がシーズンで追い求めるのはひたすら優勝の二文字なのです。

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146試合を終えて (いわほー)
2006-10-16 23:30:38
井川の最終回の3三振はおみごと!

このへんで、「奪三振」のタイトルホルダーという勲章を胸に、メジャーに飛び立つことを許可してあげたい。



⇒yuさん

私も八木選手の引退試合、行きました。人となりがにじみ出た、いい引退試合でした。片岡の引退セレモニーも基本的には、この線で演出されたようでした。金本の引退セレモニーがあるとしたら、前例のこのセレモニー以下の演出はありえない。

いまから何の話をすんねん>私^^ゞ



⇒gaviさん

12日は乙です。いなくなると褒め称えられるのは、どこの世界も同じもの。マスコミも、この日のためにとっておいたネタを、ここぞとばかり出してきますから。でも、片岡はナイスガイだったと思います。



>セレモニーの日、きっといわほーさんは球場でオヤジギャグのひとつでも・・・



うわっ、なんか褒められている錯覚におちいりそう。違いような気もせんでもないけど(笑)。



⇒KENさん

ほう、「観戦5試合連続サヨナラ勝ち」ちゅうのは凄い。そういえば、鳥谷三日連続お立ち台、という偉業もありましたが、それをも凌ぐ記録ですね。ぜひ、ギネスに申請しましょう。w



⇒でんまんさん

>ヒ~やんの引退で、号泣すると・・・



アニキ>ヒーヤン>矢野>下柳・・・。私の号泣順位です。神宮、井川の完封&タイトル奪取劇でしたね。



⇒tacocoさん

12日はサンクスでした。メモリアルな歴史の目撃者になれました。



>恐らく金本さんは、怒っているのです。自分自身に・・・



この鋭い眼光のアニキ、かっこ良すぎますな。この目つきだと、あと5年は現役間違いないね。w

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いまさらですが (ルー)
2006-11-29 01:40:06
何度見てもこの試合はいいねー。
私は高校時代近所の幼馴染のT浪選手がなかよかったんでPLの時何度も甲子園に足を運んだ。
当然片岡選手の事は高校から知っている。
だから阪神に来たときめっちゃうれしかった。
あれから5年。ほんま苦労したと思うけどこんな引退試合できたのは久保田のお陰だけどやっぱり片岡の人徳やねー。
でも今シーズン終わったねーと涙して寝ます。
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⇒ルーさん (いわほー)
2006-11-30 02:27:27
え、T浪選手と幼馴染って?す、すごい。
つうことは・・・、ついにこれで「おっさん会」の主要メンバーであることが証明されましたわ(笑)。
来シーズンが待ち通し今日この頃です。
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