傷ついた人間は他人に優しくなれるって・・・・そんなわけないじゃん。
同じように傷ついた人の痛みを察することはできるかもしれないが、傷を舐めあうことは優しさにはつながらない。
本当に他人に優しくなれるのは傷ついたことなどない偽善者と傷ついてなお折れてしまわない強さを持ち続けられる者。
他人に傷つけられたことの無いものは他人の悪意を知らない。
人間がどれだけ残酷になれるかを知らないから他人の善意を信じることができる。
それ故に純粋な優しさを持つことは可能だろう。
何が起ころうとも己を失わない強さを持った者は他者の思惑に流されない。
いつでも揺るがない自信があるから他人の敵意をも許してしまえる。
私は他人の善意など信じてはいない。
どん底の地獄を体験したわけではないが、それを想像できるぐらいにはいろいろなものを見てきた。
昨日まで普通に付き合っていた人が立場を変えたとたんに牙をむくことはごくごく一般的なことで、そんなことにいちいち驚いてはいられない。
人は自分の利益のためには他者に対していくらでも残酷になれる。
譲れない矜持をもち、自分自身にプライドを持つ人間はそう多くはない。
粋がってところかまわず牙を向いてみても何も解決しない。
長いものには取りあえず巻かれてみるだけの知恵はないと、とかくこの世は生きづらい。
結果、それまで仲良くやってきた相手と決別することになったとしてもそれは仕方がないこと。
けれど、そうなればそうなたったで後味は悪い。
ならば最初から群れなければいいのだ。
つかず離れず距離を置く。
寂しい?
どうせ最期は一人きり。
誰とも一緒には逝けない。
同じように傷ついた人の痛みを察することはできるかもしれないが、傷を舐めあうことは優しさにはつながらない。
本当に他人に優しくなれるのは傷ついたことなどない偽善者と傷ついてなお折れてしまわない強さを持ち続けられる者。
他人に傷つけられたことの無いものは他人の悪意を知らない。
人間がどれだけ残酷になれるかを知らないから他人の善意を信じることができる。
それ故に純粋な優しさを持つことは可能だろう。
何が起ころうとも己を失わない強さを持った者は他者の思惑に流されない。
いつでも揺るがない自信があるから他人の敵意をも許してしまえる。
私は他人の善意など信じてはいない。
どん底の地獄を体験したわけではないが、それを想像できるぐらいにはいろいろなものを見てきた。
昨日まで普通に付き合っていた人が立場を変えたとたんに牙をむくことはごくごく一般的なことで、そんなことにいちいち驚いてはいられない。
人は自分の利益のためには他者に対していくらでも残酷になれる。
譲れない矜持をもち、自分自身にプライドを持つ人間はそう多くはない。
粋がってところかまわず牙を向いてみても何も解決しない。
長いものには取りあえず巻かれてみるだけの知恵はないと、とかくこの世は生きづらい。
結果、それまで仲良くやってきた相手と決別することになったとしてもそれは仕方がないこと。
けれど、そうなればそうなたったで後味は悪い。
ならば最初から群れなければいいのだ。
つかず離れず距離を置く。
寂しい?
どうせ最期は一人きり。
誰とも一緒には逝けない。
期待するのも されるのも 面倒いし…
適当に 美味しいとこさらって 明るく
スタコラサッサァ=333 といきやしょう♪
寂しさも 中途半端な オラが冬…でやすなぁ、ははは…
先日、忘年会で 暴走族あがりのにいさんに”bamamanさん、お友達何人いますかぁ?”と聞かれやした。
10人くらいかいなぁと 思ったけど 自分のほんまの事話せる人は 死んでも独りもおりまへんなぁ。
言えば 好み利害が対立するし…まぁ、生きている間は 肉体的苦痛の恐怖回避が 一番高い優先順位やから そこで 何を言ってもはじまらへんしねぇ。
迷いは ほとんどが人生相談みたいなもんでぇ 期が熟さねばなにも はじめられまへんしねぇ、へへ♪
何かやろうとすれば 人に動いてもらわなあきまへんなぁ。
それは 人遣いのテクニックに類するのかもしれまへんしなぁ?!
ま、孤独を 真冬の街角で コートの襟を立てて 楽しむしかありまへんやろなぁ。
そう、ちょっと気取ってケセラセラ♪
その時々に気の合う仲間とワイワイやるのは楽しいけれど、期待されるのも期待するのも面倒くさい。
特にどうでもいい人から”優しい”と言われるのがすごく嫌で・・・。
だから利害関係のある人(例えば仕事関係者とか隣人とか)とはできるだけプライベートな関係を持ちたくないんですよ。
生活上なんの接点も無い人で共通の趣味や話題を持っている人との付き合いが一番楽しいです。
意見が対立しても参考意見として結構素直に聞けたりするし、新しい視点も開けるし。
まあ、確かにこんな付き合い方をしていると100%本当の自分を曝せる人はできないですよね(笑)
それに近い人も1人いますが近くに住んでいないからこそだと思うし。
でもね、私は不思議と寂しくないんですよ。
ブログも最初は1人でぶつぶつ言ってるただのストレス解消だけだったけど、こうしてbamamanさんをはじめ何人かの方がコメントを入れてくれるおかげで孤独な感じはないし。
今のままで充分満足なんです(笑)
自分で選んで孤独であれば これ程強い物も無いし、そわ言っても人間はんは独りでは 生きられしまへんしねぇ。
最近思うのんは 社会的動物なんやなぁ、人間はぁと思うとりやす。
それと 孤独は別のもんやないやろかと考えてみる訳でやす。
でも、ソロピアノは 孤独でやすから 皆と群れたいと思いやすねぇ。
そやから アンサンブルに走りやすがぁ、相手との駆け引きがないと結局詰まらん様な気ぃしてくるやろねぇ。
まぁ、それは 仕方ネッスな♪
そうそう、多くを望めば 外れるのが 世の常でございやしょうかぁ。そこそこの ぬるま湯で我慢をし、そいでもって ちゃんと程よい距離を置くのが 賢明ちゅう感じはしやす。
しかし、なかなかそうが出来へんのが 人間のおもろい処でございやしょうかねぇ♪
ちなみにトラブルとトラベルは 語源が一緒やとか。
うん、いろいろあって 人生はお仕舞いにしたいもんす♪
人生という長旅ではトラブルそのものが楽しみであり味なのかもしれませんが、私は人間関係のトラブルには特に嫌悪感があって、できれば避けたいと思うんですよ。
実際、一番怖いのは近くにいる人間なので・・・。
そんなトラブル回避のための行動が他人には”優しい”と移るわけですが、そんな風にレッテルを貼られると、いつもそうしていることを期待されることになり、息苦しい・・・。
かといって嫌な奴をやっているとトラブルが頻発・・・・。
いろいろ疲れるで身近な人付き合いがいや・・・(苦笑)
だから私は一人でいるのが好きというよりただ単にトラブルのが嫌いなのかも知れません。
ピアノ関係では独りのピアノも孤独感は無いんですけど、群れるのも嫌じゃないです。
共通項があるとあまり余計なことは話さないですし、音楽的な対立はあっさり解釈の違いで納得できるので喧嘩にはならないし。
むしろ違っていたほうが楽しいですしね(笑)