秋には94歳になるというおじさんの家を訪ねた。昨年おばさんが亡くなられて、独り暮らしである。とはいえ、息子さんが隣町に暮らしているので、しょっちゅう顔をざれるよう。今日も「さっきまでいたんだに」と言う息子さんは、午後も来られるという。おじさんは家の外の畑で仕事をされていた。足が痛いようで、補助車を使って歩かれている。8枚ほど耕作している田んぼの「水見(みずみ)」は自分でされているという。さすがに田植えなどの仕事は監督で、息子さんが担われているという。「俺は指図するだけ」と言うように、耕作には口うるさいよう。「うちの稲を見て行って」と言われ、家の下の田んぼの稲の様子をうかがった。見事に成長していて、わが家の稲とはずいぶん違う。我が家の稲は、近年人には見せられないような状況だから、比較するまでもないのだが…。そんな話をしながら、実はおじさんの家に向かう際に見た、ついこのごろ植えたばかりの近くの田んぼの話をした。するとおじさん自分の家の稲を見せたのにはそれらの田んぼの稲との違いを言いたかったよう。最近植えた田んぼの稲はともかくとして、同じころに植えたというおじさんの家の下にある田んぼのことを言う。苗の数がおじさんの田んぼに比べると少ないという。加えて「苗がへぼい」のだという。それらは法人さんのされている田んぼで、なによりおじさんの住まわれている地域の法人の稲作は「びとい」という。「草なんかめったに刈らない」。ひどいところは収穫するまで刈らないようで、その話を聞いてよそでの同じような光景がわたしには浮かんだ。ようは法人が担うようになって、あちこちでおじさんにしてみたら「ひどい米づくり」が広まっているというわけだ。
おじさんの家の近くの法人さんのトラクターが泥だらけの状態で事務所の外に停められている姿をよく見かけていたため、そのことを言うとおじさんは次のように言う。「まあず、田んぼから泥だらけで出てきて、そのまま違うところの田んぼに行くから、雑草が広がっちまう」と。我が家も雑草に関してはよその方たちに迷惑をかけている節があるから、人のことは言えないが、なにしろ法人さんは人手がないからしょうがないのかもしれないが、「びとい」という。加えて、最近植えられたと思われる田んぼは、別の個人でやっている法人で「もっとびとい」と言う。県内では反当600キロぐらいの収量と言われているが、最近の法人の姿をみていると、とてもそんな収量はないはずだとも。
ということで、1枚目はおじさんの家の田んぼの姿。2枚目は最近植えたと思われる田んぼの姿だが、わが家の田んぼより稲が見えない。というより枯れている。そして3枚目は地域の代表的法人の田んぼなのだが、確かに草が「ボーボー」、そして稲もおじさんの家の稲とは明らかに違う。米不足が叫ばれて久しいが、実は米作り、大変な事になっていないか、などとこの姿を見て思っている。これら田んぼの写真は、比較的人目につかない地域のものばかり。気づくと、周囲に耕作放棄された田んぼが目立つ。この地域「やばくない?」と思ったわけである。
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