Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

この頃のこと

2023-05-16 23:33:57 | つぶやき

 

最近、僕は甘えんぼになっています。
母さんと一緒に家に帰ると、
お父さんの横に行って
こたつの上掛けでスリスリするのが日課です。
僕のせいで、最近、
こたつの上掛けが汚れているのが
はっきりわかるくらいです。
母さんは「痒い、痒い」言ってるから
もしかしたら、僕のせいです。

このごろ他所の女の子が僕の住処にやってきて、
すり寄ってきます。
僕に気があるようですが、「迷惑」しています。
そのたびに飼い主に戻されますが、
気がつけば、
またやってきます。
まったく野放しになっているようで、
ふだん留守の僕の住処にマーキングしていくようです。
困ったものですが、僕と違って
「真っ白」でピカピカの
いいとこのお嬢様のようです。

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あれから2年

2022-12-13 23:41:39 | つぶやき

 

 シロが肺水腫を患って「もうダメかも」と思ったのは2年前の11月末だった。危篤状態だったからそれほど長くは生きられない、とも思った。当時のことは「シロの肺水腫」に記した。

 あれからまる2年が過ぎた。かつてのようなはつらつさはないが、今も元気だ。とはいえ獣医さんには「よく頑張っているね」と、常に心配な言葉をいただく。もちろん歳も嵩んでいるからいつまでも昔のようなわけにはいかないが、ふだんの見た目は心配はいらないほど元気。本当によく頑張ったし、この後も長く頑張ってほしい。それほど我が家でのシロの存在は大きい。

 妻にとっては親の介護が終わった後にも、シロの介護が「待っていた」というほど、シロは妻にべったりだ。食事は食べさせないと口にしない。おかげでこのごろは、寝床に入らず、こたつ周りで寝入ることしばしば。そして妻とともに毎日妻の実家通い。我が家に帰って来ると、わたしの横に来てはスリスリである。相変わらずわたしのお腹に乗るのが大好きである。

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「こたつを入れたい」と思うころ

2022-10-06 23:36:00 | ひとから学ぶ

 

 9月24日に“衣替えのころ(過去の別の日記を振り返って⑱)”を記した。急に世間が衣替えした姿を記したものだが、その際に気温の変化に触れた。我が家の近くの観測所の気温の変化から最低気温18゜あたりが「半そででは涼しい」から「上着を着たい」と思う境界域と捉えた。もちろん我が家の近くでの気温から推定したもので、地域によって気温差があるから一概に言えないことは当たり前だが、9月21日に電車に乗った際に感じた衣替えの光景は、前日あたりからの気温の低下によるものであることは確かだった。その前日の最低気温は、我が家の辺りで15゜を下回った。単純に18゜というものでもないのだろうが、前後の日々と関わりながら衣替えは訪れる。

 さて、その後気温は最低気温15゜以上になり、最高気温も25゜以上に戻ったが、10月に入ると最低気温はさらに下がった。そこで現れてくる現象がわたしの日記へのアクセスに「こたつ」が登場することだ。1日前後の最低気温は13゜を下回り、翌日あたりから「こたつ」へのアクセスが始まる。合わせたように我が家では「こたつが欲しい」が始まる。「まだ早い」と妻に言われると「確かに」と我慢に入る。ところが昨日あたりから「寒い」の単語が連発される。

 あらためて先ごろの気温のグラフに今日までの気温変化を加えてみた。9月30日ら最低気温が11゜代へ下がり、さらに本日10゜を下回った。とりわけ今日は最高気温も15゜を下回っており、15゜を下回ったのは今年初めてである。その前から「こたつが欲しくなった」という会話をしているから、やはり夜間に15゜を下回ってくると「寒い」という印象が強くなるわけである。ここに「こたつ」ラインは最低気温13゜あたりではないかと説きたい。もちろんまだこたつを入れたわけでもなく、入れる準備もしていない。

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投げやり、というわけではないが

2022-09-26 23:04:42 | つぶやき

 以前もそうだったが、最近はそれにも増して悪い状況なのかもしれない、我が家は。心臓に弱点のあるシロは、大病をして2年を経た。よくここまで生きていてくれたと思うし、これからもずっと長生きしてほしい、そう思う。しかし、最近は咳を頻発する。苦しそうでないことは救いで、見た目は「元気」なのだが、本当のところはちょっと心配だ。以前よりも人懐っこく「すりすり」してくることも多い。そのシロがぐっすりと煌煌と明かりが灯る下、父さんも母さんも転寝三昧だ。

 以前は最低でも午前3時には、と就寝時間の最終ラインを決めていたが、それはそれ以前に転寝をまったくしていない場合でのこと。ようは睡眠時間を最低でも4時間程度は確保したいという中でのものだった。ところが今は、そうはいかない。4時間程度の睡眠では、翌日の午後は眠くて仕方がない。いいや、半分寝ているようなもので、仕事にならない。したがって転寝をしても最低2時、これが今の目標だ。ところが転寝を2時近くまでやってしまうと、それから風呂に入って就寝となると、午前3時近くなってしまう。これでは翌日に影響が…。

 妻もそう思っているだろうが、転寝を辞めて午前零時ころには就寝する、がこのの後の目標だろうか。しかし、こたつのない時期でのことだから、これでこたつが開かれると、きっとそうはいかない。ますます転寝三昧なのだろう。繰り返すが、近ごろ転寝の時間が長くなりつつあるから、合わせてシロも一緒に周辺で転寝である。明かりが煌煌としていても気にもせず転寝している。もちろんあまりの体たらくに呆れて、シロ自ら寝床に入ることも最近は多い。一応寝床は上に灯り除けをしてあるから煌煌とはしていない。

 どうしたものか、と思うが、神頼みに仏頼みにもならない。そもそもわたしはそれらを信心しない人間だ。なるようにしかならないし、これまではそれで何とかなっていた。しかし…。わたしの終盤は、意外と短いのかも、などと思いながら、やり残していることはたくさんあるが、悔いはない、そう考えるようにしている。ちょっと投げやり化もしれないが…。

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心地よい悩み

2021-11-03 23:40:32 | つぶやき

 かつてに比べれば、秋色に世間が変わるのも遅くなっている。とりわけ今年は、台風がまったく来ず、ここ数年秋になれば「災害」といった印象だったのに、今年は気配もなく冬へ向かっている。年によってこんなにも違うのか、と体感しているこのごろだが、とはいえ、夏場に発生した災害で仕事は毎年ながらピークを迎えている。

 世間が色づくころは、すごしやすい季節。暑くもなく、寒くもなく、心地よい日々が続く。とはいえ、会社の環境は「暑い」から「寒い」が入れ替わるように体感させられる。日当たりの悪い部屋は、昨日まで「暑かった」のに、今日からは「寒い」へ境界がはっきりしている。したがって会社に身を置いている時間は、とても「心地よい」などという印象はなく、できれば業務時間を終えれば、すぐにでも帰りたいと思わせる環境だ。しかし、その劣悪な環境下で、「寒い」と言いながら夜遅くまで仕事をしている。世間では暖房器具などまだ不要なころから、その暖かさが待ち遠しく思い、共感の言葉が度々発せられるのが、わが社の衣替えなのである。

 先ごろ触れたとおり、我が家ではこたつを入れた日から、毎夜こたつに灯りが点り、もはやこたつ抜きでは過ごせない日々に変わっている。とはいえこの時期、床に入ると、まさに「心地よい」季節。自らの体温で、十分に布団の中は温まり、気分良く眠りにつけるころだ。その心地よさゆえなのか、それとも悩みのせいなのかは自分のことなのに答えは出ないが、意外に眠りつけないことが多い。もちろん心地よさを楽しむには、そのトキが長いことに焦りはないが、目覚めにかかわることだから、ウィークデーにはあってほしくない時間だ。時に、「今日もなにてもできなかった」と悔やむ時間でもあり、やはり悩みの種が蒔いた時間やも知れぬ。

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こたつを入れた

2021-10-22 23:45:26 | つぶやき

 今日は「癸卯」、「うさぎ」の日である。このところ寒くて、家の中でズボンの上に防寒用のズボンを二重にはき始めていた。いつもながら、妻に「寒い」を連呼してこたつを出すように促すのが恒例だが、そのたびに「まだ早い」と言われるのがわかっていたので、防寒着でもたせようと思っていた。

 妻が帰宅すると、「こたつ入れる?」というので、珍しくすんなり「こたつ開き」となった。冒頭記しているように、今日は「うさぎ」の日であり、世間で言われるこたつ開きの日ではない。こたつのことは今までにもそのたびに記してきた。「こたつを入れる日」を記した2005年は、10月25日に記している。その中でも記しているが、場所によっては「癸(みづのと)の日がいい」と言われるようだから、「うさぎ」ではあるが「みづのと」の日ではある今日だ。この記事の10月25日よりは、ちょっと早いが今日22日のこたつ開き。用意して電気を入れずにいると、「暖かくない」と妻から言われ、スイッチをオン。見事に今冬の暖房器具お披露目となった。まだ周囲には扇風機も置かれたままとなっている。妻も盛んに口にするが、妻の周囲でもエアコンを暖房代わりに入れる人が多くなったようだ。いちいち器具の入れ替えをしなくて済むから、面倒くさがり屋さんにはエアコンが理想かもしれない。

 「“こたつ開き”」を記した2013年には、10月14日にこたつの用意をしている。電気を入れたかどうかは定かではない。ネット上にこたつ開きの日について、「戌」とか「亥」だとか賑わうが「戌」の日は間違いだという記事も見える。確かに「亥」と「戌」はどちらも「い」だから言い間違いとか聞き間違いによることはあるかもしれないが、民俗学的に捉えれば、明から「戌」と答える地域があるということは、単純にそういう理由だけではあるまい。それぞれに意味が付加されて、加えて長い間伝えられたから地域性が育まれる。したがって「間違い」はないのである。

 寒さに我慢していると、転寝することもなく、早めに床に入ることになるが、こたつができると、こたつの暖かさにぐっすり。いきなり妻もわたしも、ここしばらくの様子と違い、床に入るのが遅くなった。もちろんこたつで転寝して、気がつけば午前2時代というありさま。この後およそ半年、こんな感じで日々は繰り返されることになるのだろう。

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シロの視線

2020-01-21 23:38:28 | つぶやき

 どうしたことだろう、最近は目が覚めると午前1時を回っていることが当たり前だ。ここから風呂に入り、ゆっくりしていると午前2時を回る。以前より遥かに転寝時間が長くなっている。

 年末を前にして徐々に疲れがたまってきていたことは確かだ。遅い夕飯を済ませ、こたつに入って何を優先しようかと悩んでいる脇で、シロがわたしをずっと見つめて訴えている。まばたきもせず、ずっと待っている。もちろんしばらくしてもわたしが自分のことに集中していると、諦めて妻の横に行って寝始めるが、それまではずっとわたしを見つめている。ここでわたしが折れて、寝転ぶと、いつも通りわたしの腹の上にやってきて何をするかといえば、自分の足を飽きもせずにずっとなめ続ける。だったらわたしの腹の上に上らなくてもできるはずなのに、どうしてもわたしの腹の上でやりたいようだ。

 このシロの行動に促されて寝転ぶのがわたしにとっては致命傷となる。以前なら1時間も転寝すれば目が覚めていたのが、今はそれで済まない。2時間近く寝てしまい、結局風呂に入るくらいしかできずに、そのまま就寝となってしまう。自宅でいろいろやろうと思っていたことができなくなる。

 理由は、と問われれば、外の仕事が続くからだろう。最近は会社にいる時間は夜だけ。昼間はほとんど現場だ。それも先ごろも触れた通り、穴の中にもぐったり、ただひたすら歩くばかりの仕事が続く。もちろん、それが嫌なわけではない。寒かろうが、現場に身を置いている方が気分的には気楽だし、自由だ。

 シロがわたしの腹の上にいる時間はそう長くはない。せいぜい10分から20分のこと。間もなく妻の横に行って転寝に入る。まるでわたしを休ませようと、わたしに訴えているようにも見える。それに感謝するべきかもしれないが、宿題は積もるばかりだ。

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シロも転寝三昧

2019-04-17 23:32:56 | つぶやき

 

 いつからなのか、最近信濃毎日新聞の1面に、1面らしからぬ記事が掲載されていることに気がついた。“こと映え”という、ペットの写真をあつかったものだ。応募方法には次のように記されている。「皆さんのペットや街で見掛けた生きものの写真を募集中です。ことわざや四字熟語などと組み合わせてお寄せください」。ようはペットの写真だけではダメで、ことわざなどに掛け合わせなくてはならない。

 世の中、人の高齢化に伴って、犬が減っているという。高齢化とともに、「もう飼えない」といって、犬も高齢化しながら、そのまま飼育数は減っていく。高齢化へ向かう我が家でも、犬がいつまでそばにいてくれるものか、いつまで飼うのか、といった話題がときおり浮上する。どんなに小さくても、犬は犬。飼うことのできる時間をいつまでとしてみるかで、犬との付き合いに踏ん切りをつけることになるのだろう。もちろん我が家にも高齢化に近づいている犬がいて、いつまでそばにいてくれるか、そんな勘定をするころになっている。

 相変わらず我が家では転寝三昧。以前は午前零時に近くなると、こたつの上がけの上に寝ていたシロも、促されて自分の寝床に追いやられていた。ところが最近はその時間になっても転寝から目覚めないわたしたちと一緒に、シロも未明まで転寝を続けることが多くなった。ふとわたしが目覚めると、シロも察知して自ら寝床に入っていく。いよいよシロも転寝三昧に…。

 いっぽうで、殺処分は相変わらず多いらしいが、けっこう地域差があるようだ。とくに犬は譲渡されることが多いが、猫は殺されてしまう数が多い。「地域別に集計した犬殺処分数一覧・2017年度版」というものがあった。それによると、四国では殺されてしまう犬が多い。いっぽうで北陸は少ない。犬にとっても北陸は住みやすい地域なんだと気がつくが、それって人も住みやすい地域、ということなんだろう。

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介護の周辺

2016-10-26 23:47:40 | つぶやき

 最近我が家でさかんに話題にのぼるのが息子の時間の使い方。前任者の間違い訂正でお役所に勤めていながら毎日遅い帰宅。もちろん新米だから処理に時間がかかっても当然だろうが、だからといって前任者がお役所から消えたわけではなく、別の部署でふつうに働いている。このことはまた後日記すとして、そんな毎日を過ごす息子も、当初はたまの休日に「写真を撮りに行く」といってふだんはいつまでも寝床に入っていて、「いいかげんに起きろ」と声をかけてもなかなか動こうとしないのに、そんな朝は知らぬ間に家を出て行ったものだが、最近はとんとそんな行動がない。条件付きのふだんにはない行動が、すでに消えてなくなっている。いったい自分のやりたいこと、自分がライフワークにすること、そんなものはないのかと可哀想に見えてくる。当初は遅く帰ってきても「食事はどうするんだろう」と気がかりだったが、わざわざ息子のために食事を残してたおいても、「食べてきた」とか「今日はもういい」なんて言われると、気を使った思いがはかなく飛んでしまう。ということで最近は帰ってこないというイメージで食事を済ませる。たとえ帰ってきて食べたいと言っても、「自分であるものを食べろ」としか言いようがない。そのかわりというわけではないが、近ごろは妻が居ないウィークデーが週に3日あるから、その3日間はわたしが息子の弁当を作る。妻よりわたしの方が息子の弁当、もちろん自分の弁当もそうだが、作る回数が多いのだ。

 更にである。近ごろは妻が帰ってくるとは言っても、帰宅するのは午後10時すぎ。ときには途中で「眠っていた」なんて言って、午後11時過ぎなんていうこともある。ということで、夕飯がやってくるのを待つのもどうかという感じで、自分で食べるほうが良い、ということになる。帰っては来るのだが、ほとんど夕飯を家で作るということがないのだ。それにしてもそんな妻が帰ってきてすぐにこたつで目を閉じる。もはやそのまま朝になっても不思議ではないが、「起きろ」とわたしが声を夜半にかけて、ようやく寝床へ。というものの、わたしが目覚ましをかけて起きる時間には、すでに起きて洗濯したりしている。よく働くというか、よく起きれるものだと感心する。おそらく実家で介護していると、夜中に何度も起こされているから、寝ていても「すぐに起きる」ということが当たり前のようにあるのだろう。慣れているとえばそうなのかもしれないが、介護の大変さは妻を見ていると実感として伝わる。いいや、伝わってはいないかもしれないが。こんな介護をしていても、これから先、扶養のことなど制度がいろいろ変わったら、ますます我が家のような環境は政治からは遠い存在になるのかもしれない。自宅介護者に対する手当をもっとして欲しいものだ。

 

 もともと我が家にはふつうの人たちのような休日はない。介護だけではなく、我が家の農業を継続しようとすれば、いわゆる「今日は何をしようか」とか「どこに行こうか」などといった休日はない。しかしながら、今は休日のたびにそう思えるひとも多いのだろう。我が家では、自分のいる空間でしか物ごとを見つめることはできない。

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シロの思い

2015-03-15 23:02:51 | つぶやき

 ずっと妻とともに毎日のように生家と我が家を行き来していたシロだったが、妻が週の半分以上生家で暮らすようになった年明けから、シロは我が家で暮らすようになった。冬季間ということもあって寒かったということもあるが、妻も生家に連れて行っても構ってあげられないということもあったからだ。もちろん我が家で暮らすということは、平日の日中はひとりぼっち。誰もいない家で、ずっとわたしの帰りを待っていた、この2ヶ月ほどである。そんなシロが、最近餌を食べなくなった。相変わらず訪問者はもちろん、道を歩く人がいれば吠えまくっているシロだから、サンルームからその外に囲ってあるエリアを走りまくっていて、けして運動不足ということはない。にもかかわらず朝与えた餌が夜になってもそのまま。1日1食以下という日も。

 そんなシロは最近、わたしが居間で座って少し横たわろうとすると、すぐにお腹に上って寝そべる。なかなか横たわろうとしないと、わたしの横でじっとお座りをしてわたしの顔を見つめているのである。時おり妻が帰ると、やはり妻の横に擦り寄って一緒に寝そべる。寂しくて仕方がないのだろう。そんな姿を見せると切なくて、妻は再び生家に連れて帰ることも。

 しばらくわたしのお腹の上に寝そべっているが、わたしがうとうととして眠りに入ってしまうと、居心地が悪いのかこたつの隅の布団の上に移動してシロもうたた寝を始める。妻が帰ってくるとこたつの周りでみんな揃ってうたた寝である。日差しが強まり、いよいよサンルームも暑くなる。この後シロは再び妻の生家暮らしが訪れるだろう。ちょっとわたしには寂しく、シロに癒しを求められない日々が始まりそうだ。シロではなく、わたしの方が食が進まなくなるかも……。

◇◇◇ お腹の上で ・・・・・・・・

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同時多発介護

2015-02-03 23:47:30 | つぶやき

 “老いる・中編”において、……「福祉」は「社会の構成員に等しくもたらされるべき幸福」であるはずなのだが、介護に限らずそのほかの「福祉」もまた福祉を受ける側の弱者のためのもの、という捉え方ができるだろう。それをとりまく健常者に対しては等しい幸福をもたらすものではないのである。故に介護度を高く求めることにより、余裕さえあれば要介護者を介護施設に預けることは可能だ。しかし、「自分でできるだけしてあげよう」と思う孝行者ほど、悪循環にはまっていく可能性がある……と書いた。また“同時多発介護の時代”では評論家の樋口恵子さんのこんな言葉にはまってしまった。……2013年の高齢社会白書に『要介護になったとき誰に介護を頼みたいか』と団塊世代に尋ねた調査で、『子の配偶者』という回答(嫁介護)は男女とも1%以下だった。「少なくて目をこすりましたよ」……。

 妬みの温床は介護を背景に育まれる。介護格差とも言えるだろうか。介護の有無によって人の暮らしはずいぶんと変わる。それは要介護者が家族にいるかいないかなどという事実だけでは判断できない。いよいよ妻は要介護度5の父とそこまでいつたどり着いてもおかしくない母の世話をするようになった。妻にとっては癒しの家であった我が家に、週に1度か2度程度しか帰らなくなった。今までもそうであったが、帰ってきても居間のこたつに横たわって新聞屋が訪れても気がつかないほど寝入っている。わたしが起さない限り目覚めは朝まで来ないのではないかというほどに…。娘である以上そこから逃げるわけにもゆかない。これほど介護全盛の時代だから、そこにビジネスを狙う人々がいて当然だ。圧倒的に思うのは、モノに対する介護の高度化である。要介護者のためのさまざまなモノは、ひと昔前に比べたら進化は著しいのだろう。そのいっぽうで人を利用するビジネスはいまひとつなのだろう。手に余ることもあって母は週に複数回デイサービスに通い、さらにショートにも向かう。ショートに向かう母に綺麗にたたんだパジャマを持たせても、そのまま帰ってくるのがいつもだという。そんな施設ではおむつですら交換せずにそのまま帰ってくるのも珍しくないという。介護の世界の現実がどれほど厳しいものか、かかわっていないわたしには解るはずもないが、生活を脅かされたくない人々は、要介護者が家族にいてもほぼ他人任せにすることも可能だという。

 妻はこのごろ「今年のコメ作りどうしよう」と度々口にする。究極の段階に来ていると察するが、あとはわたし次第なのだと思う。ちまたで耕作放棄地が増えるのも無理はない。

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“こたつ”を開く、開ける、出す、入れる・後編

2014-11-02 23:07:13 | 民俗学

“こたつ”を開く、開ける、出す、入れる・中編より

 中編では『長野県史』よりの「こたつを入れる時期」をあげてみたが、実は民俗を扱った市町村誌史において、「こたつ」はもちろんのこと「こたつを入れる時期」を扱った例はとても少ない。「こたつ」については住生活における暖房具のひとつとして取り上げられることが多いが、まったく扱われない場合も多い。それだけに「こたつを入れる時期」についてデータ化した『長野県史』の試みには拍手を送りたいところだ。

 こたつといえば「入れる」について触れた通り、電気こたつが今では当たり前である。こたつの火の不始末で火事になるという例がかつては多かった。かつての住生活では「火」を扱うことが多かったから、火伏の神様への依存度も高かったわけだ。とりわけこたつは「火」と燃える物が接近していた。いわゆる掘りごたつというやつ。どこの家でも部屋の中ほどの畳にはこたつを据えるための切り込みが入っていて、その畳を外すことでこたつを作った。掘りごたつといえば炭が必要になるわけだが、当時は囲炉裏があることで炭を調達することが意外に容易だった。「入れる」を「電気を入れる」から想定したと述べたが、かつてを思い出せば「オキを入れる」と言ったからこのあたりではやはり「入れる」が当たり前と言えるのだろう。オキとは炭火のことである。火を入れるために十能を入れる箱があった。おかもちのような恰好をしたもので、その中に炭を入れてこたつのある部屋へ持ち込んだ。十能箱といった。そして炭をこたつに入れるのに十能を使ったが、こたつ用の小さな十能もあって、ふつうはこたつの中に入れてあった。

 こたつ櫓は今のこたつに比べればずいぶん小さかった。尺五寸ほどのもので、家族が足を入れると必ず足があたったものだ。この櫓の上に下掛けというものを掛けたが、古着を解いたものを継ぎ合わせたもので、2枚とか3枚を重ねて刺し縫いしたのだった。さすがに分家した我が家にはないが、きっと実家の蔵のどこかを探すと出てくるのかもしれない。こたつ布団は四布半から五布程度の大きさのものだった。そんな掘りごたつが少し形を変えたものが、豆炭こたつというやつだ。オキの代わりに豆炭を入れたのだが、さすがにこの豆炭というものも近年見たことがない。これとは別に掘りごたつではなく、櫓の中央に火鉢を置くタイプのこたつもあった。これを置きこたつというらしいが、ただでさえ狭いこたつの空間がさらに狭くなるため好めなかったわけであるが、臨時用という印象があった。

終わり

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“こたつ”を開く、開ける、出す、入れる・中編

2014-10-29 23:44:26 | 民俗学

“こたつ”を開く、開ける、出す、入れる・前編より

 『長野県史』民俗編資料編から、長野県下のこたつについての記述のなかから、こたつを「入れる」日について拾ってみよう。

■南信(『長野県史』民俗編第二巻(一)南信地方 日々の生活)
○九月に入れる。(塩沢、菊沢、湯川、若宮、立沢、長岡、東高遠、小川、新野、売木)
○九月下旬に入れる。(駒沢、神宮寺、南大塩、長峰)
○十月上旬に入れる。(山本)
○十月に入れる。(諏訪湖周辺、笹原、上伊那北部、南田島、座光寺原、阿智、金野、中郷など多数)
○十月下旬に入れる。(小沢、北福地、石曽根、南条、越久保、上虎岩、此田)
○十一月上旬に入れる。(駒場)
○十一月に入れる。(羽広、勝間、市野瀬、大草、松尾、木沢など多数)
○十一月下旬に入れる。(坂部)
○十二月に入れる。(中坪、溝口、中山、南田島、柳平、和合、沢井、押出)
○こたつは十一月下旬の戌の日に入れ、四月下旬の戌の日にあげる。(坂部)
○こたつを作る日は未の日が良いといわれた。この日につくると火事にならないといわれる。(新野)
○こたつは午の日に出し入れするのを嫌った。炭がまの口を午の日に開けることも嫌った。もしこの日に開けると、炭がいくら黒くてもまた火がおきて燃え出してくるといわれている。(坂部)

■中信(『長野県史』民俗編第三巻(一)中信地方 日々の生活)
○九月に入れる。(穂高、田沢、下新、赤木など)
○十月上旬に入れる。(下金井、安原)
○十月に入れる。(千国、細萱、雲根、伊深、博労町、王滝下条など多数)
○十月下旬に入れる。(嶺方)
○十一月に入れる。(大網、上押野、本町、両島、妻籠など)
○十一月中旬に入れる。(沢渡)
○十一月下旬に入れる。(千見、妻籠)
○十二月に入れる。(新橋、洗馬、下条、向粟畑)
○ムラの慣行としては、ムラの秋祭りの九月十九日から、翌年の種まきの五月一日ごろまでこたつを入れている。(新屋)
○こたつを入れるのに良い日とされているのは、壬、癸の日である。逆に良くない日とされているのは、丙や丁の日である。(飯田、伊谷)
○九月の秋のお祭りころに入れて、五月ごろあげる。(下新田)
○昔は十二月から翌年の三月までこたつを使った。(洗馬)

■北信(『長野県史』民俗編第四巻(一)北信地方 日々の生活)
○九月に入れる。(稲附、柴、十二)
○九月上旬の秋祭りに入れる。(大田原)
○十月に入れる。(小境、南長池、仁礼、杭瀬下など多数)
○十一月に入れる。(西大滝、広瀬、草間、岩野など多数)
○えびす講に入れる。(四ツ屋)
○十二月に入れる。(白鳥、桑名川、上今井、古海、上野、箕作、柏尾、中須賀川、明光寺、下八町)
○戌の日にこたつを作るなともいわれた。戌は元気が良いためだという。(栗田)
○十月上旬の戌の日に作った。戌はずくがあってこたつなどに入っていないからだという。また老人のいる家などは年中作っている家もある。(三水)

■東信(『長野県史』民俗編第一巻(一)東信地方 日々の生活)
○九月に入れる。(越戸、馬瀬口、春日本郷、南佐久北部など)
○九月下旬に入れる。(矢沢、赤岩、高野町など)
○九月下旬の彼岸すぎに入れる。(矢沢)
○九月二十七日の八幡神社の例祭のころから寒いときは入れはじめる。(高野町)
○十月上旬に入れる。(横根)
○十月に入れる。(塩田上本郷、別所、小田井、菱野、清川など多数)
○十月中旬に入れる。(平井寺)
○十月下旬に入れる。(本海野、宮下)
○十一月上旬に入れる。(小田井)
○十一月に入れる。(横道、入組、手塚、和子、東田沢、和田、山部、崎田、京の岩)
○十二月に入れる。(真田、赤岩、豊昇、臼田、御所平)
○十二月一日に入れる。(宮ノ上)
○十二月中旬に入れる。(立岩)
○昔は十二月に入れたが、今では早くなって九月下旬から入れだす。(赤岩)
○十月の戌の日にこたつを作る。申の日は忌む。(坂井)
○今までは十二月から三月まてせこたつを使っていたが、電気や石油を用いる暖房器具が入るようになって、使用期間は長くなってきている。(豊昇)


 そもそも『長野県史』では「こたつを入れる時期」と質問している。そうなると、わたしが当初イメージした「入れる」はけして違和感のあるものではない。長野県風なら「こたつを入れる」が一般的だったと言えるのかも。同書内では民俗地図を使って入れる時期から地域性を見ようとしているがそこから地域性は捉えられていない。ここにあげた事例でも解るが、地域の寒暖差に無関係にこたつは入れられているといえそうだ。「昔はこたつなどなかった」という上松町吉野の例でも解るが、こたつは比較的新しい段防具だったともいえる。そして長野市栗田の例に「こたつを入れる炭もない家があった。かける布団がないので蚊帳をかけておいた家もあった」というものもあり、こたつを入れるにはそこそこの余裕がないとできなかったとも言える。そんななか具体的に「戌の日」が伝承されるようになった、それも全国的に共通性をもって、という事態の背景にどのようなものがあっのか興味深いところである。

続く

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“こたつ”を開く、開ける、出す、入れる・前編

2014-10-26 23:15:13 | 民俗学

 このところ閲覧数が多いページが「“こたつ開き”」である。そもそも「“こたつ開き”」もまた閲覧数が多かった以前に記した「こたつを入れる日」から発した日記だった。こたつのことについて触れたこの二つの日記が、今年初めて閲覧数一覧に登場したのは9月3日のことだった。9月3日というと曇天ながら最高気温はこのあたりで29度とけして「こたつ」を意識するには早い時期であったが、全国を見渡しても9月3日の気温はどうみても夏の1日であった。にもかかわらず「こたつ」を意識するページが閲覧されたのにはどういう意味があったのかは解らない。我が家で「こたつ」を意識し始めたのは9月の半ば過ぎだっただろうか。そして10月に入ったばかりの日曜日に今年の「こたつ開き」となった。ここに10月に入ってからの二つのベージの閲覧数の変化についてグラフ化してみた。10月13日以降その数が増えていることが解るだろう。長野県では10月13日は曇天あるいは南部では雨が降って最高気温が20゜を切った日であった。18日にピークとなって、その後は少しずつ閲覧数は減ってきているが今もって多いことには変わりなく、この日記の中では10月に入って最も多く閲覧されたページと言っても間違いではない。二つのベージの閲覧数をみたとき、当初は「こたつを入れる日」が閲覧されるが、後に「“こたつ開き”」が「こたつを入れる日」を上回っていく。その理由は何かと検索キーワードで解いていくと、当初は「こたつを出す」という検索ワードが目立つ。そして「“こたつ開き”」が多くなる10月半ばになると、「戌の日 こたつ」に類似した検索ワードが多くなる。これは「“こたつ開き”」の中で文中に「検索キーワードのトップが「戌の日 2013 こたつ」だったことを知り…」という具合に、検索された文字そのものを扱った文があったからに違いない。

 「こたつを入れる」というように「入れる」という表現がわたしの当初のイメージだったわけであるが、「こたつを入れる」の中でもその理由については触れている。ようは電気こたつだから「電気を入れる」となったわけで、「スイッチを入れる」という表現がこたつにも採用されたわけである。しかしこういう言い方は標準的なものではなく、「開ける」「開く」「出す」の方が一般的と言えそうだ。こたつに関する検索ワードには「戌の日」がとても多く登場する。ということは「戌の日」がこたつとの因果関係が高いということが言えるわけで、全国的に「こたつは戌の日に開く」という言い伝えが多いということが言えそうだ。

続く

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日記を振り返り

2014-04-18 23:46:12 | つぶやき

 「人を撮れない」ではないが、見知らぬ人を写真に納めるというのも容易ではなくなったわけであるが、とはいうものの写そうとする被写体の背景に人々の顔が写り込むことは当たり前にある。先にも述べたように、子どもの表情を捉えようとした場合は、その被写体はその目標にした個人となる。被写体が特定されているわけであるが、例えば祭りにおける獅子舞を撮ろうとしていて、周囲の人が写ることは避けられない。わたしがこれまで多く撮影した写真の中で、人が写りこんでいるものはそのほとんどが祭りを撮影したものだ。それは特定の人の表情を撮影しようとするものとそう大差はない。なぜならば、被写体になりうる例えば芸を演じる人だけを撮ろうとしているよりは観客の表情を同時に写し出そうとしているケースが多いからだ。とくに民俗芸能は演じる者ととともに、観る者がいなければ成り立たない。そんな場面における個人情報は、今後どうなっていくのか、気になるところである。

 さて、以前「期待には応えられていないだろうが・・・」の中でわたしの日記を訪れている、いわゆるアクセス解析について触れた。秋になれば「こたつ」というキーワードで訪れる人が多いということを記したわけであるが、その際「毎日数は少なくても必ず検索キーワードに登場するキーワード」について触れた。「用水」を例にあげたわけであるが、それは今も変わらずこのページの定番キーワードとなっている。「用水」も含めて農作業に関するものが多い。以上はキーワードからのアクセスであるが、閲覧されるページとキーワードが関係しているわけではない。それだけキーワードによってこの日記を訪れる人は少ないということになる。そんななか閲覧数の多い日記はもちろん当日に掲載したもの(トップページ)が多いわけであるが、それ以外の特定のページが毎日のように登場する。数は少ないが毎日この半年ほど毎日のように登場するのが「熊の胆」である。そのほか「息子の手術日」とか「ラブ逝く」、「用悪水路」「軒下の薪から思う」といったものが毎日のように上位にくる。それらはどれも2006年ころから2010年ころまでの古い日記である。あのころに比較すると、忙しさに紛れてただ記している今の日記は「面白くない」のかもしれない。視点の置き所も狭くなってしまったように思う。「人を撮れない」で触れたように、ネット時代だけに公開は容易である。故に映像には個人情報として他人をオープンにする要素が含まれる。わたしの日記が文字ばかりなのは、自分のことはともかくとして、他人の情報を特定されないという意識を念頭に置いているせいもある。とはいえわたしが「日記」と捉えているのだから、記録としてそれは振り返ることができなければ意味がない。そんな思いをどこかにおきながら、この日記は日々綴られているが、故にいつ辞めても不思議ではないほど、ひっかかるものがあるのも事実。ひたすら毎日「記す」ことだけが、続けられてきた要因である。

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