Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

ある田んぼの光景

2018-07-26 23:42:01 | 農村環境

 

 何の変哲もない、田んぼの光景である。畔際のあたりは植えずに水を浸けてあるが、珍しいことではない。この写真のどこに問題があるかといえば、見ての通り、水路は真新しい。最近新しいコンクリート製品に更新されたばかりといったところ。したがって周囲の地盤も、工事によってしっかり締め固められたので、安定した状態にあるのだが、田んぼから溢れ出た水が、水路天端のあちらこちらから水路へと落ちている。何といっても、水路に誘導されているパイプ。田んぼの排水を意図的に、田んぼから水路へ誘導されるために設けられているのだが、そのパイプを無視して、周囲からどんどん水が落ちているのである。よく見ると、パイプからはほとんど水が流れ出していない。

 この田んぼに限らず、周囲には掛け流し状態の田んぼがいつくか見られる。この一帯の田んぼでは時おり見られる光景だが、せっかく直した水路なのに、脇から水が流れているため、水路脇の締め固められた土が飽和状態になって、踏んでみると脆弱化している。そもそも何のためのパイプなのか、わざとパイプを塞いで、田んぼの畔を堰と見立てて越流させているのか、水路を管理している側から見れば迷惑な話だ。これだけ脇に流れ出していると、水路内に落ちなかった水が、水路周囲に浸透していき、まったく乾ききった水路の反対側にまでたどり着いて、この下流で哀れな姿を見せている。

 今年は暑すぎるから、掛け流しの方が水が冷えて良い、とでも考えているのだろうか。そもそもパイプは、田んぼの水を払って、乾かすときに使うもの。したがって床面の水も排水できるように、深い位置に設置してあるのかもしれない。したがって堰とみなして越流させてパイプに導水するには、頭にそれようの枡を設けないと思うような排水はできない。そこで、手っ取り早い方法として、パイプを無視して、畔をもって堰とみなした、というわけだろうか。

 いまどきの田んぼの管理は、忙しさにまぎれて百人百様。つい最近直された水路も、何年もつことか…。


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