今の自分にある事は、自然の流れだけである。自然の流れだけで、日々の生活をこなしている。
なんかどうでもよくなってきて、それしかないのである。
だから、たとえ殺人者の話を聞いても、自分の罪を悔いて、どこかに良心が残っていた事にほっとして、その残された加害者家族も社会と懸命にかかわろうとして、被害者の自分の母の墓参りを欠かさず、事故現場にも線香を供えたりして、妙に、胸が熱くなってしまう。
私はたまたま殺人にならなかっただけで、被害者にも加害者にもなり得たと思う。
みんな結果を受け止めるしかないのである。現れて来るものは、お互いに、仕方がないと思う。むしろ、現れて消えていくから、有り難い。
そう言いながら、過去の事をまだ、説明する気満々である。だって、仏壇から響いたから・・・でも、エレクトーン演奏「彼方の光」も「英語歌」も間に合いそうもない。今日はアンプにマイクをつないでみた。去年も使ってみたが、どこかを調整していなかったようで、なんにもならないと誤解をしていた。そうだ、ボサノヴァとサンバの違いも説明しないといけないのに、夏が終わってしまった。「サマーサンバ」や「イパネマの娘」はいつ演奏するのだろう。
黒い帽子を被っている。これには、きっと意味がある。支配者は遥か昔から、これらを利用していた。
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