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上野庚申総本山を訪れて

2022-04-16 23:25:40 | 民俗学

 

 昨年の7月31日、長野県民俗の会例会で松本市梓川上野の真光寺を訪れた。このことは「上野の庚申さんに触れて」で触れた。真光寺へは庚申講に関する資料を触れるために訪れたわけであるが、このことは細井雄次郎氏によって『長野県民俗の会会報』44号へ「松本市梓川真光寺に集積された庚申掛軸について」で詳細が報告されている。かつては古くなった庚申掛軸を更新する際に引き取ったりしていたのだろうが、今は活動を停止した庚申講から納められたものがほとんどのよう。その中には小道具のようなものも含まれており、とりわけ活動ほ停止した場合、利用していたもの一切を廃棄するため、廃棄するに忍びないものをここへ納めているよう。したがってかつては掛軸だけだったものの、今は付属物が多くなっているという印象がある。

 細井氏が調査した以降に停止した講から預かった掛軸が増えており、それらを調査する意味で、本日当時例会に参加した有志が真光寺を再び訪れた。ちょうど桜が咲いていたが、すでに花吹雪状態。住職が言われるには満開から2日ほどで散り始めてしまっているよう。それでも今朝がたは多くの写真目当ての人々が訪れていて、枝垂桜を背景にカメラを構えていた。

 さて、実際の調査は7名ほどで行ったが、作業分担をしたものの慣れるまでに時間を要し、結局1日では作業を終えることはできなかった。何より前述したように付属物が多いため、今回はそれらもリスト化する意図で始められ、どのようにリスト化するかは試行錯誤であった。記録簿のようなものは講ごとさまざまで、興味深い内容を含んでいるが、そこまで詳細に確認しているととても時間がかかるため、とりあえずリスト化に留められた。全ての掛軸を紐解くことはできなかったが、真新しい表装の掛軸がたくさんあり、それらを開くと中の掛軸は古かったりする。ごく近年表装し直したものも多くあり、にもかかわらず活動が停止され、真光寺に納められている状況。印象とすればなぜせっかく表装し直したのに、すぐ活動が停止されたのか、という点である。掛軸を直すと活動停止に結びついている、と思わせるほどそうした事例が多い。どこの地域でも行われていた庚申講の衰退は目覚ましいものがあるのかもしれないが、こうしてそれら道具を引き取ってくれる場所がある、ということは、この地域の人たちには広く知られているようだ。

 今日完結できなかった調査は、今後も続けられる予定。


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