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伊那谷の境界域から見えること、思ったことを遺します

蚕玉様の祭り

2022-04-17 23:48:27 | 民俗学

 

 蚕玉様と書いてコダマサマと呼ぶ。その名の通り蚕の神様である。現在の安曇野市、旧明科町南陸郷の和泉神社の春祭りには、繭玉の形をした米粉の餅を投げる。もちろん蚕玉様の御供である。南陸郷の中でも最も北端にある小泉集落。国道19号が集落の真ん中を突き抜けており、その周囲に集落があるが、それほど戸数が多いというわけではない。北側の犀川を渡ると生坂村である。

 春祭りは和泉神社の祭典であることに変わりないが、併せて蚕玉様の祭りも行われる。蚕玉様は社殿内の右側に別に祀られていて、本社の神事に次いで行われる。春祭りにのみ蚕玉様の神事はあり、秋祭りには蚕玉様の神事はないという。本社の神事とほぼ同様に蚕玉様の社でも神事は行われる。神社総代の手渡しによる献饌の後、祝詞奏上の儀、そして総代と地区の役員による玉串奉奠が行われる。一般的な神事と同様であるが、小さな神社でありながら神事で笙が使われる。地元の宮司さんの娘さんがそれを吹かれていた。蚕の神様を祀るわけであるが、現在養蚕をする人はいない。ようは豊蚕を願う祭りではあるものの、その対象は現在ではないということである。したがってその願いは五穀豊穣とか家内安全といった別の意図に変わっているよう。奏上された祝詞の中でも、そのあたりに触れられたものとなっている。

 和泉神社神事、蚕玉様神事と終わると、さっそく繭玉餅の投げ餅となる。新型コロナウイルス感染下では、通常行われていた餅投げが行われなくなっている中、ここでは餅投げがちゃんと実施された。それも生餅むき出しのまま投げるという、まったく従来通りのやり方。かつては自分たちで繭玉を作ったのだろうが、現在は菓子屋さんに依頼して作ってもらうという。伝えられてきた木箱には「和泉神社」と記名されており、新調された年号も記されている。繭玉の入れられた箱は10箱用意され、ひとつの箱に二膳の割りばしとふた包みの「神饌」(洗米)が混ざる。宮司さんによると養蚕において箸を使ったことにより箸を投げるのだというが、娘さんは「食べるものに苦労しないように」という意味だと説明されていた。繭玉の数に比べれば箸と神饌は2×10箱ということで20個しかないわけで、これを拾うことは相応の意味があるのだろう。

 この日の境内には50人余の人々が集まり、投げ餅を拾っていた。半数近くは子どもたちということで、ここ最近見られない光景が、ここでは繰り広げられた。参道沿いに集会施設があり、祭典前から子どもたちの行事が行われていたようで、故に大勢の人々が集まっていた様子。みなさんたくさんの繭玉餅を拾って家路についたようだが、それぞれの家でそれぞれの食べ方をされるよう。火で炙って食べるという人もいれば、お雑煮にして食べるという方もおられた。養蚕繁盛を願ったかつての祭りは、意図を変えて、今もって継続されている。


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