Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

拭えないこの後の時代を憂い 前編

2024-03-07 23:48:27 | ひとから学ぶ

 空白は長らく続いた。そうこうしているうちに、わたしも生業の一線を退く日が近づいた。定年ともなれば、その末期はゆっくりと生業の一生を振り返る時間が欲しいところだが、まったくそのような余裕がなかった。これまでにも何度か記してきたが、年々余裕がなくなり、まさかの怒涛の3月を迎えた。まだ3月も半月以上あるが、昔のような定年の迎え方は、わたしには少なくともない。とはいえ、ここに記すことができるようになっただけ、ほんの少しではあるがかすかな隙間が見えてきたということになるだろうか。

 今週はこれまでにも度々キーワードとして登場した「会計検査」があった。このキーワードで検索すると、この日記にも何度となく記事が現れる。そして改めて過去に記した記事を読んでみると、つくづく「なるほど」と思わせるものを書いていたことを知り、かつての自分の捉え方に感嘆したりする。例えば2017年に記した「希にみるピンチ」である。会計検査を迎えるにあたってのこころの揺れが見て取れる。その上で、

いまだ実際に会計検査を迎えるにあたって、当時と同じような課題は残る。それは一過性の出来ごとであることにも起因する。台風のようなもので過ぎてしまえば忘れてしまう。しかし、あらためて過去のものを紐解いたとき、自ら担当したものならいざしらず、人の携わったものは理解するのに時間がかかる。だからこそ伝達すべきことは文書で残す必要があるし、記憶に留める必要がある。ところが我が社は多くの人材を人員整理で失った。今もってその余波はあって、すでに社にいない者の手がけたものが該当すると、もはや目も当てられない。教訓を目覚めさせてくれる機会でもあるのだから、それに学ばない手はない。

と記した。今もってその流れは変わらず、「嫌なもの」だから過ぎてしまえば「忘れたい」とみな思う。検査そのものは月曜日から金曜日まであるが、実質的には木曜日までの4日間が勝負。その間1日済むごとに解放される人々がいる。当日を迎えるまではピリピリと情報を得ようとするのに、終わった途端にすべて捨てる。情報すら他部署に流さない。いってみれば「自分さえ良ければ」という雰囲気はあからさまだ。そして今回ほど部署間の情報共有がなかった検査はなかった。理由は様々だが、統率すべき本社の対応のまずさは特筆できる。とりわけ今回の検査では、わが社の関わる物件が数多かった。例えばわたしの管轄エリアでは、8割以上がわが社が関わったもの。これほどの確率で該当する例は今までなかったと記憶するほど。そういえば「繰り返し、「疑問に思う」」に「思い出すのは10年以上前のこと、…」と記した会計検査の際も、わが社の関係物件が多かった記憶に残る検査だったかもしれない。いずれにしても、一人複数地区を担わなくてはならないほどの物件数で、該当地区の発表以後約2週間、ほかの仕事はストップしてそのための準備に当たった。「問題を発しない」が合言葉であり、無事に何事もなく終えられることを描く。そのためには準備に完璧は無いから、無限大の準備が続けられる。そしてその対応は、これまで日記に記してきた通り。例えば「やられたら「やり返す」」に記したように。

続く


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