「流れが瀬となり、水がザザと音をたてて流れるような浅いところを「ざざ」という」(『上伊那誌民俗篇』)。冬季間に入ると天竜川の水量もかなり減る。したがって流れからみればどこでもザザと音をたてて流れるような浅いところになるのだが、その中でもとくに浅瀬を求めてザザ虫採りの人たちが漁をする。ザザ虫漁といえば天竜川の代表的な冬の風物詩とも言われている。
わたしがザザ虫を知ったのはやはり飯山で暮らしていたころのこと。伊那から転勤してきた飯山の方が「ザザ虫を知らんのか」と言って馬鹿にされてからのこと。まだ10代の若者がザザ虫などというものを食べるはずもなく、酒の肴ぐらいにしかならない珍味であればなおさらのこと。そんなこともあってザザ虫を始めて口にしたのは伊那ではなく飯山の出先でのことだった。「美味しい」とも言えなかったが「不味い」というほどのものではなかったが、さすがに姿をじっと見つめてみるとなかなかのものである。まあ上等なものしんか食べていない人にはびっくりするような虫である。ムカデやゲジゲジは食べようとは思わないがそれに近い姿である。それからというもの、自宅に帰るときには「買って来い」といわれて何度か買い求めて飯山まで帰ったもので、もちろん会社内で飲む際のつまみになったわけである。量り売りで買ってきたもので、100グラム千円くらいだっただろうか。
「四手網か三日月網をあて、上流の川底の礫を万能鍬や鋤簾で掻きたてるか、「虫踏み」といってゴム長靴の底に針金のカンジキ形のものをはいた足で掻きたてると、礫の下などにいるざざ虫が、砂や芥などと一緒に流されて四手網へかかる。これを容器の上へ板を橋わたしにして、その上へのせておくと、虫はひとりでにはい出して、落ちて容器にたまる」(前掲書)という。ざざ虫という特定した虫もいるが、実際はまごたろうむしやとんぼ虫などが混ざっているよで、かつて量り売りで買ったざざ虫にはいろいろな虫が混ざっていたように記憶する。
先日、箕輪町伊那路橋の上流の現場に行くと、今年もザザ虫漁をされている方たちがいた。昨年も対岸からその姿を見ており、この場所がザザ虫漁の適地のようである。漁をされているおじさんに聞くと、箕輪町ではこのあたりが最も良いらしい。新聞で盛んに後継者がいないと報道されているが、漁をする人がいなくなっても実際は困る食材ではない。蛋白源のひとつとしてざざ虫を貴重に捉えていたわけだが、今ではまさに珍味。もちろん食の文化財級であることは言うまでもないが、天竜川にしかいない虫ではない。これを食べる文化がこの地にあったということが貴重なのである。
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