Cosmos Factory

伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

正面とはどこか

2007-06-22 08:27:29 | ひとから学ぶ
 同僚と下伊那郡高森町の役場を訪れた。その同僚とともにそこを尋ねるのは初めてなのだが、飯田方面から役場を尋ねたことがないからちょっと道があやふやだという。もちろん地元であるわたしにはルートは解るわけだが、わたしの認識では、県道飯島飯田線の牛牧交差点から東へ降り、大丸山公園から高森中学校南側の道へ右折し、中学北側を役場へ左折する道が一般的だと思っていた(今は広域農道が開いて、県道飯島飯田線の牛牧交差点から降りて役場へ向かう人はほとんどいないだろうが…)。ところが、同僚はいつもは広域農道の上市田東交差点からJR飯田線市田駅への県道を下り、農協前の交差点を過ぎて役場への取付道路を登っていくのが常の道だという。加えてそれが「正面玄関へ向かう表玄関だろう」というので、わたしの認識とは異なっているのだ。でもよく考えてみると、高森町役場は、同僚の言う道から上っていく側に玄関が向いているからそれが正面といえば正面だ。玄関がわたしのルートとは反対側を向いていたのは認識していたものの、常に訪れていた東側からの道が正当な道だと思い込んでいた。加えて幹線道路からこの役場を訪れるのには、わたしが通常利用している道がもっとも最寄の道であるし、初めてこの役場を訪れた30年近く前の道もそのルートで教わった。そんな経験が長年のわたしの錯覚を呼んだわけだ。

 同僚に言われて正面とはどこかとあらためて考えてみたのだが、同僚が言う道も、けして正面とは言いがたいほど初めて訪れる人にはあやふやな空間認識を与える。まず一つに看板があまり目立たないということがある。この道を登っていってもたどり着くのは町の体育館であったり公民館である。役場はその奥にあって、役場は二の次という感じさえ受ける。ある意味でそんな空間配置はわたしは好きなのだが、役場を目的に訪れる人にはきっと解りづらいかもしれない。同僚に「それは裏道だろう」といわれたわたしの通常の道を通って役場を訪れ、帰りは同僚のいう表道を通って帰社の途についたのだが、帰り際に昔とは違い、表側にわずかな区間であるがショートカットした新しい道ができていた。いつできたのかわたしは知らなかったのだが、やはり、同僚の言う表の道もけして表らしいからぬ屈曲があったため、町で道を改修したのだ。ということは、わたしの認識していたように、必ずしも表の道とはいえない欠点があったということになるのだろう。

 確かにわたしの認識していた道も表にはふさわしくなかったが、結局この役場には表の道が今まで無かったということなのだろう。

 さて、長年の錯覚とは「思い込み」に始まったわけだが、こういうことはけして珍しいことではないかもしれい。たまにどこが玄関だかわからないような家や施設がある。そんな施設に出くわすと、一度経験した道が表の道となり、その後はその道を馬鹿の一つ覚えのように利用することはよくある。深く考えさえしなければ、「その施設の玄関はどこですか」と聞かれれば、経験している馬鹿の一つ覚えの道を答えるに違いない。ところが、それは実は玄関でなかったりする。自らが思っている場所が正面である、ということでわたしは良いと思うのだが、経験とはこういうものなのだ。

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