Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

カメラを落とした(過去の別の日記を振り返って⑲)

2022-09-28 23:48:41 | つぶやき

衣替えのころ(過去の別の日記を振り返って⑱)より

 

 平成24年9月29日の別のブログに次のようなことを記した。タイトルは「カメラを落とした」である。

 またやってしまった。正確には“また”ではない。なぜ“また”と思ったかと言うと、電車内に置き忘れてそのまま帰ってこなかったのとダブって思えたからだ。今回は置き忘れたのではなく、川の中に“さよなら”をしてしまった。カメラである。わたしは仕事でもマイカメラを利用している。けっこう落とせば“さよなら”をしなければならないような現場にそれを持っていく。現場に行っても気になるものがあると写真で記録することが多いことから、マイカメラを使うようになった。そんな現場でこれまでカメラを落としても“さよなら”をしてしまうようなことはなかった。だから正確には“また”ではないのだが、買わなくてはならない、ということでは“また”に該当する。購入して2年ほど、もとをとったと思うほどはまだ使っていない(前のカメラもそうだったが)。
 
 それにしてもかなりの急流に落としてしまった時はカメラはともかくとしてこの日撮影したものを“どうしよう”という思いが咄嗟に浮かんだ。普通の川なら拾うのだが、あまりの急流と水の多さで、“諦めるのか”と自分に問いかけた。そうはいっても疲労ことを試みるべきだろうと思い、川の中に入るが水は冷たいし、あまり水の量でとても手探りで探すのは不可能と感じた(急流のため泡立っていて底が見えない)。“水を止めよう”と上流に行き土砂吐けに差し込んである角材を取ろうとするが取れない。仕方なく戻って再び川の中に足を運ぶが、やはり無理そう。どうせカメラはダメだろうから、データだけでもと思った試みを諦めかけた。ところが考えるほどに今日のデータは、と思いが募り、なぜかまた試みる。流れ落ちたとして止まるあたりを想定して場所を変えたりした。すると泡立つ中に少し光の異なるものが垣間見えた。手を伸ばすとまさにカメラだった。もちろんカメラは作動しないが、データを拾うことはできた。少し救われた思いだった。

 この平成24年に川ポチャした後に購入したカメラは、既に動かない。川ポチャはしなくとも地面に落とすことは何度もあった。しかしさすがに水に浸からない限り、そう簡単には不動にはならない。ところがストロボが発光しなくなった。そこで同じカメラを中古で購入することになったというわけで、そのことは「結局、中古を買った」に記したが、7年は使ったから「元を取った」と言えるだろう。

 

90歳のお医者さん(過去の別の日記を振り返って⑳)


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