ブランク30年と言うのは、はっきりいって技術レベルは初心者と同じだ。
そうだ、学生のころはブランク8年程度だったからたまたまピアノを触っても初見で簡単な伴奏ぐらいは弾けた。
それが去年始めたころは鍵盤が重くて全く弾けなくなっていた。
鍵盤ってこんなに重かったでしょうか?みたいな・・・。
チェルニー30から始めるつもりがバイエルも弾けない
ドレドレから弾けないってどういうこと?
さすがにちょっと挫折しかかった・・・(爆)
しかし、電ピとはいえピアノを買ってしまったし、親としてこんな簡単に挫折するところを息子に見せるわけにはいかない。
半分やけくそ?
2週間ぐらいで両手で弾くことを思い出し、バイエルが終わる3ヶ月めぐらいには脱力と鍵盤感覚は戻ってきたが相変わらず耳は馬鹿。
かろうじて調性感覚は残っていたものの和音は個別に聞き取れない。
なので、ミスタッチしたのはわかってもどの音が間違いなのか瞬時にわからず不便。
そして指の独立も柔軟性も筋力も脳の反射もありえないぐらいに緩慢。
しかも、いろいろできないにわりには知識だけは豊富だから始末に終えない。
わかっているのにできないと言うのは結構しんどいのだ。
できた時の記憶があるせいで素直に”最初からやり直せばいいのだ”と割り切ることもできない。
なので、いつまでたっても過去の栄光が忘れられずイライラする。
はっきり言って、練習中は1人ぼけ突っ込み状態なので誰かに見られたくない・・・・・。
”こんなこともできないとは、この曲、舐めてかかっとんのかぁ?”
とか。
”ち、そこはそうじゃないだろ!!”
”何度、同じ間違いをしたら気が済むんだぁ!”
とか。
”進歩ってものを知らんのかぁ~。”
”この指がバカなんだな??”
とか。
まあ、1人でぶつぶつ言ってるわけで、相当怪しい。
陶酔モードに入ったら入ったで鼻歌歌っていておかしいし・・・・。
それ、練習になってないから・・・・・・。
気分はいいけど?
練習って言えば手の訓練だけは練習らしい練習だ。
何も考えていない・・・。
指先の感覚を追って音を聴いているだけ。
きっと、座禅を組んで瞑想する時はこんな感じに違いない。
最近になってようやくできないことを受け入れられるようになってきた。
やりたいことはいっぱいあってもできないものはできない。
ならば、できることからこつこつと(笑)
人生、割り切りも大事?