朝日村小野沢血馬様の馬頭観音
朝日村小野沢の諏訪神社背後の段丘上に「血馬様」(ちばさま)と呼ばれている場所がある。馬頭観音の石碑群がある場所でかつて血取場があった場所。馬頭観音の石碑群はほとんど「馬頭観世音」などと文字を彫った物だが、並んでいる石碑の中ほどに1体、像を彫ったものがある。だいぶ摩耗していてはっきりしないが、馬頭観音である。南向きに並んでいる石碑群であるが、南側に木々があって日陰になっていて碑の正面は道に対して背を向けていて、言ってみれば陰に隠れている。背を向けていたから気がついたのは、その背面に文字が刻まれていたこと。
当初橋場ニ建立明治十八年七月大洪水ノ際流失
明治四十五年六月廿三日鎖川瀬中ヨリ発見改メテ
當所ニ再建 村中
とある。明治18年の洪水で流され、27年後に鎖川で発見されたというわけだ。
前面に「文久三亥五月□□」とあるようだが(『朝日村石造文化財』)、「文久三」まではわかるがあとははっきりしない。補助光で陰影をつけてみたら、確かに「文久三亥五月」まではっきりする。逆に「文久」」から少し離れた上部にも文字らしきものが浮かぶがはっきりしない。これらは像向かって右側に彫られているものだが、左側にももしかしたら刻字があったのかもしれないが、摩耗していてわからない。
さて、近くで働いておられた女性に声をかけたことで、ここが「血馬様」と呼ばれていることを知った。驚いたのは話しているとその女性がかつて民俗の会で活躍されていた先生の家の方だったこと。声を掛けてみて良かった、そう思ったわけである。
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