Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

親の仕事

2005-07-24 21:43:17 | 民俗学
 専業主婦については、あるページに次のようにある。

「夫の収入に連動した(依存した)「専業主婦という立場」が成立したのは、実はごく最近になってからのことです。近代化が進む前の社会では、多くの人々が農業や製造業に従事していたため、妻も貴重な労働力として生産活動に従事していました。近代化によって、産業の巨大化・集約化が進むにつれ、企業で長時間勤務する労働者が必要となりました。ここに、専業主婦が誕生する社会的適合性があったわけです。専業主婦の成立によって、夫は家庭の雑事を主婦に任せて働くことができ、主婦が子供の世話と教育投資を行うことによって知識や技能を持った新たな労働者が生み出されました。」

 ここから専業主婦は、労働者の一人であることがわかる。しかし、最近の捉えられかたは、だんなが仕事に出ている間に、子育てをするだけの、あるいは掃除や洗濯をするだけの、どちらかというと暇な存在としてみられ、職業とはとらえられていない。しかし、かつての農業主体の社会では、子どもが多く、それにもまして、農家の主婦が果たす役割は大変多かった。また、農業は自営業なだけに、子どもたちは必ずその自営業の手足となった。したがって、主婦だけではない、子どももすでに家の仕事の働き手として重要な地位を持っていたわけである。子どもが多ければ、小さな子どもの面倒をみるのも役割、いわゆる仕事であったわけである。家庭には、このようにそれぞれの役割がおのずと割り当てられ、それとともに親の働く姿を毎日目にしていたわけである。自営業であれば、子どもが親の仕事に触れ合うことがある。わたしも父が石屋だったこともあり、子どものころの遊び場は、石を割る河川であった。そばを流れる川で遊んだもので、親の仕事場を中心に遊びが展開していた。現在では川へ遊びに行くことは、制限されたりするが、親の近くにいるということで、川というものはまったく危険な場所ではなかった。自営業ならともかく、例えば運送業に働く人が、子どもを自分の車に乗せるということは、安全上、あるいは責任の所在上、今ではできないだろう。時代が法律で固められるなかで、結局家族が混在した空間で働くという、かつてはごくあたりまえであった世界が、今ではまったくありえないものになってしまった。子どもたちに職場体験などというものをさせる時代になってしまったが、かつては親の仕事を見て育ったわけである。
 農業にこだわるわけではないが、自営業の良さを改めて感じるのである。
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