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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

十沢地蔵尊大祭(宵祭り)へ

2025-04-23 23:55:23 | 民俗学

令和7年4月23日午後6時30分ころ

 

(下左)お地蔵さんの顔をさする→(下右)自らの顔をさする

 

先日は願掛けの前掛けがたくさんあったが、今日は上着1枚とすっきりしていた

 

 先日触れた十沢地蔵尊の大祭の宵祭りを訪れてみた。当日の24日は現場が入っていて足を運べないため、宵祭りの様子をうかがってみた。先日話をうかがった際に、宵祭りにもお寺さんのご祈祷があると聞いていたので、午後7時を目途に向かったのだが、既にお詣りをする人たちが、三々五々に訪れていた。曜日に関係なく実施される大祭だけに、行列を成すほどではないものの、地域の人たちには、親しまれているお地蔵さんだということは、その様子でじゅうぶんうかがえた。

 祭りはお地蔵さんのある長岡区の行事として行われているよう。「長岡十沢地蔵尊保存会」という法被を着用されている皆さんは、14の常会(註)から一人ずつ当番として選出された方たちで、その中から保存会長さんが選ばれるという。とはいえ、この保存会は継続ではなく、毎年それぞれの常会から選出されるため、毎年顔ぶれは変わるのだという。

 さて、午後7時から長松寺の住職によるご祈祷が始まる。意外に長いお経でびっくり(我が家の生家のお寺さんの、葬式の際のお経より3倍から4倍は長い)。さすがにこの間はお詣りしづらいということもあって、お地蔵さんにお詣りされる方はいない。ご祈祷が終わるまで待っている、という感じだろうか。したがって終わると参拝者が一斉にお地蔵さんのお詣りを始めるため、小さな列ができる。三々五々にお詣りされていたご祈祷前も、列を成した後も、いずれも参拝される方たちは、各々お詣りをされると、お地蔵さんのところまで進んで頭や肩や、あるいは顔などをさすって、その手を自らの同じ場所に持って行きさするのである。ようは自分の身体の悪いところ、あるいは気になるところを直して欲しいという祈願なのだ。ほぼみなさん、頭をさすり、そして肩や顔とさすられて行く。さする際に顔を寄せて、まるでお地蔵さんに話しかけているような姿を見ていると、お地蔵さんも答えているようにもうかがえる。これほど親しまれているお地蔵さんは、近在にも珍しいのではないだろうか。印象としては、宵祭りの雰囲気が良い、とわたし的には捉えた。

 

(左上)交通安全お守り、(中)お札、(右)パンフレット

(左下)見ての通り十沢地蔵尊まんじゅう、お団子が欲しかったが売り切れ


註 「常会」とは地域のまとまりの単位を言う。長岡では15の常会があるというが、一つの常会は公営住宅のため、祭りに役員は選出されないよう。箕輪町ではどこの地域でも区の下に「常会」があるようで、箕輪町のホームページを見てみると、「地域で暮らす心がまえ」の中で、区や常会について「都会でいう町内会のような地域のコミュニティがしっかりと根付いています。「区」や「常会」「隣組」があり、町は15の「区」から成り立っています。それぞれに「区長」さんや「常会長」さんがいて、地域の人たちの面倒を見てくれています。」とある。このことは『信濃』77巻2号へ「ある「常会記録簿」にみる地域社会―中山間地域半世紀の記録と現在―」と題してわたしが報告している。


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