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道祖神の獅子舞⑤

2018-04-29 23:57:54 | 民俗学

道祖神の獅子舞④より

 山梨県の道祖神の祭りを訪れた後、仕事で異動した伊那の地で南佐久郡小海町の同僚と一緒になった。縁もあって平成5年の正月明けに小海町の彼の家を訪ね、2箇所の道祖神の獅子舞を見る機会を得た。

 

長野県南佐久郡小海町宿戸 道祖神の獅子舞 (「遙北通信」第128号 平成5年2月1日発行) HP管理者

 1月7日に南佐久郡小海町を訪れ、道祖神の獅子舞を見学した。今までにも同郡臼田町清川の獅子舞や、山を越えると山梨県ということで、割合近接している牧丘町などの獅子舞を紹介してきたので、この八ヶ岳山麓一帯には道祖神の獅子舞が多いことは御存知の通りである。今回訪れた小海町は、臼田町よりは山梨に近い位置にあり、以前にも紹介した南相木村や北相木村の入口にあたる。町内では本村上、本村下、市の沢、宿戸、本間、宮下、五箇、芦平、以上8箇所で獅子舞が行なわれていたことが、『子供組の習俗-南佐久地方における年令階梯制の記録』(長野県教育委員会 昭和35年)に報告されている。このうち今回は宿戸(しゅくど)と芦平(あしだいら)を訪れた。他の地区で現在も行なわれているかどうかについては、確認してないが、日程などの変更があっても現在まで続けられている所がほとんどのようである。

 『子供組の習俗』によると、小海町における獅子舞の日程は本村上、本村下、市の沢、宿戸が1月2日、本間、宮下、五箇、芦平は1月1日であり、各所とも夜に行なわれていた。南佐久郡内には川上村、南牧村、小海町、南相木相、北相木村、八千穂村、佐久町、臼田町の8町村と佐久市がある。これらの市町村における日程をみると、南牧・小海・南北相木・佐久・臼田・佐久市においては、ほぼ2日を中心に行なわれており、川上や臼田の青沼では小正月を中心に行っている。本来は各所とも同一の日程で行われていたのであろうが、明治維新後の太陽暦に改められた時点において、このような日程の乱れが生じたものであろう。

 今回訪れた宿戸や芦平では、『子供組の習俗』に報告されている日程と少し違っている。宿戸では2日・7日・14日の3日行われておリ、芦平では7日に行われている。

 

 撮影 平成5年1月7日 HP管理者


 宿戸では小学6年までの子供組によっておこなわれている。ただ過疎地域ということもあり、近年どこでもそうであるが、女の子が加わる。ただし、ここではたまたま女の子がいないために、今年は男の子のみであった。人数は7人で喪中の家の子は参加しない。獅子は普段は公民館に納めてあり、獅子が使われるのは、1年中でもこの時だけである。7人と子供の数が少ないため、今年は14日には舞わないということであった。獅子舞は午後4時から道祖神の碑の前から始める。獅子を被る者が1人、その幌持ちに1人付く。道祖神の前では、碑に噛み付く所作をする。これら以前に諏訪の平出一治氏が報告してくださった獅子舞と共通している。道祖神の前でひと舞すると、集落の下の方から各一軒ごとに獅子を舞って歩く。宿戸は比較的集落がまとまっており、ほとんど屋敷場は隣へつながっているような状態で、約30軒ほどある。小学6年生が親方であり、かつては舞が元気がなかったり、上手でなかったりするとかなり怒られたようである。

 頭1人と幌持ちが用意できると、

 「悪魔っぱらい、悪魔っぱらい」

を3回繰り返し、家の中に獅子と幌持ちが上る。この時各家では玄関あるいは座敷の戸を開けて獅子を迎える。戸が開いていないと、「あけとくれー」と子供たちはさけぴ、催促をする。家め中に上りこむと、外で待つ子供たちは「悪魔っばらい」のはやし方となる。家族全員が座敷に座り頭を噛んでもらうまではやしを繰りかえす。舞が終ると「御苦労さん」といってお金をくれる。2・7・14日の3日やるのでかなりお金たまるという。

 回る時、獅子や幌持ち以外の者は笹を持って回り、舞をしている問、この笹をざわざわと揺するのである。この笹は各家で14日に舞が終わると処理をするという。喪中の家は回らないが、留守の家も舞いをしない。

 配役としては、獅子・幌持ち・おんべい持ち・下足番袋持ち・太鼓といったものである。先程からも述べているが、今年は子供が少ないということもあり、中学生が手伝っていた。集ったお金は最後に分配されるが、かつては年齢によってかなり差がつけられていたようである。各家すべて回ると、最後の家の近くにいつも宿になってくれる家があり、そこで夕飯を食べるという。

 舞そのものは簡単であり、時間も短いため、おそらく他の地区の獅子舞と比較してもかなり簡略化されたものだと予想される。次回に同町芦平の獅子舞を報告する。

 

 宿戸は同僚の生家がある集落で、小海町の中心部より東の山手に入った山間の集落だった。興味深いのは笹を持って回るところだろうか。

 

道祖神の獅子舞⑥


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