Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

「原点と未来」から、そして・・・①

2011-01-07 19:56:37 | ひとから学ぶ

 昨年を振り返った大晦日、そこで常民大学研紀要の最新号について年が明けたら記したいと書いた。最新号は昨年の10月に発行されたもので、ようやく手元に届いた。とくにその団体が何をしているかといったことに興味を持ったわけではないが、その団体を誘導した後藤総一郎が推し進めた地域学の足跡を、ある程度認識しておこうというのが目的だ。そして出身地である遠山や飯田において芽を育てたという印象がわたしにもあったわけで、比較的身近なものであることも事実だ。とはいえ、この研究紀要(常民大学研究紀要10)は岩田書院という出版社が発行しているもの。そこそこの値段がするもので、購読してその価値があるかどうかは手に入れてみないと解らないこと。昨年も少しがっかりしたわけであるが、今年はタイトルが「常民大学の原点と未来」というもので、そもそも期待薄なものだった。とくに後半には「これまでの活動と今後」という回顧的なものが並び、「常民大学学」なる雰囲気が十二分にあった。そもそもこの紀要は常民大学の合同研究会の記録的なもの。今回は平成21年の10月17日から18日に遠山(飯田市)で行われた同会の記録である。基調提案から講演などの記録であって、内容は濃いものではない。このようなものを岩田さんが発行されているのは収支が合うからなのか、それともほかに何かがあるのか知らないが、部外者が手にするような本ではない。

 とはいえ購入したからには内容から何かを得なくてはもったいない話しである。もっとも身近で素直に頷けたのは針間道夫氏の「遠山谷に生きる」だったが、これは次々回触れることとし、今回は相変わらずわたしの頭を悩ます難解な部分に触れてみよう。おそらくこの会にかかわっている人たちにも疑問を抱いている人もいるのだろうが、部外者にはまったく理解しがたいことがある。ここに加わる人たちはいわゆる「常民大学」と名付けられた全国各地の会の方たちである。その中には遠山常民大学と言われる後藤総一郎生誕の地に地元の人たちを囲って育まれたもののほか、飯田柳田國男研究会という会もあり、いわゆる飯田を中心とした地域だけでも複数の会が散在している印象がある。さらに現在ではその中枢らしきところに柳田國男記念伊那民俗学研究所というものがあるため、それぞれの関係がまったく不可解になってくる。そもそも柳田國男記念伊那民俗学研究所と常民大学は直接的な関係はないと思っていたのだが、中枢にいる人たちはすべて同じ組織内部のもののような捉え方をしているようにも伺える。部外者にはそれぞれの会の関係者が重複しているため、いったい誰を、何を相手にしているか解らなくなってしまうのだ。さらに柳田國男記念伊那民俗学研究所の活動内容をみると、その中にも「部会」とは称しているものの、前述した①柳田國男研究会、②伊那近代思想史研究会といったものが存在していて、名称から察すると別組織のようにも見える。そういえば数年前までは伊那谷地名研究会なるものも内部にあったが、最近は分離したのか情報すら掲載されなくなった。このことはずいぶん昔に触れているのかもしれないが、なぜいくつも「会」という名称の団体を内部あるいは外部に作っていってしまうのか、理解に苦しむのである。

 今回の紀要(合同研究会)にも野本寛一氏が講演されているが、それは柳田國男記念伊那民俗学研究所の所長として講演されたのかどうなのか、というところも不明瞭なら、講演で登場してくる霜月祭りのDVD記録保存事業が遠山常民大学が担ったものなのか、それとも飯田市美術博物館の事業なのか、なぜそれが常民大学合同研究会の成果のように扱われるのか、といった部分も混在していてよく解らないのだ(後に飯田市美術博物館の櫻井弘人氏がそのあたりを説明しているが、とはいえ遠山常民大学との接点は薄いのではないかというのが実感としてある。このあたりも次回触れたい)。

続く


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