きゅうり
きゅうり2本は腐ったから、捨てた。
もう2本は傷んだ部分は捨てて、マシな所を焼き飯に入れた。
残り2本は冷蔵庫に入れた。
捨てたきゅうりと焼き飯
私の話もこうかもしれない!
私の悲しい人生を述べると、子供の頃から、回りを尊重するだけだと思っていた。本当である。だから、自分を主体に、楽しんだ事はない!
スカスカの教科書や授業をなんとなくこなして、やがて、進路選択
ボケっとするのが好きだったから、小学館の世界の音楽をいつも聞いていた。その時、その音楽家達の経歴(安川加寿子etc.)を見て、私には絶対無理だが、音楽学校のような所で、自分が音楽を学んでいる光景は浮かんだ。これは可能だと思った。だから、偶然、そのような道を歩んで来れた。その自分でつかみ取った道さえ、奪われそうになるばかりだった。
それ以降も、自分の前に道が敷かれた事はない!
その道をいつも、消される人生だった。だから、しがみついていたが、もう嫌だと思ったら、母があんたがそんなに嫌がっているのに、もう、嫌な事はせんでもいいと、私の歩むべき道に、珍しく口出しをした。
それまでは、回りは凄まじい音楽能力、私だけ出来ない!回りは恋愛や見合いで、どんどん結婚していく。私は映像すら描けない!遠過ぎて、、
宗教の中でも、いじめられてばかり、馬鹿にされてばかり、、
そんな中、音楽の1mm単位の努力は物凄く、やっていたし、し続けていた。これが好きだったからだと思う。でも、それがどうも前ではなく、後ろに向かっているようだ。
そんな私を神様が見ていて、偶然、留学も出来た。でも、その道も消されて、私はルーズベルト音楽大学に見事合格しているのに、なかった事になっているようだ。
帰国後、父亡き後、家まで奪われそうになった。道はいつも目の前にない!
自分で努力をして、敷いたはずなのに、いつの間にか、なかった事にされるようだ。
その内、血まで汚いという事になりそうで、遂に、堪忍袋の緒が切れた。
周囲は私に手を貸したどころか、道を閉ざしたかったようだ。それ程、憎まれていたか、才能がないと思われたか、血だろう?お前らが良いのかしら?
それで~、良かったら、そんな自惚れは生じないはず・・
あごを上げちゃって、見苦しい!でも、これからは、私もあごを上にあげる。すると、自信が付く気がするから・・・
これが事実である。びっくりした!自分の前に道などあるはずがないと、てっきり、思っていたし、もう、どうでも良かった。息を吸っている間、生きるだけ、心臓が止まったら、自然に死ぬだけだと思っていた。でも、音楽の研究や勉強は好きだったので、日夜、やっていただけ・・
一人遊びが唯一の楽しみらしい。実は、せっかく出来た友もみんな離れていった。道、そんなもの、いつも敷いても、奪われる。敷かれている事すら、考えた事もない!威厳も何も持った事は一度もない。だから、周囲に馬鹿にされているだけだった。こんなみじめな人生だった私
それが、すべての人間に、道は敷かれていたとは!ただ、奪いたい奴はいる。
これが事実である。びっくりしているのは自分だが、実は、こうなる事を知っていた家族と、もう一人の自分もいた。
私は指令通り動いた。動かされた。なんとなくそうしていた。周囲が卑怯で汚い。卑怯で汚くなくても、威張りたい!しかも、相手は集団である。こっちは、たった一人、だから、指令通り動くしか、手はなかった。
だから、私は一人遊びが好きになったのかもしれない!
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