Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

会田川を遡上する

2019-10-06 22:48:11 | 信州・信濃・長野県

安曇野市明科清水

 

松本市四賀会田子安神社

 

 昨日東伊那ではこの土日に祭りが集中しているという話を記した。実は昨日は、前日に松本市内で仲間との飲み会をもって宿泊し、筑北の方まで足を伸ばして調べごとをしてきた。とりわけ旧四賀村に向かう途中でも、あちこちで幟が立てられていて、祭り一色という感じだった。そんななか、立ち寄った旧明科町清水では、公民館で祭りの準備をされていた。ハナを作っていたようで、公民館の掃除もされていた。何か催しがあれはと思って聞くと、「何もない」とのこと。ハナは神前に飾って、みんなで参拝するとそれぞれの家へ持ち帰るという。ここではもう神事のために神主を呼ぶこともしない。地元の人たちだけでお参りして祭りも終わるという。とはいえ、公民館から見える参道に立派な灯籠が低い位置に吊るされていたので、なぜ低い位置にあるのか聞くと、夜火を入れるのに、低くしてあるという。いっぽうで、立てるのに人手がいる幟は、今は立てないという。若い人がいないから、とも。春彼岸の日にここを訪れた際、近年よそから移り住んだ人が複数いると聞いていた。この日も祭りの準備に来られていたが、そのおかげで少し継続の時間は伸びたのかもしれない。旧明科町の山手にはおなじような地域がいくつもあり、中には廃村となった地区もある。

 さて、灯籠の脇に道祖神が3体並んでいる。右端に「道祖神」があり、左から2体は双体道祖神。しかし、双体道祖神の劣化は著しく、何が彫ってあるかはっきりしないほど、風化が激しい。すでに銘文など読めないほどであるが、『明科の石造文化財』(昭和56年 明科町史編さん会)によると、左端のものには「金三十両帯代」とあり、造立年について「安政六己未正月吉日」(1859年)とあるようだ。

 清水から少し会田川を遡ると、県道端の会田子安神社にフネが留め置かれていた。見るからにフネに見えるが、ブタイである。確かに2階部分は一般にいうブタイ風である。にもかかわらず、そこから竹で組まれた舳先に、それこそ海を想像させる幕が張られている。が、よく見れば泳いでいるのは緋鯉のよう。波の描き方はまさに海であるが、そこに鯉というのもアンバランスではある。中信地域には、ブタイをフネ風に飾り立てる例が多いが、ここのものは、1階部分は、安曇のオフネと同じようなヤグラ構造になっていて、2階部は山車である。御厨神明宮へ曳行されるブタイ4台のうちのひとつで、西宮区のものである。三田村佳子氏の『風流としてのオフネ』によると、かつては四賀全域から21台のブタイがやって来たという。そしてこれを里山辺型オフネに分類している。


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